Diary/ + PCC + — HIMAJIN NI AI WO. Love Idle

2007年10月1日(月)

判然しない

アラビア語の受講をとりやめて、後期から受ける気まづさに5限を新規受入れ・新刊チェックにつひやし、宴會のまうしこみを忘れたのはすべて生活が晝型にかはつたせゐです。次週は公休日……。

18:07

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2007年10月2日(火)

體調不良

2週間ほどまへから咳がとまらないのをいままで放つておいたのだけれど、藥を飮んでも抑制されるだけで改善にはいたらないので、あきらめて病院に行くことにする。

明日は夏期休業中に借りてゐた本の返却期限。半分は今日返したが、殘りは明日に。

美濃部重克校注『閑居友』三弥井書店、中世の文学、1979.5。
を借りる。解題がたいへん詳しく、まだ1時までに寐られない生活パタンに堪える。今日も就寢は3時をまはつた。
土井忠生『吉利支丹語學の研究』靖文社、1942.9。
が日本書房で2000圓を切つてゐたので註文する。値段からいつて状態が異常に惡いとかでもかまはない、ことにする(土井のキリシタン關係書目が5000圓を切るだけで異常である)。

23:55

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2007年10月3日(水)

マスゴミの社會學

詩語としてマスゴミがでてくるとすれば、確實に、「我ら大量のゴミども」であらうが、googleでマスゴミとマス・コミュニケーションを同時に檢索しても、マスゴミはマスコミの誤りと聞かれもせずに檢索結果の操作がなされてゐるので、マスゴミといふ語が結局どんななのか社會學的に研究したものを見つけるにはどうしたものか。

23:55

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2007年10月4日(木)

病人2日目

處方箋の藥は飮み忘れないやう氣をつけるのはいいものの、咳が止まらないのは氣のせゐだらうか。

白川静『白川静漢字暦2008』平凡社、2007.10。
とどく。
西尾実校注『徒然草』岩波書店、岩波文庫、1928.12。1965.8。
かふ。
大岡昇平『レイテ戦記』中央公論社、1971.9。
頂戴する。

23:55

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2007年10月5日(金)

名詞よりは簡單かなあ

ラテン語課題: 來週までに不定詞から現在形のかたちをすべていへるやうにせよ。

amâre: amô, amâs, amat, amâmus, amâtis, amant
monêre: moneô, monês, monet, monêmus, monêtis, monent
emere: emô, emis, emit, emimus, emitis, emunt
audîre: audiô, audîs, audit, audîmus, audîtis, audiunt
capere: capiô, capis, capit, capimus, capitis, capiunt

土井忠生『吉利支丹語學の研究』靖文社、1942.2。
とどく。完備本でなにゆゑ1800圓にまで値が下がつたのか計りかねる。箱だけでなく目録や愛讀者葉書まで完備。神田丸善の昭和17年3月4日づけの、「著者:土井忠臣・册數:5/書名:吉利支丹語斈の研究/版元:靖文社・賣價:\4.70」(忠臣!)とある註文票らしきものまで挾まつてゐる。

23:55

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2007年10月6日(土)

病人3日目

さすがに2週間つづいただけあつて咳はなかなか收らず、迷惑を避けて知人コンサートには行かなかつた。病院の時間もあつたので……。

古文版ウィキペディアの設立を目指す方々の書いた古文の添削。しかし、30點を50點にしたくらゐの氣もしないではない。

23:55

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2007年10月7日(日)

官報の書體と小書きの「つ」

なんでよりによつて平成明朝を印刷局は使つてゐるのだらうか。リュウミンが好きなのでもないけれど……。松岡農林水産大臣柳澤厚生勞働大臣など懷かしい名前のならぶこの一年ばかりの官報をみる。法律家のためにIME開發會社がつを小書きにしないオプションを設けたと聞いたことはないけれど、たしかに小書きの「つ」も法律に進出してゐるのをみた。でも平成の小書きつて小書きかどうか確信が持ちにくい。

准教授が準教授でないのは、准將その他に倣つたからとか。準じるの意味としては、准は準の俗字であるさうである(新字源による)。

古文版ウィキペディアに文語版ウィキペディアが對抗意識を持つてゐるらしい。どちらもまだテスト中だしどちらにもまともに書ける人はゐないのだから、なかよく文法や文體の勉強などすればいいのに。形式に拘泥して執筆を躊躇することなかるべし。何ぞ誤謬あらば何人か訂さむ。恐るべからず。といさましく書きつけるのはよいが、やる氣があればなんでもできる、のかな。そんなものなのかな。

23:55

  • 法令の「や・ゆ・よ・つ」の小書きですが、昭和63年7月25日内閣法制局長官総務室發、各省廳宛通知「法令における拗音及び促音に用いる「や・ゆ・よ・つ」の表記について」で、昭和63年12月の通常國會および昭和64年1月以降の閣議に提出する法令に於てこれらの文字を小書きすることとなつたものです。 (nnhさん) 07 10/8 13:56
  • (コメントが長いと怒られた……)この時期にしたことに他意はないと思ひますが、偶然にも「平成以降」と云ふことになりました。 (nnhさん) 07 10/8 13:57
  • ご教示ありがたうございます。平成の小書きといふのは、念のために附言いたしますと、平成明朝の小書きかなといふことです。 (kzhrさん) 07 10/9 0:50
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2007年10月8日(月)

盗用

建築基準法の改正部分をみてゐたら、自己の利益のために使用を盗用に改めた部分があつた。Are they equal?

本屋でふらふらしていく。『名探偵コナン』最新刊は18日、と。フランス・ドルヌ+小林康夫『日本語の森を歩いて フランス語から見た日本語学』(講談社、講談社現代新書1800、2005.8)を買つた。芹生公男『現代語から古語を引く辞典』(三省堂、2007.4)は見あたらず。小島義郎ほか編『ルミナス和英辞典』(研究社、2005.10)は迷つたけれど買ふにしても大学生協でといふことで見送る。P.D.ジェイムズ『人類の子供たち』(早川書房、ハヤカワミステリ文庫、1999.7)が、内容はおそらくそのままで、映畫にあはせて書名が改められてゐた。しかたないんだらうか。さういへば、教科書を買はないと。

23:55

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2007年10月9日(火)

副業ばかり

折角火曜日も休みだつたのに、副業にいそしみすぎてほとんどなにもしてゐません。明日はまた病院に行きます。

23:55

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2007年10月10日(水)

病状

たんなる風邪よりずつと進行してゐたことが判明。いはく、「肺炎になつてなくてよかつた」。ううむ。

なので、生活を病人モードにしないといけないのですが、あまりさういふ實感がない。

23:55

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2007年10月11日(木)

