2008年2月1日(金)
けふは晝食をおにぎりひとつで濟ましてしまつた。うつかり晝食を取る機會を逃してしまつたせゐでもあるのだけれど……。最近時間といひ榮養素といひあまりバランスがとれてゐない。反省しておきたいが。
かりる。 小島幸枝『圏外の精神: ユマニスト亀井孝の物語』武蔵野、1999。いろいろ具體的に批判してゐるのだが、まあ、武藏野書院が出してゐるんだから、よいんだらう、たぶん。 海老澤有道、H・チースリク、土井忠生、大塚光信『キリシタン書・排耶書』日本思想體系25、岩波、1970。 『落葉集二種』天理圖書館善本叢書和書之部76、天理大學出版部、1986。
23:55
2008年2月4日(月)
2/2は、もじもじカフェ第11囘へまゐりました。新星におあひすることもかなつたので、いろいろ安泰です。レポートもほかの參加者のみなさまのところに詳しいかと存じます(誰)。さういへば懇親會でKさんがOさんにビールを貢いでゐた(違)のがふしぎでした。
もじもじカフェのあと、狂つたわけでもないのですが、大學邊へ行き先輩宅の飮み會に參上し、お開きのころには雪が。たいしたことはないだらうなどと思つてゐたらば朝起きてもやまず。10時ごろ追ひだされてなにも食べずに圖書館に。目的は小島幸枝『圈外の精神』を返却するためであつたものの(大野説へのまなざしはほんたうに龜井のものだつたのか? そして、小島はタミル語説支持らしいが、なんでだらう。最近は宗教研究でも俗人がほんたうに増えましたね)、なんとなくぐずぐずとお晝まで。その後歸宅して、夕がたから今日の發表にむけた資料を作りはじめる。例によつて夜を明かして作つたものの、構成も減つたくれもないなあ。おほはばに書きかへて世に問はうか。發表は要所がだれにもわからなかつたのでせう、教員からコメントあるのみ。おまけにいろいろと間に合はなかつたので諸氏に迷惑をかけた氣もするし、なんにも思つてないんだらうといふ氣もする。
けふの買ひ物。 見坊豪紀、金田一京助、金田一春彦、柴田武、市川孝、飛田良文『三省堂国語辞典』第六版小型版、三省堂、1960。2008。いはゆる最新の辭書を求めて。 けふの借り物。 銭存訓『中国の紙と印刷の文化史』鄭如斯編、久米康生譯、法政大学出版局、2007。 イアン・ニッシュ編『欧米から見た岩倉使節団』Minerva日本史ライブラリー12、麻田貞雄他譯、ミネルヴァ書房、2002。
23:55
2008年2月5日(火)
加津佐といへば、キリシタン版國字活字搖籃の地なのだが、島原鐵道の終着驛でもあつて、しかしそれはこの4/1までであるらしい。殘念至極。
23:55
2008年2月6日(水)
本日付朝日朝刊東京版文化面に中野三敏が報告してゐるが、古活字版などがぞろぞろでてきたらしく、なんとなくいいなあと思ふ。
18:51
2008年2月7日(木)
案外食べられるものですねえ。
預かつていただいてゐた本を受けとる。 吉田健一『酒肴酒: ユーモアエッセイ集』番町書房、1974。『酒肴酒: 食いしん坊にささげる』光文社文庫、光文社、1985。どうして解説がまへなのか、どうして解説の丸谷が正假名なのか、どうして解説が丸谷なのか。とまれ、吉田のしあはせなエッセイ。 北杜夫『どくとるマンボウ航海記』中央公論社、1960。ジャケットの井伏の書評が、なぜか、縱書きなのに讀點に,を使ふ。そのとなりにある曾野の讀點はふつうなのにである。 山田俊雄ほか編『新潮国語辞典: 現代語古語』2版、新潮社、1965。1995。 長谷川泉、高橋新太郎編「文芸用語の基礎知識」特集、『国文学: 解釈と鑑賞』41.4 (1976)。
23:55
2008年2月8日(金)
たたきうりではあつたけれど、いまのところ問題なし。
山田孝雄・小島好治『假名遣ちかみち』統正社、1943。山田忠雄訂補、國語問題協議會、1995。ことごとく斜體がかつた本蘭なので魂消た。
23:55
2008年2月9日(土)
むかしから集中力がない、といふよりつづかない。未練がたちきれないからだらう。
23:55
2008年2月12日(火)
諸事情で眠いなか、をもしろい講義を聽きながら、チェック體制といふものがゆづれない意味といふことを考へました。
