晝の3時に起きて食欲が落ちついてゐたので斷食でもしてみようかとおもつたのだけれど、いろいろな都合でやめる。もちろん寐てゐるのか起きてゐるのか分明でないときの世迷ひ言に違ひないのだけれど、一日くらゐ、とおもはなくもない。食欲がないわけではないのでそののちはたんと食べた。
あしたは岩波文庫でみられるポイント活字を分類する作業をしようかなと思ふ。同時進行で原稿を書く。
キリシタン版の組版をレポートの課題に選んでみたら、筆がすすまないのでたいへん苦しむ。研究まがひのことを書きつらねて提出する。結語で今後の課題らしきものを列擧できたので個人的にはよしとしたい。三日三晩でおはるやうなことではないのだ(終るならレポートに書いてゐる)。山口忠男はキリシタン版前期平假名本はよく考へられてゐると述べたが、今囘それを念頭に眺めてみて、西歐活版術の合理性を平假名文に直接持ち込んだために、一面合理的ではあるが破綻もしてゐることを指摘できるやうに感じた。キリシタン版の單位について詳論しえれば、ひととほりこの搖籃期本について述べたことになるのではないかと考へてゐるが、まあ、さう巧くいくまい。
23:30
そのひとの責任+好嫌ひ+αが糺彈の激しさであるとすれば、二枚舌を操る人々には後者2つが主要な要因であるのだらう。
寒暖の難しい季節である。最近體温調節機構がどうもおかしいのだといふことが了解できて、しかしだからといつてあまりどうすることもない。あひ變らず寒がりながら薄着である。暑い暑いといつてゐるのを尻目に寒がつてゐるので變人扱ひしかされない。さういふ問題ではない氣がする。
23:55
和亞辭典がないのでcover her faceのcoverを探すのに難澁。汝かの女の顏を覆へ、だから、wajhahâでいいのかな。そしてwajhahâのつづりはこれであつてゐるのかな。
朝早く起きるだけでなくて朝早くから活動しないと結局寐てしまふといふことがわかつた。けふの收穫。
23:55
Why Myths Persist (Slashdot.org)、Persistence of Myths Could Alter Public Policy Approach (Washington Post, needs signin) 參照。ワシントン・ポストで2ページもわたつてゐることからもこのやうな短報でまとめる不適が知られるが、あへてするならば、「無視は相手の妄想をかき立てることもある」「一度覺えたことからはなかなか離れられない」「デジャヴュのやうに誤つて記憶を再構成することがある」「誤りも接しつづければすり込まれる」「○○ではなく××は記憶を訂正するのには向かない」などと、まとめられるだらう。原文を讀むつもりがない人のために。
これは結局statementの問題なのだらうか。斷言は適切な説明を缺くとしばしば誤解を生むが、もちろん付言によつてあやまつこともあるのであり、記事を見ても實際の對策自體はどうともいひかねるやうなのである。
23:55
英語版ウィキペディアがどのやうな媒體に掲載された論文を引用してゐるかの研究が出ました。Nielsen, Finn Årup. "Scientific citations in Wikipedia." First Monday 12.8 (August 2007).自然科學の分野についていへば、日本語版などでも状況は同じであるといへるでせう。概ねImpact Factorが高いものから引用されてゐることがおほいこと、Open Accessな論文がつかはれやすいこと、偏るといはれてゐたものも、引用文獻でみればさうでもないことがわかる、さうです。
22:33
千葉にきてまともに颱風に遭つたのははじめてではないかとおもふのですが、壁越しに聞いてゐると、いつでもごうごうといふわけではないのだなと知りました。かういふときばかりは、外に出る必要がないのもありがたいものです。「てんきや」台風のアジア名のリストによれば、今回の颱風のアジア名はミクロネシアの言語のヤップ語で、美しくかぐはしいFitowといふ花によるとか。颱風の名前付といふのは、アミニスム的にFitowの靈が暴風雨となつて襲ふといふ考へなのでせうか。よくわかりません。
22:46
子曰、不患人之不己知、患己無能也
子曰く、人の己を知らざるを患へず、己の能なきを患へよ
The Master said: "You should be worried about your lacking in ability rather than your status."
magister non populos non te appellaverant autem imprudentiam denegavit.
