Diary/ + PCC + — HIMAJIN NI AI WO. Love Idle

2008年1月1日(火)

恭賀新年

今年もよろしくお願ひいたします
昨年はひとのしごとといふものにふれていろいろと我が身を考へなほした一年でした。今年もその作業をつづけながら同時に我が課題もこなしていきたいとおもひます。まあ、早まりさへしなければ、まだまだ長いはずです。みなさまにはいろいろご面倒や厄介ごとをもちかけたり、一方的になにかを得て感動したりするばかりでせうが、どうか見捨てずおつきあひください。

23:55

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2008年1月3日(木)

怒濤の3日間

この三が日は客人を請じてゐて、このお正月は行くからねと云つてゐたのだから請じたわけではないのかもしれないけれど、ふだんしないことを多めにしました。君とお酒を飮んでもつまらないねといはれて、燃費がわるいだけで變り映えしないほどでもないのだけれども、もしかしたら不感症的なのかもしれないとおもひました。すくなくとも他人には知られないわけで……。これを戀愛のはうにまで敷衍しうるかは不明です。

新年の初購買物は昨日買つたCDでした。
Rampal, Jean-Pierre, Flute. Famous Flute Music. Tokyo: Warner Music Japan, 1995.
Syrinxがめあてだつたものの、バッハのフルート・ソナタ (BWV1030) がよくて滿足。バッハのクラヴィーア曲はぴんとこないのですが、オルガンやこれのやうなポリフォニーがわかりやすいのは好きみたいです。ちなみに2枚目はいま註文したWerner Haasのドビュッシー全集1卷です。amazon.co.jpの最後の在庫。

『一冊の本』2008年1月1日號、朝日新聞社。
けふ屆く。去年中に見た方もゐるさうだし、なんでだらう?

23:55

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2008年1月4日(金)

休みボケ

休みの間あんまり動きすぎたせゐか日常に戻るのが億劫です。まあ、學校がはじまれば、といふ氣もしますが、課題の量から云つて明日からはじめないとつらいかも……。

23:55

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2008年1月5日(土)

寫經

13丁を一氣におこしたのは、復歸早々きつかつたなと反省。まあ、一日つぶれるわけではないので毎日つづかなければいいや。寫經ととある方にいはれて、さういふものかと思つた。キリスト教だと經典の概念が違ふんでせうか。

元日ちよつとまへに出したといふ方の年賀状がけふとどいて、そのなかには私がお送りしてない方のもあつて、準備が足りなくて印刷をしたらプリンタ不調で發色が無茶苦茶になつた。試し刷りしない私も私なんであるが……。

23:55

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2008年1月6日(日)

どちりいなきりしたん翻刻草稿(8)

