以前の言に追加するとすれば、他の書體の知識は、かなの形へのエツセンスにしかならない
といふのは、知識は新書體へのベースを作るときにより重要さを感じるので、ベースが既にあるものにおいては、エッセンス――エッセンスのよさも大變重要なのは承知の上で――にすることはできても、エッセンスがベースを根本から變へることはないといふことである。勿論、これは、オリジナルをだいぶん尊重する姿勢のもとに行はれることであるが、さうでないのにしろ、過去になかつたことを理由に足を止めるのは、愼重を期すとのことではあらうが、過去の字形に改めるがよりよいのか、それとも、この「新しい」形を採るのがよりよいのか、との思考がなされてゐないことにはよろしくないし、さうであるやうには、讀めなかつた。誤讀であつたら申し譯ないのだが。
なんだか偉さうに書いてゐるなあ。
22:58
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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