築竹假名を元に現代風のかなを新しく書いてゐます。
なんでこんなことをはじめたのであらうか。多分、築竹假名標準の改刻や狩野さんの新個人プロジェクトを見た結果、明治以来の全印刷書体だけでなく、手書きの書体に関する知識
のかけらもないころにつくつた當世風の見込みの甘さが氣に食はなくなつてゐて、衝動的にはじめたのであらうとおもつてゐる。
22:05
なんとも自身の文章の誤解されやすさに苦惱するばかりではあるが、狩野さんの、kaz さんは真剣に受け止められたようだ
といふのは、誤讀であらう。早々に告白してしまふと、新かなは、イワタ明朝オールドと築竹假名の混淆を目指してゐたのであり、歴史性云々の件は、丸明オールドを思出すやうな破綻したかなの否定辭として、かつ、過去の自分の無謀さの傍證として引用されてゐる。あまり襃められた引用の仕方ではないことには代はりはないのであるが。
「ま」の件であるが、狩野さんがKappa20のかなをベースに選んだ以上は、他の書體の知識は、かなの形へのエツセンスにしかならない。そのやうな惱みをお持ちであるとは、驚きである。
咽喉が痛い、これにて寐よう。
21:44
以前の言に追加するとすれば、他の書體の知識は、かなの形へのエツセンスにしかならない
といふのは、知識は新書體へのベースを作るときにより重要さを感じるので、ベースが既にあるものにおいては、エッセンス――エッセンスのよさも大變重要なのは承知の上で――にすることはできても、エッセンスがベースを根本から變へることはないといふことである。勿論、これは、オリジナルをだいぶん尊重する姿勢のもとに行はれることであるが、さうでないのにしろ、過去になかつたことを理由に足を止めるのは、愼重を期すとのことではあらうが、過去の字形に改めるがよりよいのか、それとも、この「新しい」形を採るのがよりよいのか、との思考がなされてゐないことにはよろしくないし、さうであるやうには、讀めなかつた。誤讀であつたら申し譯ないのだが。
なんだか偉さうに書いてゐるなあ。
22:58
現代版と覆刻版があるのだが、Multi-Bitsの動的見本生成サービス(命名)で見る限り、何が違ふのかわからない、いや、平がなの大きさが違ふのは容易に知れるので別件。
23:13
昨夜眼鏡のレンズを掃除してゐたら、フレームを留める金具が外れたのでけふは眼鏡なしで過ごし、歸り際に新調したのですが、亂視が強まつてゐるといはれ、また、屆くのは日曜とのこと。それまで眼鏡なしで生活しなければならない……。
23:56
寢たのに。某はてなダイアリの件だが。批判するならちやんと人の云つてゐることを讀み取つたうへでやるのが本筋ではないのだらうか。アレコレ考へて突つつかれると痛いな、といふところが少しも觸れられてなくて安心。といふか、皮肉が一つも讀み取つてもらへてゐないあたり人のレベルを云々してゐられるのか心配してみる。
23:26
閉鎖が取りざたされる、近くのダイエーのモールにて、古本市が催されたので、行つてみる。
お決まりの如く、時代物・右翼物・變な物に滿ちてゐたが、一應、かのやうな收穫(?)を得た。(順不同)
古墳辭典なるものもあつたが、3千圓もするので買はなかつた。
15:09
「花」は、築地五號を基にリタッチしたものです。非賣品(違)。「を」は、新かななのですが、大部出來てきたと思ひます。そのうちスナップショットをまた公開するかもしれません。「……」はIPA 明朝です。
16:34
茶番など、したくはないのだが。何とか見榮えするくらゐには製本が進む。ふう。まだ茶番が終はる氣配はないが。來年度の豫定とか。スケジュールを組む奴つてなんでかう憎いのだらう、信じがたいスケジュールを平氣で出すなんて。
22:38
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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