今朝はやく荷物が屆いたので、早速開けると、一書買つたことを忘れてゐた書籍があつた。ひととほりの記録:
新村出『南蠻更紗』改造社、1924.12。
片岡弥吉『かくれキリシタン 歴史と民俗』NHKブックス56、日本放送出版協会、1967.6。
『方丈記 発心集』三木紀人校注、新潮日本古典集成、新潮社、1976.10。値札で青木書店700圓といふのがあるけれど、相模原の書店で、さういふところも青空市に出してゐたといふのは知らなかつた。
『雨月物語全 椿説弓張月全』國民文庫刊行會、1909.12。4版、1913.7。
富岡多恵子『湖の南』新潮社、2007.3。
『邦訳日葡辞書』土井忠生・森田武・長南実編譯、岩波書店、1980.5。
新村出『新村出選集』1卷、甲長書林、1943.9。外題及び奧付に「南蠻編乾」との附記あり。戰時下の出版で、本人も帝國の南進政策の露拂ひ
と述べる。
戸川吉郎監修、佐藤進・濱口富士雄編『漢辞海』2版、三省堂、2006.1。
先週の金曜から
滝浦真人『日本の敬語論 ポライトネス理論からの再検討』大修館書店、2005.6。
を借覽。敬語論の歴史的展開とFTAの復習としてよくまとまつた本であるが、時枝や三上の記述をはじめてまともに讀んだ氣もする。タカマサのきまぐれ時評で山下仁「敬語研究におけるイデオロギー批判」(野呂香代子・山下仁編『「正しさ」への問い 批判的社会言語学の試み』(三元社、2001.3)への言及を缺くのは不當としてある。山下を讀んでゐないのであるが、同氏のウェブサイトを見てゐると、院生にポライトネス理論研究をまとめさせてゐたりするので、本書と強く關係すると考へていいのだらう。菊池康人の言及への批判であるが、結局全否定してゐるわりに美辭が少ないのではないかと思つた。よほど山下で強く批判されてゐたのだらう。いづれにせよ、その人に敬意を示してといふ漠然とした使用基準や人稱のやうな文法的存在ではないことは誰でも學べることであらう。本書の價値はそこではないにしろ(敬語論史は枕であるわけで、イデオローグ性を攻撃するのでもなければ、III章のほうが重要であらうが、こちらは非常に淡白で、結局、枕のはうが長い)。
註釋のまねごと。「昔の世」が前世をいふとあからしむるには?
23:55
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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