23:55
2008年2月13日(水)
漢文が和文をあらはしえた、その權威にしか片假名が漢字に從屬する根據はないのではなからうか。文字學的にどう證明するのかしらないが。
23:55
2008年2月14日(木)
書誌學の概論を聞きながら、それにしてもこのご時世に長澤ばかり使ふのもいかがかと思ひながら、最新のものを語つては授業ができないといふことを思ひつつ、やはり、活字本を一字本的觀點から話されるとゐごこちが惡いのであつた。くの字點を、現代活字では「二字」であらはすが、それでも「一」字が活字の基本的單位だと考へつづける理由があるのか。……ううむ。
近代活字のところは字體の説明などどぎまぎだつたものの、なんの綱渡り?といふ感じで間違ひはいはない。これが嗅覺とやらなのかな。古活字版のところで、印刷博物館がキリシタン版を收藏してゐるといふのはおそらく誤りですが……。印刷博物館のウェブサイトのコレクション一覽をみなほすと、『耶蘇會士東方通信』があつたので、これを勘違ひしたものか。古活字版は朝鮮式か西洋式かといふはなしで、朝鮮式は高さを揃へるのが大變で、西洋式は易いといふのは、あやまりだし、あとの發言とも矛盾してゐる。
あしたはさらに近代活字のところをすすんでいくらしいです。フルニエ・ポイントといふのが配付資料からなんだかあやしいかをりがします。強調してたらいはう。
23:55
2008年2月15日(金)
とあるかたに評されたのでメモ。捨ててません。
數册を所有する近代期本の裝訂をみてみる。ページを絲が貫通してゐるのはぜんぶぶつこみでいいのかなあ。
23:24
2008年2月16日(土)
といふことを、それぞれ刺激的な講義のならぶシラバスをみつつ、思ひおこしもするのである。
23:55
2008年2月17日(日)
しかし,アイヌの口承を,文語を用いて表象するという行為は,あたかも,アイヌの口承が日本語の文語に置き換えられるかのように設定してしまった,金田一の考えを反映している。それは,アイヌを「日本人」に,アイヌ語を言語学,国語学の構造の中に組み込む行為であり,金田一の引用文からもわかるように,アイヌという存在を「日本人」の過去にすりかえてしまう危険性をはらみもっていたのである。
金田一はけして國語にアイヌ語をくみこませなかつたのであり、知里もくみこませないといふ點で金田一にそむかなかつた、またただたんに自身の古典語で他者の古典語を譯すといふいとなみは、アイヌ語だけになされたわけではなかつた、といふ點はさておき(上田敏はヴェルレエヌを國語とよびたかつたのですか?)、いま氣にしておきたいのは、くみいれることの暴力がどのやうになされるかである。アイヌ文學は、アイヌ語とともにたしかにかなたにおきさられようとした(日本語に攝取されたなどといふ妄言はしりぞけよう。せめて呑みこんだといふべきである。開きなほるならばただしくせよ)。そして、アイヌ人は、まつろはぬ民でなくなつたことをよみされ、しかししつかりとアイヌ人であると刻印をおされる、これがアイヌ人のうへにあつた「くみこまれ」だらう。だから、金田一の翻譯がアイヌ人と日本人の關係になにかをもたらすのであれば、それは、アイヌ人からユカラをうばひさることではなかつたか、とおもふのである。
(附記:引用してゐる論文の主題は、論題にあるとほり、もちろん、ここにないが、讀んでゐる途中に氣づいた一點を書き記した)
Works Cited
佐藤=ロスベアグ・ナナ「知里真志保の日本語訳におけるオノマトペに関する試論」『言語文化研究』16.13(2005年): 113-26。
23:55
2008年2月18日(月)
年刊のJournalつてはりあひないなあ。せめてTransactionやMemoirなら? 主管校の京都造形大圖書館にもをさめてゐないさうです。webcat 0件。NDLにはいれたみたい。讀まれる自信がないのか。
タイポグラフィ學會のウェブサイトはタイポグラフィを名乘る資格をあやぶませるものですが、日本におけるタイポグラフィ研究を研究のレヴェルにいつかひきあげる母胎となることを期待して。
23:55
2008年2月20日(水)
