晝の3時に起きて食欲が落ちついてゐたので斷食でもしてみようかとおもつたのだけれど、いろいろな都合でやめる。もちろん寐てゐるのか起きてゐるのか分明でないときの世迷ひ言に違ひないのだけれど、一日くらゐ、とおもはなくもない。食欲がないわけではないのでそののちはたんと食べた。
あしたは岩波文庫でみられるポイント活字を分類する作業をしようかなと思ふ。同時進行で原稿を書く。
キリシタン版の組版をレポートの課題に選んでみたら、筆がすすまないのでたいへん苦しむ。研究まがひのことを書きつらねて提出する。結語で今後の課題らしきものを列擧できたので個人的にはよしとしたい。三日三晩でおはるやうなことではないのだ(終るならレポートに書いてゐる)。山口忠男はキリシタン版前期平假名本はよく考へられてゐると述べたが、今囘それを念頭に眺めてみて、西歐活版術の合理性を平假名文に直接持ち込んだために、一面合理的ではあるが破綻もしてゐることを指摘できるやうに感じた。キリシタン版の單位について詳論しえれば、ひととほりこの搖籃期本について述べたことになるのではないかと考へてゐるが、まあ、さう巧くいくまい。
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——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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