旅にでてゐたあひだ、當然交通を斷つて遠地へ赴くのだが、旅に戻るとそのあひだに移ろつてゐたことに多少なりともあはせねばならない。といふわけで、けふはいろいろと眺めるのに費やしたのだが、まだ「事情」を飮み込むにいたらない。といふわけで、だんだんと外れていくわけである。
昨日歸つたら屆いてゐたもの:
『一冊の本』第12卷第3號、朝日新聞社、2007.3。
けふのかひもの:
MISIA+DCT: I miss you〜時を越えて〜. Tokyo: BMG Funhouse, 2001.1.
いしいひさいち『大政界』大阪: チャンネルゼロ、1990.4。半分くらゐ元の人物がわからない。
23:53
すが秀實の『それでも作家になりたい人のためのブックガイド』で讀んだ富岡多惠子の『波打つ土地』での不倫相手をなんとなく思ひだして、さういふ人が實在しえるんだなと感心しないこともないのだが、それでもさういふ存在はあることが氣持ちわるいものである。その相手がこちらの「鬼の首をとった」と信じてしまへば、もうその相手になにをいつても高飛車なことばを列ねられるだけでなにを云はうとも無駄である。「莫迦は死んでも治らない」といふ言葉を呪はしくも思ひだす。
昨日の日記に書くつもりで寐てしまつたので書かなかつたもの:
『ブリタニカ国際地図』TBSブリタニカ、1971.11、1991.7(2版改訂)。屆けていただいた。あきらかに購入費よりも發送費のはうが高い。深謝。
酒見賢一『陋巷にあり』第6巻、新潮社〈新潮文庫〉、1999.12。
21:38
1月31日以來。斷りのないかぎり、動詞はact., ind.
全20題。……すすまぬ。
22:59
所用で某驛に行くと、必ず次の驛で氣づく、といふジンクスに陷りかけてゐる。
とはいへ、まだ2囘目なので、まだ救ひやうもあらうが、けふは、必ず降りんと思つてゐたのに、丁度某驛に近づいたあたりで、前後不覺に陷り、またもや氣づけば次の驛で扉が開いてゐるのを見て、恐ろしくなつて對向の電車に乘るのであつた。
その次の驛といふのが開扉時間が長いのが救ひ、だらうか。……いやひどい失敗にいたらない、といふ意味で。
23:55
理解と思考がたいへん遲いので、あまり多くのことを一邊にならべて取捨選擇をしないことにしてゐるのだが、それとはべつに、何人もの談話をくみあはせてなにかをたどらうとすることの可能性について否定的なこともあるだらう。いろいろな見方が語ることはすぐには結びあはせられないもので、そしてさういふ力があれば見ないですむものは多い。堪といふものについてかういふ風に考へてゐて、堪のありかたの個人差を觀察することはたいへん樂しい。
23:55
下級學校の卒業や定年ともなんだか違ふのが大學の卒業で、年格好にはあらはれないから、轉職ともおなじやうなものか、と書いてみる。
毒は文字にしきつて、それを消してからものをかんがへるのはすこしでも血の氣を減らすやうだ、とメモのやうに。
23:55
イルカが歌ふ曲はなごり雪しかしらなかつたのだが、ラジオ欄にある讀者欄によると、住友生命で松嶋菜々子のうたふのもイルカのださうな。
まんなかにAsparaの廣告。規約が全部載つてゐるのだらう、8ポほどで、紙面の1/4をしめる。讀む人は、讀むのだらうな。
23:55
知惠熱が絶對でるよなあとおもふやうなことを日々してゐるので、餘暇でも本を讀む氣がしない、といふよりも、文字を休み時間に讀みたくなることをしてゐないのである。それでも、行き歸りですこしは本を讀んでゐて、いま一番知的な刺激を受けてゐるのが小峯和明『説話の森』(岩波書店〈岩波現代文庫〉)である。なんの所縁であつたらうか、今たしかにはしかねるが、キリシタン文學を、「まぢめに」といつては少し失禮にあたるが、讀んだものだからであつた。
長いといふほどではないが薄くもないものをわづかな時間で讀むのは無理があるので、手始めにキリシタン文學の部分を讀んだのだが、キリシタンの風景は中世にこそあり、近世にはないことが伊曾保物語の比較讀解だけでもわからうといふものだつた。試みに一節を引く。『伊曽保物語』では……、もはや乱世ではない安穏な処世訓に変貌しており、表現力の喪失に対応している。……
これは、キリシタンで語られる聖人傳にも影響し、
天草本イソップは、たんに世界文学としてのイソップだから珍重されるのではない。西洋の翻訳ではありつつも、むしろそこから飛躍し、十六世紀の表現の時空を獲得しているから重要なのである。悲嘆のきわみを強調し、哀切の情に訴えることで、より信仰へ人々をいざなう。そういう表現の構造はそれまでの仏法や神祇の唱導世界で培われてきたものであり、キリシタンもそれに乗せてい
つたのである。亂世の對極である徳川政權においては語りのエネルギーは中世のやうには發散しなかつたし、そもそもいかなる團體も中央を目指して大きくなることはなかつた。
この説話としての評価の一方で、ローマ字による日本語表記を、海外宣教師の日本語教科書としてだけではなく、ローマ字による言語支配も意図