萩野綱男編著『現代日本語学入門』明治書院、2007。コラムが謎。
01:35
扉を開けたらすぐ下のタイルが粉々に碎けてゐたので驚いた。圖書館が16:45に閉つてしまふのでそこに退避するのだが、ソファが柔らかすぎる氣もする。
中世の編輯で、すでになつた話しについて、ならべかた以外に腕のみせどころはなかつたらうかと考へてみる。
23:55
2008年2月21日(木)
手傳を募つてゐたのでのこのこといく。中世文學研究が和歌と源氏を頂點とするといふのがよくわかつた。平家が少ないのは趣味だらう。
學生にやらせて仕事、といふのからうちあげまで、いろいろとおもしろかつた。時間割の都合で來年はいけないし、上はゐなくなるしで(あの4人にはお別れなわけである)、まあ、どうなるんだらうなあ?とおもひつつ、實はきびしく指導するのか、と同輩を眺めなどし。さてはて來年はいかがいたしませう。
23:55
2008年2月22日(金)
精興社の森啓『青梅市文化財総合調査報告活版印刷技術調査報告書』青梅市教育委員会青梅市郷土資料室、2002。改訂版、2004。を眺めつつ、精興社の明朝のベントン原字の写真のところに、「書体の権利は、(株)精興社に帰属する」(133) とあつて、ここでいふ書體の權利とはなんぞやとおもつたけふこのごろ。君塚は秀英舍に改刻權をもらつたわけぢやあるまいに、とも。まあ、そんなこといつてると書體保護に惡影響なだけだし、ただ單にほかの印刷所でつかはれない權利といふだけで、たとへば著作物のやうに私家版ディジタル・フォントを作るのを止めさせる權利はないだらう。
23:55
2008年2月23日(土)
書きとめ忘れてゐたことに氣づいたので。
原攝祐『増訂改著實驗活用病蟲害寶典』東京: 養賢堂、1948。帝都第一印刷とかいふ聞いたところのない印刷所で、改訂序-p448には築地六號を細くした活字をもちゐ、それ以降では秀英8ptである。 石原千秋『教養としての大学受験国語』ちくま新書253、筑摩書房、2000。 『枕草子』池田龜鑑校訂、岩波文庫、岩波書店、1962。持つてゐたか危ぶみながら買つたらあつた……。 丁玲『霞村にいた時: 他六編』岡崎俊夫譯、岩波文庫、岩波書店、1956。 渡邊政吉編纂『實驗日本修身書: 高等小學生用』第4卷、三宅米吉・中根淑校閲、金港堂、1893。
14:03
2008年2月24日(日)
よくよく考へれば、精興社は一度も活字を販賣しなかつたのであるから、活字販賣業者の書體とは同樣には考へられない部分がある。精興社の活字は、それだけで精興社と決まる活字があつたのである(ぜんぶではない)。とすると、その活字を使用して印刷する商賣について不正競爭になるのだらうか。活字販賣も不正競爭としうるかもしれないが……。
19:31
2008年2月25日(月)
朝ご飯を食べてゐたらおなかがいたくなる。お酒を飮んだら體に力が入らなくなる。これつて風邪?
23:55
コトバラから辿ってきました。お大事にしてください。 (ポン さん) 08 2/26 21:20
お氣遣ひありがたうございます。まだ完全には直つてゐませんがだいぶ直りました。 (kzhr さん) 08 2/27 9:57
2008年2月26日(火)
『杉本幸治: 明朝体を語る』リョービイマジクス株式会社営業本部フォントシステム課、2008。
惠送いただく。質疑應答などはなかつたのだらうか。實際の開發の話がなくて殘念。
18:21
今囘は第十一を收める。
○ 第十一さんたゑけれじやの七のさからめんとの事
弟 後生を扶くるべき爲には今までしめし玉ふ所の よく物を頼み奉る事達してひいですを得奉事と身體をまさしくおさむる事此三ヶ條計にて悉皆達するやいなや」(五十九オ)
師 其儀にあらずこれを たもちをこなふ爲にでうすのがらさ專也
弟 其がらさをでうすより下さるゝ爲に何たる道ありや
師 御母 さんた ゑけれじやの さからめんとす是也 此さからめんとすをよきかくごを以てうけ奉るべき事肝要也
弟 其さからめんとすはいくつありや
師 七あり一にははうちずも二にはこんひるまさん三にはゑうかりすちや四にはへにてんしや 五にはゑすてれまうんさん六にはおるでん七にはまちりまうによ是也
