「タイポグラフィの世界」近日公開といふのはどれくらゐのスパンを近日といふのだらうか。長引いてゐる感じ。
さて、昨日買つた寫植見本、興味深いといへば興味深いが、寫研一社だし書體數も多いわけではない。同じくらゐの値段でもつとよいものが賣つてゐるので、早まつたかな、と少し後悔。モトヤがあつて岩田が入つてないのが面白いくらゐですよ。LGつて不思議な書體ですね、と思ひつつ。
20:51
死者の書入力中。「正字正かな辭書」がないので、IMEの手書き入力をしばしば使ふのだけれども、たまに遊んで入力部をぐるぐるとかき囘すのだが(タブレットなので)、さうすると、右卷き左卷きに關はらず、「ゑ」が出てくる。なぞ。
21:41
なんとなく。
聯と連との通用關係がよくわからない。聯は一方的に連に通用されるので、「連」或は「聯」を遣ふ語彙は、連⊃聯。ではこのとき聯の連における補集合である語彙はどのやうなものであるか?
10:45
+++ 第1回 エンタ!検定 成績発表 +++
あなたの総合得点は51点 全国平均 55点
全国順位(10月3日 22時現在)
156位(194人中)
−−ジャンル別得点表 −−−−−−−−−−−−−−−
0_________10__________20点
映画 ■■■■■■■■■■■■■
テレビ■■■■■■■■■■
音楽 ■■■■■■■■■■■■
書籍 ■■■■■■■■■■
芸能 ■■■■■■
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あなたは「エンタの凡人」
おつかれさまでした。分からない出題もままあったのではないでしょうか。「周りの話についていくのがツラい」と最近よく感じているようなら黄色信号です。ジャンル別にみると、「映画」「テレビ」「音楽」「書籍」は平均的に知っています。「芸能」にはあまり興味がないようです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ふうん。エンタ! 検定より。
22:40
あなた的には、「喫煙」ってどう?。私は煙草の煙は勘辯して欲しいとおもふのではあるが。
禁煙ブームが異常的隆盛を誇ると聞く。健康ブームに影響されたものであらう。しかし、シガレットはまずいといつて禁煙した池澤夏樹、まずいうまいなどどうでもよく依存症だと云つて吸ふ金井美惠子などの煙草關係の文を見れば、それだけでもねえべなと思ふ。シガレットのやうに大量消費する煙草は、歴史的に尋常とは證明しがたい、らしい。金井美惠子は煙草を吸つたつて長生きする人はすると『d/SIGN』誌のインタビューで言つてゐたが、毒を喰らつても生きる奴は生きるのであるから、宛てにならない。死ぬ確率を上げるか否かが問題である。
吸ふのはかまはない。ただ、私はその煙のお零れすらも頂戴したくない。さう考へて、アンケートの意見を讀んでいくと、喫煙派に分類される人々は、かなり禁煙者をけなしてゐる印象を受ける。たばこがだめな人は五感が貧弱なんだと思います嗅覚のとぼしい人ばかりになってきたってこと今,原始人に倣え
(Date: 2005-10-03 18:56:53、siesta/49歳/女性)などは、最たる例か。たしかに、世界中の全員が禁煙で當然と考へるひとは、大體煙草の「た」の字すら厭つてゐるのであらう。文章に嫌惡が滲み出てゐる。周りの空気が読めない喫煙者、頭イタすぎです
