つひ他人のためになにかをしてゐないのであれば忙しくないやうにおもつてしまふのだが、いやしかし、他人につくして自分のことができないのを忙しいといふのであればいまの私は忙しくないのだらう。
23:55
休講がおほいので講筵の席には一時間半しか坐らなかつた。その後は電子ピアノをたたいたり寐たり論文を讀んだりした。『近世活字版圖録』(後藤憲二編『日本書誌學大系』第61卷、青裳堂書店、1990.6)に載るところのひらがな活字使用のものの一覽をつくりもした。ひらがなをもちゐるもののうち、明治の金屬活字以降のものが少なからぬのには、一目違ふとわかるものの、いま金屬活字に對してもたれてゐるやうな「味」だとかが木活字にもとめられたのかと思つたのだが、字があまりに下手なのはいかがかと思ふ。
23:55
忘れるために誌す?
23:55
國語國文誌があるらしい。國語學誌(現日本語の研究誌)は日本語學といふ部屋にあるらしい。日本文化共通には上智大學吉利支丹文庫がある。いづれの部屋もどこにあるのかわからない。通稱院生控え室がどれかにあたるだらうとはおもふものの……どれ?
23:55
晝頃起きる。聲ががらがらである。ハッシュ・ド・ビーフを食す。iBookと『きりしたん版文字攷』のあひだをいききする。4時頃ご飯と卵と納豆をまぜて食べる。また行き來する。7時頃夕餉。ご飯とみそ汁(大根の根と葉)とおからの和物と冷しやぶ、大根と胡瓜の酢の和物。食後にブルーベリーのソースを垂らしたヨーグルトを食べる。湯浴みする。朝日新聞の土曜版夕刊のまんなかにある問題にあたまを惱ませる。中學入試算數第2問目が解けないまま投げだす。iBookのまへでぐうたらする。いま。
23:55
起きたらとんでもない雨で、物憂かつたがそれでもでかけた。もじもじカフェは7囘目にして4囘目の參加で、次囘は參加しない(丁度ウィキマニアのために日本を離れる)から50%の參加率で、懇親會出席率は上位にあらう。
となりに坐つていられたのはType Projectの小澤裕さんで(ゆたかといふとはしらなかつた。改組前の學科の先輩にあたるらしいが、挨拶もさしあげなかつたのでいつか機會があれば。يوتاكاとお手本をつくつてもらつて(母音記號はなかつたと記憶する)、自分でやつてみていらした。筆の動きが速すぎたのかかすれてゐたが、さもあらう、字そのものは筋がよろしかつたやうにみえた)、おくれて鳥海さんがいらして、いちばんおもしろかつたのは、いま習つてゐるアラビア語教科書の著者がみえたことであつた(散會後に伺ふと、「日本語をタイプして、アラビア語は手書きした」とのこと。しかし版面を見る限りは和文は活版である。大學書林の改版では印面のかすれの特にひどいところを寫植でうちなほしてゐる(アラビア文字も)。かすれは改版に使用したものがとくに印刷がひどかつたわけではなく初版からひどかつたさうで不評だつたと仰るが、ひどい印刷業者だつたのか?)。實演はすばらしいもので、なるほど技術的には書道といふよりカリグラフィなのだつた。休憩の終りごろにالسلام عليكمと書かうとしてもらつたが(ああやつぱりالسلام عليكمねといふ聲も聞こえたがまあよい)、1本線を忘れたとかで後半をおへてといふことになり、當然忘れられたので一枚ももらへなかつた。
懇親會はみなさん早々にお歸りになり、はじめてお會ひした舩木さんとおはなしなどする。私も22時頃に歸宅の途についた。
23:55
タイトルを變換したら縣民の非と出て私は一體なにを書かうといふのか、と思つたが、そんなことはなくて、明日が縣民の日であるのにすぎない。
縣民の日だから公共施設や公共的私有地に縣民優遇があつて新習志野の縣營プールも無料である。縣民の日がてつきり木曜であると信じ込んでゐて久々に(えーと7年ぶり?)泳ぎたいなあとおもつてゐたら金曜であるので講義とゼミだらけでいけない。水著を用意できなかつたので、これは喜んでいいのかわるいのか俄に判斷しかねる。
23:55
圖書館が除籍した本を「リユース」と稱して學生に無償配布してゐた。拾はれなかつた本は捨てられるか賣られるか。捨てられるのをかんがへて多めに拾はうかとも考へたが、マーク・トゥウェインの書簡集など賣りでもできなければしかたがない。ロジェのシソーラスなど2册をもらつたがわすれてくる。
知合ひの文章が載るとかで、
『言語』第36卷第7號、大修館書店、2007.7。
を買ふ。
23:51
日記ぽくなつて題名にこまります。
忘れてゐた本を囘收。
The Editors of the American Heritage Dictionary. Roget's II: The New Thesaurus. Boston: Houghton Mifflin, [1980].
