彼ら(無性)は見てゐてイタイ、と聞く。肉體的な痛みではなく。しかし、このイタイといふのは、なんなのだらう。何となく意味するところを理解できないでもない。寒々しいと言ひ換へれば、なほ含意が傳はつてこよう。
イタイの使はれる風景。
1. 行爲者はその行爲について、至つて非常識でかつ至つて生眞面目である
2. それを見てゐるひと(=常識人。その行爲者や、行爲への關與の度合はあまり深からぬやうだ)から見て、行爲者の考へや、その行爲は諸事情で噴飯物である
3. なので、(指差して)イターと云ふ
莫迦ぢやないか、と云つてゐることについて、イタイを使ふひとびとは一致してゐるやうであるけれど、「云々なのでその行爲或は行爲者はをかしい」ではなく、なぜ、イタイなのかと思ひめぐらせば、「あまり關はりあひたくはないのだけれど、でも、仲間内には報せて、一緒に莫迦にし合ひたい」などといふ「不健康」な考へが混ぢつてはゐやしまいか? 少なくとも、積極的にその行爲者にその「變な」理由を教へやうとする積りはないといつてよからう。
やり切れない、としか云ひ樣がない。
22:16
新潮版『吾輩は猫である』(夏目漱石、新潮社)で何度猫を讀まうとしても挫折するので、讀めないのを日活の文字のせゐに極めつけて、1956年一刷の岩波版全集一卷『漱石全集第一卷–吾輩は猫である<上>』でやり直したら、すらすらと讀めた。ところで、活版時代の精興社はルビがイワタなのだが、現在のルビも精興社と比べてどうだらうなあ、と思ひつく。
22:43
週休二日制がだれるのは、われわれが一日を仕事などに時間を割きすぎてゐるせゐではなからうか。だから、過密なスケジュールの間の休みは、過密なスケジュールを維持するに適當な處し方が要求される。
23:56
『リルケ詩集』「双書・20世紀の詩人」、小沢書店、1993。本文はイワタ、一番最初のページのみ宋朝體。9pt? どこのだらう。「あ」が、錦精社のやうな面持ちであつた(『聚珍録』第二篇、p.1033)。
イワタといへば、B2系のかな書體はモリサワ寫植、A2系が寫研寫植か。
23:28
ブックフェアに行つてイワタの明朝體(OTFのProがいい)を買つたり、DNPのひとに、なんで秀英の「を」や「と」の最後のカーブは角つぽいのか聞いてみたい(だけど金がない。入場料すら!)。
21:14
明日七時召集とかいふわけのわからないことになつたので、二日連續で日付が變わる前に就寢! 久々!(おい
22:42
古本市。主催のひとから、「私が讀むやうなものはない」と聞いてゐたけれど、とりあへず、『小説論–読まれなくなつた小説のために』(金井美恵子、岩波書店)、『饗宴』(プラトン、久保勉訳、岩波書店)、『原始仏教–その思想と生活』(中村元、日本放送出版協会)を買ふ。Michitomoさんからブックフェアの招待券をもらふ。イワタの半額ー。あうあう。
17:57
東京國際ブックフェア。イワタ明朝體オールド (TrueType)。府川さんが何か買つていらしたところであつた。オールドはこれまた府川さんに良くないと云はれてゐたが、普通にはこれしか買へない、しかもA2系、B2系のほうが私は好きなのだが。
DNPでは(多分)秀英體プロジェクトの佐佐木さんがゐた。序でに上製本の表紙つけの實演を見る。
歸り道、お金が足りなくて、新東京局迄歩く羽目になつてしまつた。むう。
18:08
『それでも作家になりたい人のためのブックガイド』(スガ秀實・渡部直己、太田出版、1993)で感心した句。「大正期の作家や批評家たちがあたかも明治時代とは関係がなかったような顔をして文章を綴っていたことと軌を一にするんです。」(p.244)必ずしもこれは文學分野に限らないのであらう。
今田欣一氏の文章で書體の著作權を扱つたものを以前讀んで魂消た記憶があるのだが、探して見當たらないのは彼に冤罪を着せてしまつたといふことかしら。
23:07
やつてみた。
00:37