(Date: 2005-10-02 20:41:13、あんぽんたん/20歳/男性)。かういふ敵對心を隱さないのと相手をしてきて、不當に權利を制限されてゐると感じるならば、あのやうなけなしも生まれやうか。互ひが完全に滿足する案は見出せまい。煙草のよさをどれだけ伝えても吸わない人にはわからない。なぜなら吸わないから。(中略)煙草が合法な今だからこそ吸うべきだと思う。煙草はそれこそ何千年も前からあるわけだし、それが消える前に体験していることはとても貴重なことだと私は思う。
(Date: 2005-10-02 01:30:07、シン/20歳/男性)のやうな勘違ひをなくして行つたとしても。
しかし、非喫煙者の前でタバコを吸う、街中で歩きながらの喫煙。こういった喫煙者がいる限り禁煙運動は止まらないと考えています。
(Date: 2005-10-02 22:09:01、v22/22歳/男性)
23:14
karpa、Kirias、PCC、築竹……。どうにも名前をつけるのが苦手である。といふのは、やはり、それで何をかなすといふのが薄弱であるために思はれる。築竹は、ついちくと讀み(と主張する)、築地活版に縁を無理やり結びつけてつけた名前だが(何で竹なんだらう)、どうにもちくちくだとか讀まれさうである。ダウンロード數はそれなりにあるが固定客はをらんやうだし、かまはないといつてしまへばそれまでなのだが。ローマ字物にいたつては、なんとなく kがつくものといふ理由しかない。PCCはまた別なのだが。何をかなしたし。至急の問題ではないからいいか。
22:20
「法」の古い字は、「去」のうへに「薦」の草冠を取り除いた形を置いてゐる (U+704B) のだけれども、その字を見てあれこれ忖度するのは「無駄」らしい。まあ、「字源の説明については、絶対に正しいということはほとんどありえない」(阿辻哲次『漢字の字源』講談社〈現代新書〉、1994)といふ姿勢をとるにしても、「法」の字は「神判」に由來する、といふ説は、それなりの支持を得てゐるのだし、文字といふ資料の檢討を「無駄」と退けるのは、そもそも徹底を缺いてゐると批判されてしかるべきであらう。文字の解釋なしでは金文などの資料すら讀めないのだし、それで、周頃から確立してきたと述べる法體系の何を見ようといふのか。
23:33
「萬葉假名」シリーズ第一彈。畫像を作成してからなんと高慢ちきな文句かと赤面するもそのままアップロードしてみる。
00:10
いまではもはや過去のこととなりかけてゐますが、宮城の某縣知事が縣警の會計問題に關與せんとした件で、警察廳長官が傲慢と申すべき發言をしたのを懷かしくおもひだし、自治體警察から國家警察へ、改革の逆戻りがあつたのを後に知り、これが現在の中央集權警察を問ふ切缺になればよかつたのではないかなあ、などと思つてみます。
00:55
文字が、そもそもの初義を體現してゐるといふことは、どういふ意味を持つか。「法」の字形解釋を巡る藤堂説と白川説は、文字學的正統を爭ふだけではなく、文字の呪性の強度の解釋を巡る爭ひでもある。藤堂説は、字は「何々といふ〈こと〉は、すなはちかういふことである」と見、白川説では〈こと〉をそのまま象徴化したと見る。古代の神聖王の時代にあつては、〈こと〉を、しかも、より純粹に、〈こと〉そのものを描くやうな形で文字化するといふことは、文字そのものの持つ呪的性格は、たとへ三千年、四千年のときを經てもなほ我々に強く迫る。しかし、その間に「何々といふ〈こと〉は」といふ緩衝を入つてゐるとすれば、そのやうな〈こと〉の純粹性は一切ないのであり、線條記號は、必ずしも古を保存する必要がない。兩者の違ひは、このやうなことなのであると理解する。
22:14
家に歸れば十時で、そのあとa point of viewを知るのには役立つ例の勉強をやる氣には、なれない。ウェブを巡囘するだけで一時間かかるんですよ(この期に及んで)!