今囘は第七ををさめる。

○第七でうすの御掟の十のまんだめんとの事

右にははやよく達してでうすへ物をこひ奉り信じ奉る爲に肝要なる儀をあらはし給ひし也 今又善をつとむる道を教へ給へ
たもつ爲に 御おきてのまんだめんとゝさんた ゑけれじやのまんだめんとを知り同じくしりぞくべき 爲にはもるたる」(四十ウ)科を知る事專也
御おきてのまんだめんとは何ヶ條有や
十ヶ條也 是即二に 別る也 初の三ヶ條はでうすの 御いくはうに あだり奉り今七ヶ條はほろしもたがひの徳の爲也
第一御一體のでうすをうやまひたつとひ奉るべし
第二貴き御名にかけてむなしきちかひすべからず
第三どみんごいはひ日をつとめまもるべし
第四汝の父母にかう/\すべし
第五人をころすべからず
第六じやいんをおかすべからず
第七ちうたうすべからず」(四十一オ)
第八人にざんげんをかくべからず
第九他のつまをこひすべからず
第十他の寶をみだりにのぞむべかず
右此十ヶ條はたゝ二ヶ條にきはまる也一にはたゝ御一體のでうすを萬事にこえて御大切にうやまひ奉るべし二には我身のごとくほろしもをおもへと云事是也
第一のまんだめんとをば何と樣につとむへきや
眞のでうす 御一體をおがみ奉り御ほうこうをぬきんてゝ われらが御合力と御へんほうを たのもしく まち奉り我等が きちじの みなもとにて 御座ませば此等の事を頼み奉るべし又でうすの」(四十一ウ)ごとく御作の物をうやまはさるを もて此まんためんとをたもつなり
ひるぜんさんたまりあ又其外のべあと達をおがみ奉る事はいかゝあるべきや
でうすのごとくにははいし奉らずたゝでうすのがらさを以て現世にて善行をつとめ給ひきどく なる御所作をなされたる御人なれは今でうすの御なひせうに叶ひ玉ふによて我等が御とりなし手と もちひ奉るべし
第二のまだめんとをは なにとまぼるべきや
眞と善事といるべき事より外はちかひをする事なきを以て 此まだめんとをま」(四十二オ)もる也
眞にちかひをするとは何事ぞ
いつはりとしりながらせいもんをする事又は眞かいつはりかとうたかはしき事にちかひをなす事は でうすをきよごんの證據にたて申によてたとひかろき事なりとももるたる科となる也
すくなる 事に せいもんを するとは 何事ぞ
たとひ眞なる事に せいもんをすると云共すくなる事に あらずは其だいもくのしなによてもるたる科かべにある科かになる者也 たとへばもるたる科をおかさんとのちかひならば もるたる科となりべにあ」(四十二ウ)る科をおかさんとの ちかひをなさはべにあるとなる者也
いるべき時とは何事ぞ
たとひ眞實にすくなる事にせいもんすると云共いらさる時に ちかひをなすは事によて もるたる科にはならずと云ともべにある科をもるゝ事あるべからず
でうすより ほかに 前〔正しくは別なるべし〕の者に かけてせいもんする事ありや
なか/\あり たとへば くるすべあと達にか又は貴き事にかけてか我が命にか其外いづれの御作の者にかけてぢかひ〔正しくはちかひなるべし〕をする事もあり
そらせいもんを ずまじき〔正しくはすまじきなるべし〕爲のたより」(四十三オ)となる事ありや
つねにせいもんせさるやうに たしなむ事也
然らば者のじつふを ことはる爲にはいかゝ云べきや
眞にと云か眞實と云か又はうたかひなしひつぢやうなりと云たくひ也
第三のまだめんとをば何とまもるべきや
是をまもるに二の事あり一にはどみんごとゑけれじやよりふれ玉ふいはひの日所作をやむる事也 たゝしのがれぬしさいある時は所作をしても科にならさる事有り 二にはか樣の日には一度のみいさを始よ」(四十三ウ)りをはりまでおがみ申事也是もわづらひかもつともなる しさい有時はおかまずしても科にはあらず
第四の まだめんとをば 何とまもるべきや
をやによくしたがひかう/\をつくしうやまひをなし よう有時は 力をそゆる事又人の下人たる者は 其身の主人其外つかさたる人々に隨ひ奉公にゆるせなきをもて此まだめんとをまもる也
父母主人つかさたる人々より科となる事をせよといひ付られん時も隨ふべきや
をや主人つかさたる 人によく隨へと云事は科にならある ことをいはれん時の 事也」(四十四オ)でうすの 御おきてを そむき奉れと いはれん時の事にはあらず
