吉田健一『金沢・酒宴』講談社〈文芸文庫〉、1990。400圓。白川靜『白川静漢字暦2006』平凡社、2005。小遣が出たので早速買ふ。
『万葉集釋注』(原文篇、伊藤博、集英社、2000)を藉る。字の整理が興味深い。
18:24
福永武彦は1943年だかにマチネ・ポエティクの同人山下澄(筆名原條あき子)と結婚し、1945年に夏樹が生れ、1950年に離婚してゐる。けふ、いくつかの全集などをあたつて、結婚のことを調べようとしたが、結婚のことさへ書いてゐないものもあつた。
要するに、これは、原條あき子がうんぬん、ではなく、マチネ・ポエティクが〈フォニー〉で、福永はこれを超越することで〈フォニー〉ではなくなつたのだ、といふのが福永研究の趨勢なのか。石川淳が云つたらしいところには、といふのも金井美惠子の本で讀んだだけなのだが、マチネ・ポエティクのあとでも〈フォニー〉であつたやうではあるが。
で、私は池澤夏樹の愛好家なのであつて彼の父君にはたいして興味がなくて、あるのは山下澄への興味である。『新研究資料 現代日本文學』の詩の卷にマチネ・ポエティクは記載が無く、福永、加藤、あと一人くらゐの、マチネ・ポエティク出身でのちまで活きてゐた作家(まだ死んでゐないのもゐるが)の項目にも、ない。まるでをさなかりしころの火遊びかなんかであつたかのやうだ。
さて、古本屋で池澤夏樹譯のダレルの著作をみつけて、後書きを讀むと、『豚兒二人』云々とあり、譯の時期からしてこのうち一人は春菜であり、それにもう一人がゐるはずである。くはへて、メイルマガジン「異國の客」では、フランスで小學校に通ふ2兒があると書かれてゐる。春菜は1975生れであるから、假に日本の小6に相當するとしても、18の年の隔たりがある。どういふ家族構成なのか、全く想像できない。プライベートを書かないのであれば、徹底して書かないはうが(春菜はしかたないが)ありがたい。
23:47
まるくなりてねむるさまはいとかはひらし。
白川先生のカレンダー、甲骨文が大きく出てゐるのはいいのだけれど、リュウミンでやつてゐて少しいやなのが、2006版は「まこと」だとか大きく假名が出てゐて、さらにううむとなる。
昨日書いた、『萬葉集釋注』(原文篇、伊藤博、集英社、2000)の、字體の整理の部分を引いてみる。
一、原文の字体に関しては、なるべく底本の文字に近いものをあらわすように努めたけれども、活字化にあたって、次のような整理を行なった。
- 新旧の字体の別がある文字のうち、底本に旧字体で書かれている文字は旧字体に、新字体に近い字体で書かれている文字は新字体に統一した。ただし、活字の上で新旧の差がさほど激しくない場合には新字体によった。このうち、旧字体で統一した文字は次の通り。
- (略)
- 再現しても意味の認められない異体字や、底本独自の筆癖による文字などは、適宜通行の字体に改めた。ただし、全体の様相を勘案し、底本の異体字をそのまま採用したものもある。
- 【底本の字体を改めた例】
- 高←髙〔引用者註ハシゴ高、以下龜甲括弧は引用者註〕 京←亰 競←竸〔京←亰の關係に準ず〕 奈←柰〔大が木〕 友←〓〔友の右肩に點〕 耆←𦒿〔日が目〕 召←𠮦〔刀が点2個〕 紐←紉〔丑が刃〕 娉←〓〔由の部分が簡略〕 歟←欤〔與が与〕 皺←〓〔芻がヨ二つ〕 纒←〓〔墨が黒〕 逕←〓〔巠が至〕 桑←桒〔又三つが十三つ〕 棗←〓〔来の上部を二回繰返し〕 庭←𨓍〔手を眞垂で覆ひ之繞を履かす〕 (以下略)
- 【定本の異体字を採用した例】
- 尓 𠮧 并 伇 以下略
と思つたけれども力盡き。作業開始が遲かつた。また明日。
23:45
カップヌードルのカレー味を食べようとして、カーペットに落とし、一時間ほど掛けて大体落とした。
15:16
本木昌造をキーワードにしてGoogleで檢索をしたら、江戸時代の印刷技術について(本木昌造関連)といふのがでてきた。囘答者は質問者の問ひをよくみてゐないのだらう、これは電胎法などではない。
ではなんだらうか。韓國では砂、といふ文面から考へると朝鮮活字か。これだと「キーワード」に合致しよう。すると、この題名はなんだらう、そのドイツ人に云はれたのか、質問者が勝手につけたのか。
23:08
某塾に模試とかいふものを受けにいつて。最後の化學なんか、ただでさへ記憶の飛び具合がひどいのに、昨日寢たのが寅の刻くらゐでもう。ばたんと寢られるかとさうでなくて、起きてゐて、しかし頭は少しのことでお花畑に行き呼吸を忘れがちになり。けふはもう寢ます。
22:06
面倒なのでcwTeXFangSongと例の六號のかなだけで作つてしまはうと思つたはいいものの、例によつて書くことがないので困る。
22:01
豫定送付先。紙でないはうが安い。
この前の書道博物館で御會ひした方々のうち住所/メイルアドレスが判明せる人。ウィキペディアの友人で住所/メイルアドレスが判明せる人。といふか住所を知つてゐる人は基本的に紙で出す積りですが、どうでせう?