例の勉強用レベルの近代論は讀み飽きた。小説はもつと厭だが。まともなのが見たい。
月曜日は雨らしい。10:00開場で10:30から公開直彫りがはじまるらしい。30分あればひととほり見れますよ>誰。こんどは印刷博物館に立ち寄る豫定なのだけど、面倒なことになりさう。聚珍録梓行紀念セミナーの日の大雨みたいなことにならねばいいけど(ならないと思ふなあ?)。
23:19
phpBBをアップデートした(2.0.13から2.0.17)のだが、管理畫面に進まうとすると、謎のエラーがでて困つた。なんでも、コラムが足りないとか。たしかに、phpmysqladminだかで確認しても、見當たらないコラムに値を入れようとしてゐる。通るわけがない! よくわからないままにコラムを追加して、取敢へず動いてゐる。どきどき。
15:41
そもそも、「い」が三つも竝び、「み」は「mi」なのであるから、4つも同じ母音が續くといふのが耐えられない。「よい意味」と讀むのであればまだよいものだが、「iiimi」、字面だけでも氣持ちがわるいではないか。しかも、「いいいみ」だと、アクセントが平板でなほ氣色惡い。「いい意味」といふのが、「意味」の意味上適當な使ひ方かどうか判斷する餘裕もなく、「いい意味」と聞くたびにむずむずするのであつた。
19:26
10:00の開場前に澁谷パルコに到着し、早すぎたと反省。開いて、すぐにロゴス・ギャラリーに向かふと、FeZnさんに遭遇。少し挨拶して、FeZnさんは品物を見に這入つた。わたしはもうあらかた見てゐるので、ぶらぶらと眺める。清水金之助さんは用意のさなかで、ギャラリーの關係者なのか、机を運んできた若い男性に用意を手傳はせてゐた。10:30ごろになつて――といふのもPHSを家に忘れて時計がなかつたので今日はいつなにがあつたのかさつぱりわからない――明月堂(だつた氣がする)のひとが、清水金之助さんのプロフィールを配りはじめた。10:30から清水さんの名人藝が披瀝されたのだが、彼の話からの知見も交へながら、プロフィールを紹介したいと思ふ。
清水金之助さんは、1922年1月10日にお生まれになつた。場所は聞いてゐないが、話し方などから東京のお生まれであらう。1936年、馬場政吉さんといふ種字(=父型)彫り職人に弟子入りする。清水さんの先輩は字を彫るときに、筆で逆字を書いてからやつてゐたらしい(小宮山さんの大日本スクリーンの連載で安藤末松氏もさうしてゐたことが知られる)のだが、清水さんは、直接けがいてしまつて彫るので、早くできるらしいかつた。けがくときは、鋼鐵を90度に折つたのを2つ重(緟)ねたやうなのに燒きを入れたの(名前があるらしいが忘れた)を定規がはりに、デプス・メーター(FeZnさんによると、いまはもう市販にない形)で縱と横とを、あらかた書いてしまふのである。さうして、底と、頭を彫刻刀で閉ぢてしまふ。種字は、逆字に彫るのだが、縱の右側の線(つまり印刷したときに左に來る)は、上も下(底、と云つていらした)もあまり丸めてはならないらしい。對して、左側の底は、丸くするさうである。右側がああなので、右も大分丸いやうなのと比べればだいぶ禁慾的な丸めかたなのだが。1945年獨立(?)し、弟子5人とともに大田區に工房を立て、受注體制に。清水さんが字をざつと彫り、それを弟子に深く彫り込ませ、清水さんが仕上げをするといふやり方で、1日10本ほど彫つてゐたさうである。註文があればなんでもやつた――明朝・ゴシック・正楷書、ハングルも――とのこと。そのころすでに種字彫り師は少なく、衰退一方であつたため、岩田に主に納入してゐた縁か、1956年、岩田に入社し母型を彫つた。岩田に這入る際に種字は已めてしまつたらしい。プロフィールでは、1971年、岩田を辭め、ふたたび獨立して、最終的に已めるのは1975年。已めたのは、需要の低迷に窮まる。2004年活字研究會――大學の先生とは清水さんの言――の要請で、歴史傳承のために種字彫刻を再開する(清水さんは已めて49年と仰つてゐたのだが、計算が合はない。清水さんの勘違ひか)。白内障に罹つてゐたのを、手術して視力がかなり恢復してゐたのもあつたらしい。最初はもう已めて久しいからできない、と斷つてゐたが、あまりに熱心なのでやつてみたら、吃驚できた、體が覺えてゐるんだねえとのことであつた。同年10月スミソニアン・アメリカ・ヒストリー・ミュージアムに種字(「鶴」「龜」)が收藏された、とのこと。そして、今日。
