2007年12月2日(日)
閑居友はそろそろフェードアウトを開始し(まだ後始末があるのだが)、キリシタン學史に頭を戻すためにあれこれ讀んでゐるものの、なんとなく樂しくないのでどうしたものだか。行詰り感なるものか?
23:48
2007年12月3日(月)
西尾光一先生のご述懷。しかし卒論書いたら博くらゐまではその論題はつきまとふのではないのだらうか。
小松一派は機能至上主義だからくだらないんだなと思ひけり。
廢棄寸前といふことで 『月刊言語』20.3 (1991) を入手。
23:50
2007年12月4日(火)
友人と發表の相談のはずがなかば指導に。論文を渡してあつて、問題のある記述がごろごろしてゐるので考へも觸發されてゐるだらうと思ひきや、なにが問題かもわからなかつたといふ。クリティカル・リーディングのまねごとくらゐしてもよかつたのではないかな、文學部の學生なのだから。
どうせ放任といふけれど、相談できないひとがsupervisorといふのは辛すぎよう。そして、「箔」なんてどんぐりの背比べではないのだらうか。ただでさへ博奕をうつには心の臟が小さすぎるのだから、無理は避けたいのである。
昨日到著。 『一冊の本』朝日新聞社、2008年12月1日號。
借用。 福島邦道『天草版平家物語叢録』笠間叢書346、笠間書院、2003.1。書下しと正続続々『キリシタン資料と国語研究』に漏れてゐたものを録したもの。小松が書記史原論で卓見さを評價してほしいと書いてゐたことを全否定してゐて、爽快(怨みでもあるのか)(175-79)。 東京大学教養学部歴史学部会編『史料学入門』Iwanami Textbooks、岩波書店、2006.5。
23:55
2007年12月5日(水)
友人に指摘されてことなかれ願望のつよさを確認してみる。ことあれかしとは、すくなくとも、あやまりと明々白々におもはれないかぎりではおもはない。あやまりとおもつてもことあらしめがたくてのみこむこともあるけれども。
23:55
2007年12月6日(木)
圖書館で本を借りるときは自動貸出機を使ふのですが、はじめて借りだしてそれで滿足して歸つてしまふといふ事態になりました。迂闊すぎる……。
山田孝雄『假名遣の歴史』寶文館、1929.7。1952.8。
迫野虔徳「仮名遣いの発生と展開」、林史典編『文字・書記』、朝倉日本語講座2、2005.4、147-70に感心する。
23:55
2007年12月9日(日)
言語習得裝置Language Acquisition Device: LAD は生成文法理論のかなめだと思ふのだが、言語習得研究からいふかぎりそのやうな裝置は假構しにくいさうで、むしろ比較言語學の理論に移住したらどうなんだらうと夢想したのは、 山梨正明・有馬道子編著『現代言語学の潮流』勁草書房、2003.3。 を讀んだからである。たいへん參考になる章もおほかつたが、わかりにくい章や概説としての展開に問題がある章も多く、また、誤字、組版等に編輯上の努力の抛棄が多々あつたことは記しておきたい。
(活字)書體史研究のみこみをかんがへてゐる。たとへば、日本イエズス會版の日本語文字活字と嵯峨版の日本語文字活字を比較可能か、日本イエズス會版と築地活版の書體は、などと。
23:52
2007年12月10日(月)
讀み落とす自由がない散文なんてつまらない。讀み落とすことがないところを取りあげてゐるのではないあら筋なんて役目を果たしてゐない。かくのごときアンビヴァレンスさを背負つてまで、あら筋を提供とする必要はあるのだらうか?