かきもの

見たい資料のリストはたまる一方なものの、ぜんぜん消費してゐないので増える一方である。かきものもアイディアをためてゐるだけ。そろそろをりをみたいものだが。

購入物。
松浦理英子『ナチュラル・ウーマン』河出書房新社、河出文庫、1991.10。おそろしめといふのか。
全国大学国語国文学会監修『日本文学研究書目解題』三省堂、『講座日本文学』別巻、1971.9。臼井吉見『近代文学論争』について気になつた。
齋藤茂吉校訂『新訂金槐和歌集』岩波書店、岩波文庫492-493、1929.4。増補新版、1932.6。
穎原退藏・能勢朝次譯注『奧の細道附現代語譯』角川書店、角川文庫426、1952.8。東日本印刷とかいふ聞き慣れない印刷會社で、書體も多少珍しい。

Has Wikipedia Peaked?なる記事をスラドで發見する。細部はみてゐないものの、自然と人があつまつてくる段階はおはつたか、あつまつてくるにせよ、以前とは異なる人の種類がかはる段階ではあるのだらう。

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2007年10月12日(金)

習得言語としての文語

道ばたで話し込んでゐる知らないひとが、何語で話し込んでゐようともそれは自由である。だが、そのなかでつかふ言語について、その言語から完全に自由であることはありえない。

以上の前提に立つて、古文版ウィキペディアの現實的な問題點を考へれば、文語を習得言語として通用せしめる優秀な教師の不在である。ならば、研究會でも設けて研究訓練するばかりであるが、文體・文法は假名文にしたがふことにしていいとしても、語の問題は厄介である。文法は訓練さへすればどうにかなるが、語や文體については時代的變遷やセンスの問題が含まれてくる。たとへば、あらたしとさいつごろがひとつのテキストに兩方とも登場することは考へられない。また、いくら傳はるといつても、たべるべからずなどといふのは、センスがない。これをおしへるのは、可能なんだらうか?(可能なら教へてほしい)どこまで外來語を排してしまふのか、だれにもわからない。辭書をつくるのであれば、用例が完全なのがよい――現代語譯と、いつの時代のことばかも添へて。まとまるわけもないのでこれまで。

一週間ぶりに學校にいく。船をこいでしまつた。

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2007年10月13日(土)

冷え込み

とんと冷え込んで、うつかり症状を惡化させてしまひさうである。

閑居友上20について考へてみる。てんで面白くないのだが、それがおもしろくないので、考へてゐる。

23:55

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2007年10月14日(日)

くの字點

閑居友の翻刻でくの字點が入り用なので以前つくつたデータを掘り出す。掘り出したのはいいものの、設計が甘すぎるので全面的に手を入れたらぐつたりした。集中しすぎ?

イワタ明朝體オールドが活字時代のデータをつかつてゐれば私がつくる必要はないのだが……。

23:55

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2007年10月15日(月)

卒業計畫

・自由選擇にまはせるやうな單位の餘剩がないことにいまごろ氣がついた。しかし、今學期は普遍をひとつも登録してゐない。來年度と再來年度で10單位程度。
・學部共通があつかひにくい。
・あとはゼミ・專門科目を巧く按排して卒論が書ければ……(どうして最低單位數で卒業しようとするのだ)。

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2007年10月16日(火)

國學と國語學と日本語學

「國語學」の名稱を排し「日本語學」を是とするひとびとが、意圖的に國學の言語研究の成果を無視してゐると仰つてゐたとき、とたとへば小松英雄とかが頭におありであつたのだらうか。

23:55

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2007年10月18日(木)

いとあわただしき

昨日はゆふべから閑居友上20擔當分の通釋を書き、けふはもちあはせて一つにした。通釋といふかたちにすると、ないがしろにしがちな、要するに讀み飛ばしがちな文法的なことどもをもゆるがせにできないので讀解には缺かせないのであるが、それでも破格などで惱まされもする。

圖書館で
円満字二郎『昭和を騒がせた漢字たち 当用漢字の事件簿』歴史文化ライブラリー241、吉川弘文館、2007.11。
を借りる。言語計畫史としては隙だらけだが、當用漢字の受容史、つまりWWII後の漢字の言語生活史としてはおもしろく書けてゐる。「朕踐祚ノ初幼冲ニシテ……」(三條實美ヲ正一位ニ敍スル敕語)的言語からの解放から、禁忌としての表外字とそれによる自己抑壓への轉換などが描かれてをり、小池和夫氏の近著『異体字の世界 旧字・俗字・略字の漢字百科』(河出文庫、河出書房、2007.7)と、あとなにか――安田敏朗でも持ち出すべきなのか――があれば、漢字については鳥瞰できよう。

荻上チキ『ウェブ炎上 ネット群衆の暴走と可能性』ちくま新書683、筑摩書房、2007.10。
青山剛昌『名探偵コナン』59巻、小学館、2007.10。
大岡昇平『成城だより』文藝春秋、1981.3。
特輯『近代文学現代文学論文・レポート作成必携』、『別冊國文學』51、1998.7。
を買ふ。荻上氏近影と名字のよみかたを初めてたしかめる。丹念な議論で結論にも花がなくすぐれて教養的。いはゆる血肉とすべきやうな提起である。大岡のものはすばらしいのひとこと。P.D.ジェイムズに觸れられてゐて、お、とおもふ。別冊國文學は、古本屋に落ちてゐたのでなんとなく。

23:55

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2007年10月19日(金)

眠い目

眠い目、といふより、なんどもこつくりとしながら讀む。一囘は「あれ、いま自分は寢てゐるのではないか」と氣づいて目が覺めた。

四分律なんど讀んでゐる。單なる思ひつきかもしれないので、あまりかかづらふべきことではないのかもしれない。

23:55

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2007年10月20日(土)

をかしきことども

つねにはものなどかきとめたることもなけれども、こころのはしにかかりたるわづかなふみをばかきおきぬ。

死んだ兵士の霊を慰めるためには、多分遺族の涙もウォー・レクイエムも十分ではない。

家畜のように死ぬ者のために、どんな弔いの鐘がある?
大砲の化物じみた怒りだけだ。
どもりのライフルの早口のお喋りだけが、
おお急ぎでお祈りを唱えてくれるだろう。

そして,あらためて抄物の定義からはじまり,抄物という資料がどこまで拡がりをもち,それらがどのような資料的性格を持つのか,といった作業の厖大な集積が,柳田征司氏によって『室町時代語資料としての抄物の研究』(武蔵野書院,1998年)という形で示された。ここにおいて,抄物研究の歩みにおける第三期(引用者註、1980年代から)は終わったと見てよいだろう。