20:59
『萬葉集釋注』(原文篇、伊藤博、集英社、2000)。略してゐた部分も略さずにやつてみよう!
一、原文の字体に関しては、なるべく底本の文字に近いものをあらわすように努めたけれども、活字化にあたって、次のような整理を行なった。
- 新旧の字体の別がある文字のうち、底本に旧字体で書かれている文字は旧字体に、新字体に近い字体で書かれている文字は新字体に統一した。ただし、活字の上で新旧の差がさほど激しくない場合には新字体によった。このうち、旧字体で統一した文字は次の通り。
- 圍 醫 壹 榮 驛 圓 應 櫻 假 價 畫 會 覺 樂 關 歡 觀 龜 氣 舊 擧 輕 莖 經 螢 鷄 藝 縣 險 獻 廣 國 碎 濟 雜 絲 齒 兒 濕 實 寫 釋 壽 澁 處 稱 條 疊 觸 盡 圖 數 聲 齊 竊 攝 淺 錢 踐 搜 雙 續 對 帶 臺 撰 澤 蟲 晝 鑄 廳 鐵 點 轉 傳 燈 當 獨 讀 貳 拜 賣 發 濱 拂 佛 邊 變 藥 豫 譽 龍 瀧 兩 勵 戀 勞 灣 など
- 再現しても意味の認められない異体字や、底本独自の筆癖による文字などは、適宜通行の字体に改めた。ただし、全体の様相を勘案し、底本の異体字をそのまま採用したものもある。
- 【底本の字体を改めた例】
- 高←髙〔引用者註ハシゴ高、以下龜甲括弧は引用者註〕 京←亰 競←竸〔京←亰の關係に準ず〕 奈←柰〔大が木〕 友←〓〔友の右肩に點〕 耆←𦒿〔日が目〕 召←𠮦〔刀が点2個〕 紐←紉〔丑が刃〕 娉←〓〔由の部分が簡略〕 歟←欤〔與が与〕 皺←〓〔芻がヨ二つ〕 纒←〓〔墨が黒〕 逕←〓〔巠が至〕 桑←桒〔又三つが十三つ〕 棗←〓〔来の上部を二回繰返し〕 庭←𨓍〔手を眞垂で覆ひ之繞を履かす〕 匝←迊〔帀に之繞を履かす〕 兼←𠔥〔一番下が列火〕 淑←〓〔㳤の中央部が夕〕 譬←〓〔辟の口の部分が言〕 虎←乕 廟←庿〔苗を眞垂で覆ふ〕 壺←〓〔士が右〕 熱←〓〔[(生丸)/火]〕 熟←𤏅〔但し列火ではなく火〕 燕←鷰〔列火が鳥〕 卯←〓〔左が歹〕 怨←㤪〔ただしヒ〕 幸←〓〔[土/羊]〕 梓←〓〔[木(なべぶた/羊)]〕 埼←〓〔[土(なべぶた/羊)]〕 年←羊 能←〓〔偏が角〕 射←𡬫〔身が舟〕 船←舩・舡〔其々[八/口]が公・工〕 など
- 【定本の異体字を採用した例】
- 尓 𠮧 并 伇 〓〔[人弖]〕 以下略
淚涙淚がunihanだと全部畫數が同じで出るのですね。
ところでHermann Zapfつて博士なんですね。なんの?(LinoLetter 12/05, Linotype, 2005による)
21:01
西洋と東洋の違ひとかいふので話してゐるのを聞きながら、宗教のことになつて、半分か四分の三くらゐ言葉を聞き流しながら、「拜み奉る」といふのが頭から離れなくなつて、なんだらうと考へてゐたのが、いま不圖得心したところでは、「スッタニパータ」にあるのだつた。
でもいま眺める限り見當たらない。あれれ。「歸依したてまつる」ならしばしば。
18:37
エリザベスIIの夫フィリップは同時に王位繼承權を持ち、490位にあるらしい。どういふ繼承權の設定の仕方なのだらうか。あちらの王侯家といふのは、このくらゐ繼承者を用意するものなの?