23:55
2007年12月11日(火)
暖房を效かせすぎなのだらう、三菱東京UFJはとても暑くて、着込んでゐる私は汗をかいてしまつたのだが、二囘目にかいたのはあきらかに冷や汗であつた。
なんとなく抱いてゐた不安が、まさにそのとほりであつたので、困つてゐる。管理はきちんと……。
町田健がなぜか通常期間にくるあふりで次の木金金とこれから5*1.5*15時間ちかく拘束されてしまふ。なんでだらう。13, 14で圖書館が廢棄處分の本を學生に配布するとのことで、それに行きたいのだが。
23:55
2007年12月14日(金)
書かれてしまつたテクストの織り目をなすであらうそのフォントの、テクスチャーとなるまへのその糸はどのやうにつむがれたものか。
ひとつたりとて無駄にできないが踏みつけられることが決定されてゐるその文字の一字一字は。
23:55
2007年12月15日(土)
新村出に數編の研究あり。新村は天草版に憑かれたによつていろいろとものしてゐる。なほ、繪卷物があつたが外國に流れたといふ(「西洋文學翻譯の嚆矢」)。民末漢譯が日本にも入つてきてゐるだらうとのはなしもあるさうである(禁教輸入禁止書目にあるとの由)(「伊曾保物語の漢譯」)。福島邦道『キリシタン資料と国語研究』に天草本と古活字・整版本系との關係についてすこし書いてある。
なほ、伊曾保と同綴の平家の物語の表紙繪には、獅子が描かれてゐるが、しかし畫工に智慧なきゆゑに獅子にならで犬になつてしまつたとのことである。
日本でわかりやすく、といふよりも、禁教下で販賣するためには西洋色の脱色が當然されねばならなかつたが、どのやうな經路を經たのかは想像すらできない。
22:55
2007年12月16日(日)
圖書館の廢棄書囘收(13日): 『岩波書店五十年』岩波書店、1963.11。1964.1。
23:55
2007年12月17日(月)
目録について以前、目録は底本では最後に綴ぢられてゐるが、目録末尾に「第一 どちりいな」とあること、どちりいなの章にはこれがないこと、同内容ローマ字本では目録が序の後ろについてゐること を理由として錯簡があるとした。この結論は變はつてゐないが、攷究を加ふべきぶぶんを見つけたので、備忘程度に書き殘しておかう。
まづ、目録の入力の不備なのであるが、以下の部分が拔けてゐた。第十二とヴィニェットの間に記さるるべき文言である:
以上
左にくるすの下にあるべきことばはらちんの口と心得べし
現存本では最終丁である目録の、最後から2行目にこの文言はあるが、最終行は以前の翻刻にあるやうに、「第一どちりいな」であつて、†はない(ダガーは十字架でないといふのは入力の都合であるので措く)。すなはち、本來は左にいろいろと續いてゐたはずなのであつて、ゆゑにかく置かれたのであるとするのが自然に違ひない。しかし、目録に目を轉ずると、次のやうなことに氣づく:
第八九 御母さんたゑけれじやの御おきての事
これはいかなることなるべしと本文を檢ずれば、第七の次が第九なのである。すなはち、ナンバリングの誤りである。これは目録が先にあつたとすれば不可解なことで、エラトラでもないが、索引をあとから作るやうに目録をあとから作つたと考へるのが、これも、自然ではないかと考へるのである。されば、ヴァティカン圖書館に現存される本を綴ぢるときに後刷なれど先にくべき本丁の順序をあやまつたか、綴ぢおはつたところにあらたに綴ぢたかのいづれかであらう(そして、この場合、あやまりに氣づいてつくりなほしてあらたに綴ぢたこともありうるかとも考へるのである)。原本を見る機會はおそらくないが、原本の綴ぢ方の調査によらずば、かうなつた原因は明らかになるまいと思ふのである。
さて、今囘は、第六をおさめる。「新出」顛倒活字を見いだしたやうであるので報告すると、「まてりあと云事は一るひなれども」といふ語句が途中にあるが、この「一」は顛倒してゐるごとく見える。
中途よりスペースが増えるが、認定がいまだ一貫しないので、これまでより多いとするものではないことを注意せられたい。また、印字されず讀めない箇所は岩波文庫本により推定を補つた。
○第六のけれどならびにひいですのあるちいごの事
弟 右にはやよく物を頼み奉る樣を教へ給へば今は又たしかにしんじ奉る道をしめし給へ