或ものについて熱烈に「語る」といふのが、どうにも好けない。それは一つにあるものに沒頭してゐるといふのが「耻づかしい」ことだからであり、「語る」ことで發生する『虚僞』を限りなく厭ふためである。「思ひ」を語りたくなどはない、あんまり聞きたくもない。潔癖はいくら徹底しようとも引いた分だけ迫られる、そのくらゐの徹底しかしようがないし、それは必然的に身の破滅を引き起こすのもとつくに承知してはゐるのだが。
22:16
・夏目漱石「吾輩は猫である<下>」『漱石全集』第二卷、岩波書店
・池澤夏樹『南の島のティオ』文藝春秋
・川上弘美『古道具 中野商店』新潮社
あと、圖書館の昭和文學全集で吉田健一と深澤八郎(たぶん)に少し接す。吉田健一の文章は確かに金井美惠子の文章に似てゐる。
22:23
・大岡昇平『俘虜記』新潮社
・福岡伸一『もう牛を食べても安全か』文藝春秋
・いとうせいこう・奥泉光+渡部直己『文芸漫談』集英社
・山田真哉『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』光文社
SIIの電子辭書を買ふ。えらい小さい。前のキーボードは中々良いものだつたが、今のは無闇に硬くていけない。
二番目。舞姫風にいふと、「きのふの是はけふの非なるわが瞬間の感觸を、いかにか筆に留めん。況やその實をや」。複雜怪奇なる物への蔗を嚼むを助く良書、新書たらんものかくあるべし。
三番目。奧泉さんて、『新・地底旅行』(朝日新聞社)のひとなのか。新聞連載時は中々に楽しく読んだ――最後の一週間くらゐを。池澤夏樹の『静かな大地』のときもさうだつたが、新聞小説つて、おもしろさうなのでも、追つて讀むのはなかなか大變なのだ。高橋源一郎(名前合つてるよね?)のも結局途中で讀むのを忘れて、もういいやと思つた。誰のだか忘れたが、『椿山課長のなんたら』も最初から途中まで。
再び二番の書。讀みながら、「いくら母乳がいいとて、これを理由に母乳飼育の出來ない人を虐げる人がゐたら、勘違ひであらう」等々。微妙な問題を幾多も孕んでゐて、讀むべしとしか云ひ樣がないのは、弱點かどうか。
18:57
・青山剛昌『名探偵コナン』五十卷、小学館
・池澤夏樹『むくどり通信<雄飛篇>』朝日新聞社
・正岡子規『歌よみに与ふる書』岩波書店
・深見填、100%Orange『こどものためのドラッグ大全』理論社
一書。ご結婚おめでたうございます。
二書。イワタ。表題、「むくどり」は所謂築地體前期五號かな。
三書。イワタ(B2)。十囘も歌よみに書を與へたわけか。岩波クラシックスのハードカバー。B2A2の違ひは僅かに「あ」などに見られるのみだが。といふか、この言ひ方は確證するに足る資料がない。ただ、聚珍録所載の見本帳に(B2)だの、(A2)だのと印されるによる。
21:22
Internet ExplorerのCSS解釋が碌でもないので、過去ログへのリンクがまともに表示できてゐないのは、どうしたらよいでせうか。成る丈CSSをいぢるのみにしたい。リスト方式はこれで合理的なのです。
00:22
買ひ物の歸りがけに、公民館の前を通り、地名の由來を記した石碑を眺めた。
今住んでゐる新京成線沿線の大部分は江戸時代、小金牧といふ、幕府の牧場であつた。明治になつて牧はほとんど陸軍が持つていつて、演習場となつた。だから、歴史は精々百年とか、そこらだ(古くても江戸中期を越すことはない)。
小中の學校を過ごしたのは習志野であつた。そこの、菊田神社は藤原の人が流されてきて、もともとあつた神社に自分たちの神樣を合祀させてしまつたといふ神社であるが、そこは九百年とか、さういふ歴史の蓄積があるのだ。しかし、その歴史の蓄積が町を歩いてゐて感じられることはない。小學校も習志野で一番古い學校だが、今の校舍は昭和三十三年に移したとかで、明治の赴きもへつたくれもない。
そのやうにして、歴史がただ流れていくのみで澑まつていかない(もし殘つても、それは他のところで作られた歴史に僅かに顏を覗かせるのみだ)ので、歴史はあつてないやうなものである。見えないだけで實はしつかりあるのかもしれない。だから、一人嘆いてゐるのは馬鹿らしいのかもしれないとも思つて、それだけ。