19:48
「すべて良き書物を読むことは、過去の最もすぐれた人々と会話を交わすようなものである」(デカルト)。
よい言葉かもしれぬが、赤本に書いてあつても有難みがないやうに思はれる。
19:45
なんでだらうと思つたら、どうやらビットマップフォントに對應してゐないためらしかつた。だが、PreferncesにFontを撰ぶのは見當たらないし、ビットマップを遣はないやうにする設定もないやうに思はれる。使へないなー。
21:43
樺島忠夫、岩波書店〈新書黄75〉、1979。
……外国語に近い形でカタカナ書きの語が多くなっている。
- ラジオ テレビ シャープペンシル ボールペン ガス……
あんまりだ。
さておき、カタカナを能率化の一環と捉へるのには異論がないのだけれども、楷・行であつた萬葉假名を崩して、草だの女手だのが生まれたといふと、不思議なことがおきたやうに思へる。あと、書體が使用される場について、意識をめぐらした文章をかなの歴史について述べたもので見ないのだが、少なくともこの前見た『かな』、今手許にある『日本の文字』ではさういふことは配慮されてゐないのだけど、最近の研究では配慮されてゐるのだらうか。
また、本書でひらがな字形の複雜さと使用率の關係を見てゐたのだが、現代假名遣の文獻をもとに調査してゐるので、宛てにならないやうに思はれる。
18:19
中學だか小學校だかで國語の教科書(教育出版、だつたと思ふ)にあつたへルマン・ヘッセの珍しい蝶の標本を巡る二人の少年の片方の囘顧録を讀まされたのだが、そのせゐで、ヘッセがどうも好きになれない。
たしか、その片方がその事件があつた年くらゐの自分の子供に面つて囘顧する形式だつたのだが、〈普通〉の少年で、蝶を集めるのが好きだつた彼が、學校の同級の金持ちの子の持つてゐる珍しい蝶の標本の噂を聞きつけてぜひとも見せて欲しいと拜んで見せてもらつた。さてここが核心であるのに記憶が曖昧なのであるが、その金持ちの子息がゐなくなつたときに、欲しさに負けてその蝶をくすねてしまひ、後で後悔して戻さうとしたのか、或は單に觸つただけか。いづれにせよ、蝶の標本は崩れてしまひ、それを見つけた金持ちの子息に厭味たらしく云はれてその少年はすつかり後悔して自分の標本を全部つぶしてしまつた。
かうしてつぶさに振り返ると自信がなくなるが、そのときはたしかに、少年が一人自身がすべて惡いやうに思つて潰したのだと思ひ、金持ちの子の〈見せびらかし〉にいくらかは相殺されようよと思つたのだつた。でも、やはり、潰す必要があるとか潰す形で責任を取らうとするのとかには違和がある。潰したのは、吉都彼が蝶をほんたうには好いてゐなかつたからなのではなからうか。
19:11
狩野さんの日記(半年振り! しかしnewest.htmlがnewestではないです)でM+ Outline FontのIPAゴシックと組合せたフォントのスクリーンショットが出てゐる[1]。それを見て思ふこといろいろ。
たぶん今出てゐるスクリーンショットはM+ 1のはうではないかと推測するのだが、やはりM+ 1は好きになれないと感じる。たとへば、なんでリュウミンのオールド假名はあんなに撥ねてるのか、とか、Efont Serifはアームなどが太いのだらう、とか。狩野さんの日記に出てゐるのだと「か」の「口」變形部の長さ(わかりにくいな)、「ん」の形、など。
上のはほんたうに好みの問題なのだが、それ以外のを書くと、たとへば歐文の大きさが目に入る。ディセンダーの高さが和文の假想ボディーを超えて高いやうにさへ見えるのは、低解像度のためだらうか。超えてゐないとしても大變大きい設計である。
最近M+ Outline FontのMLが活溌なので、なにか御手傳ひをしようではないかと添付ファイルなどを開いてみたが、よくよく思ひめぐらせば、Cygwin環境構築に失敗してFontforgeが遣へないのだつた。(いや、構築しなほせばいいのだらうが)野次馬は默ることにする。