弟 此七のさからめんとをば誰人のさだめたまふぞ」(五十九ウ)
師 御主せずきりしとの 御身のがらさと御はしよんの 御功力とを我等に與へたまはん爲にさだめ玉ふ者也
弟 其さからめんとすをば何と樣にうけ奉るべきや
師 ゑうかりすちあのさからめんとをさづかり奉る人はもるたる科あらば こうくはいの上にこんひさんを申事專也 よのさからめんとをうくる人はせめてこんちりさんをもてうくべき事也たゝしこんひさん申にをひてはなを達したる事也
弟 此七のさからめんとの内に第一はいづれぞや
師 まづ第一にはばうちいずものさからめん」(六十オ)と也 此さからめんとはきりしたんになる爲と又よのさからめむとをうけ奉るべき爲にも下地となる也
弟 はうちずもとは何事ぞ
師 はうちずもとはきりしたむになるなるさからめむと也是をもてひいですとがらさをうけ奉りおりじなる科と其時まてをかしたるほどのとがをゆるじ〔ママ〕玉ふさからめむと也是即本々の道よりうけ奉るにをひては〔ママ〕の事也
弟 いかなるかくごをもて此さからめむとをうけ奉るべきぞや
師 ぜひをわきまゆるほどの者ならばまづきりじ〔ママ〕たむにならんとのぞみすぎにし」(六十ウ)科をくひかなしひそれより御主ぜずきりしとの御おきてをたもち奉るべきとのかくごを以て 此さからめんとをうくる事肝要也
弟 此さから めんとをば 何と樣に授け玉ふぞ
師 是を授かる人のかうべかせめて其人の身の上にみつをかくると共に此もんを唱ゆべしいかに○へとろはうろとなり共名を付て○それがしでうすはあてれひいりよすひりつさんとの御名を以てなんぢをあらひ奉る也あめんと云べし是を經もんの唱へには○何の名なり共付て後†ゑご○で○ばうちいぞ○いんのうみね○はあちりす○ゑつ○ひいりい○すひりつす○さんち○あめんと云也」(六十一オ)
弟 もし人あつて此もんを唱へすしてみづをかくるか又はことばの半 分を云か或は其ことばの内一つなり共 かきてみつをかくるか或はもんをば悉く唱へてみづをかくるといへどもみづをかけざる前か 後か右のもむを唱るにをひてはいかゝあるべきや
師 みづをかくると共に唱へずんはばうちずもをうけたるにてはあるべからず又もんをも達して唱る事肝要也 たゝしそれがしと云ことばか あめんと云ことばか 或はばうちずもをうくる人の名をば云はず共ばうちずもと成也 此三をのぞきてよのことばの内一つなり共かくるにをひてはばうちずもを 授りたるにはあらず」(六十一ウ)
弟 ばうちずもを授からずしても扶くる道前〔1600年版に別とあり〕に有りや
師 後生を扶る爲にそうじてなくして叶はざる道也 是によて叶にをひては達して授るべき事也さりなから人有てばうちずもを授かりたくのぞむと云へ共其ついてを得ずして其まゝ死すると云ふとも眞實に其身のゆだんなくんば たとひみづのばうちずもをば授からずとも扶るべき者也其故はばうちすものゝぞみ深かりしによて也然れ共是も右に云し如くをかせる科のこうくはいもつとも肝要也
弟 ばうちずもをば誰人の授け玉ふぞ
師 本々の儀ならば ばうちずもを授る事は」(六十二オ)あてれのやく也 さりなから此さからめんとは後 生を 扶る爲になくして叶はざる道なれば御主 ぜずきりしとよりはあてれのなき所にてはおとこをんなによらず此さからめんとを授くる 御ゆるしを與へ玉ふによて誰成共授くる事叶者也 是又御主ぜずきりしと教へをき玉ふごとく是をうけ奉るべき爲に 右の肝要なる儀をたもつにをひてはの事也 はあてれのなき所にても此授けしげくいる事なれは きりしたんはいづれもはうちすもを授くる道をならふべき事專也
弟 第二のさからめんとは何ぞや
師 こんひるまさんのさからめんと也是を又」(六十二ウ)きりずまとも云也ばうちずもを授りたる人にびすほより授け玉ふさからめむと也 此さからめんとを以てでうすより あたらしき がらさを與へ給ひばうちずもの時受けたるひいですをつよめ給ひ いるべき時にばんみんの前に其ひいですを あらはす爲に御力をそへ玉ふさからめんと也是即此さからめんとの徳儀也
弟 第三のさからめんとゝは何事ぞ
師 こむにあんともいひゑうかりすちやとも申すさからめんと也
弟 此さからめんとのしさいをしめし給へ