19:49
取次にまつはる本の不遇を訴へる文章を讀むと、ときたま、多民族國家(帝國)をなかなか巧みに生きてきたが、民族主義の波にもまれて遂に崩れた某國を思ひうかべないでもない。すなはち、民族自決を主張することを考へ直すだけの説得力を持つた政治をなしえなかつたといふ仕方がないといふ思ひと、でも、その後の悲劇を見れば、多少不滿が募つてもあれはあれでよい日々であつたのではないかといふ後悔。
18:16
ああいふ救ひのない莫迦の目眩しかしないのが警察業務をしてゐるのだと思ふと警察の腐敗だのそれ以前の問題であるなあと絶望してみるのだが發想のレベルが低すぎで藥物はやつたら絶對やめられないと云ひきるのは問題外であつたし「服裝の亂れ」を「襲つてくれと云つてゐるみたいだ」などといふのは絶滅危惧種(絶滅しても誰も悲しまないが)であつてほしいと強く願はざるをえんのだしといふか集團に對しての他者は惡といふのは頭が狹すぎて結局眩暈以外に得られるものはないといふ結論。
19:11
・「築地體の百二十年」配布資料の册子p.22のダヂヅデト。一年前のものを引つ張りだして何をか言ふであるが。
・「たをやめ」が大日本を思はせるのと、游明朝がさうと知らせずにしかし確實に受け繼いでゐることの違ひ。
・人それぞれといふ言ひ逃れ。
・温故知新の野蠻。
・讀みの絶對性と個人の隔絶。
・「ほくと」がイワタを思はせるのと字の弱弱しいの。
・イワタと晃文堂を混ぜて使つたやうな本。
・活字起源書體の連關と精興社の距離と寫植書體との斷絶。
・ひらがなの楷書體とはなんぞや。
・ひらがなは漢字の書風の一つと假定しても、使用される文字が限定される點において「ひらがな」たる。
・イワタゴシック體のV3あたりのかなは、あれはあれで味があつたやうに思ふ。明朝體にしろゴシック體にしろ新かなはオールドに勝てないのだからいらないのでは。
・イワタ明朝體オールドのビットマップがイワタ明朝體を基にしたビットマップであるやうに思はれてならない件。
15:01
インクのしみや字の竝び、近所の子供の聲のうるささの程度、幽かに響き來る飛行機のおと、螢光燈の切れ具合、紙から臭ひ立つもの、表紙のすべり具合と本文の紙の觸り心地まで含めて我々は讀んでゐるのだから、それは人それぞれといふより場合それぞれなのであつて、しかもただのシナプスのつながりを表現したに過ぎない記憶になんらの絶對性も與へることはできないので、作者がその作品に對して行使できることといつたら、法律上に託された著作權で雁字搦めにすることくらゐで、できあがつたものを讀むことでしか「知る」ことができないのは、それは作者とて同じであり、批評とは、その場合場合に讀むことで生まれたものを表現することに他ならず、そしてそれは「書く」ことと同義であり、ゆゑに、他人の批評を聞いて、自らの讀みを見直すことは創作活動にとつて非常に有意なことなのである。
21:37
Shift + Tabで、Tabで進んだナヴィゲーションを逆行できるとな。もつと早く知りたかつた。
22:57
フカワさんのコメント問題で、日記のCGIプログラムをチェックしてゐたら、ヘッダでLast-Modifiedを一度出力してゐるのにも關はらず、再度「空白」で出力して、結果、1970/1/1T00:00に更新したことになつてゐた。嗚呼。直して、これでだいぜうぶ。
23:10
例のMeiryoとかの(違)。Longhornの正式名稱が決定とかなんとか。Vistaといふと、AltaVistaしか思ひつかない。ところでけふは四回も日記を更新してゐるとは。Microsoft Windows Vista
vi・sta /vístɘ/
- n
- 並木道やビルの谷間などから見通した縦に狭い景色,見通しの景色[眺め],ヴィスタ;並木道,街路;((将来の))展望,見通し,予想;追憶.
