音韻。「日本語學者がハ行轉呼音の説明になると決つて「母は昔父だつた」といふ」といふ?
80s。野矢『論理学トレーニング』を讀んでゐると、「講義ノートに「しかし」などを補つてみよ」といはれる。しかし、評論でなくて「しかし」が本文にあるものが、さうあるのだらうか。
某大學にも東京にサテライトといふものがあるのだが、その使用状況をみて5月が眞つ白なのであきれる。一般にも貸しだせばいいのに。
買物。
江守賢治編『楷行草筆順・字体字典』1983.5。2版、三省堂、2007.4。
天沢退二郎・池内紀・岡井隆ほか『名詩渉猟: わが名詩選』詩の森文庫102、思潮社、2005.1。
美川圭『院政: もうひとつの天皇制』中公新書1867、2006.10。
『法華経』坂本幸男・岩本裕譯註、上中下卷、岩波文庫、1962.7-12。改版、1976.12。
シェイクスピア『シェイクスピア全集1: ハムレット』松岡和子譯、ちくま文庫、筑摩書房、1996.1。
シェイクスピア『シェイクスピア全集5: リア王』松岡和子譯、ちくま文庫、筑摩書房、1997.12。
23:56
發聲練習と司馬遷はおやすみ。
式部。8文字の讀解に90分かけられるといふこと。
一昨日到著。
『一冊の本』2008年5月號、朝日新聞社。
昨日購入(記載忘れ)。
『聖書: 新共同訳旧約聖書続編つき』ハンディバイブル[版]、共同訳聖書実行委員会譯、日本聖書協会、2005。指定の譯なので……。
『古今和歌集』佐伯梅友校注、岩波文庫、岩波書店、1981.1。
23:55
ここに書かれなかつたことどもを思ひめぐらすに、あとから――1年後かも10年後かも50年後かもしれないが――讀んで恥づかしくないだらうものを撰んでゐるやうなのである。愚かさを認めたくないのだらうと云はれればそれまで。却下されたテーマは「文字研究と文字オタク」エトセトラエトセトラ……。書きすすめて咬みあはないものも捨てられる。ではなにが殘る?
金井美惠子が、あらためて(何回目なのかは知らず)小説の時代遅れさ加減
を指摘してゐるのだが、才能のなさを措いて(詩も小説も)何作か書いてしまひ、しかもするどくもない感性にとつてここちよいひびきをのみ目ざしてゐた私には、時代おくれでないものを書くことはまつたく叶はないのだし、特に詩においては、讀んだ分、思ひうかんだ詩句すべてについて祖先がまぢまぢと思はれて堪らなくなる。
「促し」といふ連用形名詞は次第にうしなはれつつある氣がする。管見による憶測では、1940年代生れがネイティヴになりうる下限ではなからうか。池澤夏樹、解説。『やがて麗しい五月が訪れ: 原條あき子全詩集』(「この親たちからはいかなる促しもなかった」220)。川平ひとし、緒言。『中世和歌論』。笠間書院編『学問のリレーのために。: 川平ひとし『中世和歌テキスト論: 定家へのまなざし』刊行記念パンフレット』(「中世和歌研究史の側からの促しにも起因している。」24)。池澤は1945年生、川平は1947年生。
23:55
徐々にDNSが滲透してきたやうです。あしたにはだいたい通るでせう。
けふは紀伊國屋にラテン語辭書をあがなひにまゐりましたけれども、A Latin Dictionaryしかなかつたのでジュンク堂に移動。まむかひなんだなあ……。いろいろ買つたものの、無料で送つてくれるといふことだつたので買つたもののリストがない。しかしまあ、すごい書店だといふのはわかつた。
美川圭『院政: もう一つの天皇制』讀了。後三條帝から後櫻町帝を一卷に。濃密で快い一書。途中ビジネス書にでも書いてあるやうな教訓がちらほらでてきたのは、無視したけれど、リップサービスなんだらうか。
23:55
DNSは滲透していつたのではなく、消えていつたやうです。設定はきちんと。反省。
音韻。入聲のはなしなど。
80s。朝鮮現代史。教員の個性といふものは當然尊重されるべきとはおもふけれど、「80s世界史的共鳴」といふ講義の主題を擔當者が共有してないのはどうだらうとも思ふ。民本主義の傳統といふのはふむと思つた。
MyMiniCity支援ツールを考へてみた。たぶん車輪の再發明。ソースと實例。レート計算が正しいか自信がない。いちわう、MyMinicity Noobs FAQ (and others informations...)に準據してゐる。
火曜日の買物到著。
Lewis, C. T. Elementary Latin Dictionary. [1890]. Oxford: Oxford UP, [1969].
