Diary/ + PCC + — HIMAJIN NI AI WO. Love Idle

2008年2月26日(火)

どちりいなきりしたん翻刻草稿(11)

今囘は第十一を收める。

○ 第十一さんたゑけれじやの七のさからめんとの事

後生を扶くるべき爲には今までしめし玉ふ所の よく物を頼み奉る事達してひいですを得奉事と身體をまさしくおさむる事此三ヶ條計にて悉皆達するやいなや」(五十九オ)
其儀にあらずこれを たもちをこなふ爲にでうすのがらさ專也
其がらさをでうすより下さるゝ爲に何たる道ありや
御母 さんた ゑけれじやの さからめんとす是也 此さからめんとすをよきかくごを以てうけ奉るべき事肝要也
其さからめんとすはいくつありや
七あり一にははうちずも二にはこんひるまさん三にはゑうかりすちや四にはへにてんしや 五にはゑすてれまうんさん六にはおるでん七にはまちりまうによ是也
此七のさからめんとをば誰人のさだめたまふぞ」(五十九ウ)
御主せずきりしとの 御身のがらさと御はしよんの 御功力とを我等に與へたまはん爲にさだめ玉ふ者也
其さからめんとすをば何と樣にうけ奉るべきや
ゑうかりすちあのさからめんとをさづかり奉る人はもるたる科あらば こうくはいの上にこんひさんを申事專也 よのさからめんとをうくる人はせめてこんちりさんをもてうくべき事也たゝしこんひさん申にをひてはなを達したる事也
此七のさからめんとの内に第一はいづれぞや
まづ第一にはばうちいずものさからめん」(六十オ)と也 此さからめんとはきりしたんになる爲と又よのさからめむとをうけ奉るべき爲にも下地となる也
はうちずもとは何事ぞ
はうちずもとはきりしたむになるなるさからめむと也是をもてひいですとがらさをうけ奉りおりじなる科と其時まてをかしたるほどのとがをゆるじ〔ママ〕玉ふさからめむと也是即本々の道よりうけ奉るにをひては〔ママ〕の事也
いかなるかくごをもて此さからめむとをうけ奉るべきぞや
ぜひをわきまゆるほどの者ならばまづきりじ〔ママ〕たむにならんとのぞみすぎにし」(六十ウ)科をくひかなしひそれより御主ぜずきりしとの御おきてをたもち奉るべきとのかくごを以て 此さからめんとをうくる事肝要也
此さから めんとをば 何と樣に授け玉ふぞ
是を授かる人のかうべかせめて其人の身の上にみつをかくると共に此もんを唱ゆべしいかに○へとろはうろとなり共名を付て○それがしでうすはあてれひいりよすひりつさんとの御名を以てなんぢをあらひ奉る也あめんと云べし是を經もんの唱へには○何の名なり共付て後†ゑご○で○ばうちいぞ○いんのうみね○はあちりす○ゑつ○ひいりい○すひりつす○さんち○あめんと云也」(六十一オ)
もし人あつて此もんを唱へすしてみづをかくるか又はことばの半 分を云か或は其ことばの内一つなり共 かきてみつをかくるか或はもんをば悉く唱へてみづをかくるといへどもみづをかけざる前か 後か右のもむを唱るにをひてはいかゝあるべきや
みづをかくると共に唱へずんはばうちずもをうけたるにてはあるべからず又もんをも達して唱る事肝要也 たゝしそれがしと云ことばか あめんと云ことばか 或はばうちずもをうくる人の名をば云はず共ばうちずもと成也 此三をのぞきてよのことばの内一つなり共かくるにをひてはばうちずもを 授りたるにはあらず」(六十一ウ)
ばうちずもを授からずしても扶くる道前〔1600年版に別とあり〕に有りや
後生を扶る爲にそうじてなくして叶はざる道也 是によて叶にをひては達して授るべき事也さりなから人有てばうちずもを授かりたくのぞむと云へ共其ついてを得ずして其まゝ死すると云ふとも眞實に其身のゆだんなくんば たとひみづのばうちずもをば授からずとも扶るべき者也其故はばうちすものゝぞみ深かりしによて也然れ共是も右に云し如くをかせる科のこうくはいもつとも肝要也
ばうちずもをば誰人の授け玉ふぞ