- [It=view]
23:43
目白の某大學にオープンキャンパスに行つて、その歸り、本屋で立ち讀みをしてゐたらば、初期微動の後下から突きあげられて、裏で本が崩れる音がした。本屋の本は崩れなかつた。その後も立ち讀みを續けて(小林章さんの新刊)、驛に行けば、歸りに乘つてきた路線は運轉見合せ、これから乘る路線も先ほど運轉を再開したばかりであるといふ。かくなる幸運もあるものかな、とぞ云々。
18:51
かつたるいと思ふ。
教師の言葉が頭に響く(やらないのは、いざ本番で失敗したときの言ひ譯をつくるためぢやないの?)。
親の前では勉強をすまいとなぜ心に決めたのかを思ひださうとする。
ウェブを循環して面白さうなのをブックマークに加へる。
共謀罪を懷疑する議員がゐることに少し安堵する。
夏休みにやることにしてゐた課題を數へあげる。
TTEditを起動して字を只管修正する。
ウェブを見る。
矢鱈と手洗に行く。
かつたるいのか眠いのか判然としないので横になるが眠ることはない。
鼻の下にメンソレータムを塗るがすつきりしない。
本を讀んでも眠くなつて讀み續けることが出來ない。
以下略。
20:19
家族用のPCが、突然電源が切れるやうになつたので、富士通に電話したら、「電源ファンやマザーボード、CPUファン」に異常ありやもしれぬとのこと。思ひかへせば、自分のPCはなかなかこまめに掃除してはをつても、家族用のは一度たりとも掃除をしたことがない。これ我の失態なるか、普段使はぬくせに Adminを握つて管理を仕切つてをるのだから失態ならう。
11:17
ここ2,3日久々にwpに赴きあんまり(であるやうに思はれる(この場合、根據が不明なもの))な項目を修正。学習院大の項目で、菅秀実と絓秀実でリンクがあつたが、はて、本名はいるのかえ? ポイントをごによごによ書き換へ。Garamondは、いろいろ面倒くさいのでとりあへずもつと奧深いのだとわかるやうにしてみる。大鳥圭介は、蕃書調所に出仕したことになつてゐるのだが、さうなのだらうか。府川充男「和文活字の「傍流」」(印刷史研究会編『本と活字の歴史事典』所収、柏書房、2000)に出てゐる經歴とはまつたく違ふ。まあ、これも誤魔化して(何がまあだか)、不勉強をしみじみと感じ入つた。
20:23
松戸の本屋(古本屋、新刊屋)を巡る。東口を出てすぐの、西口のブックオフ、その先の角を曲がつて二階の本屋さん(といふ屋號)、その奧の。津田沼より古本屋が多いのはうらやましい限りだが、どの店も本の選びがいまいちよからず。床に板を渡して、そのうへに本を竝べるのはまあいいが、すずらんテープで數册を亂雜にまわして積み上げる蠻習は即刻やめられたし。活字が見たいのにハードカバーにビニールで封をするのもやめられたし。信じがたい。
伊勢丹に囘つて紀伊國屋。『文芸漫談』を讀み終へ、蓮實子の大岡昇平の『堺港攘夷始末』とか、金井美恵子の『岸辺のない海』だのを論じたものをぱらぱらと讀み、金井美惠子の『目白雑録』とかいつたの書き出しを讀んだのだが、金井子をお慕ひ申しあげてゐるやうに思はれるスガ子に渡部子を、かなりくそみそにしてゐるのは、まあ、名前をあげてこけにする丈目をかけてゐるといふことか? 不思議な關係である。
21:19