η διδασκαλος ελεξεν οτι μη σκοπεσης γνωριμον αλλα αμηχανον.
23:55
iBookを使用してゐるのにもかかはらず外部キーボードをつなげ外部マウスを使用してゐるのですが、外部マウスはさておき、macallyの外部キーボードがあまりよくない。といふわけで、よささうなのを書き留めておくことにしました。
WindowsからMacintoshにswitchしたひとりなので、キーボードはいままでつかつてきたやうな感じ(Gateway2000謹製)が好きなのですが、じつのところ、打つ感觸よりも音のほうが重要なのかもしれません。macallyは、意外にタッチも重いですが、音が輕いのと雜音が多いので氣に觸る。すぐキーが狂ふといふのもありますが、これはたぶんさう多くはなからうとおもひます。キー配列としてはJIS信奉者です。かな/英數でIMEを動かすのはUSでは望み得ません。Command+Spは無駄が多くなによりcapslock竝に打ち間違へるのであまり近寄りたくないのです。あと、iBook本體のキーボードにある、numlockはさておくもバックライトの調整その他はつかへると便利です。なくともいいですが。テンキーは必須。いまのキーの竝びはHappy Hacking Keyboard キーボードコレクションによれば、Apple Extended Keyboard IIに似てゐますが、かな/英數があるので別物。106?
Appleからこんど出たWired Keyboardはひとまづ機能面では足りてゐさうです。キーの竝びもこのmacallyと同一なのでせうか。詳細がなくわかりません。しかし商品寫眞をみるととても薄いのでmacallyともWin系のとも違ふ感觸なのでせう。
ほかのメーカーのはないのでせうか。ヨドバシのウェブショップを見るとサンワサプライ、バッファロー、Microsoft、Happy Hacking Keyboardから出てゐるもののやうです。JISのものは、ひとまづ、キー配列は同じ氣がしました。うち、前者ふたつはiBookと同じ感觸を持つとうたひ、MSのは置けないのでHHKですが、なにぶんLiteなのでテンキーがない。これらは選べない。
といふわけでお店に行つて地道に探せといふことのやうです。つづく?
23:55
アメリカ合衆國大統領の助言者がLadenはテープに吹き込んで逃げるしかもうできない、と述べるのをみて、十分ではないのだらうかと思つたものの、「本土が大丈夫ならイラクやアフガンで何人死なうがかまはない」といふことであれば、そのとほりなのでせう。デンマークかドイツであつたらしいテロ計畫も未然に防がれたし、Al-Qaedaのテロリスト・ネットワークもずたずたらしいので、白人世界を危ふかすイスラームから再び遲れたイスラームに戻つた、のかもしれない。これらから來る自信が冒頭の發言を導いたのでせうか。
14:08
いとほしさうにことばを、いな、なまへを舌のうへで轉がすさまは、おそらく身の毛もよだつことか陶醉のほかはあるまい。これは病的な所作に相違なく、しかし、だからこそ、この言語の美に達しえた病をうらやめるのではなからうか。
03:19
bloglinesを、一年以上はつかつてゐるのだけれど、よく落ちるのを耐えながら使つてきたものを、けふは未讀を讀めないといふ事態になつたので憤慨してLivedoor readerにのりかへてみたのだつた。
畫面の構成要素としてはbloglinesのはうが趣味がいいですね。UIはbloglinesしかつかつてゐないので比較にならない。フィードの整理はLivedoor readerに分があるかもしれないけれど、讀むところについては慣れのほうが大きい。Operaにはじまり私は早いといふ評判のもので實際早いなあとおもつたことがないのだけれど、livedoor readerもそれなりに重くないかなあ。
といふわけで、bloglinesが安定したサーヴィスで、しかももたつかないのであればのりかへなかつたらうな、とまとめてみる。
23:55
昨日古本市を覗いてきた戰利品。
穎原泰藏校註『新訂芭蕉俳句集』岩波書店、岩波文庫、1932.5。