第六の まだめんとをば何と まもるべきや
人に對して あたを なさずがいせずきずをつけず 此等の惡事を人の上にのぞまずよろこばざるをもて たもつ者也其故は我等がほろしもは皆でうすの 御うつしに作たまへば也
主人として ひくはん以下を せいばいする事叶ふまじきや
すくなるしさい有て我がしんだいする者共をば がいする事も叶也 すくなるしさいなき時はころす事叶はずたとひ又すくなる」(四十四ウ)しさい有とても我がしんだいにてもなき者をばころす事なかれとの御いましめ也
人の上に 惡事をのぞまざれとはいかなる事ぞ
ほろしもに對していこんをふくみあたをなしたくおもひ 或は中をたがひことばをかはさぬ事は此まだめんとをそむく儀也
第六 のまだめんとをば 何と保つべきぞ
ことば 所作を以て なんによともに いんらんの科を おかすべからず 又はみづからをかす事も同じき科也
何とてことば所作をもてとは宣ぞ心に是をのぞむ事も同しき科となるべきや」(四十五オ)
心中にのぞむ事も科なれどもそれは第九のまだめんとをやふる別の科也
此まだめんとをたもつ爲のたよりとなる事いかん
あまたの事 ある中にくい物 のみ物をあくまでに せざる事 あしき ともとまじはりをやむる事こひのうたこひのさうしをよまずこひのうたひをうたはす叶に をひてはきかざる事也
第七の まだめんと をば 何とたもつべきや
他人の財寶を何なりとも其主の囘心なくしてとる事もとゝめをく事もあるべからず人にも此等の事をすゝめず其合」(四十五ウ)力をもせず其たよりともなるべからず
人の物をぬすみたくおもふ事は此まためんとをやふる科にあらずや
科 なれどもそれは第十ヶ條目の まためんとをそむく別の科也
第八のまためんとは何とたもつべきや
人にざんげんを 云かけずそしらず人のかくれたる科おをあらはすべからずと云へ共其人の科をひきかへさすべき心あてにてつかさたる人につげしらせ申事は叶ふ也人の上にじやすいせずきよごんを云べからず
第九のまた めんとをば 何と分前〔ママ〕致すべきぞ
他人のつまを こひせず其外れんぼにあ」(四十六オ)たる事を のぞむ べからずいんらんおまうねんにくみせず又はそれによろこびしうぢやくする事も有べからず
いんらんの ねんの おこる たびごとに科となるや
其儀に あらす其ねんをよろこばすそれをすつる時はかへつて功力となる者也 もし又其ねんに くみせすと 云とも心にとゝめよろこふ時は科となる也
第十の また めんと をば 何と 心得べきぞ
他人の財寶をみだりにのぞむべからす
今此十ヶ條のまだめんとは二にきはまると云へる事をしめし給へその二とはいかなる」(四十六ウ)事ぞ
萬事にこえてでうすを御大切におもひ奉る事とわか身をおもふごとくほろしもを大切におもふ事是也
萬事に こえて でうすをば何とやうに御大切におもひ奉るべきや
財寶ほまれ父母身命此等の事に對してでうすの御おきてをそむき奉らずしてたゝ一へんに御大切におもひ奉るにきはまる也
でうすの御おきてをまもる爲のたよりは何れぞや
其たよりはおほき也とりはきねやをおきあがりて よりはでうすの 御恩を存じ」(四十七オ)出し御れいを申上げ奉るべし又其日御おきてを そむかずして御をんたあでにしたがひ身をおさむる爲に御まもりを頼み奉り おらしよ申し奉るべし
ねざめにもおこたらず其分つとむる爲には何事をすべきや
まづ ねざめに 其日の心と ことばと所作とのきうめいをし をかせる科の御赦をこうくはいを以て こひ奉り 同じく がらさをもて 進退をあらためんとおもひ さだめさうたうのおらしよを申上べき事なり
ほろしもをば わか身のごとく 何と樣におもふべきや」(四十七ウ)
でうすの御おきてに隨て わか身の爲にのぞむほどのよき事をほろしもに對してものぞむべき者也
でうすの御おきてにしたがつてとはいかなる事ぞ
こゝにしさいありでうすの 御おきてにそむきてほろしもの爲に 何事なりとものぞむときんば たとひ我身の爲にのぞましき 事なりと云とも わか身のごとくにほろしもを おもふには あらずたゝわか身をにくむごとくにほろしもをにくむ事也