始まる、といふときに清水さんの左脇に陣取る――結局脇にゐただけでも二時間弱ゐたのではなからうか。一號格、三號格に「東」が彫られてあつて、仕上げをします、とのことであつた。二日前に彫つたとかいふ一號の出來上がりもあつた。彫りながら、ときをり、例の先生方がつくつてくれたとかいふ、T字型の臺に填めたルーペ(×14?18?。14はルーペに書いてあつたもの、18とは清水さん曰く。清水さんの臺は×14)で、種字を見せてくれる。感服のひとこと。どうぞ質問くださいといはれても、聞くことがみあたらない。口を出すのがたいへん失禮にあたる氣がして、まあ、誰かが口火を切ればそれまでなのだが、しばらく名人藝にひたる。弟子に云つて――ここら、或は彼の母が來て氣づいたのだが、彼はギャラリーの人間ではなく、清水さんの弟子であつたのだ。彼は、去年からなにやら熱心に見に行つてゐたらしい――3.5ptの活字を研がせる。「あてる」と云つてゐたか。その、「あて」たものと仕上げた後のを、清水さんの臺で見せてくれた。3.5ptは、アメリカン・ポイント格で、約1.230mm。楊枝の頭ほど、それよりか一囘り小さいのかもしれない。新聞などで7ptの振り假名に使ひ、今日は片假名を彫つていらした。それは小さいので、こんな質問が頻出した――私がしたのではないのだが、囘りに張り付いてゐた間、しばしば聞いたのである――「大きいのと小さいの、どちらが難しいのですか?」。答へは「大きいはうが難しい。といふのも、小さいのはごまかしが效く――顯微鏡で見るわけでなし――だけど、大きいのは誰が見ても、惡いとわかつちやう」とのこと。若い人、とくに女性が多いとは清水さんの感想。實際、少なからず。赤子連れの女性もゐたほど。一號格を彫るときに使つてゐた彫刻刀は、市販のものに燒きをいれたものださうで、それを自己流に研いで使ふ。清水さんのものは、前へも後ろへも彫れるやうに、普通は一直線に斜めになつてゐるものが、途中で折れて山のやうな形をなしてゐた。刃を指や爪で止めるやうに彫るのであるが、今日は雨のせゐか調子がわるいらしく、お弟子さんのいふところには受ける指のはうが濕氣で柔らかくなるからだらうとのことだが、何囘か刃を研ぎなほしていらした。そのとき、刃を立てて研ぐのでなぜだらうと思つてゐたのだが、さうしないで、鋭いままでやると、「鉛に食ひ込」んでしまふさうで、それを防ぐためにいい具合に刃を潰してゐるのであらう。種字は、活字よりも錫の含有率を多めにしてあるさう。理由は失念。硬くするため、だつたか。種字が置いてあつて、6000圓近くから18000圓近くの賣値なのだが誰も買はないで、みな眺めてゐるだけだつた。初號の「龜」の字が3本くらゐあつたのだが、どれもバランスのとり方が違つて興味深かつた。初號の「東」2本も大分違ふので、聞いてみたが、「まだ仕上げしてゐないから」と云つて結局詳しいことは聞けなかつたが。
2時ごろになつて、府川さんが到着なさる。3囘目にして、やうやく聲をかけるのに成功する。それから少し遲れて、大熊さん。岡澤さんがいらつしやるとのことであつたが、結局ギャラリーにゐる間にはお出でにならなかつた。込んできて清水さんから離れて待つてゐる間に、Yのピンマークは晃文堂などと豆知識を得つつ、96ptの巨大活字を見逃したことを悔やみつつ、FeZnさんがお歸りになるとのことで次囘こそは資料を忘れません――「『聚珍録』紀念セミナー」資料が餘つてゐたのを差し上げる積りだつたのである――と誓ひつつ、諸事情もあり、印刷博物館へ、府川さんと大熊さんと一緒に行くことになり、ロゴス・ギャラリーを離れた。まだ2囘目の直彫りは始まつてゐなかつた氣がする。
印刷博物館では、主目的ではないのだが、明治19年9月改正の六號總數見本帳の複寫を頂戴することができた。どれですか、と持つてきた資料で大正15年の7pt半や大正8年の五號の總數見本帳もあつて、本物が手に取れただけではなく、いろいろ興味深いことを見出せたのは、この幸運な日を締めくくるにふさはしくはなからうか。大正15年の7pt半のかなは、『秀英體研究』に掲載された大正末期の秀英の六號とかなり似てゐて、なんだか不思議であつた。大正8年の五號の總數見本帳には、四分の三六號型なる奇形が掲載されてをり、それの「ゑ」が、三號型から一號型に變つてゐたのであつた……と思つたが、貰つた資料も一號型であつた。明治36年『活版見本』が特異點なのか。ううむ。
とんでもない一日であつた、と思ふ。
21:23
The 〈名詞〉 that ... and that ... 〈動詞〉 .... を「...といふ〈名詞〉」と譯して平然たるのは、やはり頭が寐てゐるからだらう。「自然との觸れ合い」をskinship with natureと譯して憚らないのは、やはり頭が寐てゐるからだらう。といふか、さうであつてほしい?