すなわち,21世紀に入り,抄物研究は文字どおり新しい時代に入った。というよりは新しい時代に入るべきである,と言った方がよいかもしれない。……

……本書にはそのような内容(引用者註、資料論)は存在しないのであって,この点にまず,本書の「時代性」を見てとることができる。すなわち,その資料的価値は「周知の事実」として,いわば「安心して」言語研究そのものへと向かうことができるようになったといえよう。

23:55

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2007年10月21日(日)

どちりいなきりしたん翻刻草稿(1)

けふ發心集のテキストが家になかつたので(情けなや)、ウェブにないかなと思つたらなかつたのであつた。不便なり。そこでえいやと思つて、私ののちのちの便宜のためにも、どちりいなきりしたんを翻刻するのである(『どちりいなきりしたん(バチカン本)』小島幸枝・亀井孝解説、勉誠社文庫55、勉誠社、1979を底本とする)。手許にないといふ理由により、土井忠生の翻刻は參照しえてゐない。

今囘は序を翻刻するのであるが、讀み進みていくうちに考へがかはるものであるし、コピーペーストが可能なテキストをつくりたいものであるので、凡例はいま定めないことにする。現行の漢字假名にあらためてゐること、再構造化してゐることくらゐは述べておく。また、“」”はページ終りのしるしで、序を第1丁とする現在地點を()に書く。

†どちりいなの序
御主ぜずきりしと御在世の間御弟子達に教へをき玉ふ事の内にとり別教へ玉ふ事は汝等に教へけるごとく一切人間に後生を扶かる道の眞のおきてをひろめよとの御事也是即がく者達の宣ふごとく三の事にきはまる也一には信じ奉るへき事○二にはたのもしくぞんじ奉るへき事○三には身持を以てつとむへき事是也信じ奉るへき事とは†ひいですの善にあたる事也是人間の分別に及はぬ事也是等の事をわきまへずんば後生の道にまよふ事おほかるへし○たのもしくおもふ事とは†ゑすへらんさの善にあたる事也是即きりしたんにでうすより與へ玉ふへしと」(1オ)の御やくそくの事也是等の儀を知らずんばなんぎにあふへき時頼む所なしとおもひて心をうしなふ事もあるへし是又あにまの大なるさはり也○身持を以てつとむへき事とは†かりたあての善にあたる事也是等の事をこゝろえさればでうすの御おきてをそむく事度度あるへしそれによて此三の善にあたる事きりしたんの爲に專なる事也故にがくしやと名を得られたる善人達は是等の儀につゐてあまたの經をかきをき玉ふ者也其内に肝要なる所をゑらびとつてはんにちりばめまよひをてらすかゝみとなすへし然は後生の爲に專なる事をきりしたんにをしへん爲に†こんばにあのつかさより此のちいさき經にそなへ玉ふ」(1ウ)者也名付て†どちりいなきりしたんといふ是即きりしたんの教へといふ心也上下ばんみんにたやすく此むねを知しめんが爲にことばはぞくのみみにちかく儀は天命のそこをきはむる者也○是によてことはりをすみやかにわきまへんが爲に師弟子のもんだうとなしてつらぬる者也されば此†どちりいなは一切のきりしたんの爲にあんしんけつちやうの一道なれば誰しも是をしりわきまへん事專要也 然にをひてはまよひのやみをのがれ眞のひかりにもとつくへし」(2オ)

23:55

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2007年10月22日(月)

痰が切れない

本日は
橋本進吉『傳記・典籍研究』『橋本進吉博士著作集』12卷、岩波書店、1972.5。
出雲路修『古文表現法講義』岩波テキストブックス、岩波書店、2003.9。題頁にあるのはIwanami Textbooksだから叢書名はそのはうがいいのだらうか。
を借りる。出雲路のものは、たのしまうといふことに重點があつてもくろみと外れる。なかで、出雲路が試驗で課した古文で物語を作れといふ問題の答案に、修辭以上の手をくはへてみせてゐるのに、改め方その他についてとくにコメントしないので表現を練達するといふのにはまつたくつかへないであらう(出雲路じたいそこまで達意ではないやうに感じるし)。

發心集4-6を見る。玄賓が大納言の北の方に戀をしてしまひ、それを大納言にうちあけて對面させてもらふも、肉體の不淨を凝らして破戒への道を防いだとのはなし。大乘的執著からの解脱であらうが、玄賓のやうな高徳の僧でさへこの觀法に頼るといふことは注目するに足る。

23:28

  • [URL] 古文版wikipedia (古人さん) 07 11/21 15:18
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2007年10月23日(火)

どちりいなきりしたん翻刻草稿(2)

さて、第2囘。ここでは、錯簡たる目録をただしい位置にして、目録から第一までをすすめる。目録は底本では最後に綴ぢられてゐるが、目録末尾に「第一 どちりいな」とあること、どちりいなの章にはこれがないこと、同内容ローマ字本では目録が序の後ろについてゐることが錯簡とされる理由である。しかし、丁數によれば、序から本文へは數字が連續してをり難點である。なほ、目録のところの版心にはただ「目録」とだけある。

目録

  • 第一 どちりいな
  • 第二 きりしたんのしるしとなる貴きくるすの事
  • 第三 はあてるなうすてるの事
  • 第四 あべまりあの事
  • 第五 さるべれじなの事
  • 第六 けれゑどの事○付○ひいですのあるちいごの事
  • 第七 でうすの御おきての十のまだめんとの事
  • 第八九 御母さんたゑけれじやの御おきての事
  • 第十 七の」もるたる科の事」(目録オ)
  • 第十一 さんたゑけれじやの七のさからめんとの事
  • 第十二 此別きりしたんにあたる肝要の條々

〔入力者云、有ヴィニェット。〕

第一どちりいな」(目録ウ)