00:28

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どちりいなきりしたん翻刻草稿(9)

今囘は第九ををさめる。前述のごとく、第八は缺番である。このあたりローマ字本ではどうなつてゐるのかは未檢證である。

○第九御母さんたゑけれじや」(四十八オ)御おきての事

でうすの 御おきてのまだめんとをばはやあらはし給ひぬ 今又さんた ゑけれじやのまだめんとゝはいかん
ゑけれじやのまだめんとはおほき也 其内にまだめんとによてそうのゑけれじやに あたる事もあり 是即こむしりよか又は世界にをひて御主ぜず きりしとの御名代にて御座ますはつはの御さだめのまだめんと也 是一さいのきりしたんたもたずして 叶はぬ まだめんと也 又其所に隨て さだまりたる まだめんともあり是は其所の びすほより さだめ玉ふ也」(四十八ウ)是其所の きりしたん たもたずしてかなお〔ママ〕ぬ まだめんと也そうのゑけれじやにあたる あまたの まだめんとの 中にとりはき五ヶ條あげらるゝ也
第一 どみんごべあと日に みいさを おがみ奉るべし
第二 せめて年中に一度こんひさんを申べし
第三 はすくはに えうかり すちあの さからめんとを さづかり奉るべし
第四 さんたゑけれじやよりさづけ玉ふ時ぜじゆんを致しせずたさばどにゝくじきすべからず
第五 †ぢずもすひりみしあすをさゝく」(四十九オ)べし
第一の まだめんとをば 何と分別すべきぞ
わづらひか又はみいさを おがみ奉る事叶はぬほどのしさいなき時は さんたゑけれじやより いはひ玉ふ日に一心ふらんにみいさを初より をはりまで おがみ奉る べしとの御さだめ也
さんた ゑけれじやより いはひ玉ふ日は何れぞや
年中のどみんごと 其外所のびすほりよふれさせらるゝいはひの日の事也かるがゆえに日本國にても きりしたんのつかさよりふれ玉ふいはひの日をまもるべし」(四十九ウ)
みいさとは何事ぞ
御主せずきりしとの御色身と御ちとともに†さきりひいしよしてでうすはあてれに生きたる人死したる人の爲にさゝけ奉らるゝさきりひいしよ也是即御主ぜずきりしとの御一生がひの 御所作と御はしよむをおもひ出させ給はん 爲にさだめをき玉ふ者也それによてきりしたんはみいさをおがみ奉る時御主の御はしよんをくはんねんしつしんでおがみ奉るべし此等の儀は左にえうかりすちやのさからめんとに付てさたせん時あらはすべし
一心ふらんにみいさをおがみ奉る爲には何の」(五十オ)事かたよりとなるべきや
其たより おほき中に みいさの内に 物いはず又心を さんらんさするほどの事をやむる事也
はあてれ さんちしも さからめんとを人々におがませ玉ふ時のおらしよ有や
中々あり 御主ぜずきりしと さんたくるすの上にをひて 世界を扶玉ふによて くぎやうらいはいし奉る我等が科を赦給へ頼み奉ると申おらしよ是也
かりすをおがませ玉ふ時は何れのおらしよを申されけるぞ
一さいの人をたすけ給はん爲にくるすの上にてながし給ふ 御主ぜずきりしとの貴」(五十ウ)き御ちをおがみ奉る申おらしよ是也
此みいさの貴き さきりひいしよは いかなる心あてを以てさゝげ奉るゝや
其心あては三あり一には御恩の 御れいとしてさゝげ奉る也 二には我等が科のつくのひとしてさゝげ奉る也 三にはなをいやましに御恩をうけ奉らん爲に さゝげ申者也
みいさの さきりひいしよはいかなる人の徳となり玉ふぞ
世界にいきながらゆる人の爲計に あらず ふるか たうりよに ゐらるゝ あにまの爲にも大なるたよりとなる者也 それによて生死の人の爲にみいさをおがみおこな」(五十一オ)はせ奉る事は大きなる功力となる也
第二のまだめんとはなにとわきまゆべきぞ
善惡を わきまゆるほどの ねんれいならきりしたんは いづれもゑけれじやの御さだめのごとくこむひさんをきゝ玉ふべきはあてれ ありあひ 給はん時 せめて一年に一度くはれいずまにこんひさんを申べしもし はあてれ ありあひ給はぬか又はきかるゝ事叶はずしてこんひさんを申さずは此まだめんとをそむくにあらず
何とてせめて一年に一度とは宣ぞ
さんたゑけれじやよりは度々科におつるごとくこんひさんをも度々申せとのぞ」(五十一ウ)みたまへどもせめて一年に一度二度とさだめ玉ふ者也其故は身のしげくけかるゝ たひごとにきよむるごとく あにまも惡を以て度々 けがるゝによて度々こひさんを申てきよむべき事專也 又死するなんぎに及はん時と貴きゑうかりすちやを さづかり奉らんとおもひたつ時こんひさんを申べし是即もるたる科を をかしけると明にわきまへ又はうたがう心有にをひてはでうすの御さために隨てこんひさんを申べき也
こんひさんを きゝ玉ふ はあてれ ありあひたまはん時とは何事ぞ
はあてれそこにゐあひたまはぬか 又はあ」(五十二オ)りあひ玉ふと云へともきりしたんおほきが故にをの/\一度にこんひさんをきゝ玉ふ事かなははざるに をひては年中に一たびこんひさんを申さずとも 此まだめんとをそむくにはあらずさりながら叶べき時はこんひさんを申べし
達してこんひさんを申爲に專なる事は何ぞや
專なる事三あり 一には へりくだる事 二には眞實しやうぢきにあらはす事三には科をのこさゝる事是也
何と樣にへりくだるべきや
こんひさんを申人我が心中に 惡人也とおもひ科の御ゆるしを 蒙るべきくりき」(五十二ウ)なしとわきまへでうすの御前にぢきに申上奉ると心得深きうやまひ をそれをもてこうくはいし我と身のうたへてとなりて我が科をさんげすべし
眞實しやうぢきにとあるはいかん
我がをかさぬ科を あらはさず又はづかしくおもふゆへか又は何たるしさいによりてなりとも我が科をかくさず明にさんげしいまだおもはず又はおもはんとする事までもしろしめしつくし玉ふでうすへ ぢきに あらはし奉ると心得べし
もるたる科をのこさずとはいかん
我が身のこんしんゑんしやを こまかにきうめいしておもひ出すほどの科をさんげ」(五十三オ)する事也
こんしゑんしやを よくきうめいず〔ママ〕る爲にちかみちありや
中/\ありまづ我がこしがたゐたる所とさんくはいしたる人と なしたる所作と同くゐたる所にては何たる事をいひけるぞと云事をしあんする爲のひまをさだめ御おきてのまだめんとゑけれじやのまだめんと 七のもるたる科十四の慈悲の所作に ついて あやまりありや いなやをたゝすべし是第一肝要の事なればゆるかせなきやうにかくごすべし
第三の まだめんと をは 何と分別すべ」(五十三ウ)きぞ
貴きゑうかりすちやに 御主ぜずきりしと 御座ます事をわきまへ貴み奉るほどのちゑあるきりしたんはいづれもはすくはの善後にびすはあどの御はつと にまかせ一年に一度ゑうかりすちやをうけ奉るへしとの儀也 然れどもそれはこんへさうるの御同心をもての儀なるべし
第四のまだめんとをば 何とわきまゆべきや
ぜずゆんをやむるほどのしさいなくんばいづれのきりしたんも甘二さい〔1600年版には廿一とあり〕よりくはれいずましきのぜじゆん又ゑけれじやより 御さづけの日 ぜじゆんをいたすべし」(五十四オ)との儀也
ぜじゆんをやむるほどの しさいとはいかなる事ぞ
其しさいはおほき也 一には ぜじゆんを する爲に 力を そゆるほどの あしたの しよくじなき時はぜじゆんをせずともまだめんとをやぶるにはあらず 二にはしんらうなる所作をするかやまひにおかさるゝか又は力なき時か くはひにんのによにんか同くちのみ子をそだつるをんなか又ためしを以てぜじゆん身のあたとなるとおぼゆる時はぜじゆんせずとてもくるしからず此等のしさいおほきによて こんへさうるへたづね申べし」(五十四ウ)
第五のまだめんとはいかん
所のかたぎに隨てびすほへなりわひの中をつゝぐべしとの儀也

