インクのしみや字の竝び、近所の子供の聲のうるささの程度、幽かに響き來る飛行機のおと、螢光燈の切れ具合、紙から臭ひ立つもの、表紙のすべり具合と本文の紙の觸り心地まで含めて我々は讀んでゐるのだから、それは人それぞれといふより場合それぞれなのであつて、しかもただのシナプスのつながりを表現したに過ぎない記憶になんらの絶對性も與へることはできないので、作者がその作品に對して行使できることといつたら、法律上に託された著作權で雁字搦めにすることくらゐで、できあがつたものを讀むことでしか「知る」ことができないのは、それは作者とて同じであり、批評とは、その場合場合に讀むことで生まれたものを表現することに他ならず、そしてそれは「書く」ことと同義であり、ゆゑに、他人の批評を聞いて、自らの讀みを見直すことは創作活動にとつて非常に有意なことなのである。
21:37
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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