師 けれどゝそれにこもるひいですのあるちいごをしる事也今是を教ゆべしけれどゝは†眞に信じ奉る萬事叶ひ大地を作玉ふでうすはあてれを○又其御ひとり子我等が御主ぜずきりしとを○是即すひりつさんとの御きどくを以てやどされ給ひてびるぜんまりあより生れ玉ふ○ほんしよひらとが下にをひてかしやくをうけこらへく」(二十五オ)るすにかけられ死にたまひて御くはんにおさめられ玉ふ○大地のそこへくだりたまひ三日目によみがへり玉ふ○天に上りたまひ萬事に叶玉ふでうすはあてれの御右にそなはり玉ふ○それより生死の人をたゝしたまはん爲にあまくだり玉ふべし○すひりつさんとかとうりかにて御座ますさんたゑけれじやを眞に信じ奉る○さんとす皆つうようし玉ふ事を○科の御ゆるしを○にくたいよみがへるべき事を○をはりなき君を眞に信じ奉るあめん
弟 たゝ今のけれどゝは何事ぞ
師 ひいですの肝心の條々を信じ奉るとの」(二十五ウ)らはすもん也
弟 けれどは誰人の作玉ふぞや
師 御主ぜずきりしとのあほうすとろ達すひつさんちの御みちびきを以て一所にあつまり給ひて御主ぜずきりしとの御口よりぢきに聞奉られたるむねをつらね玉ふ者也
弟 何の爲につらね玉ふぞ
師 ひいですにうけ奉るべき條々を我等に教玉はん爲也
弟 ひいですとは何事ぞ
師 でうす我等につげしらせ玉ふほどの事をさんた ゑけれじやのしめし玉ふ ごとくけんごに信し奉るやうにでうすきり」(二十六オ)したんのあにまに與へくださるゝなつうらをこへたる御恩のひかり也
弟 でうすつげ玉ふとは何事ぞや
師 さんたゑけれじやより信じ奉れとあらはし玉ふほどのことはり中にもけれどにこもるひいですのあるちいご即それ也
弟 けれどにこもるひいですのあるちいごは何ヶ條ぞ
師 是をつらね玉ふあほうすとろ十二人なるごとく其數も十二ヶ條也又是をつふさにわけて十四のあるちいごすとかぞゆる事もあり七つは†ぢひにだあでの御所に あたり又七つはぜずきりしとの人にて御座ます御所にあたり玉ふ也 然りといへども」(二十六ウ)こゝにはけれどを教ゆるが故に十二ヶ條につもりてあらはすべし第一には天地を御作りなされたる萬事叶玉ふでうすはあてれを信し奉る事 第二其御ひとりご我等が御主ぜずきりしとを信じ奉る事 第三†すひりつさんとの御きどくを以てやどされ給ひびるぜんまりやより生れ玉ふ事第四ほんしよひらとが下にをひてかしやくをうけこらへ玉ひくるすにかけられ死し給ひて御くはんにおさめられ玉ふこと 第五大地のそこに下り給ひ三日目によみがへり玉ふ事第六天に上り給ひ萬事叶玉ふでうすはあてれの御右に そなはり玉ふ事 第七生死の人を たゝしきはめ給」(二十七オ)はん爲に天より下り玉ふべき事 第八すひりつさんとゝかとうりかなるさんたゑけれじやを信じ奉る事 第九さんとす達つうようし玉ふ事 第十科の御赦を信じ奉る事 第十一にくたいのよみがへるべき事 第十二をはりなき一命を信じ奉る事是也
弟 さいしよのあるちいご萬事叶ひ給ひ天地を作玉ふでうすはあてれを信じ奉るとは何たる心ぞ
師 眞のでうすは御一體の外御座まさず是即はあてれひいりよすひりつさんとにて御座ます事ををの/\きりしたんわきまへ信じ奉らで叶はざる事也三のへる」(二十七ウ)さうなにて御座ますといへ共たゝ御一體のでうす也此あるちいごには三の内 第一のへるさうなにて御座ますでうすはあてれの御事をさたし奉る也
弟 でうす三のへるさうなにて御座ましながら御一體なりといへることはりは分別しがたし
師 其はちりんだあでのみすてりよとて我等がひいですのだいもくの内にてはごくいさいじやうのたかきことはり也其故はでうすはむりやうくはうだいに御座まし我等がちゑはわづかにかぎりある事なれば分別にはを□(入力者云よ歟)ばずたとひ分□(入力者云別歟)にを□(入力者云よ歟)ばずと云ともでうすにて御座ます御主」(二十八オ)ぜずきりしとぢきにしめし玉ふ上は眞に信じ奉らずして 叶はざる儀也
弟 此儀を よく 分別するためにたとへはなきや
師 たとへ有我等があにまはたゝ一體にてありながら†めもうりあゑんてんじめんとおんたあで三つのほとんしや有ごとくでうす御一體にて御座ましながらはあてれひいりよすひりつさんと三のへるさうなにて御座ます也
弟 あひのこることば天地の御作りなされてにて御座ますとは何たる事ぞ
師 其ことばの心はでうす萬事叶ひ玉ふによて天地まんざうをなき所より作り出し」(二十八ウ)たまひ御身のくらうりあと我等が徳の爲にそだておさめ玉ふと申心也
弟 御主でうすなき所より萬事をあらせ玉ふと有事を分別せず其故は御作の物は皆御身の御ちゑ御分別より出し玉ふと見ゆる也然るときんばなき所より作り玉ふとはいかん