師 此さからめんとは さいじやうのみすてりよなればことばにのべられぬ事也はあてれ」(六十三オ)みいさを行ひ玉ふ時御主ぜずきりしとのぢきに教へ玉ふ御ことばをかりすとおすちやの上に唱へ給へば其時まで はんたりしは即時にぜずきりしとの眞の御色身と成かはり給ひ又かりすに有所のぶだうの酒はぜずきりしとの眞の御ちと成かはり玉ふ事を信ずる事肝要也 然は それより はんとぶどうの酒の色か あぢはひの下に御主ぜずきりしとの御正體天に御座ますごとく其所にも御座〔まの落ちるか。〕す也それによてぢきに ぜずきりしとのそんたいを おがみ奉るごとく此はかりなきさからめんとをうやまひ奉る事せんよう也
弟 はんとぶだうの酒はぜずきりしとの御」(六十三ウ)色身と御ちに成かはり玉ふ事何と叶べきや又其色かを味ひ見奉ればぶだうの酒の色か味ひも前にたがはずして有と存るなり是大きにふしぎなる事也
師 さてこそ此さからめんとはふかしぎ第一のみすてりよと申奉る也其しさいを達して知事叶はすといへ共眞のみなもとにて御座ます 御主ぜずきりしとかくの如く教へ玉ふ上はすこしもうたがはす信する事專也此等の儀をさんたゑけれじやより教へ給ひ又御主ぜすきりしと此さからめんとの眞なる事を あらはし たまはん爲に ゑうかりすちやについて樣々の 御きどくをあらはし玉ふ者也我等が眼にははんと」(六十四オ)ぶだうの酒と のみ見ゆるしさいは 前の儀なしたゝ色か あぢはひすんはうも本のごとくに御座ますによて はんとぶだうの酒のみ眼にかゝる者也然れ共ひいてすのひかりをもて信する事ははんとぶだうの色かの下に はんと ぶだうの正體はなきなりたゝ御主ぜずきりしとのぢきの御色體と御ちのみにて御座ます也
弟 はんの色か 味ひの下に ぜすきりしとの 御色身御座ましぶだうの酒の色か味ひの下に御ち御座ますといへる事何事ぞ もしをすちやに 御座ます ぜずきりしとの御色身は かりすに 御座ます御ちにはなれ玉ふや」(六十四ウ)
師 其儀にあらずそれをいかにと云にをすちやにもかりすにも御主ぜずきりしとの御色身は御ち共にはなれ給はずして天に御座ますごとくこもり御座ます也さりなからくるすにをひて御ちをながし玉ふ時其御ちは御身をはなれ玉ふによて此はかりなき御はしよんのみすてりよを行ひ奉る爲に御主よりをすちやすとかりすの上にかつかくにもんを唱へよと教へをき玉ふ者なり其御ことばの御せいりきを以てはんの正體は御主ぜずきりしとのそんたいになりかはり給ひぶだうの酒の正體も御主の御ちになりかはり玉ふ者なりさりなから御主ぜずきりしと御にうめつよりよみがへ」(六十五オ)り給ひて後 御色身と 御ちとかつかくにましまさざるか故にをすちやすにもかりすにもはなれて御座ます事なき者なりたゝをすちやに 御ちと御色身共に御座ますごとくかりすにも御ちと御色身も共に御座ます也
弟 此さからめんとは御主ぜずきりしと御一體にて御ま座し〔御座ましなるべし〕ながら同時にあまたのをすちや あまたの所にまします事は何と申したる事ぞ
師 其ふしんもつとも也さりなから此儀をわきまへらるべき爲に一つのたとへあり何にてもあれ一の物をあまたのかゝみの前にをくにをひては何れのかゝみにも其すがたう」(六十五ウ)つるためし有是さへかくのごとく なるときんばましてやいはん萬事叶ひ玉ふ實のでうすにてまします御主ぜずきりしとの御身御一體にてましますと申すともあまたの所にをひて あまたのをすちやに御座ます事叶ひ玉ふまじきや
弟 をすちやを二にわけ玉ふ時は御主ぜずきりしとの御色身もわかり玉ふ事有や
師 其儀に あらずをすちやをいくつにわけても御主の御色身をわけ奉る事にはあらずたゝをすちやの別々に まつたくそなはりまします也 たとへば おもかげのうつりたるかゝみをすん/\に わると云へ共其おもかげを わるにはあらず たゝかゝみのき」(六十六オ)れ/\に其おもかげはまつたく うつるがごとくなり
弟 ぜずきりしとの御たけはよのつねの人ほどましませしにちいさきをすちやには何としてまつたくこもり玉ふぞや