きりしたんの御おきては眞實の御教へなればきりしたんになる者は其いはれを聽聞する事肝要也其御おきての事を聞れけるや
†かてきずもを聽聞して道りのひかりを蒙りきりしたんになる者也
分別せられける事はいかん
分別せし事おほき也
其むね悉くいはるゝに及はずたゝ其御分別のほどをしる爲に第一肝要のだいもくを申されよ
一にはなき所より天地をあらせ玉ふ御作者でうすは御一體のみにて在ます也○是即我等が現世後世共にはからひ玉ふ御主也○此御」(三オ)一體をおがみたつとひ奉らずしては後生の御たすけにあづかる事さらになし又此後生の道はきりしたんの御おきてのみにきはまる也それによてきりしたんにならずんば後生を扶事有へからずと分別しぬ
人間の事をば何と分別せられけるぞ
人間は色身斗にあらずはつる事なしなきあにまを持也○此あにまは色身に命を與へたとひ色身は土はいとなると云とも此あにまはをはる事なしたゝ善惡に隨て後生のくらくにあづかる者也
よく分別せられたり†かてきずもの談儀のことはりより別にもきりしたんの知」(三ウ)ずして叶はざる事おほき也
其儀をうけ給ればこそ御教化にあづかりたきとぞんずるなれ
是我等がねがふ所也○まづきりしたんにならるゝ事はいかなる人のしはざとかしれるや
でうすのがらさを以きりしたんになる也
でうすのがらさをもてとは何事ぞや
其儀をこまかに分別せずねがはくは教へたまへかし
でうすのからさを以とは我身父母御作のものゝ力にあらずたゝでうすの†御ぼんだあでと御慈悲と又御主ぜずきりしとの御功力を以きりしたんに成事也」(四オ)
人々きりしたんにならるゝ時は何たる位をうけらるゝぞ
†へんさんの子でうすの御やうし天の御ゆづりをうけ奉る身と成者也其故は†ばうちずもをさづかる人々を此位にあげたまはんとおほしめすによて也
きりしたんにあらざる人はいかん
†ばうちずもをさづからざるによて御やうしとなしたまはず天の御ゆづりをはなし玉ふ者也
きりしたんとは何事ぞや
御主ぜずきりしとの御教へを心中にひいですにうくるのみならずことばを以てもあらはす人也」(四ウ)
何の故にか御あるじぜずきりしとの御教へをひいですにうけことばを以てあらはす人とはいはれけるぞ
諸のきりしたん御主†ぜずきりしとの貴き御事を心中にひいですにうけずしてかなはぬのみならず死すると云ともことばにも身持にもあらはすへきとのかくごある事專也
きりしたんと云は何をかたどりたる名ぞや
†きりしとをかたどり奉也
きりしとゝはいかなる御あるじにてましますぞ
實のでうす實の人にて御座ます也」(五オ)
實のでうすにて御座ますとは何事ぞや
萬事叶玉ふでうすはあてれの眞の御ひとりごにてまします也
眞の人にてましますとはいかん
貴きびるぜんだうみなさんたまりあの眞の御ひとりごにてまします也それによてでうすにてまします御所は天にをひて御母を持たまはぬごとく人にてまします御所も地にをひては御父を持たまはぬ也
何によてかきりしとゝはとなへ奉ぞ
きりしとゝは貴き†をゝれよをぬられ玉ふと云心也そのかみ帝王†させるだうて†ほろへゑた此三樣の人貴きおゝれよをぬられた」(五ウ)まひし也御主ぜずきりしと人にて御座ます御所は帝王の中の帝王させるだうての中のさせるだうてほろへゑたの中のほろへゑたにてましますによてくだんのゝれよのかはりにすひりつさんとのがらさをみちみちて持玉ふによてへあとと唱へ奉也

01:09

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どちりいなきりしたん翻刻草稿(3)

第3囘。第2を收める。初囘に土井忠生の翻刻があるとしたのはあやまりで、大塚光信・海老澤有道校註本文が『日本思想體系』の「キリシタン書・排耶書」に收められてゐる。むかうのは讀みやすくしてあるので、本翻刻のやうに覺え書きのやうなのではない。よみ・對校・解釋などは同書を據るのがよいであらう。弟を弟と第とに意味で書きわけてゐることについてであるが、うつかりしてしまつたので、草稿のあひだはこれでとほす。第と弟とは通用してゐたとみてゐてよいので、ふつうの校訂であればかき分けられるところであらう。さらにいふ、第2囘において教化としたところは原文教他とあやまるのを見過ごしたものである(山口忠男「初期キリシタン版の國字大字本について 「ばうちずもの授けやう」の印刷面を中心として」『ビブリア』98 (1992)。同論文の漢字假名印字見本にほとんどの難讀部分で頼りにしてゐることをあかしておく)。