00:31

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どちりいなきりしたん翻刻草稿(10)

今囘は第十を收める。

○第十 七のもるたる科の事

でうすの御おきてのまだめんとゝさんたゑけれや〔ママ〕まだめんとをば はや教へ給ひぬさて又もるたる科はいくつありや
科のしなはおほしといへどもよろづの科のこんげんとなる科は七あり○一にはけうまん二にはとんよく三にはじやいん四にはしんい五にはとんじき六にはしつと七にはけだい是也是をすべてもるたる科と云也」(五十五オ)
此等の科をそうじてもるたる科と云事いかん
をよそ是皆もるたる科なりと 云へども事によりてべにある科となる事 おほし
もるたるといへるいはれはいかん
もるたるとは死るをさづくると云心也 あにまの一命はでうすのがらさよりうけつゝき奉る也もるたる科はあにまの命をたつによてもるたると云也 然れどもあにまの正體はをはる事なき者なれば死るをさづくるとて其時をはりありとおもふ 事なかれたゝいつまでもくるしみをうくる所をさして死すると云也
もるたる科はあにまの爲にいかなるそん」(五十五ウ)となるぞや
其そんおほきなかにも とりはき御作者でうすを とりはなし奉り御やくそくのぐらうりあ又は御主の御ちをもてすくひ玉ふ我があにま色身共にいんへるのにしづめ 御主ぜずきりしとの 御はしよんの御功力と又もるたる科にけがれずしていたるあひだに つとめし 所のぜんごんの功徳をうしなふ者也
もるたる科を をかす時はひいですをうしなふや
其儀にあらず右にいひしことくもるたる科をもてでうすのがらさをうしなふといへどもひいですをばうしなはず其故はひ」(五十六オ)いでずを うしなふ未知は ひいですの事をいづれなりとも信じ奉らぬ事也それによてもるたる科ををかすとてもきりしたんのひるかへす事にはあらず
もる たる科をもてでうすのがらさをうしなひ奉るにをひてはゑけれじやへ參りおらしよを申善事ぜんごんを致す事もゑきなしや
すこしも其儀にあらず其時こそいよ/\あゆみをはこびおらしよを申力の及ぶほど善事をすべき事肝要なれ 其故は其時なをなんぎにあふ故也 其外善事より出るくどく是おほしとりはき我が身をかへり見科をこうくはいし以後二度おかす」(五十六ウ)まじき爲 又御主より そくさい財寶を與へ玉ふ爲に大きなるたよりとなる也
もるたる科をゆるさるゝ道はいかん
科はでうすに對し奉りての らうぜきなるによてそれをくひかなしひ以後二度をかすまじきとおもひさだめ やがてこんひさんを申へきかくごをもて科を くひかなしむ事是こんちりさんとて科をゆるさるゝ道也
べにあるとがとは何事ぞ
もるたるとがよりもかるきとが也 是即でうすのがらさをうしなはすと云へどもでうすの御大切と 御奉るにすゝむ心をゆるかせになすが故に もるたるとがのはしとな」(五十七オ)る也
此等のとがをべにあると名付る事はいかん
べにあると云はゆるしやすきと云心也 此とがをでうすよりたやすくゆるし玉ふによてべにあると云ふ也
此とがの御ゆるしを 蒙る道はいかん
何たるさからめんとなりともさづかりみいさををがみあやまりのおらしよを申びすほのべんさんをうけ あぐはべんたをそゝきこうくはひを もてむねをうち信心をもてはあてるなふすてるの おらしよを申其外何たる所作にてもあれこんちりさんのしるしとなる事を する時はゆ」(五十七ウ)るし玉ふ也
惡のこんぼんとなる右の科をしりそくべき爲のたよりありや
あまたのたよりあり 此七の科に むかふ七の善あり 其外あにまの三のほてんしや色身のせんちいどすをまもるたしなみ是也
其七の科にむかふ善はいづれぞや
一にはけうまんにむかううみるだあで二にはとんよくにむかうりべらりだあで三にはじやいんにむかうかすちだあで四にはしんいに むかう†はしゑんしや 五にはとんじきにむかう てんへらんさ六にはしつとにむかうかりだあて七にはけだひに」(五十八オ)むかう でうすの 御奉公に すゝむ ぢりぜんしや是也 此けだいと云はでうすの御奉公の爲に みだりなる かなしひたいくつの事也
あにまの三つのほてんしやとは何事ぞ
一にはすぎし事をおもひ出すめもうりやの せい二には 物を知りわきまゆる ゑんてんぢめんとゝ云せい三にはにくみあいするにかたぶくおんたあてと云せい是也
何とて是を あにまのほてんしやとは云ぞ
あにまにそなはる三のなつらるせいなるゆへ也是は此身を はなれて後もあにまにともなひ行者也是をもて即後生のくらくをうくるたうぐとなる也」(五十八ウ)
色身の†せんちいどすはいくつありや
五あり是即げんにびぜつしんの事也
是を何とて†こるほらるせんちいどすとは云ぞや
是即身にともなふ物なるが故に身のはつると共にはつる者也

00:37

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休みのをはり

Haas, Werner, Piano. Debussy: Complete Piano Music. Volume 1. New York: Philips, 1993.
きたる。なんだか、いままで知らなかつた音がいろいろあつて驚く。

山田孝雄の沒理論的假名遣歴史書をよむ。祖先の文化を如何なる形式によりて繼承すべきかの問題とも化するものたりとす。といふのが歴史的假名遣をつかふ唯一の理由らしき理由なるべけんや。

23:05

  • 「おはり」→「をはり」 (さん) 08 1/7 0:13
  • 修正しました。ご教示ありがたうございます。 (kzhrさん) 08 1/7 2:44
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2008年1月7日(月)

授業設計についておもふこと

(講義とゼミナールの上位概念をしらないので假に授業と云つておきます。また、よそを知らないので私が關係することを中心に考へてゐます。)現代日本學關係の授業であれば、とりあへずわかるので、教員も學生に參加を求めやすいし學生も參加しやすくインタラクションが成立する。この最良例が現代語(とりわけ若者ことばといはれる類)の研究で、まだ記述も十全になされてをらず、それ以前の研究に(實際の使用者からみて)問題があることがおほく、また形式に則つて論述するだけでこれまでにない深い思索を得られたりして人氣が出る。けれど、たとへば近代以前・ひろい視野が求められるものなどディシプリンがとはれるものになると、ほとんどの場合、參加者の水準差に沿つて高いところ(教員)から低いところ(學生)に知識の移入がなされるので、インタラクションが起こるのは減つてき、教員が發言をうながして學生がものをいふことはまれである(そもそもかなり寢てるが)。講義に關係することでレポートを書けといはれると、ただとまどふ(なにがなににかかはるの? 書寫山と京の距離感について、とか、だめ、ですか?(謎))。こと古典の場合、大學前での古文教育がなつてない、といつても、現代語も英語も教育できてゐないといふのが通説であるので古文はいちばん最後にくるのはなかば自然のなりいき。大學入學時の補習を、と云つても、アイヌ語・ロシア語(+中國語?)など最終的に持つてゐるべき「教養」が幅廣いのにこと古典語の優遇を主張するのも無理がある(英語はなぜよいのか!)。

4年間は短い。そのなかでは、結局は文書(企畫書、報告書、etc.)の書き方教室が精々なのかもしれない(『MLA英語論文の手引』にもさう書いてある)。アカデミックな分野に進むひともゐるかもしれないのだから、專門教育だつて疎かにはできないし、研究分野の存續のためにも、最適な授業設計があるならば探しもとむべきである。テクストによりそひつつしかし方法論をうちたてることであたらしいテクストをもより正確に讀むことができる、といふのは、入門レヴェルではとくに重視したはうがよいやうな素人かんがへもする。もちろん、文藝學部のやうになにかを書くことについて實踐するコースがあつてもよいかもしれないが。いづれにせよ、なんとなく普遍的な、あるいは古典的な手法を提供できるつよみはあつてよいだらう。