師 此ふしんをひらく爲に一の心得肝要也それと云はでうすの御分別の内には御作の物は一もなしといへどもそれ/\のしよさうこもり玉ふ也其しよさうを本語に†いであと云也此いであは作の物にあらずたゝでうすと同體也 然るにでうすはまんさうを作り玉ふ時御身の御分別に持玉ふいてあ」(二十九オ)に發して作り玉ふ也 それによて御作の物は御ないせうより出したまふことにはあらず たゝなき所より作り玉ふ也 其故は作りたまはん爲に道くも下地もたねもなくしてたゝあれとおぼしめす計を以て作り玉ふ也 たとへばだいくはいゑをたてんとする時まづ其さしずを我が分別の内に持それに應してそのいゑを作る也されは外につくるいゑは分別の内のさしづにはあらず其ごとくでうす御分別の内に持玉ふ御作の物のいであに應して作り玉ふと云へども御作の物は其いであにはあらずたゝ萬事叶ひ玉ふ御わんりきを以てなき所より作り玉ふ也」(二十九ウ)弟 それはなき所より作り玉ふといふべきにはあらずかへつて御身のそんたいより作玉ふとこそ見えたれ御分別の内に持玉ふさしずより作り給へば也
師 右のことはりを分別有に をひては今のふしんはあきらかにひらくべし其故は右のたとへに申せしごとく だいくは いゑのさしずに應じていゑを作ると云へども外に出來るいゑはだいくの體にはあらず又其だいくもざいもくなくしてあれとおもふ計をもていゑを作る事かなふにをひては眞に其いゑはなき所より作たると云べし其ごとくでうすは作の物を御身のさしずに應じて作玉ふと云へど」(三十オ)も其御作の物はそんたいにはあらず又でうすは†いんひにとゝ申奉りて萬事叶玉ふそんたいにて御座ませば 萬物を作りたまはん爲に下地たね道くなどもいらすして作り玉ふが故に なき所より作り玉ふと云也又御作の物はかぎりある物也故に でうすのそんたいとは天地うんでいのしやへつといひてもなをあまり有
弟 右にははやでうすと御作の物のしやべつをうけたまはりぬ今は作の物いづれもたがひに一體か別體かと云事をあらはしたまへ
師 作の物はいづれも別體也其故はでうすより作り玉ふ時それ/\に應じたるかつかくの」(三十ウ)なつうらを與へ給へば也其證據は作の物にあらはるゝかつかくのせいとく也然にいしはむまうしにあらす他も是にじゆんずしきさうある物は四大よりわがうのものなるによて まてりあと云事は一るひなれども正體はかつかく也其故は作のものはまてりあ計を以て作られずほるまを以て作らるゝ者也それによてまてりあは一るひなりとてもほるまかはる時は正體もまつたくかはる也たとへはおなじ木にてむまもうしも作ると云へどもほるまかはるが故にむまはうしにあらず此等の事をくはしく分別したきとおもふにをひてはかてきずもにのせたる事をよまるべし」(三十一オ)
弟 第二のあるちいご 其御ひとり子我等が御主ぜずきりしとを信じ奉ると申す心はいかん
師 御主ぜずきりしとでうすにて御座ます御所はでうすはあてれと同き御正體御ちゑ 御せひりき一つとしてかはり玉ふ事なき實の御ひとり子にて御座ますと申心也
弟 でうす何とやうに御子を生じ玉ふぞもしいんやうけうくはいの道をもてか
師 でうす御子を生じ玉ふと聞奉る時は人間のわさのやうにいやしくおもふべからずすひりつある御體とてしきさうをはなれ玉ふしやう/\の御體にて御座ませば也」(三十一ウ)でうす御子を生じ玉ふ事はなつらの上なるすひりつあるでうすのくはうだいむへんのゑんてんじめんとを以て生じ玉ふ也 此儀は人間のうすきちへにはをよふ所にあらず
弟 たとへをもて 此儀を せう/\あらはし玉ふ事叶はずや
師 及ばず ながら一つのたとへを云べしかゝみにむかふ時は我がかげのそれにうかふがごとく御主でうすはあてれ御身のなつれざ諸善萬徳共に御身のゑんてんじめんとにむかひ玉ふ時かゝみにかげのうつるがごとくに御身と萬事共にひとしきすゝたんしある御かたをうつし出し玉ふなり」(三十二オ)是即でうす ひいりよとかうし奉る也故にでうすはあてれと同じき すゝたんしやにて御座ます也
弟 第三のあるちいごすひりつさんとよりやどされ 給ひてびるぜんまりあより生玉ふと申心は何たる事ぞ
師 でうすはあてれの眞の御子にて御座ますでうすひいりよ貴きびるぜんまりあの御たいなひに をひて我等がにくたいにかはらざる眞の色身と眞のあにまをうけあはせ給ひて眞の人となり玉ふと云へ共でうすにて御座ます御所はかはり玉ふ事なくいつも同じきでうすにて御座ます也此びるぜんさんたまりあより生玉ふを名」(三十二ウ)付てぜずきりしとゝ申奉る也又此御出世は人のしはざをもての事にあらず たゝすひりつさんとの御きどくをもて 計ひ玉ふ事なればすひりつさんとよりやどされ玉ふと申奉る也同しく御母びるぜんも人間の所作を以て御くはいにん なされざるが故に御たんじやうの後とても本のごとくのびるぜんにて御座ます也