第二きりしたんのしるしとなる貴きくるすの事

いづれのきりしたんも我等がひかりなる御主ぜずきりしとの貴き御くるすに對奉て心の及ほど信心を持へき事專也其」(六オ)故は我等を科よりのがしたまはん爲にかのくるすにかゝりたくおほしめし玉ふ者也其によて我等が上にくるすのしるしをつねにとなゆる事肝要也○くるすのもんは三所に唱る也○一にはひたい○二には口○三にはむね也
きりしたんのしるしとは何事ぞや
右に云しごとく貴き御くるす也
其故いかん
我等が御主ぜずきりしとくるすの上にて我等をげだつし玉ふによて也
げだつとは何事ぞや
じゆうの身となる事也
なにたる人がじゆうに成ぞ」(六ウ)
とらはれ人すでにやつこの身と成たる者がじゆうに成る也
さては我等はとらはれ人と成たる身か
中々とらはれたるやつこ也
何たる者のやつこになりたるや
天狗と我等が科のやつこ也○御主の御ことばに科をゝかす者はてんまのやつこ也と宣ふよし見えたり故にいかんとなれば人もるたる科をゝかせば天狗即其者を進退するが故にやつこと成ける者也然にくるすにかゝたまふ道を以てさだめ玉ふがらさを以て其人の諸の」(七オ)科をのがしはなし玉ふによて其くるすの御功力を以て御主ぜずきりしとてんまのやつことなりたる所をうけかへし玉ふと申也されば人のやつことなりたる者をうけかへしてげだつじゆうになす事は眞に深き忍也なを又やつこなりし時の主人なさけなくあたりたるほどうけかへされたる忍も深き者也然に我等が御主ぜずきりしと天狗の手より科人をがらさを以てとりかへし玉ふ事じゆうになし玉ふ御忍の深き事いくそばくの事ならんや
きりしたんはくるすをいくさまにとなゆるぞ
二樣に唱る也○一には†へるしなると云○二」(七ウ)には†へんぜると云也
†へるしなるとは何事ぞや
右の大ゆびにてくるすのもんをひたいと口とむねにとなゆる也
其三のもんを唱る時は何たる事を申上ぞ
†へるしいぬんさんてくるしすでいにみしすなふすちりすりへらなふすでうすなふすてる○このことばの心は我等がでうすさんたくるすの御しるしを以て我等がてきをのがしたまへと云心也†へるしいぬんさんてくるしすの一句を唱へてひたいにくるすをむすふ也†でいにみしずなふすちりすの一句には口にくるすを唱る也りへらなふすでうすなふずてるの一句にはむねにく」(八オ)るすをとなゆる也
ひたいと口とむねと此三所にくるすを唱る事は何たるしさいぞや
ひたいに唱る事でうすよりまうねんをのけたまはん爲也口に唱る事は惡にまうごを口よりのがしたまはん爲也又むねに唱る事は心よりいづる惡き所作をのがしたまはん爲也てんまはくるすほとおそれ奉る事なし其故はすひりつなればたうけんむじゆんもかれにもちゆる道なし然れ共御主ぜずきりしとくるすの上にて死玉ふを以てかれらをばからめをきたまひ人をじようになしたまへばかれにちがづかんとする者より別に」(八ウ)あたをなす事叶はぬやう□□〔入力者云、二字不能讀。或申し歟。〕玉ふによて大きにくるすををそれ奉也○たとへをもて是を云ばつながれたるとらおほかめは彼らがそばによる者にのみくいつくがごとく御主ぜずきりしとくるすの上にをひて天狗をからめたまひてより後は科を以て天狗のそばによる者にのみあたをなすなり何れのもるたる科なりともをかす時は天狗のそばにたちより科をすてんとする時天狗のそばよりしりぞく也此等の事皆くるすにて死玉ふ御主ぜずきりしとの御功力を以て出來たると天狗はよく知たるによて大きにくるすををそるゝ也さんぜらうにもの宣はくいぬはう」(九オ)たれたるつえを見てをそれてにくるごとく也とさんげれがうりよ或じゆでよに付て宣ふは其れひいですをも持ずくるすをももちひずかへつてないがしろにするといへども或時あまたの天狗むらがりたる所にいり大きにそれあたをなされじが爲にかねてより身の上にくるすのもんをとなへければ天狗即あたをなさんとすれどもついにかなはざりしと也然ばひいてすを對せざる者さへくるすを唱て天狗をにがしけるによききりしたんの唱へ奉らばいかゝ有べきや
へるしいなると云唱へは聽聞せり†べんぜると云唱へやうを教へたまへ」(九ウ)
右の手を以てひたいよりむねまで左のかたより右のかたまてくるすのもんを唱ゆる也口にて唱るもんは†いんなうみねはあちりすゑつひいりいゑつすひりつさんちあめん○此心はでうすはあてれひいりよゑすひりつさんとの御名を以てと申心也†いんなうみねはあちりすと唱時は手をひたいにさし†ゑつひいりよと申時は手をむねをさし†ゑつすひりつすと云時は左のかたさんちと云時は右のかたに手をやる也
彼べんせるの唱は何の爲ぞ
我等を御うつしに作玉ふでうすはあてれひいりよすひりつさんと三のへるさうな御一體のでうすをあらはし申奉爲也」(十オ)
其外に別のしさい有や
御くるすにて我等をすくひ玉ふ事をあらはし申爲也
其しるしをばいかなる時に唱べきや
よろづの事を初る時となんぎにあふ時中にもねさまおきさま我かやどよりいて或はゑけれじやへいる時又はくい物のみ物の時唱也
其しるしを度々に唱事は何事ぞ
でうす我等をてきの手よりのがしたまはん爲なれば何時も何たる所にても唱也
所作を初時唱事は何たるしさいぞや
其所作を我等がてきよりさまたげらるま」(十ウ)じき爲又其所作はでうすのくろうりやと成奉爲也
我等がてきとは何たる物ぞ
世界 天狗 色身これ也
此三の事をなにしに人間のてきとは云ぞや
てきとはあにまにしきりに科をかさする事かなはねども惡をすゝめ又其道にひきかたふくる事かなふによて也
彼三樣のてきよりおこすてんたさんをでうすやめたまはぬ事はいかん
それとてきたいでうすの御合力を以てりうんをひらき又其りうんの御くはんじやうを與へたまはん爲也」(十一オ)
天狗は何と樣にてんたさんをすゝむるぞ
心にあくねんをおこし又科におつるたよりとなるべき事を其まへにをくもの也
其あくねんをば何と樣にふせくべきぞ
其道はおほき也中にも三あり○一にはあくねんおこる時ぜんねんにひきかゆる事○二にはむねにくるすのもんを唱事○三にはばうちずものみづをかしらにそゝく事是也
惡のたよりとなるちなみを何とふせくべきぞ
一にはちなみをにくる事○二にはおら」(十一ウ)しよする事○三にはよきいけんを聞こと是也
世界をてきと云は世間は我等が爲には何たる物ぞ
世間にする惡行惡事又惡人を名付て世間と云ぞ
世間は何と樣にてんたさんをすゝむるぞ
右に申せし惡行惡事と又は惡人の惡きざうたん以下をおもひいださする者也
此等の儀をふせく道はいかん
其道はでうすの御おきてと御主ぜずきりしとを初として善人達の御さげうをおもひ出だす事也」(十二オ)
にくしんをてきと云は何事ぞ
うけつゝく物の科によて惡き生得の此色身を云也其上みづからをかしたる科によてあしきくせのじうまんしたる所をさしてかく名付也
此色身は何とてんたさんをすゝむるぞ
身にある惡き生得と惡きくせを以て科にかたふくる者也
其惡き生得とあくへきは何事ぞ
心中におこるみだりなるのぞみ也是即心をくらまして惡を見知ぬ樣にする者也其と云は身の深きのぞみとたのもしきとあいするとにくむとよろこびとかなしみとをそれといかりなどの事也」(十二ウ)
きりしたんの唱る事は何事ぞや
貴きぜずゝの御名也
其故いかん
ぜずゝとは御扶手てと申心也それによて我等がなんき大事のじせつ御さいどりやく有へき爲にぜずゝの貴き御名を唱へ奉る也かるがゆへにぜずゝのたふとき御名を唱へ聞奉る時深くうやまひ奉るべし

22:54

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2007年10月24日(水)

どちりいなきりしたん翻刻草稿(4)

今囘は第三を收める。二の字點を漢字と假名で々とゝと使ひわけてゐるが、原文ではすべて同じ活字である。一部全角スペースを插入してゐる部分があるが、ジャスティフィケーションのために日本イエズス會版ではかやうなスペースがみられる。その特徴をみるためになるたけ入れた。二の字點をまれにつかはずに同字がつづく場合があるが、これは行がかはつたために使はなかつた部分と同種の活字を插入してゐるところとがある。後者はいまのところ一囘しか出てきてをらず、それは「大きにくるすををそれ奉也」(九オ)である。「を」には同形ながら囘轉してゐる活字があるが、それでもなくまつたく同種のものを使用してゐるやうに見うけられる。文節を跨ぐ二の字點は鎌倉以降あまりつかはれなくなるとされるが、ここではふつうに見られる。前囘山口に隨つてゐるとの由書いたが、白井純「キリシタン版前期國字版本の平假名活字について」石塚晴通教授退職記念會編『日本學・敦煌學・漢文訓讀の新展開』汲古書院、2005年5月、836-843を見ると、いくつか誤りがあるやうなので、斗を計に正す(ただし、白井が比を頃とするのはいただけない)。

