中學だか小學校だかで國語の教科書(教育出版、だつたと思ふ)にあつたへルマン・ヘッセの珍しい蝶の標本を巡る二人の少年の片方の囘顧録を讀まされたのだが、そのせゐで、ヘッセがどうも好きになれない。
たしか、その片方がその事件があつた年くらゐの自分の子供に面つて囘顧する形式だつたのだが、〈普通〉の少年で、蝶を集めるのが好きだつた彼が、學校の同級の金持ちの子の持つてゐる珍しい蝶の標本の噂を聞きつけてぜひとも見せて欲しいと拜んで見せてもらつた。さてここが核心であるのに記憶が曖昧なのであるが、その金持ちの子息がゐなくなつたときに、欲しさに負けてその蝶をくすねてしまひ、後で後悔して戻さうとしたのか、或は單に觸つただけか。いづれにせよ、蝶の標本は崩れてしまひ、それを見つけた金持ちの子息に厭味たらしく云はれてその少年はすつかり後悔して自分の標本を全部つぶしてしまつた。
かうしてつぶさに振り返ると自信がなくなるが、そのときはたしかに、少年が一人自身がすべて惡いやうに思つて潰したのだと思ひ、金持ちの子の〈見せびらかし〉にいくらかは相殺されようよと思つたのだつた。でも、やはり、潰す必要があるとか潰す形で責任を取らうとするのとかには違和がある。潰したのは、吉都彼が蝶をほんたうには好いてゐなかつたからなのではなからうか。
19:11
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
DiaryMaker1.02b
Script written by れん©
Mail me for annul@karpan.net
annulをkzhrに@の後ろにmail.をつけてください。
著作權で保護されてゐる著作物は著作權者の許可なく、私的な範圍を超えた複製をしてはなりません。
Copyright some right reserved.
この日記のKzhrの作品については、
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(by-sa 日本)
の下でライセンスされています。