けふ借りたもの。
森岡健二・宮地裕・寺村秀夫・川端善明『講座日本語学』6巻「現代表記との史的対照」、明治書院、1982.5。

けふの買物。
池澤夏樹『クジラが見る夢』七賢出版、1994.7。新潮文庫6112、新潮社、1998.4。
―――『憲法なんて知らないよ』集英社文庫、集英社、2005.4。
北杜夫『どくとるマンボウ青春記』改版、中公文庫、中央公論社、1990.6。

23:55

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2008年1月8日(火)

新村出の位置

おそらく、新村のやうな學者を先驅に得たのはキリシタン學にとり幸ひであつたのであらう。日本における開拓者はプティジャンやサトウ、村上直次郎などであらうが、プティジャンはともかく、後二者がどのやうな動機でキリシタン學の道に入つたか、調べるのは容易でないし、業績に觸れるのも歴史ある研究圖書館でなければ無理だらう。その點新村であれば、だいたいの圖書館にあつて、新村の研究にあたるのは容易だし、自身についても新村の學統にあたるおほくの優秀な學者によつてさまざまにおもひでが語られてをり、新村の位置を後代から描くのはたやすい。

けふの借り物。
守谷友江『アメリカ仏教の誕生 二〇世紀初頭における日系宗教の文化受容』阪南大学叢書64、現代史料出版、2001.12。ハワイ眞宗について。平田厚志『真宗思想史における「真俗二諦」論の展開』龍谷叢書9、京都: 龍谷学会、2001.3。も讀んでおきたい。
ひろたまさき、キャロル・グラッグ監修『歴史の描き方』1巻、酒井直樹編『ナショナル・ヒストリーを学び捨てる』、東京大学出版会、2006.11。わかるやうなわからないやうな。學び捨てる=unlearning。學び捨てるといふ、知的にスリリングな語について、本書はあまり示唆をあたへてくれないやうであるが、話題自體は興深いものがあるので讀んでおく。

23:55

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2008年1月9日(水)

そしてねぼすけはとぼとぼと歸る

いくら寢坊して30分遲れたからつて、散會してゐるとはおもはなかつた。辛抱づよく……。

かひもの。
小倉千加子『ナイトメア 心の迷路の物語』岩波書店、2007.3。
中村雄二郎『術語集』岩波新書276、岩波書店、1984.9。
マーク・ピーターセン『日本人の英語』岩波新書18、岩波書店、1988.4。
いしいひさいち『女(わたし)には向かない職業2』東京創元社、2000.11。

23:55

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2008年1月10日(木)

NDL訪問の反省

・國研とCiNiiで探してきた論文がスムーズにNDLで探せなかつた。NDLのデータベースに採録されてゐなかつたやうであるので、今後はNDL-OPACで前もつて調べておく
・オンライン複寫で雜誌最大借受數を保つておいて、その時間を利用して書籍のはうで調査ができなかつたらうか? 次囘は見る資料をもつとはつきりさせておかう
・ノートを取る訓練が足りないので記憶力のわるさをきちんと自覺してノートを取るやうにする
・關係ないけど日本イエズス會版小字國字本は複製でも感動する

買物をいくつかしたもののひとさまのお宅に置いてけぼりにしてしまつたので、今度伺ふときに囘收……。

23:55

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2008年1月11日(金)

ふらふら

新年初の2時限目刻通りの出席。半分寢て半分授業參加。私が寢るといふより、授業が半分知らぬ間に進んでゐるといふのが正しい。ラテン語はなんだかんだで一月ぶり。

新刊。
御厨貴編『オーラル・ヒストリー入門』Iwanami Textbooks、岩波書店、2007.10。
真田信治編『社会言語学の展望』くろしお出版、2006.3。32人の筆者がならんでるが、擔當が書いてなし。はじめてのくろしお購入物だが、組版があまい。

23:55

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2008年1月12日(土)

難解な日記

知人になにを書いてゐるのかわからないといはれたので、これからも、わかりやすいことを難しく書くスタイルを貫かうと思ひます! ……とわかりやすく宣言してみる。

新年會のために大森に出向いてついでにいろいろといただく。尺など。

結局買つた。
青山剛昌『名探偵コナン』60卷、少年サンデーコミックス、小學館、2008.1。

23:55

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2008年1月13日(日)

かなの研究?

書體史は、われわれの文字生活の變化を確實に反映するであらうが、研究のよんどころはそのほかにあるのか、自信がない。

本讀んでお茶飮んでご飯をおいしくたべてすこし怒つて、また明日。

23:55

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2008年1月14日(月)

シャヴィエル讃

この横文[S.P. FRÃNCISCUS XAVERIUS SOCIETATISV]の下には更に萬葉假名を以て聖人禮讚の文句を唐樣めきたる草書にて黄色の地の上に美はしく書けり。林若吉氏は昨年中この圖の寫眞[フランシスコ・シャヴィエル繪像]を一見して早くも之を左の如く讀み試みて、その由を豫輩に報ぜられたり。

瑳夫、羅怒、青周、呼山、別論、麽、搓、可羅、綿都。

即ち「瑳夫羅怒青周呼」は、サンフランシスコの音譯字にして、「山別論」はサベリオに當り、「搓可羅綿都」はサカラメントと讀むべしとなり。唯「麽」の一字は、葡語の語尾としては相應せず日本の弖爾波のモと讀みても通じ難し。……落款には「漁夫、環」とあり。……その下の壺印は「耶省」の二字ならんと亦林氏の説なり。