師 此はかりましまさぬ さからめんとは なつうらの上のみすてりよなるを しゐてわきまへんとするはいらざるのぞみ也たゝ深きへりくだりを以て信じ奉る事專也 然りといへ共 右のかゝみのたとへを以てすこしなり共わきまへらるべし右に云へるごとくかゝみのわれはちいさき物なれ共それにうつる物は人のたけほど成物は云に及ばずたいさんにてもあれのこらずうつる者也な」(六十六ウ)つうらの道さへかくのごとくなるにをひてはいんひにとにてまします御主ぜずきりしとの 御色身などかおぼしめす まゝにちいさきをすちやにこもり給はん事叶ひ給はずと申事ましまさんやただし此たとへを以ても有のまゝにはあらはしがたし其故は かゝみには其おもかげのみうつるといへ共をすちやには御主の御正體悉くぢきにうつりまします者也
弟 此さからめんとを善き樣にうけ奉る爲に何事をか仕るべきや
師 もるたる科をゝかした る者ならば なにたる科なり共いまだそれを こんひさんに申さぬにをひては深きこうくはいを 以てさん」(六十七オ)げする事專也 其外前の よの やはんよりのみ物 くひものを もちいずもしすこしなり共ゆみづをももちゆる事あらば其あしたにはうけ奉る事叶はぬ也又此さからめんとを授り奉らん時はをきあがりてより深き へりくだりを以て 此さからめんとにこもり玉ふ御かたは誰にてましますぞと云事をしあんいたし是は我等に對せられて 樣々のかしやくをうけさせられつゐに御にうめつなされたる御忍の條々をかへり見奉る事肝要なり又うけ奉りてよりは我があにまに來り給ひし御忍を深くくはんねむして御れいを申上奉るべし
弟 第四ヶ條目のさからめんとは何事ぞ」(六十七ウ)
師 へにてんしやのさからめんと也 是即ばうちずもをさづかりて 以後 あにまの やまひとなる科をなをさるゝすひりつあるのらうやく也
弟 へにてんしやはいくつにきはまる也
師 三にきはまる也一には こんちりさんとて心中のこうくはい也 二にはこんひさんとてことばにてさんげする事也三には さしちはさんとて所作をもて科をくりをすること也
弟 眞實のこんちりさんをば 何と樣に 持べきぞ
師 でうすに對し奉りてをかしたる科を眞實にくい悲み時分をもてこんひさんを申」(六十八オ)べし是より後は もるたる科をゝかす事有まじきとのつよきかくごをすへ 過し科のつくのひを致をもて眞實に達する也
弟 こんひさんをば何と樣に申べきぞ
師 まづ初めて申こんひさんならば ゝうちずもの以後の科より其時まての事を申べし一度申て以後のこんひさんならば前のこんひさんより又其時までをかしたる科の上をしあんして一ものこさず 申事肝要也 此事の爲に右の九ヶ條目にあらはすべき事をたもつべし
弟 さしちはさんとは何事ぞ
師 我等が科のつくのひを御主ぜずきりしとへとゝへ奉る事なり 是即我等がこう」(六十八ウ)くはい心中のいたみとはあてれより授け玉ふ科をくりをもてとゝのゆる者也
弟 第五のさからめんとは何事ぞ
師 ゑすてれまうんさんとて びすほより唱へ玉ふ貴きおれよをもて さづかり奉るさからめんと也 此さからめんとは死るにのぞんで びやうにんのみに授け玉ふさからめんと也 此さからめんとをもて 御主ぜずきりしと御身のがらさを與へ給ひあにまに のこりたる科のけがれをきよめたまひりんじうのなんぎを善き樣にこらへんが爲に御力をそへ玉ふさからめんと也
弟 第六のさからめんとは何事ぞ
師 おるでんと云さからめんと也此さからめん」(六十九オ)とをもてびすほよりさせるだうてとさからめんとすを授くる位に人を上玉ふ者也此さからめんとをさづかり奉る人々は其やくをよきやうに つとむる爲に 御主ぜずきりしとよりがらさを與へ玉ふさからめんと也
弟 第七のさからめんとゝは何事ぞ
師 まちりまうによのさからめんと也此さからめんとはゑけれじやの御さだめの ごとくつまをまうくる事也是をもてぶじにながらへでうすより教へ玉ふ なつうらのはうにまかせしそんはんじやうの爲にがらさを與へ玉ふさからめんと也
弟 其時 ふうふたがひにせずして 叶はざるとのさだまりたるやくそくの儀ありや」(六十九ウ)
師 是れもとものふしん也 たがひにせず□て叶はぬ三つの きびしきやくそくあり一 には一度 ゑんを むすびて後は なんによともにりべつし又よの人とまじはる事かつて叶はざる者也それを如何にと云に生徳まちりまうによのやくそくはたがひにいつまでも別るゝ事有まじきとのかたきちぎりなれば也