○第三†はあてる なうすてるの事

らうまのさんたゑけれじやより教へ玉ふおらしよを教ゆべしつぎに又信じ」(十三オ)奉るべき條々と又つとむべき行儀をもたらすべき也是即はあてるなうすてるあべまりあ さるべれじな けれど十ヶ條。のまためんとすとさんたゑけれじやのまんだめんとすにこもる也此皆ゆるかせなくして一へんに神事つとめ奉るべき也
善惡のしやべつをわきまゆるほどのとしごろなるきりしたんは何事を知て肝要なるぞや
三樣の事也是はでうすへ物をよく頼み奉り又よく信じ奉り又よき所作をなす道を知る事也
でうすに物をよく頼み奉る道を何と」(十三ウ)しるべきや
はあてるのうすてるをもて知るべし
達して 信じ奉るべき 樣をば 何としるべきや
けれどかひいですのあるちいごかをしることなり
行儀をたゝしくつとむる樣をば何としるべきぞ
行儀をよくおさむる道と云はたもつ爲にはでうすの御おきてのまんだめんとゝさんたゑけれじやのまんだめんとをしり又しりぞくべき爲には七のもるたる科を知る事也
たゝしく信じよく頼み奉り又身持を」(十四オ)よくおさむる爲には此三樣の事より外に別の肝要なる儀有りや
中/\肝要なる儀あり是即そうべれなつらるのだうねすとてでうすよりぢきに與へ玉ふ三の善也たゝしく信ずる爲にはひいですよく頼み奉る爲にはゑすへらんさ身持をよくおさむる爲にはかりだあで是也さればよく頼み奉る爲にははあでるなうすてるのおらしよをしる事肝要なる儀なれば今教ゆべし天に御座ます我等が御おや御名をたふとまれたまへ御代來りたまへ天にをひて 御おんたあでの まゝなるごとく地にをひても あらせたまへ我等が日々の御」(十四ウ)やしなひを 今日與へたびたまへ我等よりおひたる人にゆるし申ごとく我等おひ奉る事をゆるしたまへ我等をてんたさんにはなし玉ふ事なかれ我等をけうあくよりのがしたまへあめん
今教へ玉ふ はあてる なうすてるのおらしよは誰人の作り玉ふぞや
かたしけなくも我等が御主ぜずきりしとのぢきに教へ玉ふおらしよ也
何の爲ぞや
おらしよを申べきやうを教へたまはん爲也
おらしよとは何事ぞ
おらしよは我等がねんを天につうじ御主」(十五オ)でうすに申上るのぞみをかなへ玉ふ道はし也
でうすはいづくに御座ますぞや
天地いづくにも御座ます也
はあてるなうすてるを申時いづれのことばにて我等がねんをでうすにつうじ奉るぞや
第一句目の天に御座ます我等が御をやと云ことば也
御主と申さずして御おやと申事は何事ぞや
御おやとよび奉るを以て我等を大切におぼしめす事をおもひ出だしたのもしき心を以てこひ奉る爲也」(十五ウ)
我が御おやとは申さずして何とて我等が御おやとはよび奉るぞ
皆人兄弟にてよき御をやの子なりとおもひとりてたがひに大切におもひあはん爲也
でうすは天に御座ますとは何事ぞや
我等が御をやも我等がたのしひもともに天にありとおもひ出すを以て此世界の事をおもひすつべき爲也
右にはでうすはいづくにも御座ますと教へ給ひて今又天に御座ますとは何事ぞや
でうすはいづくにも御座ますといへどもえらび出し玉ふ善人達にそんたいをぢ」(十六オ)きに見せ給はん爲に天上をさだめ玉ふによてなり
我等がねがひをば何たることばを以てでうすへ申上へきぞ
あひつゝくのこりのことばを以て也
あひのこることばを以ては何事を頼奉るぞ
七ヶ條の儀也
其は何/\ぞ
第一は御名を貴まれたまへと云儀也此心はでうの御名とくらうりあ世界にひろまり給ひ一さい人間の御主でうすと其御子御主ぜずきりしとを見知奉りうやまひ貴び奉る樣にと云心なり」(十六ウ)
第二ヶ條目には何事をこひ奉るぞ
御國來り給へと云心也此心は惡事とざいくわをのがれたゝでうすと御身の御子なるぜずきりしと現世にをひてはがらさ後生にをひてはくらうりあを以て我等を進退したまへと云儀也
第三のこひ奉る事とは何ぞや
天にをひて御おんたあでのまゝなるごとく地にをひてもあらせたまへとの儀也此心は天にをひて諸の†あんじよでうすに隨ひ御おんたあでをつとめらるゝごとく地にをひても一さい人間でうすに隨ひ貴き御おんたでのまゝに仕へ奉れかしと云儀也」(十七オ)
第四のヶ條には何事をこひ奉るべきや
日々の御やしなひを今日もあたへたび給へとの事也此心はあにまの爲に日々の御やしなひをあたへ給へとこひ奉る也是即貴き†ゑうかり すちあの さからめんとゝがらさ善すびりつあるどんゑすなどの事也又色身のそくさいと命をつくべき爲にいるほどの事をあたへたまへとこひ奉る儀也
第五のヶ條には何事をこひ奉るべきぞ
我等よりおひたる人にゆるし申ごとく我等おひ奉る事をゆるし給へと此心は我に對して人よりかけらるゝちじよく又はくはんたい以下をゆるすごと我く等がでう」(十七ウ)すに對し奉りておかすとがあやまりをゆるし給へと頼み奉る儀也
それならば†ぼろしもに對して持所のいこんをすてずんばわれらが科をゆるさるゝ事有まじきや
中/\其分なり御あるじぜずきりしと宣ふはわがぼろしもに罰してのいこんをすてずんば天に御座ますわが御をや其人の科をゆるし給ふ事有べからずと
然らば人よりかけらるゝちじよくをゆるさゝる者は此貴き御ことばを申時われにかけらるゝ ちじよくを ゆるさぬごとくわれらが 科をもゆるし玉ふべからずと申心なるによて此おらしよを申事叶」(十八オ)まじきや
其儀にあらずわが†ぼろしものちじよくをゆるさぬほとのけんどんなる人なりと云とも此おらしよを申事專要也其故は此おらしよを以て人に對しての いこんをすつる爲の御かうりよくなるがらさをこひ奉るによて也其上†さんたゑけれじやの御子と申奉る善人達人よりかけたるちじよくをゆるし玉ふことくわれらが科をゆるしたまへと申心なれば右のおらしよを申上る事もわが身のあたとなるにはあらず
第六ヶ條には何事をこひ奉るぞ
てんたさんにさしはなしたまはざれ」(十八ウ)と云事也 此心は此世界にをひててんたさんにせめらるゝともそれにまけぬやうにでうすのがらさを頼み奉る心也
第七ヶ條には何事をこひ奉るべきぞ
けうあくをのがし給へと 云事也此心はあにまのあたとなる科と色身のわざはひをのがし給へと云心也
はあてるなうすてるにまさりたるおらしよあるや
是にまさりたるおらしよは別になし是さいじやうのおらしよ也
其故いかん
でうすに こひ奉るべき ほどの肝要なるなる條々を此おらしよにこめ給ひて御主ぜずき」(十九オ)りしと御弟子達に教へ玉ふおらしよなればなり