本々の儀ならば ばうちずもを授る事は」(六十二オ)あてれのやく也 さりなから此さからめんとは後 生を 扶る爲になくして叶はざる道なれば御主 ぜずきりしとよりはあてれのなき所にてはおとこをんなによらず此さからめんとを授くる 御ゆるしを與へ玉ふによて誰成共授くる事叶者也 是又御主ぜずきりしと教へをき玉ふごとく是をうけ奉るべき爲に 右の肝要なる儀をたもつにをひてはの事也 はあてれのなき所にても此授けしげくいる事なれは きりしたんはいづれもはうちすもを授くる道をならふべき事專也
第二のさからめんとは何ぞや
こんひるまさんのさからめんと也是を又」(六十二ウ)きりずまとも云也ばうちずもを授りたる人にびすほより授け玉ふさからめむと也 此さからめんとを以てでうすより あたらしき がらさを與へ給ひばうちずもの時受けたるひいですをつよめ給ひ いるべき時にばんみんの前に其ひいですを あらはす爲に御力をそへ玉ふさからめんと也是即此さからめんとの徳儀也
第三のさからめんとゝは何事ぞ
こむにあんともいひゑうかりすちやとも申すさからめんと也
此さからめんとのしさいをしめし給へ
此さからめんとは さいじやうのみすてりよなればことばにのべられぬ事也はあてれ」(六十三オ)みいさを行ひ玉ふ時御主ぜずきりしとのぢきに教へ玉ふ御ことばをかりすとおすちやの上に唱へ給へば其時まで はんたりしは即時にぜずきりしとの眞の御色身と成かはり給ひ又かりすに有所のぶだうの酒はぜずきりしとの眞の御ちと成かはり玉ふ事を信ずる事肝要也 然は それより はんとぶどうの酒の色か あぢはひの下に御主ぜずきりしとの御正體天に御座ますごとく其所にも御座〔まの落ちるか。〕す也それによてぢきに ぜずきりしとのそんたいを おがみ奉るごとく此はかりなきさからめんとをうやまひ奉る事せんよう也
はんとぶだうの酒はぜずきりしとの御」(六十三ウ)色身と御ちに成かはり玉ふ事何と叶べきや又其色かを味ひ見奉ればぶだうの酒の色か味ひも前にたがはずして有と存るなり是大きにふしぎなる事也
さてこそ此さからめんとはふかしぎ第一のみすてりよと申奉る也其しさいを達して知事叶はすといへ共眞のみなもとにて御座ます 御主ぜずきりしとかくの如く教へ玉ふ上はすこしもうたがはす信する事專也此等の儀をさんたゑけれじやより教へ給ひ又御主ぜすきりしと此さからめんとの眞なる事を あらはし たまはん爲に ゑうかりすちやについて樣々の 御きどくをあらはし玉ふ者也我等が眼にははんと」(六十四オ)ぶだうの酒と のみ見ゆるしさいは 前の儀なしたゝ色か あぢはひすんはうも本のごとくに御座ますによて はんとぶだうの酒のみ眼にかゝる者也然れ共ひいてすのひかりをもて信する事ははんとぶだうの色かの下に はんと ぶだうの正體はなきなりたゝ御主ぜずきりしとのぢきの御色體と御ちのみにて御座ます也
はんの色か 味ひの下に ぜすきりしとの 御色身御座ましぶだうの酒の色か味ひの下に御ち御座ますといへる事何事ぞ もしをすちやに 御座ます ぜずきりしとの御色身は かりすに 御座ます御ちにはなれ玉ふや」(六十四ウ)
其儀にあらずそれをいかにと云にをすちやにもかりすにも御主ぜずきりしとの御色身は御ち共にはなれ給はずして天に御座ますごとくこもり御座ます也さりなからくるすにをひて御ちをながし玉ふ時其御ちは御身をはなれ玉ふによて此はかりなき御はしよんのみすてりよを行ひ奉る爲に御主よりをすちやすとかりすの上にかつかくにもんを唱へよと教へをき玉ふ者なり其御ことばの御せいりきを以てはんの正體は御主ぜずきりしとのそんたいになりかはり給ひぶだうの酒の正體も御主の御ちになりかはり玉ふ者なりさりなから御主ぜずきりしと御にうめつよりよみがへ」(六十五オ)り給ひて後 御色身と 御ちとかつかくにましまさざるか故にをすちやすにもかりすにもはなれて御座ます事なき者なりたゝをすちやに 御ちと御色身共に御座ますごとくかりすにも御ちと御色身も共に御座ます也
此さからめんとは御主ぜずきりしと御一體にて御ま座し〔御座ましなるべし〕ながら同時にあまたのをすちや あまたの所にまします事は何と申したる事ぞ