弟 第四のあるちいごほんしよひらとが下にをひてかしやくをうけこらへ くるすにかけられ死し給ひ御くはんにおさめられ玉ふとは何たる事ぞ
師 御主ぜずきりしとでうすにて 御座ます御所は かしやくをうけこらへ たまふ」(三十三オ)事も叶ひ給はずといへども人にて御座ます御所はほんしよひらとがしゆごなる時代に御じゆうの上より一さい人間の科をゝくり給はん爲に くるすにかけられ死し玉ふと申心也
弟 人にて御座ます所は何と樣に死し玉ふぞ
師 †ぢびにだあでの御所は 御あにま にも御色體にもはなれ給はず人となり玉ふ御所のあにまは 御色身にはなれ 死したまひ御くはんにおさめられ玉ふと申儀也
弟 でうすひいりよ人になり玉ひ人間の科に對せられてくるすに死し玉ふ事は何の故ぞや此科を赦玉ふべき別の道なかりしや
師 樣々あるへし然と云へ共此くるすの道はあ」(三十三ウ)またのだうりによて第一さうおうの道とえらびとり玉ふ也
弟 其だうりの内せう/\をしめし給へ
師 まづ我等に對せられての御大切の深き事をわきまえさせ給はん爲也其ゆゑはでうす人となり給ひ死し給ふを以て 赦玉ふほどの御いきどをりなれば也三には此御恩の深き所をあんじ其御れいを なし奉るべき爲なり其故は でうすかほどの く□う〔1600年國字本には御くるしみ〕 をこらへ給はずしてたゝかりそめに赦玉ふにをひては人々さほど御恩をも見知り奉る」(三十四オ)まじきが故也 四にはでうすのじゆすちいしやのたゝしくまします事又其 科に さうたうのくはたい深かるべし知らしめ給はんが爲也 其故は御主ぜずきりしと眞のでうすの御子にてましませばもうとうほど御科も御身にましまさずしてたゝ我等が科を御身上にうけかゝり給ひてしゆ/\さま/\のかしやくのしなをつくして御身にうけ玉ふによて也五には天狗は善惡のちゑの木の實をもて我等がせんぞをたばかりすまし又ひとりの科を以て一さい人間を我がしんだいになしたるごとく 今御一人くるすの木にかゝり玉ふをもててんまはりをうしない其」(三十四ウ)上又でうすひいりよ†うまなゝつらを御身に まとひ玉ふを以て一さいしゆじやうを彼狗兄の手よりむばひとり給ひじゆうげだつの身となしたまはん爲には御身かくなり玉ふ事もつともちうおうの道也彼と是とのだうりによてでうすの御子我等に對し給ひ人間のなつうらをうけ給ひ死し給はんとの御なひせうにて御座ませし也
弟 第五のあるちいご大地のそこへ下り給ひ三日目によみかへり玉ふと云へる事は何たる御事お
師 御主ぜずきりしとくるすにて死し給へば御あにまは 大地のそこへ下り玉ふ也 むか」(三十五オ)しの善人達御主の御上天までは天上せらるゝ事叶はざるが故に大地のそこにをひて其御出世をまち奉られし人々をめし上給はんが爲に其所より下り給ひ彼善人達のあにまを其よりめし出し玉ふ者なり
弟 御主 ぜずきりしとの 御あにまの下り玉ふ大地のそこと云は何たる所ぞ
師 大地のそこに 四樣の所あり 第一のそこはゐんへるのといひ天狗を はじめとしてもるたる科にて 死したる ざいにん等の ゐる所也二にはすこし其上にふるかたうりよとてからさを はなれずして死る人の あにま現世にて はたさゝる科をくりのつ」(三十五ウ)くのひをしてそれよりくらうりあにゐたるべき爲に其間こめをかるゝ所有り三にはふるかとうりよの上に 童のりんぼとてばうちいうもをうけずしていまだもるたる科を をつる 分別もなき 内に 死る童のゐたる所也四には此りんぼの上にあふらんのせよと云所有此所にこらいの善人達 御出世をまちゐ奉られたる所に御主ぜうきりしと下り給ひ彼さんとす達のあにまを此所よりめし上玉ふ也
弟 三日目によみがへり玉ふとは何事ぞ
師 せすた へりあに御にうめつの時貴き御あにま 御色體を はなれ給ひ つぎのどみんごに御あにま御くはんにおさめられ」(三十六オ)たまひし御しがひによみがへり給ひ今天上に御座ますごとくなる くらうりあと共に見え玉ふと 云る事も此あるちいごにあらはるゝ也
弟 第六のあるちいご 天に上り給ひ萬事に叶ひ玉ふでうすはあてれの御右にぢうし玉ふと云事は何たる事ぞ
師 御主ぜずきりしと よみがへり 給ひて後人にて御座ます御體と共に天に上り給へば御主でうす 諸のべあと達のくらうりあを一にしたるよりもなを くはうだいなるくらうりあを與へ玉ふと申儀也
弟 何とて御右にぢうし玉ふとは申ぞでうすにも御右左と云事有や」(三十六ウ)
師 でうすはあてれ御しき□う□な□り〔1600年版にしきそうそなはりとある〕給はねば御左 右と 申事はなけれ共御主ぜずきりしと 人にて 御座ます御所に諸のあんしよ 諸のべあとのくらうりあにまさりたる くらうりあを與へ玉ふによて右をかうじやうともちうるだうりにまかせかくのごとく申奉る也