17:10

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2007年10月25日(木)

どちりいなきりしたん翻刻草稿(5)

今囘は第四を收める。清濁の認定であるが、清濁で字の形が大きく異なるものと濁點つきの字が先にあつてそれから濁點を削つて清音の用に供した活字が知られてゐる。この製法については詳しく知られてゐないが、この場合清音の活字を使つてゐながら、或は濁音の活字を使つてゐながら、本翻刻では逆にしてしまふといふことが考へられる。試みに二十二オ11行目の「か」について述べる。ここで用ゐられてゐる「か」は字母は「加」で、ほとんど同形の「が」がある(同じページの3行目にもある)。また「求めん」に續く以上、「が」が續くのが自然であるのを、なぜ清音と認定したかといへば、寄引き(活字の印字面の枠の中での印字部分のある位置)が「が」とは異なつてゐたからである。この寄引きといふのは微妙で、前々囘に述べた山口論文で指摘されてゐる傾斜活字を生みだす原因となつた嚴密でない母型製造であるが、これは寄引きが母型製造のたびにかはるといふことにも繋がつてゐたやうである。それが證據に、「し」にはいくつか寄引きが異なる同形の活字が存在する。今囘も「が」の寄引きの違ひではないかといふことも十分に考へられるのだが、あまり右に寄つてゐて濁點が入る位置がないやうに判斷されたので、いまのところは、「か」ではないかとしておく。草稿とて再讀・校正を一切してゐないため取り違へは多々あるべしと考へてゐる。

第四あべまりあの事

でうすに對し奉りてのみおらしよを申べきや
其儀にあらず我等が御とりあはせ手にて御座ます諸のへあと中にも惡人の爲になかだちとなり玉ふ御母びるぜんさんたまりあにもおらしよを申也
びるぜんさんたまりあに申上奉るさだまりたるおらしよありや
あべまりあと云おらしよ也たゝいま教ゆ」(十九ウ)べしがらさみち/\玉ふまりあに御れいをなし奉る御主は御身と共に御座ますによにんの中にをひてべねぢいたにてわたらせ玉ふ又御たひなひの御實にて御座ますぜすゝはべねぢいとにて御座ますでうすの御母さんたまりあ今も我等がさいごにも我等惡人の爲に頼みたまへあめん
此おらしよは誰の作り玉ふぞや
さんがびりゑるあんじよ貴きびるぜんまりあに御つげをなし玉ふ時の御ことばとさんたいざべるびるぜんまりあにごんじやうせられたることばに又さんたゑけれじやよのことばをそへ玉ふを」(二十オ)以てあみたて玉ふおらしよ也
御母びるぜんは誰人にて御座ますぞや
でうすの御母の爲にえらび出され給ひ天にをひて諸のあんじよの上にそなへられ給ひ諸善みち/\玉ふこうきうにて御座ます也是によて御子ぜずきりしとの御まへにをひて諸のへあとよりもずくれて御ないせうに叶玉ふ也それによて我等が申上ることはりをおほせ叶へらるゝが故にをの/\きりしたん深くしんかうし奉る也
何によてか御母さんたまりあへ對し奉り百五十友か又は六十三友かのおらしよを申上奉るぞ」(二十ウ)
六十三友のおらしよは御母びるぜんの御年の數に對し奉りて申上る也又百五十友のおらしよは十五のみすてりよとて五ヶ條は御よろこび五ヶ條は御かなしひ今五ヶ條はくらうりやの御ことはりに對して申上奉る也此十五ヶ條のだいもくははんぎにひらきたる一しにあり
あるたるにそなわり玉ふによにんの御すがたは誰にて御座ますぞ
天に御座ます御母びるぜんまりあをおもひ出し奉る爲の御ゑいなればうやまひ奉るべき者也
此びるぜんさんたまりあの御ゑい其しなおほきごとく其御體もあまた御座」(二十一オ)ますや
其儀にあらずたゝ天に御座ます御ひとりのみ也
然らば人々なんぎに及時或は御あはれみの御母或は御かうりよくのなされて或はかなしむ者の御よろこばせてなとゝ樣々によび奉る事は何事ぞや
別のしさいなしたゝ御母の御とりなしでうすの御まへにてよく叶ひ給へば御おはれみの御母にて御座ます上よりしゆゝの御忍を與へ玉ふによてかくのごとくに唱へ奉る也
あべまりあのおらしよをば誰にむかひて申上奉るぞ」(二十一ウ)
貴きたうみなびるぜんまりあにゑかう仕る也
何事をこひ奉るぞもし我等が科の御赦しをこひ奉るか
其儀にあらず
がらさかくらうりあをか
其儀にもあらず
然らば此等の儀をば誰にこひ奉るぞ
御主でうすにこひ奉る也
御母には何事をこひ奉るぞ
此等の事を求めんかために御子にて御座ます御主ぜずきりしとの御まへにて御とりあはせを頼み奉る也」(二十二オ)

12:53

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2007年10月26日(金)

どちりいなきりしたん翻刻草稿(6)