前掲二階の本屋さんは二階の古本屋の誤りであつた松戸彷徨二日目(違)。午後の燦々と照る中を長袖で歩く……腕は燒けなくても顏が燒けることを發見しました(違)。聖徳大學があるくらゐなのだから、古書肆があつてもよからうとヨーカドーの裏を上る階段を態々あがつてみたが、結局伊勢丹のところの歩道橋を渡つたところに見つけただけ(ブックオフ以外の書肆を見ておもふのは、岩波の古いのが決まつてスペースを區切つて竝べられてゐるといふことだ)で、更なる收穫はなくて、ブックオフでほぼ日の『いいまつがい』は買つたのだが、大學が有る街と云つてもこんなものなのだと思ふ。尤も櫻上水にも古書肆を見出せないほどの私なのではあるが。
22:31
正岡子規が古今集以後を思ひつきり惡口を言つて、萬葉集を高くしたのは、革命に必然であつたといふほかあるまいと思ふ新京成線の中(この不勉強IMEは、新京成を一發で變換できない不敬者、さういへばWinFSは外してもJIS X 0213對應宣言は取りやめないらしい某ビルの間の眺めは、結局Opentype featureはどれほどになるのだらう、尤も、OOoだのWordだのといつた低級ソフトウェアには實裝されないだらうし、貧しい私としてはそれは大變哀しいことなのだけれど)、公共の場のスピーチで多少聽衆をけしかけても、まあ惡いことはなからうと思ふ。
貧困といふのは、いつまで經つても難しい問題であらう。食糧支援は、自國生産を徐々に輸入に切り替へた日本のやうなのと對照すると問題がはつきりするし、貧困はむしろ生産されるものであるから、以下略。
21:33
人戀しくなる休日も何日目か、松戸紀伊國屋書店の四日目。津田沼の丸善のただ本の置いてあるのと違つて、それと比べてヨーカドーにある書店ほどしかない中に、そこよりずつといい趣味をしてゐるのは、流石と思ふのであつた。何せ、柏書房(この前紹介した府川さんの論攷が收録されてゐる『本と活字の歴史事典』の版元は太田出版でなくて柏書房であつた、茲に訂正申し上げます)の古文書シリーズとやらがずらりと竝べてあつて、まとめて買ひたいと思つたものである。
21:04
ゴシップとゴシックは語源に關係があるのだらうかと思つたが、つづりを見る限りはさういふ心配はいらないやうなのであるが、けふ『目白雜記』を立ち讀みしてゐて、確か2003年くらゐに某週刊誌に川上弘美が不倫云々離婚云々といふコピーが出てゐた記憶があるのが、たぶんそれだと思ふのだが、金井美惠子と川上弘美が松浦壽輝を巡つて三角關係にあつた、と報じられたさうなのである。金井美惠子と川上弘美の年の差は十ではないだらうし(金井美惠子が戰後生まれだと始めて知つたが(1947年)。川上弘美は1958だつけな。松浦は1954らしい。どうでもいいか)、何より、接觸のなささうな人々をよくもまあ結べるものだといつた感じ。兔に角不思議なので(或は不思議ではないのかもしれないが)書いてみた。
23:40
ひとまづ松戸出張は終はりで、次は八月の二週目くらゐに。次は一日松戸デイ。といふかけふはもう寢よう。
21:10
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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