弟 第七のあるちいご 生死の人をたゝしきはめ給はん爲に あま下り玉ふべしと云ことは何たるしさいぞ
師 御主ぜずきりしと世界のおはりなるじゆいぞの日一さいの人間の所作を御きうめいなされて それ/\に 應じて ふたいの 御へんほうを與へ給はん爲にでうす にて」(三十七オ)御座ます御所は 云にをよばず人にて御座ます御所もならびなき 御いくはう をあらはし給ひて。あまくだり玉ふべしと申儀也
弟 第八のあるちいごすひりつさんと又さんたゑけれじやかとうりかを信じ奉るとは何事ぞ
師 此あるちいごに二の事をしめし玉ふ也 一にはすひりつさんとはでうすはあてれひいりよにかはり給はざる御正體御ちゑ御せいりき御善徳共によひとしきかくべつのへるさうなにて御座ます儀を信じ奉れとの事二にはかとうりかにて御座ますさんたゑけれじやの御事此ゑけれじやとは」(三十七ウ)ぜずきりしとを信じ奉りともに御教へをさうでんしあらはし奉る 諸のきりしたんのくんじゆをなづくる名也此一味世界の諸國に別れゐたると云へどもたゝ一つの體也其 †めんぼろすはきりしたん一人づゝにてかしらは†らうまの貴き はあはにて御座ます也又此ゑけれじやをかたうりかと申心はすへて をの/\きりしたんをふくむと云心也 此ゑけれじやは御主ぜずきりしと宣ふごとくすひりつさんとそなはり給ひておさめ 玉ふが故にさんたとも名付奉る也すひりつさんとまよひ玉ふ事御座まさぬごとく此ゑけれじやもまよひ玉ふ事叶ひたま」(三十八オ)はざる也
弟 第九のあるちいごさんとす達つうようし玉ふとは何たる事ぞ
師 をの/\ きりしたん 此ゑけれじやのめんほろ なれば たがひに ひいですさからめんとすの功力のつうようありと云心也又天に座御〔ママ〕ますさんとす達も ふるか とうりよの人數も此ゑけれじやのめんほろすなりし人なれば 是にもつうよう有と申奉る心也 其故は御主ぜずきりしとならびに べあと達其御とりあはせのおらしよと其御功力を我等にほどこし給ひ又我等がおらしよもとふらひの功力等をもふるかとうりよのあにまにたむけ奉る故也」(三十八ウ)
弟 第十のあるちいご科の 御ゆるしとは何たる事ぞ
師 ばうちいすもへにてんしや 其外のさからめんとすを以てがらさを與へ給ひ 科をゆるし玉ふによて實の科の御ゆるしと云事はさんた ゑけれじやにのみありと申儀也
弟 第十一のあるちいごにくたいのよみがへるべき事とは何事ぞ
師 世界のをはりじゆいぞの日一さい人間のあにまいんへるのにをちゐたるもはらひぞに御座ますべあと達ものこらず本の色身によみがへり我善によて蒙たるあにまのくらふりあを現世にて 合力となりたる色」(三十九オ)身も共にうけ又ゐんへるのにをちたるあにまのくるしみをも 科の 合力と なりたる色體も共にならゆべしと云儀也
弟 第十二の あるちいご をはりなき 一命とは何たる事ぞ
師 あまねくよみがへりたるしゆいぞぜらるの後は人間 二度死る事 あるまじきと 云事也 たゝし善惡二のもやうは かはるべし其故はぜんちよとあしき きりしたんとはをはりなくゐんへるのゝくるしみをうけてながらへがらさにてはてたる よき きりしたんは天にをひてたのしひをきはめてふたいの命を作り給ひし事も御主」(三十九ウ)ぜずきりしとの 御出世なされ 死し給ひよみかへり玉ふと云へる事をも見奉らず其外けれどに こもるよのあるちいごをも見奉る事なければ何と樣に信じ奉るべきや
師 是等の事は見たる事なしと云へ共でうすよりつげ玉ふによて信ぜずして 叶はぬ事也 それによて眼を以て物を見るよりも此ひいですの あるちいごすはなをたしかなる事也
弟 でうすよりつげ玉ふと 云事は誰人のつたへぞや
師 すひつさんとより道びかれ玉ふ さんた ゑけれじやよりかくのごとく教へ玉ふ也又」(四十オ)此さんたゑけれじやすひりつさんとよりおさめられ 玉ふ事なれば まよひ玉ふことすこしも叶はざる者也
21:08
2007年12月18日(火)
假名遣は、傳統をつねに身にまとふものであり、かるがゆゑにその存在をみきはめることは沒意識になりがちである。しかし、それがsystemにつかへるものであるかぎり、そのsystemについてかく書くべしといふ原理がなければならない。それで、といふのもなんだが、ideologue山田孝雄の『假名遣の歴史』(再版)を讀んでゐるのだが、正字正假名を標榜するところで結構な頻度で眼にする理論(?)のやうにも見える。先祖なのだらうか?