したと述べる。鈴木廣光が「世界印刷通史解説」(『世界印刷通史』ゆまに書房〈書誌書目シリーズ〉)で引いた豐島の「印刷物=古典」説のやうに、ただちに肯んじかねることのやうにおもふ。
23:55
私といへども新人教育のおはちがまはつてくることはあるので、けふはそれをした。わかつたともわからないともわからない人であつたが、必要なことはつたはつたやうである。あとは當人の訓練あるのみ……。獨學でやつてきた部分がおほきいので、習ふより馴れろといふことをいひがちである。きつと、私は「馴れた姿」で「わかれ」といふかのやうに見られただらう。
23:55
ひとしきり遊んで、驛に行くとひとが入つたとかで動かない。知人に遭遇したので驛にゐてもしかたあるまいとまた大學に戻る。まつたりして一時間くらゐで電車に乘る。途中で降りて、
港千尋『In-between』2、「フランス・ギリシャ」、EU・ジャパンフェスト日本委員会、2005.6。
を受取り(わるいともいはないが中途半端。うすすぎ)、また電車に乘つて、降りて、
土井忠生編『日本語の歴史』改訂版、至文堂、1957.6。
を買ふ。三秀舎のへんな活字。検印は大野・中田である。
23:55
今日はJWalesのインタビューの日でした。成功へ導いた關係者のみなみなさまの努力に喝采。
……私がこの來日のためにしてみたことは、やはり、中途半端で實を結ばなかつた(返禮をしてないT先生ごめんなさい)のでしたが、やはり、コミュニケートの手段によつてコミュニケートできることはいろいろと變るよなあ、と思ひ、ネットコミュニティであつてもネットワーク越し以外のコミュニケートできる機會は持てるなら持つべきだと強くおもふのでした。
……大概、喋り足りなくて歸りに喋り足りなかつたことを考へてゐたりするのは私の頭が鈍いだけです。
23:55
ICPF主宰のなんかがあつて、Jimbo Walesをまた見に行つた。それについておもひだすことなど。
23:55
東京から離れてゐるので過勞もたかが知れてゐるのだが。バイトで本式には體驗したくないものです。
昨日買つて帰つたときには買つたことを忘れてゐた書籍:
佐藤喜代治編『国語史』上下、櫻楓社、1970.4。
山本隆太郎『印刷・製本技術者になるには』ぺりかん社〈なるにはBOOKS〉、1981.3。
けふ買つた書籍:
J. R. R. トールキン『指輪物語』1-4、評論社〈評論社文庫〉、1977.4。
23:55
うつらうつらしてゐたときにかんがへてゐたことを覺めてからふとおもひたつて書きとめようとして、ことばが失はれたことに氣がついた。肝心のことばがおもひだせなくて、類推しても夢のなかのひびきはそのことばにはなかつた。
ひとつのフレーズのなかでそのことばだけがない。私はなんのひびきを聞いたのか?
けふ歸つたら屆いてゐたもの。
講談社校閲局編『日本語の正しい表記と用語の事典』第2版、講談社、1983.5、1992.6(第2版)。
正字正假名の校閲の手引きはなかつた。
20:10
明日が休みなのが嬉しいのはなんでだらう。
川上弘美『ニシノユキヒコの恋と冒険』新潮社〈文庫〉、2006.8。
郭沫若『歴史小品』平岡武夫譯、岩波書店〈文庫〉、1981.6。
を買ふ。後者は生身の人間なのか「キャラクター」を崩壞させたいだけなのかよくわからない。しかし顏囘はえらいひとのままらしい。ただものならず。
23:18
乘り換へたら運轉みあはせに。……わびし。
神保町でお買物。さくらなんとかとかで道路に出店を出してたたき賣り、それにむらがる。置いてあるものがやはり違ふよなあ、と思ふ。
金井美恵子『愛の生活』筑摩書房、1968.8。考えるということは、こうしてじっとしたまま沈黙の中で、喋べりもせず、書きもせず、すぐに消えて行くのにちがいない考えを拡げながら、曖昧に、絶対まとまらない思惟を時間の暗闇の中に消え去らせることだ。
といふところにどきつとする。しかし、書いたり喋つたりすれば、それでいいのか? いや、問題はそこにはないだらう。
海老澤有道校註『長崎版どちりな きりしたん』岩波書店〈岩波文庫〉、1950.2。
吉田健一『私の食物誌』中央公論社、1972.11。
藤村作編『縮約日本文學大事典』新潮社、1955.1。著作權所有
とあるが、だれが所有するのだらうか。
與謝野寛・正宗敦夫・與謝野晶子編纂『日本古典全集』第2囘、「ぎやどぺかどる上卷」、「ぎやどぺかどる下卷・妙貞問答・破提宇子・顯僞録」、日本古典全集刊行會、1927.4、1927.6。
休みのために借りたものをあらかた讀み了へつつあるのだが、『著作権法逐条講義』最新版がなかなか手につかない。
23:55
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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