弟 是あまりにきびしき 御さだめ也 其故はたがひにきにあはざる事 あらん時もりべつする事 叶はざるとの 御教へ なるによて也
師 是れ もともかたき事なりと見ゆるといへどもまちりまうによのゑんをむすぶ時で」(七十オ)うすより與へ 下さるゝ其がらさの 御力を以てそれより ふうふたがひに深き大切にむすびあひそひとぐる爲に 大きなる 御力を與へ下さるゝ者也 其證據れきぜん也何れのきりしたんも 此さからめんとをうけ奉るを以てふうふの あひだ たがひにぶじにして身をはるまでそひとゝくる事是其御力によての事に あらずや
弟 でうす何とて一度ゑんをむすびてよりはなれざる樣にさだめ玉ふや
師 如此さだめをき玉ふ事別にあらずたがひに科なくしてしそんはんじやうし又其御おきてに隨ひ奉るをもて其子さいたるまでも後生を扶り其上ふうふたがひに」(七十ウ)一身の如く おもひあひようじよあらん時力をそへあはんが爲也 此儀を達せん爲にはかりそめにては叶はざる儀なればながくちぎらずんばあるべからず もしりべつする事心のまゝなるにをひてはおとこはをんなに心をへだてをんなはおとこに 心をゝきふうふのうちすこしもやすき事なくきづかいのみ たるべし其外何たるようじよあらん時もたがひにたよりとなる事有べからず別してびやうきの じせつ又はなんぎの時も力なく頼む所なかるべし其上又我が子をそだつる事につきても樣々のふそく出來べしそれをいかにと云に もしきにあはざる時心のまゝに りべつする事叶ふにをひては其み」(七十一オ)ぎりなんしは 父に 伴ひてまま母にそひうき目を堪へ又 女子は母につき行きまま父に あひていかほどのふによいをかしのぐべきかやうの ふそくなからん爲には いつまても たへぬ ちぎりなくんば 其子を眞實の深き大切を以て ふそく なき樣に そだつる事 叶ふべからずなを此上にしあんをくはへてふるにをひては 此上の理に もれたる こと世に 有べからず 故如何と なれば 日比ちぎり をきしふうふの中をすこしのかろき事によりて別れ又は別の女別のおとこに心をうつして我が眞實のさだまりたるふうふの中を さくる事是を道理と云はんや道に外れたる事のさいじやうなり」(七十一ウ)しよせんそれより出る所のそんを見るにまづ いつまでもそいとゝくまじきとおもはゝたがひのあやまり きたがひになる事を堪る事有べからずさて又其 りべつより出る所の そんを見るに まづ 其しんるひにたがひに いこんをふくませ或は 其むねんをさんぜんが爲せつがひに 及ぶか 又は 其一もんたがひにぎぜつしておもはざるにおんできとなり又其けんぞくの内より力なきみなし子となる者是おほし其ためしきりしたんにあらざるぜんちよの上にあきらかにあらはるゝ者也
弟 是皆もともすぐれたる道理也 さりながら かくのごとく のきびしき御おきては人に」(七十二オ)よて身の爲に大きなるあたなりとおもふ者おほかるべし其故は我がきにさかひ心に叶はざる者に 何としてそいとくべきやか樣の者をつまとさだめふうふの けいやくせんよりはしかじつまをたいせざらんにはとおもふ者おほかるべし
師 其ふしんもとも也 然といへ共そうじて世間のはうにも何のはつとをなり共さだむる時萬人の徳を はかりて其きそくをゝく者也もし其内に人有て萬人の爲にはさも□らば あれ我が爲には此はうしきふかなりとおもふ者も有べし たとへば 國中より他國へ八木を 出す事有べからずとの はつとをゝかるゝ時ばい/\を專とする者の爲には」(七十二ウ)ふしやうなる はうしき たりと云へ共□〔判讀不能。1600年版ではその〕國の爲にはぶねうのもとい也 其如くで うすより授け玉ふ御おきてもあまねく人の徳と成べき事をはかりたまひ理に隨てさだめをき玉ふ者也この まちりもうによのさからめんとを以て何れも人皆深き徳を得と云へ共其内にも理にもれあまきをきらひにがきをこのむ者もせう/\是有べし
弟 たゝ今の理をうけ給はりてより分別を明め申なき今又なを心のうたがひを はらし申べき爲一の事をたづね申べし右の別なるにをひては たとひ其おとこか又をんなか身持らんぎやうにして 御おきて。にも隨はず 別につまをたいするか又さはなしと云へ」(七十三オ)共二人の内何れにても生徳しねあしき者なるに をひては 何とすべきや それとてもりへつする事叶ふまじきや