00:45
自己の權利を確立するに際しては迷惑をかけませんからといはされるが、迷惑に對する忌避が自己の權利の確立とともに増大してゐるのであれば、そのやうに權利といふものが確立してゐるといふことなのだらうか?(なんにも云つてゐない文のやうな)
23:55
2007年12月19日(水)
・Rumania Montevideoはどうしてかうも素人つぽいのか? ・仕事をおへてから食事といふのは體にわるいといふけれど、勤務中に拔けられるならかういふことにはならないのではなからうか。 ・日本イエズス會版を出版事業とする規定は私だけなのかな。キリシタン版の定義をめぐる諸家の齟齬はここらへんの認識の不徹底に端緒を發してはゐまいか。 ・例によつてもたもたして家をでるのに遲れる。歸りはもしかしたら今年最後なのかもしれないのに特に挨拶もなしに別れる。 ・日本語學概説bの課題が「自身の日本語音聲の特徴について」といふのは、どういふことなのかしら? 特徴といふからには、ほかにはないといふことなのかね。 ・古典ギリシア語の詩脚の勉強をしながら、「語頭にたつことができる複數の子音は」なる規定が音節の要件にあることに氣づいた。……語末に立てない音素は知つてをりますけれど、語頭はどこに書いてあるんでせうか? ・ウィキペディアの未来は、執筆者、閲覧者、それぞれのなかにある。やわからく「フリー」なかたちで。
23:55
2007年12月20日(木)
Barker, Nicolas. "Obituaries: Henri-Jean Martin ." Independent Online Edition . Feb 9, 2007. Chartier, Roger. "Obituary: Henri-Jean Martin ." School of Literature, Languages and Cultures. Univ. of Edinburgh . Mar 1, 2007.
『書物の出現』でのリュシュアン・フェーヴルとの共著(監修と執筆者のやうな關係だつたらしいのですが)で有名。
今年の1月にガンで死去とか(英語版ウィキペディア による)。『書物の出現』を讀んだのは去年の9月で、そのころは鬪病でもなさつてゐたのでせうか。なかなかかういふことも知る機會がなく、1/13はなにをしてゐただらうかとも思ふばかりです。
02:49
willcomのなかからそとにいくメールへの對策は熱心らしいのです。が、なかに來るメールについては無對策と云つて過言ではない(私のメールアドレスは4年半前ほどに取得したものですが、ここ數か月、日に30〜40通ほどの迷惑メールが來ます)。……この扱ひの差はなんなのだらう?
23:55
はて。僕もWillcomですがいっこうに来ませぬ。(アドレスは7年ぐらい前に取得)。気合いですよきっと気合い。うん。 (FeZn さん) 07 12/25 13:13
ある日突然くるやうになりました。1年前くらゐからかな。氣合ひですか。それより發信者僞裝對策くらゐしてほしい……。なんで自分のアドレスから迷惑メールがくるのを耐えてゐるんだらうなあと思ひます。 (kzhr さん) 07 12/25 15:55
2007年12月21日(金)
開始時間がわからなかつたので、9:40に行つたらだれもゐませんでした。この講師にして學生あり……。
結局くねくねしつつ(偏見)、言語がいまかうである理由を探つてゐるのでせう。ありうべき事態の數の計算は私には理解しかねたのですが。ムード=モダリティなのかなあ、さうなのかなあとは思ひましたが。inidicative, subjunctive, optative, imperativeの順に話者の判斷のつよさをしめすと云つてたのはだれだつたかな……。
テスト後はサークルで内輪コンサート。彈ける曲を増やさないとなあと思ひぬ。Marche Écossaiseは二臺ピアノらしいので忘れる。安田の全集第8卷で適當に探さう……。
さいきん古本をてんで買つてゐないので、反省。
23:55
2007年12月22日(土)
PHSのバッテリが壽命に近づいてゐるらしいのでウィルコムプラザなるところで購入。機種變更のしがひがなかつたので……。
Fx2.0.0.9をアップデートしたら2.0.0.4になり、もういちどしたら2.0.0.11になりました。はてな?
6號を横組みでつかふと、わるいものではない氣がするものの、小書き假名に違和感があるので、すこし檢討してみる。
22:55
2007年12月23日(日)
・出す相手が年々減つていきます。抑も去年は誰に出したのか? ・あしたはケーキを食べる日です。 ・ひさびさに髮を切りに行くかもしれません。しかし今年は一つの店に2囘以上行つてゐない。 ・金田一春彦「国語史と方言」『講座国語史』第1巻『国語史総論』、1977.5、111-200をよむ。言語の新舊についておもふことおほかり。しかれども、いまだ體系にいたらず。 ・言語學の常識世間の「不」常識。單なる啓蒙といふことは意味がない。かといつて、助産術もむつかしいといふもので、なにをどうしたものなのか。ソシュールの問題點をのべると佛文から總攻撃だと町田先生が仰つてゐました。これを聞いて笑つてしまつたのは私だけでせうか?