今囘は第五を收める。

○第五ざるべれじいなの事

御母ひるぜん さんたまりあの 御とりあはせを頼奉るおらしよ別に有や
中/\さんたゑけれじやよりもちひ玉ふおらしよはおほき中にもとりはきさるへれじいなと申すおらしよ是第一也今をの/\に教ゆべし○あはれみの御母こうひにてまします御身に御れいをなし奉る一命かんみ我等かゑすへらんさにて御座ます御身へ御れいをなし奉るる人となるゑわの子共御身へさけびをなし奉る このなみだのたにゝてうめきなきて御身にねがひをかけ奉る是によて我等が御とりなして」(二十二オ)あはれみの御眼を我等にみむかはせ給へ又此るらうの後は御たいないの貴き實にて御座ますぜずゝを我等に見せ給へ深き御にうなん深き御あいれんすくれてあまく御座ますびるぜんまりあかな貴きでうすの 御母きりしとの 御やくそくをうけ奉る身となる爲に 頼み給へあめん
此さるべのおらしよをば誰人の教へ玉ふぞや
さんたゑけれじやより教へ玉ふ也
此おらしよを申時は誰人に申ぞや
御母びるぜんさんたまりあに申也
御母より外に別のべあとにも信心を持」(二十三オ)事有や
いづれの べあとにも信心有べき事 專也中にもしゆごのあんじよと我が名に付たる。。べあとに信心を持べき事肝要也
しんがう仕るべあとに對し何たるおらしよを申べきや
さんたゑけれじやより教へ玉ふおらしよあり又はあてるのうすてるあべまりやをも申也
以前ははあてるのうすてるのおらしよをばでうすへ申上奉るとはしめし給はずや
其分也さりながらべあとに對してはあてるなうすてるのおらしよを申事もよき也即其べあとの御功力によてでう」(二十三ウ)す御あはれみをたれ給へと頼み奉る物か或は此おらしよを我等が爲にでうすへさゝげ給へとべあとに申上る事も有也
されば べあとに對して 信心をなし 其御かうりよくを頼み奉る事はいつの時分に然るべきや
それはふだんの事なるべしされ共別てさんた ゑけれじやより べあとのいはひをおこなひ玉ふ時也
さんた ゑけれじや より べあと日をいはひ玉ふ事は何のゆゑそや
あまたのしさいありといへとも中にも五の儀あり一にはべあとをもて此世界にあらわし玉ふ御きどくを見奉りてでうすを」(二十四オ)貴びうやまひ奉る爲也二にはさんたゑけれじやより下男にをひていはひ玉ふべあとへの 御うやまひを 見て天にをひて其くらふりあの大なる事を分別致す爲也三にはべあとの御さげう御善徳をしりて我等と同き人にて御座ませば御かうせきをまなび奉るべき爲也四には信心をおこして御とりあはせを頼奉るべき爲也五には御存生の時御母にてましますさんたゑけれじやに對て死る事をもかへり見給はずかう/\をつくし玉ふ御子なるによて死し玉ふあとをもあがめ給はん爲也」(二十四ウ)

23:02

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2007年10月28日(日)

古本日和

朝から出かけて神保町の散歩。

水道橋から日本書房のワゴンを見て靖國と白山の交差點にある掘り出し市を見に行き、記憶に據ればまづ新村出『南蠻更紗』(1000圓)と片岡彌吉の新書(300圓)を買ふ。靖國通りの九段下の方角はあらかた見て(といひつつ、まつりの地圖を見るとまだその先にもつづいてゐるのだが)小川町のはうへ歩き、富岡多惠子『湖の南』など買ふ(小宮山書店出店にて、600圓)。このあひだ一誠堂で明月と椿説の活字覆刻本を買つてゐるはず。300圓。ほかにも買つてゐるはずだが記憶にない。川瀬一馬の書誌學系入門書(エディタスクールだつたか)などいろいろあきらめた記憶はあるのだけれどなあ。田村の出店で『日葡辭典』(5500圓)を買つたあとは物欲とほのき、また無料配送券をもらつたので餘裕がでてくる。小宮山を中3階までひととほり見たところで荷物が重いのもあり、ワゴン見物を中斷して東京古書會館の稀書展など見に行く。つまらぬ。吉原細見が5桁なのに感心する。ころあひ13時も半ば、日本書房をゆつくり見なかつた後悔もあつて白山の日本書房手前の居酒屋で定食をとる。

食べ終つて日本書房へ行き、名前しか知らなかつた資料をいろいろと見る。物欲うせぬゆゑ眼福にとどめる。青空に戻り一心堂のあたりから駿河臺に前進す。三省堂の向ひあたりのワゴンで『新村出撰集』1卷を買ふ。物欲少し戻る。そのまま行くと宅急便のサーヴィス地點があつて、頼んでしまふ。これでさらに重いものを買へなくなつたり。さらに見ていくとすずらん通りのブックフェスティバルなんどといふのにひつかかる。各社50%引きなどと甚だ大盤振舞ひに見えて賣物にならぬから安くさるるにて、早川なんど知らぬラノベのサイン本を廉價にしけり。三省堂の廉價品ワゴンはなかなかまともとて『全訳漢辞海』(1400圓)を買ふ。全くの新刊なるが、定價の半値なり。日本エディタスクール、一誠堂のワゴンのまへで嘆息すること限りなし。我が財の乏しきを財をちらすによて却つて痛感するなり。このワゴン群もひととほり見きとて竹橋まで歩いて散歩を終り。書誌のくはしきは後日に委ぬべし。

23:55

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2007年10月29日(月)

邦譯日葡にみえる入聲のッの書體はなににかあらむ

今朝はやく荷物が屆いたので、早速開けると、一書買つたことを忘れてゐた書籍があつた。ひととほりの記録:
新村出『南蠻更紗』改造社、1924.12。
片岡弥吉『かくれキリシタン 歴史と民俗』NHKブックス56、日本放送出版協会、1967.6。
『方丈記 発心集』三木紀人校注、新潮日本古典集成、新潮社、1976.10。値札で青木書店700圓といふのがあるけれど、相模原の書店で、さういふところも青空市に出してゐたといふのは知らなかつた。
『雨月物語全 椿説弓張月全』國民文庫刊行會、1909.12。4版、1913.7。
富岡多恵子『湖の南』新潮社、2007.3。
『邦訳日葡辞書』土井忠生・森田武・長南実編譯、岩波書店、1980.5。
新村出『新村出選集』1卷、甲長書林、1943.9。外題及び奧付に「南蠻編乾」との附記あり。戰時下の出版で、本人も帝國の南進政策の露拂ひと述べる。
戸川吉郎監修、佐藤進・濱口富士雄編『漢辞海』2版、三省堂、2006.1。

先週の金曜から
滝浦真人『日本の敬語論 ポライトネス理論からの再検討』大修館書店、2005.6。
を借覽。敬語論の歴史的展開とFTAの復習としてよくまとまつた本であるが、時枝や三上の記述をはじめてまともに讀んだ氣もする。タカマサのきまぐれ時評で山下仁「敬語研究におけるイデオロギー批判」(野呂香代子・山下仁編『「正しさ」への問い 批判的社会言語学の試み』(三元社、2001.3)への言及を缺くのは不當としてある。山下を讀んでゐないのであるが、同氏のウェブサイトを見てゐると、院生にポライトネス理論研究をまとめさせてゐたりするので、本書と強く關係すると考へていいのだらう。菊池康人の言及への批判であるが、結局全否定してゐるわりに美辭が少ないのではないかと思つた。よほど山下で強く批判されてゐたのだらう。いづれにせよ、その人に敬意を示してといふ漠然とした使用基準や人稱のやうな文法的存在ではないことは誰でも學べることであらう。本書の價値はそこではないにしろ(敬語論史は枕であるわけで、イデオローグ性を攻撃するのでもなければ、III章のほうが重要であらうが、こちらは非常に淡白で、結局、枕のはうが長い)。

註釋のまねごと。「昔の世」が前世をいふとあからしむるには?

23:55

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2007年10月30日(火)

便利な世の中

先賢が大卷のなかをあきらめた出典研究が1日かからないでできてしまふ……。

23:55

a(半角)と入れてください。
 
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