其ふしんもつとも也さりなから此儀をわきまへらるべき爲に一つのたとへあり何にてもあれ一の物をあまたのかゝみの前にをくにをひては何れのかゝみにも其すがたう」(六十五ウ)つるためし有是さへかくのごとく なるときんばましてやいはん萬事叶ひ玉ふ實のでうすにてまします御主ぜずきりしとの御身御一體にてましますと申すともあまたの所にをひて あまたのをすちやに御座ます事叶ひ玉ふまじきや
をすちやを二にわけ玉ふ時は御主ぜずきりしとの御色身もわかり玉ふ事有や
其儀に あらずをすちやをいくつにわけても御主の御色身をわけ奉る事にはあらずたゝをすちやの別々に まつたくそなはりまします也 たとへば おもかげのうつりたるかゝみをすん/\に わると云へ共其おもかげを わるにはあらず たゝかゝみのき」(六十六オ)れ/\に其おもかげはまつたく うつるがごとくなり
ぜずきりしとの御たけはよのつねの人ほどましませしにちいさきをすちやには何としてまつたくこもり玉ふぞや
此はかりましまさぬ さからめんとは なつうらの上のみすてりよなるを しゐてわきまへんとするはいらざるのぞみ也たゝ深きへりくだりを以て信じ奉る事專也 然りといへ共 右のかゝみのたとへを以てすこしなり共わきまへらるべし右に云へるごとくかゝみのわれはちいさき物なれ共それにうつる物は人のたけほど成物は云に及ばずたいさんにてもあれのこらずうつる者也な」(六十六ウ)つうらの道さへかくのごとくなるにをひてはいんひにとにてまします御主ぜずきりしとの 御色身などかおぼしめす まゝにちいさきをすちやにこもり給はん事叶ひ給はずと申事ましまさんやただし此たとへを以ても有のまゝにはあらはしがたし其故は かゝみには其おもかげのみうつるといへ共をすちやには御主の御正體悉くぢきにうつりまします者也
此さからめんとを善き樣にうけ奉る爲に何事をか仕るべきや
もるたる科をゝかした る者ならば なにたる科なり共いまだそれを こんひさんに申さぬにをひては深きこうくはいを 以てさん」(六十七オ)げする事專也 其外前の よの やはんよりのみ物 くひものを もちいずもしすこしなり共ゆみづをももちゆる事あらば其あしたにはうけ奉る事叶はぬ也又此さからめんとを授り奉らん時はをきあがりてより深き へりくだりを以て 此さからめんとにこもり玉ふ御かたは誰にてましますぞと云事をしあんいたし是は我等に對せられて 樣々のかしやくをうけさせられつゐに御にうめつなされたる御忍の條々をかへり見奉る事肝要なり又うけ奉りてよりは我があにまに來り給ひし御忍を深くくはんねむして御れいを申上奉るべし
第四ヶ條目のさからめんとは何事ぞ」(六十七ウ)
へにてんしやのさからめんと也 是即ばうちずもをさづかりて 以後 あにまの やまひとなる科をなをさるゝすひりつあるのらうやく也
へにてんしやはいくつにきはまる也
三にきはまる也一には こんちりさんとて心中のこうくはい也 二にはこんひさんとてことばにてさんげする事也三には さしちはさんとて所作をもて科をくりをすること也
眞實のこんちりさんをば 何と樣に 持べきぞ
でうすに對し奉りてをかしたる科を眞實にくい悲み時分をもてこんひさんを申」(六十八オ)べし是より後は もるたる科をゝかす事有まじきとのつよきかくごをすへ 過し科のつくのひを致をもて眞實に達する也
こんひさんをば何と樣に申べきぞ
まづ初めて申こんひさんならば ゝうちずもの以後の科より其時まての事を申べし一度申て以後のこんひさんならば前のこんひさんより又其時までをかしたる科の上をしあんして一ものこさず 申事肝要也 此事の爲に右の九ヶ條目にあらはすべき事をたもつべし
さしちはさんとは何事ぞ
我等が科のつくのひを御主ぜずきりしとへとゝへ奉る事なり 是即我等がこう」(六十八ウ)くはい心中のいたみとはあてれより授け玉ふ科をくりをもてとゝのゆる者也
第五のさからめんとは何事ぞ
ゑすてれまうんさんとて びすほより唱へ玉ふ貴きおれよをもて さづかり奉るさからめんと也 此さからめんとは死るにのぞんで びやうにんのみに授け玉ふさからめんと也 此さからめんとをもて 御主ぜずきりしと御身のがらさを與へ給ひあにまに のこりたる科のけがれをきよめたまひりんじうのなんぎを善き樣にこらへんが爲に御力をそへ玉ふさからめんと也