ヘーゲル『哲学入門』武市健人譯、岩波書店、岩波文庫、1952.8。
ルイス・フロイス『ヨーロッパ文化と日本文化』岡田章雄譯注、1991.6。モトヤ系とはわからないよなあ……。
幸田成友『日歐通交史』岩波書店、1942.6。
鈴木知太郎ほか校注『土佐日記かげろふ日記和泉式部日記更級日記』岩波書店、日本古典文學大系20、1957.12。
はからずも岩波でそろふ。
けふ借りたもの。
李文烈『皇帝のために』安宇植譯、講談社、韓国文学名作選、1999.4。ひとに讀んでみない?とすすめられて。
ミカエル・クーパー『通辞ロドリゲス 南蛮の冒険者と大航海時代の日本・中国』松本たま譯、原書房、1991.1。以前購入したCooper, Michael. Rodrigues the Interpreter: An Early Jesuit in Japan and China. New York: Weatherhill, 1974.の參考のために。
21:46
ポイント活字資料としてどれくらゐ自分の藏書ができてきたかみてみたものの、ちいと題目の好き嫌ひで選びすぎた嫌ひがあるやうで、期待したほど通時的にみることができない。たださすがに『千一夜物語』全26卷は變遷がよくみえて興味深い。一字一字を表にしていけば精細な研究となるが、いまはまだしない。
知人が東京にいらしたのでお會ひして夕食をともにする。關心が中世日本と共通してゐる氣がするので(そして大先輩でいらつしやるので)たいへん樂しいものであつた。それにしても私はいつ出世拂ひがかなふのであらうか。
ギリシア國會の總選擧とかで、AP通信がギリシアの選擧概説を流してゐる。いつかの朝日では極右がそこまで議席を伸ばさないだらうとの觀測らしいが、おそらく差別投票でさらに複數の立候補者を選べないことからきてゐるのだらうが、差別投票 (preferential ballot) てふものがよくわからず。
23:55
『りはめより100倍恐ろしい』(木堂椎、角川書店、2006)の題名の眞意を内藤朝雄HP −いじめと現代社会BLOG−にて知つたのだけれど、いぢられたいと叫ぶ藝人とそれをみてわらふひとびとに耐えがたさを覺える私としては、讀むことはないだらう。
自分にはいぢめはなかつたといふ記憶しかないのだが、思ひかへせば、いぢめいぢめられ、或はいぢりいぢられる對象であつたのだらうと考へる。ただ、集團に同調するのが基本的に不得手なので、いはれてみれば「いぢり」なのかもしれないあれらのことどもが、いぢることを目してなされたのかいまいちわからない。個人的怒りから加害のはうを味方したこともあるのだが、私が彼と絶縁することを決めたので、被害者が親の轉勤で引越し、戻つてきたのちのことはよほどでもなければ耳に入らなかつた。
コミュニティといへばウィキペディアがおもひつくのだが、内藤氏のコミュニティ理解はウェブコミュニティを排除してゐるやうである。また、個人的體驗の強さが斷定の強さに大きく影響をあたへてゐるやうにおもはれ、その聲のおほきさが疑問を打ち消してしまはないかとおもつた。
ウィキペディアについてもうすこし述べれば、ウィキペディア内の生態學をかんがへてみるのはしてみる價値がありさうだが、もう眠い。いくつか指摘しておけば、日本語版のコミュニティは英語版を參照して獨自につくつた生態系であるといふことである。ウィキメディア財團運營プロジェクトのコミュニティがひとしくかかへる問題點としては、 Wikipedia を書いているのは誰?に指摘されてゐる、書き手の集團がおほくコミュニティの外にゐるといふこと(つまり、集團ではない)、たとへコミュニティの内部の人間でも(といふか財團理事に立候補するひとでも)プロジェクトのすすめかたについてコミュニティの蓄積よりも自分の意見を重視することであらう。たぶんそのほかのことは、たとへばNPOV(どの觀點にも中正な評價をあたへる記述を求める方針)についての理解、多言語主義・多樣性の尊重などへの態度について云々することは、いはば階級内鬪爭なんであらう。
23:55
このPCにゐるfirefoxはときをりIMEを受け付けなくなりますが、いろいろな都合で再起動を避けてゐるので日本語で書くのがたいへん……(表示は問題ないのとほかのアプリケーションは入力の問題がないのでコピーペーストすると當面のことは囘避できる)。