14:46
變體假名除外後の平假名を、築地の假名の字形のなかで「主字形」と名づけるとすると、築地活版明治19年以後六號假名(以下後期六號假名)のなかで、「主字形」でいまのところ複數の字形を確認したのは、「か」「し」「と」「ど」「よ」「ゑ」「ん」の7種類である(ただし、「と」「ど」に關しては、見本帖内の順番としては、2番目以降に屬す、マイナー種である。3筆で描くメジャー種に對して、このマイナー種は1筆、或は2筆で描く。2筆のもののはうが後に登場。「ん」に關しては、筆を返していま下ろしてきたところから離れる位置が微妙に異なる。母型の變形か)。變體假名では「お(於)」「き(貴)」。必ずしも改刻なのではなく、途中で變つたものが、後に又元に戻る場合も見られる。見本帖を離れて、實例を二點見た限りでは、數種のヴァリアントが混用されてゐたらしい。
實例として參照したのは、次の二點。
・文學博士新村出編纂『辭苑』博文館、1935。
・石川巖撰「明治初期戲作年表」(日本文学研究資料刊行会『〈日本文学研究資料叢書〉日本近代文学の書誌-明示編』有精堂出版、1982所收)出版者不明、昭和2年。
「か」最初形は2劃目の長さが極端に短いが二次形では逆にのびすぎの嫌ひがある。見本帖では「が」に變化は見られないが、參照實例では「が」も「か」二次形に同じくする。二次形は明36『活版見本』にのみ見本帖では見られる。築地ではないが、秀英舍『活版見本帖』(明36)の六號「か」字形がのちの六號字形に繋がる形で興味深い。
「し」最初形は一筆で描くが、二次形では筆をちよんと置いてから筆を下ろす。二次形は明36『活版見本』のみ見られた。
「と」「ど」最初形ではくるんと丸めて一筆で書ききるのだが、二次形ではいまの多くの書體がさうするやうに、ご丁寧に止めてゐる。參照實例雙方とも二次形を採用。
「よ」最初形は筆を下ろして左下に流すが、二次形では横に引いてから縱に移る。明36『活版見本』にのみ見られた。
「ゑ」最初形は「る」の最後の囘轉をしないが、二次形ではする。見本帖では明36『活版見本』にのみ見られるが、「戲作年表」では二次形を採る。
「ん」最初形と二次形の違ひは、上述の通り。明19『新製見本』にのみ見られた。參照實例では雙方とも最初形を採用。
これくらゐで何を發表してるのだといふ指摘は考慮濟みです。
22:50
「未來」「現在」「過去」のいつをよく考へるか、と問はれたので、すこし思ひかへすには、「現在」「過去」が主な思考對象であるやうに思はれる。「過去」の場合、現代から少しはなれたあたりよりまへをよく考へる、やうに思ふ。
23:47
築地電子活版。組版例のPDFが贅澤です。近日公開といふ文字資料もどんなものがくるかどきどきしますね。
「ああ」
「遠来の客はさすがですな。」
「目が高い」
01:51
に題をあらためようかなあ。
22:30
うとうとと湯に漬かつてをれば、不意になゐのきて、ガスを止め戸をわづかに開けぬ。
ほんたうにちいさいころから、地震がどうにも恐いのだが、風呂場で、もし震度五だのをまともにくらつたら、どうしようと考へる。停電してゐて、寢卷きだけでもつけられるかあやしい。
21:04
青山剛昌『名探偵コナン』51卷、小學館、2005。購入。北村庄吾『退職・転職・失業生活裏表実践マニュアル』日本実業出版社、2001。ひろふ。富岡多惠子『釋迢空ノート』岩波書店、2000。吉田健一『ヨオロッパの世紀末』岩波書店〈文庫青194-2〉、1994。借物。
20:48
十九夜の月のわづかに傾いて缺けたるをみあやまれるなり。
二項對立で組み立てる文章は、どうにもつまらない。受驗現代文でいやなのは、なぜこんなものを讀まねばならんのだ、といふものがあることで、いくらこれは、と思ふものがあつても、いやなものの多さには負けるのだ。