初雪降れり。
17:36
圖書室に國史大辭典を讀んで、第6卷、「三体」ををもしろく讀む。しかし、楷行草といふ風な認識であつたとしても、それと、楷→行→草といふ順でかなのできるといふのは別の問題だらうと思ふ。
でもこんなこと重箱の隅をつついてゐるだけではないかとも思ふ。
けふは14日であるらし。15日に行くべきところに行つて開いてゐないのを見て初めて氣づく。
21:28
ウィキペディアなる百科事典編纂サイトにかかずらつてゐると、さうでもしてゐないとお目にかかることのなささうなものにめぐり合ふ。
ノートといふものがあつて、執筆・編輯者のメモなどに使はれたり項目で議論・喧嘩にならないやうに一種の緩衝であつたりするのだが(係る度合が増すほど後者での使用が増えるのは仕方がない)、その執筆・編輯者の所謂「生の」意見が、交はされてをもしろいのがある。たとへば、社會・歴史關係のものをみると、〈唯物史觀からの超克〉だとか右翼がどうの左翼がどうのだとか、人に "What do you support?" などと問ふことなど日常ではないのだらうからここでもなければ見ることはなかつたらう。
また、中途半端な智識できて、〈あ、これ間違ひだ〉などと思ひ書き直していく人も少なくない。項目に書かれる分には直すだけだが、ノートに來るとすこし滑稽な〈説得劇〉とでもいふものが始まる。しかし説得してゐる側がやがてぼろが剥がれてしまふこともあるので、何よりそこが〈ウィキペディア〉の品質を上げかねてゐる原因なのかもしれない。
フォントの、或は書體の著作權について思ひめぐらせてゐて、われわれがコピーしがいのある文字であるところの戰前書體に著作權を設定しうるのは、舊著作權法時代以前なら保護の對象にならず、以降でも、團體の場合發表後、或は個人の場合死後30年の保護であるといふのは留意していい。また、書體は藝術品であると同時に、或はそれ以上に工業生産品であるので、著作といふよりも意匠といふはうがすんなりくる。さうするとどうなるか。意匠に關する權利である、意匠權は特許權同樣(著作權も本質的にはさうであるはずだが日本の運用では違ふのだが)獨占權で、申請し認可から15年の保護を受ける。しかし、15 年しか獨占を出來ないといふのは、それしか賣り物がない書體メーカにとり重荷になるのは問題がある。そこで株組合のやうなものを考へる。つぶれれば、Go public. 電子書體ではやりにくい/不可能なのが。
00:39
設計惡いよBOINC……。Adminでないと起動しないとかなんですか。Power Userのなにがいけませんか。Adminを日常的に使用したくなんかないんだけれども。
Share Userでインストールしたはずなのになあ。
22:46
白川靜の字書三部作の改訂版。恐ろしい人だ。字通のCD-ROMを持つてゐるが、古い版に基くのだらうな……。
青空文庫の工作員の方々がお書きになつた本、圖書館に頼んでいれてもらへるだらうか。
サイモン・シン『フェルマーの最終定理』(青木薫譯、新潮社、2000)を藉る。
22:36
足し算を間違へます。引き算も間違へます。乘除なんて間違へないわけがありません。まれに二桁+一桁で紙に書くことがあります。だからパターンなんか覺えさせないでください!(意味不明)
23:41
BOINCでSETI@homeとclimateprediction.netと二つ解析させてゐるのですが、リソース割當てを2:3としてゐるのにも係らずSETI@homeが解析を獨占してゐます。一體どういふことなのでせうか。SETI@homeの解析を一時中止にして、 climateprediction.netの解析を始めさせて、それでSETI@homeの一時中止を解くと climateprediction.netが中斷せられてしまひます! どういふことだ!