23:55
2007年12月24日(月)
信仰上かなりの民間行事には傍觀的なのですが(かといつて自分の信仰のはうの儀式には熱心かといふとてんで知らない)、ケーキをみなで(普段よりよいものを)食べるといふのは、わるくない習慣だと思ふのです。といふかけふはそれしかしてゐません。
23:55
2007年12月25日(火)
私はこれに違和感をあまり認めませんでした。金田一春彦「国語史と方言」『講座国語史』1巻、大修館書店、111-200。149。
23:55
2007年12月26日(水)
PCCぢやなくて+ PCC +ですよ! まあどうせJavascriptの問題だらうけどさ。
16:14
おもしろからといふ理由でとつておいてゐた講義資料などを處分。不動産的有限性といふのならば、講義資料を遺してゐられない原因たる無用な書籍を處分せよとの聲があるかもしれない。しかし、活字の資料にもならず、讀みもせずといふ書籍はそんなにないと思つてゐるのですが(甘)。
23:55
2007年12月27日(木)
教へてえらいひと。
髮を切りました。容姿なんて氣にしないといふ境地には至つてをりませんので、年末紀念にまともに切つてくれる店に行きました。收入の危ふい學生にはいつでも行ける店ではない程度にまともなのではありますが……。
ひさびさの古書。 一茶『おらが春 我春集』荻原井泉水校訂、岩波文庫74、岩波書店、1927.7。最初の岩波文庫の一册のうちの一。これじたいは12月印刷の4版(と奧付にあるが、いまでいふ刷であらう)。 正岡子規『仰臥漫録』岩波文庫83-84、岩波書店、1927.10。 吉田満『戦艦大和』角川文庫、角川書店、1968.7。2001.11。吉田があとがきで自然と文語で書かされたといふことくらゐは、研究者もたちむかつてよかつたのではなどとCiNiiの檢索結果をみて思ふ。
23:55
2007年12月28日(金)
昔讀んだ遠藤周作『深い河』では、ラストちかくでインディラ・ガンディーが銃殺されたニュースが飛び込んできたものでしたが、それに比されるやうな事件がこの年の瀬にあつて、イスラーム國だからキリスト教國のニュー・イヤーなぞ無縁なのかもしれないけれど、ともかくも、立場といひ、最期といひ、ガンディーとベーナズィール・ブットーはよく似てゐる。いろいろなニューズを讀んでブットーの顏寫眞もいろいろ見たけれど、なんだか、田中眞紀子に似てゐる氣がしないでもなかつた。田中に銃殺される未來があるとは思はないが……。
ウィキペディアを運營してゐるウィキメディア財團の寄付よびかけ月間もまもなく終ります。ウィキペディアのやうなものがあるのもよいことだな、と思つてくださるかたは、ご支援いただけるとありがたいです。
23:55
2007年12月29日(土)
傳統主義を隱れ蓑とするとまでいへば失當であるものの、歴史的假名遣をさうたらしめる思想はどんなものであるのかは、あまり重視されてこなかつた。しかし、歴史的假名遣のたちばがなければ、どういふ假名遣が眞に歴史的假名遣の名の下にもちゐられるべきなのか不明となる。どこまでも語源にさかのぼるたちばといふことはできない。なぜならば、8世紀ごろの文獻は歴史的假名遣の枠組みでは完全な對應をとれないからである。だからこそ歴史的假名遣は平安前期の發音を反映したなどといはれる。しかし、これはひらがなのしくみといふべきであつて、歴史的假名遣はひらがなと完全に重なるやうな概念では元來ない。もちろんひらがなは歴史的假名遣の上位に來るもので、すなはち歴史的假名遣を制約する。しかし、歴史的假名遣は想像して、平安の世にはすでに融合してゐた違ひを8世紀に遡つてみづからを定めることがある。つくえなどその例だつたはずである。また、もともとが平安にはなかつた語形は、音韻の融合をできるかぎり利用してもとの語形の假名遣を保たうとする。すなはち、にてが縮約したでは元の假名遣を保てないが、そのでを含むではないかが縮約したぢやないかではぢとじといふ融合した音韻を利用してでが殘されてゐる。このやうな操作を、可能とするのはどんな背景思想か?
ちなみに、日本式ローマ字が優れてゐるといふ主張はただの五十音表至上主義。
23:55
2007年12月30日(日)
"When it is darkest, men see the stars." Will the man who passed near the darkest see his future?
18:01
散々苦勞して片付けた部屋がまた散らかりはじめてゐるのですが、それはともかく年の暮れももう極つて、あと一日をのこすばかりとなりました。個人で取組んでゐることとこよみとはほぼ接點がないので、歴史上のどの1點にあるかの指標といふ意味以上のものはありません。2月の合宿、8月のWikimania、11月の寒いなかの大祭など、對外的にはいろいろとこよみを氣にしながら生きてゐるものですが。といふわけで、私には今年の總括といふものをするつもりがまつたくないのですが、とりあへず、新年になる一瞬くらゐは、きれいな自室にしたいです。
23:55
2007年12月31日(月)
ことしもなにかと皆樣のお力をお借りしました。ふつつかものですが、來年もよろしくおねがひいたします。
23:00
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——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め (中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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