丁度掲げてある寫眞によるかぎり、「搓」は「瑳」でよからう。「綿都」は上記翻刻では連續してゐるやうに見えるが、實際は行が別れてゐる。落款2行目を「環」といふが、下にもう1字あつて「山」や「公」くらゐに見える。「麽」については、よくわからない。最新の學説はあるのかな。

03:54

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成人式

訓辭を聞かなかつたので、ただ人に會ひに行つたやうにも感じられる。新成人の企劃で生まれて以來のできごとを振りかへる、てふのがあつたが、皇室ネタが必ず出るのはさういふものなんだらうか。

經年變化をとても感じる人と、經年を感じさせない人とがゐるのは必然であるが、おそらく、私に經年變化を感じた人はゐなかつたんであらう……。ふだんあまり呼ばれないので動靜をたしかめる機會はこれくらゐしかないのに、或はこれくらゐしかないので、確かめがたかつた。しかし、卒業クラスでいへば、感じさせない人ばかりで、式のあとのクラス會は、卒業式のあとに行つたボウリングや高校で2囘集つたときのにアルコールが入つただけのやうな氣もして、感慨ぶかし。

23:55

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2008年1月15日(火)

イアフォンを使つてみる

つけてゐる感覺が好きでないのでイアフォンを普段しないものの、低い音量でスピーカーから流すより聞く分にはたのしい。一日中スピーカーから大音量といふわけにはいかないので、聞きたいときはさうしよう。

知人の成人式の日記を見ながら、成人式で思ひ出ばなしがてんでなかつたなと囘顧。……私の記憶力が弱くて思ひだせなかつただけか。

借覽。
Satow, Ernest Mason. Collected Works of Ernest Satow. pt. 1, Vol. 5. London: Ganesha, Tokyo: Edition Synapse, 1998.
ソーカル, アラン、ジャン・ブリクモン『「知」の欺瞞: ポストモダン思想における科学の濫用』田崎晴明、大野克嗣、堀茂樹譯、岩波書店、2000。

23:55

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2008年1月16日(水)

日記

いちにち家にゐたのでこまごまとしたことをする。

23:55

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2008年1月17日(木)

有縁性と連用形名詞

西尾 (2004) では人工物(はたきなど)で連用形名詞をつかふものは生活臭の強いものがおほいとするのだけれど、操作が恣意的すぎてあんまり用をなさない氣がする。岡村 (1995) を受けてなほ「〜すること」と唱ふべきなのかなにも示さないのもやる氣がない感じ。西尾 (1961: 63-64) によつて「〜すること」であると述べるが、該當ページには「すること」といふ語が一度も出てこない(西尾 (1961: 70-73) で論ぜられる)。西尾 (2004) はたるんでて西尾 (1961) を讀んで感動をしたひとがゐるとしたら確實にがつくりするだらう。

文獻
・岡村正章 (1995)「「典型的な動詞連用形名詞」に關する一考察」『国文学論集』28
・西尾寅彌 (1961)「動詞連用化の名詞化に関する一考察」『國語學』43
・西尾寅彌 (2004)「連用形名詞の性質について――特に人工物を指示する場合」『大妻国文』35

23:55

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2008年1月18日(金)

規定をすり抜ける文字

新字體は根據がないといふテーゼにも、新字體には根據があるといふテーゼにも反證があるやうに、文字は規定してもすぐにすり拔けられる印象があるのだが、これはなぜであらうか。

『宮廷のみやび: 近衞家1000年の名宝』(陽明文庫創立70周年記念特別展、於東京國立博物館)を見に行く。やはり近衞は、と思つたが、ひとまづ近衞家煕筆の『新歌仙』に驚いたことをしるす。

23:26

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2008年1月19日(土)

應答責任?

酒井直樹の議論で、日本人を分裂させるといふのは、おい日本人と問ふところの人間の民族をも分裂させるのであらうか。他者への一貫した態度が取れないとき、とくに日本における戰爭責任の曖昧さ加減はとんだ體たらくであつて誠實にあることがわからなくなる一方だが、それをどう反省すべきかまでは論は及んでゐないやうにおもへる。

なんとなく、
石井進ほか『詳説日本史B』山川出版社、2007.3。2002年檢定。
佐藤次高ほか『詳説日本史B』山川出版社、2007.3。2002年檢定。
を買ふ。各800圓。

23:55

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2008年1月20日(日)

課題逃避して終了

えーん。

といふのはともかく、歴史的假名遣が美しくあるやう定められた存在だといふのはなんとなく理解しました。しただけ。本の中がリアルになるといふことによつて、文獻的正當性がなければならなくなつたのを、滿たすことができたのは「行成くらゐまでは整つてゐた」假名であつた、といふくらゐの甘い考へかた。この時點で契沖が母音體系にまで思考が及んでゐたらば、とときどき考へる。さうしたら、ひよつとすると徹底的表音假名遣になつてゐたかもしれぬ。

23:55

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2008年1月21日(月)

學のファッション

たぶん、よそほひに出るのは人柄の類ではなく、學をどのやうによそほつてゐるかなんですよね。……地味でかはりばえがなく年齡不相應?(なぜか自虐)

かりもの。
中條修『日本語の音韻とアクセント』勁草書房、1989.6。
Akamatsu, Tsutomu. Japanese Phonetics: Theory and Practice. Münhen: Lincom Europa, 1997.
若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ: 天正少年使節と世界帝国』集英社、2003.10。
ジェームズ・フォーシス『シベリア先住民の歴史: ロシアの北方アジア植民地1581-1990』森本和男譯、彩流社、1998.3。
かひもの。
金井美恵子『道化師の恋』河出文庫、河出書房新社、1999.7。
筒井康隆『文学部唯野教授』同時代ライブラリー97、岩波書店、1992.3。
Debussy, Satie, Ravel: Favourite Piano Works. Tokyo: Japan Columbia, 1988.
Mussorgsky: Pictures at an Exhibition, Ravel: Bolero. Tokyo: Japan Columbia, 1988.