第六のさからめんとは何事ぞ
おるでんと云さからめんと也此さからめん」(六十九オ)とをもてびすほよりさせるだうてとさからめんとすを授くる位に人を上玉ふ者也此さからめんとをさづかり奉る人々は其やくをよきやうに つとむる爲に 御主ぜずきりしとよりがらさを與へ玉ふさからめんと也
第七のさからめんとゝは何事ぞ
まちりまうによのさからめんと也此さからめんとはゑけれじやの御さだめの ごとくつまをまうくる事也是をもてぶじにながらへでうすより教へ玉ふ なつうらのはうにまかせしそんはんじやうの爲にがらさを與へ玉ふさからめんと也
其時 ふうふたがひにせずして 叶はざるとのさだまりたるやくそくの儀ありや」(六十九ウ)
是れもとものふしん也 たがひにせず□て叶はぬ三つの きびしきやくそくあり一 には一度 ゑんを むすびて後は なんによともにりべつし又よの人とまじはる事かつて叶はざる者也それを如何にと云に生徳まちりまうによのやくそくはたがひにいつまでも別るゝ事有まじきとのかたきちぎりなれば也
是あまりにきびしき 御さだめ也 其故はたがひにきにあはざる事 あらん時もりべつする事 叶はざるとの 御教へ なるによて也
是れ もともかたき事なりと見ゆるといへどもまちりまうによのゑんをむすぶ時で」(七十オ)うすより與へ 下さるゝ其がらさの 御力を以てそれより ふうふたがひに深き大切にむすびあひそひとぐる爲に 大きなる 御力を與へ下さるゝ者也 其證據れきぜん也何れのきりしたんも 此さからめんとをうけ奉るを以てふうふの あひだ たがひにぶじにして身をはるまでそひとゝくる事是其御力によての事に あらずや
でうす何とて一度ゑんをむすびてよりはなれざる樣にさだめ玉ふや
如此さだめをき玉ふ事別にあらずたがひに科なくしてしそんはんじやうし又其御おきてに隨ひ奉るをもて其子さいたるまでも後生を扶り其上ふうふたがひに」(七十ウ)一身の如く おもひあひようじよあらん時力をそへあはんが爲也 此儀を達せん爲にはかりそめにては叶はざる儀なればながくちぎらずんばあるべからず もしりべつする事心のまゝなるにをひてはおとこはをんなに心をへだてをんなはおとこに 心をゝきふうふのうちすこしもやすき事なくきづかいのみ たるべし其外何たるようじよあらん時もたがひにたよりとなる事有べからず別してびやうきの じせつ又はなんぎの時も力なく頼む所なかるべし其上又我が子をそだつる事につきても樣々のふそく出來べしそれをいかにと云に もしきにあはざる時心のまゝに りべつする事叶ふにをひては其み」(七十一オ)ぎりなんしは 父に 伴ひてまま母にそひうき目を堪へ又 女子は母につき行きまま父に あひていかほどのふによいをかしのぐべきかやうの ふそくなからん爲には いつまても たへぬ ちぎりなくんば 其子を眞實の深き大切を以て ふそく なき樣に そだつる事 叶ふべからずなを此上にしあんをくはへてふるにをひては 此上の理に もれたる こと世に 有べからず 故如何と なれば 日比ちぎり をきしふうふの中をすこしのかろき事によりて別れ又は別の女別のおとこに心をうつして我が眞實のさだまりたるふうふの中を さくる事是を道理と云はんや道に外れたる事のさいじやうなり」(七十一ウ)しよせんそれより出る所のそんを見るにまづ いつまでもそいとゝくまじきとおもはゝたがひのあやまり きたがひになる事を堪る事有べからずさて又其 りべつより出る所の そんを見るに まづ 其しんるひにたがひに いこんをふくませ或は 其むねんをさんぜんが爲せつがひに 及ぶか 又は 其一もんたがひにぎぜつしておもはざるにおんできとなり又其けんぞくの内より力なきみなし子となる者是おほし其ためしきりしたんにあらざるぜんちよの上にあきらかにあらはるゝ者也
是皆もともすぐれたる道理也 さりながら かくのごとく のきびしき御おきては人に」(七十二オ)よて身の爲に大きなるあたなりとおもふ者おほかるべし其故は我がきにさかひ心に叶はざる者に 何としてそいとくべきやか樣の者をつまとさだめふうふの けいやくせんよりはしかじつまをたいせざらんにはとおもふ者おほかるべし