『ヨーロッパの印刷 '72 DRUPAから何を学んだか』日本印刷技術協会、1972.11。
借受。
柳田征司編『論集日本語研究』第13卷「中世語」、有精堂出版、1980.12。土井忠生の「吉利支丹日本語學の構造・特質」、龜井孝の「「オ段の(長音)の開合」の混亂をめぐる一報告」などをおさめる大變ミーハーな卷である。
大學にはいつて過去を振返ることが増えて、年の近い子たちの思ひ出ばなしなどを聞くに、自分からはなすことのなさを思ふのだが、かうして人は報告する能力をきたへていくのであらうか。
23:55
避難訓練がありました。高校であれば盜みのおそれをあまり考へずとも實害もなかつたものの、いまはさうはいかないので訓練のし甲斐があります。
希望圖書を今月も出したものの、訓點語と訓點資料の購讀申込みは何月にすればいいんだつたか。新著圖書が増える一方でもう混迷をきはめてゐます。毎週本が増えて場所が變る。なんだこれは。
23:54
Scholarpediaなるものがあると聞いたのでみてみた。フリーコンテントとなのりながらフリーライセンスではないらしいので、宣言の翻譯はしないが、運營の明示はないし、General DisclaimerがWikipediaのそれを書き換へたものらしいのがお笑ひぐさだし、それでも成功する見込みがありさうなのは、あくまで人的に狹くやらうとしてゐるからだつた。しかしpeer-reviewがあるといふが、權威によつて倒れないといいけれど。
けふのかひものは、パルコの舊ゲーム場跡にて、高校のときに通つてゐた古本屋一店のみの古本市で買つたもの。レシートをみてああとおもつたので誌す。
酒見賢一『墨攻』新潮社、1991.3。
北原保雄『日本語の世界』第6卷「日本語の文法」、中央公論社、1981.9。
23:55
中比の事にや山城国に男ありけりあひおもひ・たりける女なん侍けるなにとか侍けんそら/\し・きさまにのみそなりゆきけるこの女うちくと・きかくのみなりゆきは世中もうきたりておか・ゆるにたれもとしのいたりいるかひなくなり時・おなかよになりなんもひとつのなさなるへし・といひけりこのおとこをとろきてゑさらすおも・ふ事むかしに……くらゐまでしかよめない。
23:54
どこにも行かない日はコンピュータでなにかを讀むかコンピュータで作業をするか、まれに紙を讀む、このやうな生活を送つてゐるのですが(もちろん食事、入浴もしますが……)、どこで時間のつかひかたを間違へたのか。ひとまづ目は大切にしたいとおもひます。
23:55
linquet Iunius iam. absentias scholas classicas fui, sed expecto complere. itaque latine scribo.
23:55
最近朝の4時頃まで起きてゐると鳥が鳴き始めます。家人は鳥を飼ふのは規約違反なのだけど、野鳥かなあといつてゐます。ナポレオンなみの生活です。おやすみなさい。
さういへば新村と柊の日本古典全書吉利支丹文学集を借りましたがまへにも借りたので書誌は略。
23:55
1399圓にまで減少しました。よきかな。
圖書館雜誌やビブリアなどながめる。アルバレス教授の「キリシタン版は所詮布教のための道具にすぎず、支那イエズス會がヨーロッパの科學を支那に移入したのに比して低い」(ビブリア5號)と述べられるのが印象にのこつた。「えすぱにや・ぽるつがる記」はどうやらどこかに紛失されたやうで、付近にはみあたらない。海老澤有道「天草キリシタン版書誌」(『國際基督教大學學報III-Aアジア文化研究』第10號、1978)をひとまづみたいが某圖書館にはおいてゐない。ページ數がそれなりにあるので取りよせも危險で、むつかしいところである。
23:55
第12卷第7號、朝日新聞社、2007.7。金井の連載は著者の都合で8月まで休載とか。なんで前號で書かなかつたのだらうか。といふわけで山形浩生と唐十郎のを樂しくもなくよんで、新刊廣告をみて終ふ。勉誠つて古典の國語・國文ばかりでもないんですね。『ドーダの近代史』(鹿島茂、朝日新聞社)を讀みたいとおもひつつしばし立つた。
もう、七月か。
23:55
落研の新入生お目見え寄席をみにいく。學科の先輩が會長で後輩が二人はいつてゐる。そして某准教授が觀客にいらつしやる。去年は我が學科のひとは「少なくてねえ」と聞いてゐたのだが。
この日記を書いてゐるソフトウェアには、日付指定機能があるのだが、プルダウン式であるので、UI上は2/30も6/31も可能なのであるが、一度もそのやうなことを試したことがない。もちろんどうせエラーが出るだけだとおもふのもあるのだが、5年間選ばうとしたこともないのにいまさら氣づく。
本を買つた。大學の近くにあるので、誤解してゐたのだが、黒砂といふ古い町もあるのだし、學生街の古本屋といふよりは町の古本屋であるのだ。日本語の歴史カヴァー付年報付1800圓といふのも出てはゐたが、最近品がいよいよ漫畫だの成人向けのにかたむくのを見て、妙な誤解に氣づいたことだ。
買つたもの。
山本光雄・副島民雄譯『ユーベルヹーク大哲學史』古代篇第三卷、改造社出版〈改造文庫〉、1943.6。紙裝のをはじめてみた。スピンの緑があざやかに殘つてゐるのが印象的。fxだと合成文字が讀めないので、不安だが、ユーベルヱ゛ークである。
いしいひさいち・漫畫、峯正澄・文『大問題'98』東京創元社〈創元ライブラリ〉、1998.4。
島崎藤村『破戒』岩波書店〈岩波文庫〉、1957.1。
ソポクレス『オイディプス王』藤澤令夫譯、岩波書店〈岩波文庫〉、1967.9。
谷崎潤一郎『蘆刈』新潮社〈新潮文庫〉、1948.8。
『歌枕秋の寐覺』大阪:鍾美堂本店、1901.2。以前買つた書店なので追跡的に。題は内題による。外題は『歌枕秋のねさめ』。
23:55
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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