23:55
けふから社會言語學の講義。ポライトネス理論について。speech eventとspeech actについていまいち合點がいかず。5時限にわたるので、生協の賣店があくまへに講筵の座にすはり、しまつてから歸る、といふのもなんだか合點がいかない。やうやく註文してゐた雜誌を受けとる。
『國文學 解釈と教材の研究』52.10 (2007)。
知合ひより紹介されて探したもののなかつたので一般の書店で買ふ。高いものを生協でかはないでどうするといふ指摘はごもつとも。しかも、つひ見つけた下の書籍も購入して260圓ほど損金。池澤が實父の作品の新潮文庫になにかを書いたといふのでかんたんに讀む。傳記資料にはならなささう。
落合淳思『甲骨文字の読み方』講談社、講談社現代新書1905、2007.8。多少ぶつきら棒な嫌ひがあるが、著者が目指す日本初の甲骨文の入門書をといふのは成功してゐるやうである。
吉田健一『シェイクスピア・シェイクスピア詩集』平凡社、平凡社ライブラリー615、2007.7。詩集目当て。
23:55
「供述が真実とは思えない」 遺族に無念と怒りなどの報道をみるかぎり、供述内容を變へたことへの反應は、辯護士へも檢察へも向かず、ただ少年に向かつてゐるやうである。いふとほり少年の裏切りであるにしろ、さうでないのにしろ、或は死刑になるにしろ他の刑になるにしろ、少年は遺族を背負つていかねばならないのだが、それを少年はわかつてゐるのだらうか。
秋田縣の事件で地域は死刑を望むとの由。なにがあつたのかわかつてゐないのである。
滋賀縣の事件で被告人は疎外されたと勘違ひした鬼畜の犯行との論告さるとの由。日本といへども認めざるをえなくなる多民族時代が間近といふのになんたる無智と思ふが、事件報道にすらまともに接してゐないので、疎外はほんたうに勘違ひでないともいへないのだつた。
21:25
昨日、一昨日と言語行動とポライトネス理論などについて見たあと、けふは、言語接觸とテストをした。
ウィキペディアからの引用がおほく登場したのに驚いたのはともかく、ピジンについて根本的な誤解をしてゐたことに氣がつく。繼續的に母語以外の言語をつかふときに、その言語とはとてもいひがたいものがうまれ、つかはれていけばそれがピジンなのであつて、ピジンはそれじたい安定性のある言語なのだ。英語話者によるピジン日本語らしきもののtranscriptをみたけれど、transcriptもまたとんだものだつた。言語行動は奧深く、言語接觸はスリリングで奧深く感じる。
21:59
1900年代が近代活字の金の時代だとすれば、1950年代は銀の時代ではなからうか。一種の古典囘歸を呈したこの時代について、おほくのことがうしなはれてゐるが、まだ完全にはうしなはれてきつてゐない。この時代のすぐれた書體はまだ殘つてゐるのである。
けふは書體制作にとつて合理的な範圍とはなにかといふ問題をつきつけられる。商賣があるといつても、むしろだからこそ、手を掛けられる限界點はどこかといふ問題になるのだが、はてさて。
23:55
昨日畫像をアップロードしながらそのことをすつかり忘れて紹介してゐなかつたのですが、三陽社といふ印刷會社にのみもちゐられてゐた假名書體がありました。
三陽社の現在の出版物にはもちゐられないやうですが、岩波書店の印刷物などでよくみかけられた書體です。三陽社のウェブサイトなどをみても全く見えず、活字だけでおそらく終つた書體です。この活字が登場するのがいつであるか私はまだ境目を見いだしてゐないのですが、昭和30年代のいつかではないかとかんがへてゐるのですが、三陽社の假名のルーツのやうにもおもはれる書體を見いだしたので、ご紹介します(巨大畫像なのでリンク經由にします)。
貝塚茂樹『孔子』岩波書店、岩波新書、1951.6、p. 204, 奧付。
23:40
派閥談合との主張は影響力の誇示とネガティヴ・キャンペーンに過ぎなかつたやうな。麻生は厭だといふのを派閥のせゐにしたかつただけとも。それより次政權はいつまで持つのだらう。