其ふしんもとも也 然といへ共そうじて世間のはうにも何のはつとをなり共さだむる時萬人の徳を はかりて其きそくをゝく者也もし其内に人有て萬人の爲にはさも□らば あれ我が爲には此はうしきふかなりとおもふ者も有べし たとへば 國中より他國へ八木を 出す事有べからずとの はつとをゝかるゝ時ばい/\を專とする者の爲には」(七十二ウ)ふしやうなる はうしき たりと云へ共□〔判讀不能。1600年版ではその〕國の爲にはぶねうのもとい也 其如くで うすより授け玉ふ御おきてもあまねく人の徳と成べき事をはかりたまひ理に隨てさだめをき玉ふ者也この まちりもうによのさからめんとを以て何れも人皆深き徳を得と云へ共其内にも理にもれあまきをきらひにがきをこのむ者もせう/\是有べし
たゝ今の理をうけ給はりてより分別を明め申なき今又なを心のうたがひを はらし申べき爲一の事をたづね申べし右の別なるにをひては たとひ其おとこか又をんなか身持らんぎやうにして 御おきて。にも隨はず 別につまをたいするか又さはなしと云へ」(七十三オ)共二人の内何れにても生徳しねあしき者なるに をひては 何とすべきや それとてもりへつする事叶ふまじきや
是もとも肝要のふしん也如此なるにをひてはゑけれじやの 御さだめの むねに まかせたがひに其中をさくる事も叶ふ也 さりながら りべつしてもよの人に又より合事は叶はず是も道理によての事也其を如何と云にか樣のいたづら成者は又別のつまを持と云共又右に さたせし 所の 深きそん しつをし出すべきによて 二度其 わざはひなからんが爲にふうふをたいせざる 樣にとさだめをき玉ふ也
是すぐれたる理也 今此儀を聽聞してすみや」(七十三オ)かに心のやみをはらし申也たゝ今の御教への理に もとづきてしあんを くはへて見るに 眞に 其りべつより 出來所の そんしつはばくたひにして御おきてに 隨ひ身をおさむるより求得る大徳は中々あげてかぞうべからず 是を以て一ばんの†おびりがさんのはなはだ肝要なりと云儀はよく分別しぬ今又其二はんのおびりがさんをしめし給へ
是前の儀にあらずふうふ其さだまりたるしそんはんじやうの道をまちりまうによの御おきてのむねにまかせたしかに まもるべしおつとも女も我がつまにあらざる他にはだへをふるゝ事是もともぢうぼん也」(七十四オ)
三はんのおびりがさんは何れぞや
まちりもうによのさからめんとを以てでうすより たがひに はなれざる はうばひとさだめ給へば たがひに 其力たらざる所に心をそへ又其子にいるへきほどの事を與へ我が子をそだつるにすこしもゆるかせに有べからずとの御おきて是也
此七のさからめんとすは後生をたすかる爲に授からずして叶ぬ事也や
すゑの 二ヶ條はゑけれじやにをひて なくして叶ぬ事なりと云へ共めん/\我が身ののぞみなkれは うけずして叶ぬ事にはあらず其故は誰にてもあれおるでんをうけよ 又は ふうふをさだめよとのおびりが」(七十四ウ)さんに あらずたゝ 其身のゝぞみにまかせらるゝもの也初め五はうけずして叶はざるさからめんと也 其じせつにのぞんでうけ奉る事叶ひながらうけざれば 科なり叶はぬ時は科にあらず
此等のさからめんとは度々授り申す事叶ふやいなや
ばうちずもとこんひるまさんおるでん此三のさからめんとは一度より外に授からずその外は度々授り申事叶ふ也中にもへにてんしやとさんちしまゑうかりすちやのさからめんとは我等が爲に 第一肝要なる事なれば 度々授り奉る事專也
然らばまちりまうによのさからめんと」(七十五オ)も度々授り申事叶ふべきや
誰にてもあれ まちりまうによをうけたるつまの存命の間に別のつまをさだめ此さからめんとを又あらため授る事すこしも叶はず然れ共ふうふの内一人死るにをひてはあらためて授る事も叶ふ也その外ゑすてれま うんさんの さからめんとを授りたる人其わづらひよりくはいきを得て以後又りんじうにのぞまん時授る事も叶ふ者也」(七十五ウ)

18:33

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