22:54
ロゴ丈作つて本體は來年とか、そんなことになるかもしれないけれども。資料はいづれも「秀英体研究」から頂戴したものなのだけれども、「う」以外は築地體一號をなぞつたもので、「う」は六號の改作。
23:18
複寫の複寫が出囘るやうな時代、實物と向き合ふのも一苦勞、イヤハヤ古今の若者は根氣が無くつてこまるねえ、などと誰に面つて打つのかわからない先手はおしまひにして、『聚珍録』に掲載された圖版を見ながら思つたこと。
・圖2-4、「廣」が「黄」でない(何、といふか誤字か「印廣軍」)。間の「日」か「月」か。「月」つぽい。「旅」が誤字(たぶん)。鍋蓋はいらんだらう。「九」が獨特。或は「九」ではないのか(「關る九百事件」「其他九新政」「其伍中に九事軍制」)。「解」の「牛」が「牛」でない(ヰに似てる)。
・一卷p.588、「第一畫を撥ねた筆記體に近いバランスの『心』」、圖2-64-3に出てゐる限りでは「第三畫」。「奧書では「屆」(届)」といふのは、「「届」(屆)」ではなからうか、「由」ではなくて「田」に見えるけれども。
・圖2-130「一體漢字は形本位の字であつて、筆者には必ず其の字面中最も注意せられて居る部分がある。一字中のどの部分もすべてが一樣に注意せられて居るとは云はれない。偏に注意が行き届いて居れば、旁(ツクリ)の方がおろそかになつて居る類の傾向がある。字の誤りは多くこれから起る」(後藤朝太郎『〔教育上より見たる〕明治の漢字』寶文館、1912)。これも「届」の「由」が「田」。153ページだけ拔けてゐてすこし不思議。
このくらゐに。
23:27
前囘參照。右へ行くほど新しい。
01:08
吉田健一『ヨオロッパの世紀末』讀了。以下ヨーロッパの語源について「一般にヨオロッパというのはゼウスとヨオロッパの伝説に由来すると考えられている。しかし事実はむしろ逆で先にヨオロッパの名称があり、それが牛に形を変えたゼウスに小アジアからダアダネルス海峡を越えて運ばれたヨオロッパという女の伝説になったとなすべきであって単にこの海峡を超えるだけのことならば金羊毛の伝説でもそれが扱われ、その上にヨオロッパが運ばれたのはクレタ島であって、むしろヨオロッパの名称そのものはアッシリア人が自分たちが居るところをアス、太陽の国と呼び、その西方がエレブ、あるいはイリブ、日没と暗闇の国だったのが時代とともに訛ってアジアとヨオロッパになった(後略)」(岩波書店〈文庫青194-2〉、1994、p.236)とあり、文章を讀むだけで仕合せになれる類の著者である。昨日は富岡多惠子の『釈迢空ノート』を急いで讀み返却し、迢空についてあらたな認識を抱いたのだが、死者の書を取り上げた段で、最初の發表が殆ど論文であつたことを觸れないのはかまはないのだけれど、水の滴りによつてはじまる、皇子の目覺めについて何も觸れてゐなかつたのはなぜだらうといま思ひかへす。坂口安吾『墮落論』(角川書店〈文庫緑 100〉、1957、1976)を拾ふ。なんといふか、「日本を見失うはずがない」(「日本文化私観」)といふ自信に慣れなくて、挫折する。
しかし、名前といふのはなんと厄介な代物。RDBMSの、名前のテーブルとその「中身」のテーブルとに私の腦内に分けてゐれられてゐて、連結が解かれてしまつてゐるかのやうな。
21:10
ルーズリーフを買はねばならないお金の一部を古本に使つてしまふ。いやだつて見つけたら(以下略)。白川先生の新しいカレンダも欲しい。來月は手帳が來る。府川さんの新刊もある。優先順位的には手帳>カレンダ>本。財布的には12月にカレンダーが買へるかどうか。本が年明けまで殘つてゐるやう冀ふ。
自分が書くものは「非現實物」といふ形容をしてみると、少し可笑しく見える。
23:56
自由とはつねに、考えを異にする人間の自由以外にはないのである。