藏書の整理をする。高木彬光『覆面紳士』(偕成社、1958.10)の活字が、途中で變つてゐることに氣づく。新鑄で見やすいが、出自が一寸わからない。東京: 行木印刷。
23:55
菊池康人『敬語再入門』(丸善、1996)を讀む。日本語學習者には敬語を苦手とし、學習者同士ではつかはないひともおほいわけであるが、本書にもいはれる動作主の暗示機能など、日本語のなかで敬語が擔つてゐる機能もかんがへたうへで言語行動にうつるべきであらうと思ふのである。
街のスーパーで北海道のお菓子などが竝べられてゐたのを見に行く。白い戀人はなかつた。黄花もなかつた。マルセイバターチーズとべこ餠など買ふ。
23:55
とあるレポートを、期限は過ぎてしまつたものの勿體ないので教員にメールで送信したのだが、mailbox is fullと歸つてきた。もし期限になるまへにfullになつてゐたとしたら悔しかつたらうな、と思つた。
18:00
實物を見る機會になかなか惠まれず、都内某所に國字本ありと聞くも紹介してもらふ宛てもなく(特に移動に關するニュースを聞かないのでどういふ關係でいま某所にあるのかしらないのだけれど)、影印本を見ながら妄想をたくましくしてゐるのですが、印刷史的なキリシタン版研究において謎、或は課題といへることは次のごとくまとめられるのではないか、と最近考へてゐます:ひとつには、國字本大字本が木に彫刻して作られたことは搖るがないとして、そのほかの製作工程もこれを敷衍してよいのか、ふたつめは、日本語文字活字の大きさはなにを基準としてゐたのか、みつつめは、鈴木廣光氏が最近の論文でいはれた、枠としての活字ボディのみかた(鈴木広光「古活字版のタイポグラフィ」『國文學 解釈と教材の研究』58.10 (2007): 48-56)について、嵯峨本に近いのはやはり小字本で、殘餘が大字本に近いと考へられること(もちろん、小字本には連綿があり、大字本にはなく、大字本は字面率が低く、小字本は高いといふほかの資料にはない問題がある)といふことである。これを詳論するには度胸と文獻・資料調査と研究が足りてゐないけれども。
23:55
mailbox is fullといはれたものの、じつのところは屆いてゐたらしい。轉送の段で故障があつたのだらうか。
結局課題2本を、2日遲れで提出する羽目に。ものを讀んで書くのは草臥れる。
02:03
先月は、もうすぐ閉館といふところで圖書館に入り、學生購入希望圖書を出したのだけれど、そのせゐか、不備があつたとかですべて保留にされる。『ひきこもりの社会学』がとほらなかつたのはかなしい。
池田亀鑑校訂『枕草子』岩波書店、岩波文庫、1962.10。
石母田正『中世的世界の形成』岩波書店、岩波文庫、1985.9。
を買ふ。
『一冊の本』12.10 (2007)、とどく。金井美恵子「目白雑録3(12)トラーの最後の晩餐、禁煙その他」(『一冊の本』12.10 (2007): 15-19)によれば、金井家の愛猫トラー死去との由。18歳。お悔やみ申しあげます。このまへとあるサイトで21歳の老猫の死去も知つたところで、どちらも強靱な生命の死の瞬間まで克明と描いてゐて、なんだか紙上葬式が重なつた氣分になる。
23:55
APのヘッドラインでチェス棋士のスーザン・ポルガーの記事が出てゐたので讀んでみた(Susan Polgar breaks stereotypes as female chess champion)。ポルガーのウェブサイトのバイオグラフィと若干違ふことが書いてある氣がするのだけれど、challengerであるがゆゑに、勝負ごとの裏のどろどろをいちいち明らかにせねばならなかつた人である、と思ふ。「女流」作家は、文壇では性別のことはだいぶまへより有耶無耶であり、ニュースの紹介などでときをり感じる程度であるが、棋界ではさうはならない。男女差をあきらかにしがたいがゆゑに(できる可能性も否定はしないでおく)廢絶もできるのであり、だからこそ廢絶にむけた努力が困難であることを考へる。
23:55
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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