23:55

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2008年1月22日(火)

レポート

書くことがないのでB5にし、14Qにしてせいぜい枚數を増やしたら(1→2)、みんなそれなりに書いてゐるのでなにを書いたものかと驚いた。教員に「みんないつぱい書いてゐますね」とまうしあげたら、「まあどうでせうね」とのこと。大學の點數付けはある程度相對的であるといふ昨日おあひした方のお話しをおもひうかべる。

ご飯を買ひにいつたら辭めたのかとおもつてゐたひとに明日のサークルに行くからといはれて退會處分にしてないか不安になる。

今井邦彦『ファンダメンタル音声学』ひつじ書房、2007.5。
を購入。なぜかはわからないが附屬CD-ROMはMP3データ。しぶみのある老年男性のこゑ。游明朝がだいだいてきに使はれてゐる書籍ははじめて見る。本蘭ほど無臭さを主張せず、かといつて、筑紫のやうに厭みでない? 題などにつかはれてゐるのはリョービのゴシックだらうかな。本文のゴシックはヒラギノゴシック。歐文はTimes? なんでかう嬉々と分析してゐるのか。()。と(。)とが混在してゐるが、つかひわけがあるのかな。スペースのいれどころは難しいのかあやまりがいくらか。……なにを見てゐるのか? 音聲のはうは、はじめて聞くとペースにとまどふところがあるが、くりかへしてゐれば感覺がつかめるだらう。何囘も聞く音聲なので、ミニ講義スタイルは無駄もないとは斷定できないが。

23:55

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2008年1月23日(水)

一件落著

サークル方面でたいへんだつた一件を終へました。仕事を適切に分散するのは大切だけれど、責任者のところに戻つてくるので云々。無能な責任者でごめんなさい;來年度のひと(見てないけど)がんばれ。

購買物。
土井忠生『吉利支丹文獻考』三省堂、1963.1、1969.12。
福島邦道『国語学要論』笠間書院、1973.6。土井の『近古の國語』を註文したつもりだつたが、こちらを頼んでゐたらしい。異なるかな。

23:55

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2008年1月24日(木)

散財

朝から古本屋からの代金引換の荷物がとどいて散財。
福島邦道『キリシタン資料と国語研究』笠間叢書38、笠間書院、1973.12。
福島邦道『続キリシタン資料と国語研究』笠間叢書177、笠間書院、1983.7。
箱つき初版。福島さんのはクロスリファレンスが結構狂つてゐる氣がする(ex. 正p.13のp.59への參照あやまり(しかもどのページがただしいのかわからない))。

1時くらゐからiKnowなる英語學習サイトで遊びはじめる。いちばんやさしいのでもディクテーションは油斷ならない。

23:55

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2008年1月25日(金)

ことばが通じない

例を擧げれば、冤罪なんてすべてさうであるし、主張に熱心なあまりことばが通じなくなることはざらである。解決方法として相手の立場を考へろといふのがよくいはれる。しかし、おもひもよらぬ立場に相手がゐることもまたざらで、強弱關係でかきけすのが最速である。ことばがあきらかに通じなくなつたとき、取るべき手段は手順の再確認以外無駄であることは言を俟たないが、なかつたことにされる;ことばが通じない以上、仕方がないことである。

23:55

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2008年1月26日(土)

記憶力

覺えてゐることが期待されてゐるものを、あつけらかんと忘れてしまつてご迷惑をかけることがおほい。だので、今日買つた、
檀ふみ・阿川佐和子『ああ言えばこう食う: 往復エッセイ』集英社、1998.9。
のなかの、自分が結婚式で出した引き出物を覺えてゐた男性(185)にとても驚く。
大江健三郎『死者の奢り・飼育』新潮文庫1325、新潮社、1959.9、1987.5。
も買ふ。

23:55

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2008年1月28日(月)

遲筆なのに

レポートをしめきり前日とかふつか前にはじめてそのまま徹夜するのが續いてゐる。資料集めじたいは前以てしてたんだけれど起稿すらしてゐなかつた……。

23:22

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2008年1月29日(火)

よみかたのパラダイムなんとか

たとへば、現代では死に顏がおだやかであつたとか、もがくとかを通じて、生の意味をつらぬくものを探さうとする。それが古典であれば瑞兆であり、紫雲などであつたりする。しかし、消える、といふのはどうか。磯良も消えたものに數へられると思ふのだが、磯良の場合、太郎を伴ふことによりなにが解決されたのかあきらかである。しかし、青頭巾の場合、單に執著が封印せられただけなのではないか。だからこそ骨は殘り、封のごとき青頭巾が色鮮やかに殘される。

近世の文脈だとぜんぜん違ふのだらうか。といふか、私はそもそもパラダイムで淺茅のはうを取りあげようとしてゐたのではなかつたのか。

23:55

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2008年1月31日(木)

かひもの

『言語』2008年2月號、大修館、2008。
神田千里『島原の乱: キリシタン信仰と武装蜂起』中公新書1817、中央公論新社、2005。
富岡多惠子『釋迢空ノート』岩波現代文庫 文芸106、岩波書店、2006。
上田秋成『雨月物語』。高田衛・稲田篤信校注、1980。ちくま学芸文庫、筑摩書房、1997。

23:55

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