03:02
そもそも日本語の文字學を專門にやつていらつしやる先生は希少價値がどうにも高いやうに思はれてならない。
23:59
なんとか正剛(う)の千册一夜、だかいふので、杉浦康平の著書を取り上げたときに、杉浦が亂視で月が九つにも分かれて見えるとあつた。
ほんたうかなあ、精々四つくらゐでないかなあと思つて、夜の歸り道に眼鏡をはずして月を見ると、なるほど別れて見えるのだ。近視でもあるので、いままで氣づかなかつたのだが、かういふこともあるのだなあ。ただ、その正剛さん(松岡?)のは「健常者は疵を羨むものだ」といふのに還元できなくなささうでもない。
ところで、光源をみてゐるとフレアを發してゐるやうに見えるだとか、そのフレアが下に向つて伸びる、だとかいふのは、〈普通〉ではないのだらうか。寢る前に布團に横になつて螢光燈を眺めながら遊んでゐた記憶があるのだけれど。
22:46
大日本スクリーンの『タイポグラフィの世界』で最後まで出澁つてゐた連載が始まつた。タイポグラフィとは何ぞやなどといふのはいつまで經つても曖昧である、とか、明朝體を中國人は嫌ふといふのはそんなでもないのではないかとかはあるものの、それはさておき。
長い文章の一番最後、奥付に相当しようかといふ部分に。
※本稿の図版収録に際して、以下の方々の著作権者にご連絡がとれませんでした。
お心当たりの方は、恐れ入りますが、sent-info(略)screen.co.jpまでご連絡くださいますようお願い申し上げます。
稲葉小千/和田斐太/矢島周一/藤原太一/清水音羽/本松呉波浪
これもか!(謎)
18:19
風があるのとないのとでは感じる寒さがだいぶ違ふ。冬休みに入つて學校に置いてゐた荷物を持歸る生徒や兒童のなかをフードまで被つて歩く。
部活動の先輩より學業成就の御守りを頂く。鎌倉の八幡さま。北野の天滿宮のを去年もらつたのを著けてゐたので、氣にしたら、「神樣喧嘩しない」などと云はれる。
17:19
手品を見てゐて、タネを變だなあと思ひながらそれだけで濟まして何事もなく引掛けられる……といふのが日常茶飯事なのはどうにもならないのだらうか。寢てるんだらうか。例の本番でやらかしたら洒落にならんやうな。なるやうな正解率をあげればよいのかな。それならもつと上いけとどやされさうだな。まいいや。
21:45
所謂オフラインな人たちには、やはり紙に刷つて出すので、その年賀状を印刷したら上下を逆さまでやつてしまつた。といふのも一番上のだけ正しい向きで、その下が全部逆向きになつてゐたことに全然氣づかなかつたためなのだが……。ううむ。メイルならばこんなことは起らないにな。
14:21
バスカヴィルの事蹟を調べてゐて思つたのだけれども、書體に名前がつくやうになつたのはどれごろからなのだらう。つまり、青山進行堂が南海堂行書などと銘打つて賣り出すやうなことを、世界的に、といふことは歐洲になるのだらうが、初めてやつたのは誰なのだらうか。バスカヴィルにしろ――彼がフルニエやディドー、フランクリンなどと同時代の人間だと初めて知つたのだが――、それより前のギャラモンにしろ、そんなことはしなかつた筈である。築地や秀英もさうであつた。やはり、ベントンやそれに類する機械の導入が契機なのだらうか。少なくとも活字の末期には始まつてゐたのに違ひない。Universだとか、 Helveticaは活字起源なのであるからして。
22:08
かあ。はてふむふん。
それは兔も角、この前讀んだ、フェルマーの最終定理で、オイラーだつたか、〈數學はあんなにいい業績を殘したのに神學なんて莫迦なことをして〉といふ趣旨の文章があつたのだが、佛陀が説くとほり、因果は解きがたいものなので、あたかも神學なしの彼があつたかのやうな口吻はよしたはうがよいやうに思はれる。
21:26
いまの私の目からすると、バスカヴィルが偉大であつたのは、がたがたの字の竝びとあまり綺麗でない紙、みつちりと竝べられた活字のインクの乘りの惡いのを一遍に改めてしまつた點である。活字は……彼自身が組めばいい仕上がりにならうが、私はさう好きではない、と感じる。の16cのパリに入つてゐるオールド・ローマンは、ギャラモンの手が加はつてゐるかはわからないが、(がたがたもしてゐないし)大變美しい[1]。ただ、一般的な水準はこんなだつたらう[2], [3]。一方、バスカヴィルの本文書体[3]はぐつと文字が大きくなり、たしかに讀みやすくなつてゐるし、これはTrasitionalであるな、と思ふが、Old Romanの少し締まつたのには劣るやうに思はれる。
22:44
2親等の親族で、今朝方。なので、紙の年始挨拶はとうに送つてしまひましたが、電子のはうはできません。御諒解ください(缺禮の挨拶を作る時間があるかわかりませんが、それはまた後に)。
08:06
いつまでかかるかわからなかつたもので某所で年内はゐないと書きましたが葬式を濟ましてけふ歸りました。2親等はやはり變なので祖母と書き直すのですが、それでも、死人はわがままだと思ふのです。
18:44
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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