師 是もとも肝要のふしん也如此なるにをひてはゑけれじやの 御さだめの むねに まかせたがひに其中をさくる事も叶ふ也 さりながら りべつしてもよの人に又より合事は叶はず是も道理によての事也其を如何と云にか樣のいたづら成者は又別のつまを持と云共又右に さたせし 所の 深きそん しつをし出すべきによて 二度其 わざはひなからんが爲にふうふをたいせざる 樣にとさだめをき玉ふ也
弟 是すぐれたる理也 今此儀を聽聞してすみや」(七十三オ)かに心のやみをはらし申也たゝ今の御教への理に もとづきてしあんを くはへて見るに 眞に 其りべつより 出來所の そんしつはばくたひにして御おきてに 隨ひ身をおさむるより求得る大徳は中々あげてかぞうべからず 是を以て一ばんの†おびりがさんのはなはだ肝要なりと云儀はよく分別しぬ今又其二はんのおびりがさんをしめし給へ
師 是前の儀にあらずふうふ其さだまりたるしそんはんじやうの道をまちりまうによの御おきてのむねにまかせたしかに まもるべしおつとも女も我がつまにあらざる他にはだへをふるゝ事是もともぢうぼん也」(七十四オ)
弟 三はんのおびりがさんは何れぞや
師 まちりもうによのさからめんとを以てでうすより たがひに はなれざる はうばひとさだめ給へば たがひに 其力たらざる所に心をそへ又其子にいるへきほどの事を與へ我が子をそだつるにすこしもゆるかせに有べからずとの御おきて是也
弟 此七のさからめんとすは後生をたすかる爲に授からずして叶ぬ事也や
師 すゑの 二ヶ條はゑけれじやにをひて なくして叶ぬ事なりと云へ共めん/\我が身ののぞみなkれは うけずして叶ぬ事にはあらず其故は誰にてもあれおるでんをうけよ 又は ふうふをさだめよとのおびりが」(七十四ウ)さんに あらずたゝ 其身のゝぞみにまかせらるゝもの也初め五はうけずして叶はざるさからめんと也 其じせつにのぞんでうけ奉る事叶ひながらうけざれば 科なり叶はぬ時は科にあらず
弟 此等のさからめんとは度々授り申す事叶ふやいなや
師 ばうちずもとこんひるまさんおるでん此三のさからめんとは一度より外に授からずその外は度々授り申事叶ふ也中にもへにてんしやとさんちしまゑうかりすちやのさからめんとは我等が爲に 第一肝要なる事なれば 度々授り奉る事專也
弟 然らばまちりまうによのさからめんと」(七十五オ)も度々授り申事叶ふべきや
師 誰にてもあれ まちりまうによをうけたるつまの存命の間に別のつまをさだめ此さからめんとを又あらため授る事すこしも叶はず然れ共ふうふの内一人死るにをひてはあらためて授る事も叶ふ也その外ゑすてれま うんさんの さからめんとを授りたる人其わづらひよりくはいきを得て以後又りんじうにのぞまん時授る事も叶ふ者也」(七十五ウ)
18:33
2008年2月27日(水)
英語版ウィキペディアに、英語での落葉集研究をうまくまとめたものが書かれてゐたので翻譯しました 。ライセンスの都合上別ページに。現在本の説明はあきらかにあやまりですが、ほかはたんに面白い觀點といふやうに捉へられるのではないでせうか。
23:55
2008年2月28日(木)
月・火と例になくはやく寢たのだけれど、その反動か水・木は遲くまで起きてしまつた。性に合はないとしてもあんまりねえ。
23:55
2008年2月29日(金)
『あたらしい教科書』2巻「本」、永江朗監修、プチグラパブリッシング、2006。 いしいひさいち『いしいひさいちの経済概論』朝日新聞社、1887。 『新訂徒然草』西尾実・安良岡康作校注、岩波文庫、岩波書店、1928。1985。 『イソップ寓話集』山本光雄譯、岩波文庫、岩波書店、1942。1974。
23:55
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——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め (中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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