いま、テレビ朝日設立30周年記念とかいふ、郷ひろみ(こんな名前)主演『舞姫』を見る機會があつて、豐太郎が軍醫でしかも社會主義者に影響を受けてゐる設定變更には、どうコメントせばよいのだらう。
21:18
(引用者註 ヴァリニャーノが)日本人の学習用の教材として日本国内で書物を出版する必要性を説いている.また使節に同行したメスキータ神父に,カナ文字の活字鋳造を依頼している.おそらく,こうした彼の意図を踏まえ,使節はローマからの帰路,活版印刷機を入手した.
日本に渡つてのちにきりしたん版を印行する事になる印刷機は、ゴアで、使節團の原マルチノが教皇を前にした演説を印行して行つた。それが "ORATIO HABITA À FARA D. MARTINO/ Iaponio, suo & sociorũ nomine, cùm ab Europa redirẽt/ ad Patrẽ Alexãdrũ Valignanũ Visitatorẽ Societatis/ IESV, Goæ in D. Pauli Collegio, pridie Non./ Iunij, Anno Domini/ 1587/ CVMFACVLTATE Inquisitorũ &, Superiorum/ GOAE/ Excudebat Constãtinus Dourat' Iaponius in ædibus/ Societatis IESV./ 1588" である(である、といふか、取敢ず表紙の圖にある内容を全部寫しただけといふか?)。印刷人 Constãtinus Dourat' は日本人であるさうな。英國人 Arnest Satow がきりしたん版の調査を行ひ、『奉教人の死』が、それに始まる南蠻ブームにかけて遊びをしたといふことなど、なかなかをもしろい。
13:33
・小倉千賀子「宙飛ぶ教室 5 集まり散じる早稲田の負け犬」
・寮美千子「《Point of view》ミームとしての「宇宙の微塵」 宮沢賢治と寮佐吉」
・金井美恵子「目白雑記2 19 文芸時評風!」
・鹿島茂「ドーダの近代史 25 外ドーダの登場(その四)」
など讀む。
18:49
一箇所に閉じ籠つて色々讀んだり書いたりする。厭きる。これは「贋物」だが、「本物」直前になると、半日、あれこれするのを二週間ほど續けるものらしい。なんともいへぬ。(ある人の大學時代の指導教授は、二十近い(?)言語を操るために、毎日文法書に對ふことを已めなかつたといふ。さうでもしないと維持できないといふのはわかるが、なんとなく、息が詰まる。)
22:01
なぜだか知らぬが、最近宛先も差出人も題名も缺き、Message-IDは壞れ、Delivered-ToとReturn-Pathのみかかれたメイルがしばしば來て、來るのはどうせspam扱ひで消す丈だから問題は無之、しかしPOPFileがspamとして扱へぬのが問題。EdMaxの振分けもうまく動かないし、どうしたものだか。
00:37
漢字にも取り掛かる。『明朝體活字字形一覽』(刊記略)に見える製文初號。
22:30
某麻生子の件にて。日本も「帝國」――皇帝を戴くといふ意味においてでなくて「多民族國家」であるといふ意味で――であつたことを、簡單に忘れてしまつてよいのか、といふこと。もちろん、現在は一民族と考へて、何の違和も覺えないでゐられるのも事實であるが、ただの捉へ方の問題ともいへる。まいて、昔から今迄ずつとさうであつたかのやうな、あつけらかんとしたものには、暢氣すぎる輩が多いとはいへ、厭なものを感じる。
23:09
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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