櫛笥節男『宮内庁書陵部書庫渉獵: 書写と装訂』おうふう、2006.2。
ジェイムズ, P・D『策謀と欲望』青木久惠譯、上下巻、ハヤカワ文庫、早川書房、1992.2。
―――『原罪』青木久惠譯、上下巻、ハヤカワ文庫、早川書房、2000.4。
池澤夏樹『すばらしい新世界』中公文庫、中央公論新社、2003.10。
日本エディタースクール編『校正練習帳1: 校正記号を使ってみよう[タテ組編]』日本エディタースクール出版部、2008.4。
けふ。
末木文美士『仏教vs.倫理』ちくま新書579、筑摩書房、2006.2。
渡辺洋三『法を学ぶ』岩波新書338、岩波書店、1986.5。
野矢茂樹『無限論の教室』講談社現代新書1420、講談社、1998.9。
永井均『私・今・そして神: 開闢の哲学』講談社現代新書1745、講談社、2004.10。
金井美恵子『タマや』1987。1991。河出文庫、河出書房新社、1999.6。
いつ讀むんだらう?
23:55
發聲練習。喉頭氣流と基本母音の基礎の基礎。[ɑ]はむづかしい。aのイタリックがそれつぽいよ、とか、IPAのコンピュータ利用の水準としてどうか。
司馬遷。新字體の賭博の賭に點があるといつた彼女はいつたいどういふ……。
式部。例のテープを聽かせてもらふ。聽いたところで指摘になかつたが氣になつたところ: 更衣はかんい? まゐらすがまいらす? いはゆる同格のガ。讀解がメインなのでしかたがないが、文法であればもつとこみいつたことなんだらうなあと思ふ。
23:55
報告者は、議論の場に可能な限り中立であるべきである。報告者の作りだす議論の枠を壞すのは、その報告が無意義の極みであつて、議論にならないことを通告されたものであり、また、壞しながら作つていくのは困難なことであるし、多くの場合そのためのエネルギーを見いだせないことが多いからである。
このとき、「聽衆は全員素人だと思へ」といふ教訓は、上記命題をよく支へるであらう。議論に必要なことをすべて與へよといひかへられるこの教訓は、報告者が創りださうとしてゐる議論の場に中立であれと命じるからである。
けふは早めの母の日。
23:55
Caesar。文體の發達といふことを考へる。社會の進展にともなひ、複雜なことをいへるやうになる、ねえ。器としての言語。「なので」といふのが接續助詞化しつつあるといふけれど、これは複雜さで考へることだらうか。まあ、素朴な言語對照では、いへるいへないで考へてしまふものなのか。はて。研究者の目はつねにポストにある。
種彦。映畫も舞臺も足が遠い私としては、印刷されたテキストを、小説を讀むやうにしか享受しえないのだが、歌舞伎がかつて頭に役者の動きを考へると、どういふやうな舞臺なんだらうか、さつぱりわからない。たぶん、そのせゐで、舞臺轉換の理解にすこし手間どつてゐるやうな氣がしてゐる。五郎又なんてすつかりゐないことになつてゐた。私の發表はいつまはつてくるんだらう。さつぱりわからない。
馬琴。ハマヂなんて聞くと、ちびまる子ちやんの同級生をまづ思ひうかべてしまふのだが、それはともかく、知らない人だらけ。
23:55
三馬。江戸ものがべいべい云つてゐる。はて。文學系の先行文獻を見てゐると、大火に遭つたあと、佐原で出版關係者の世話になつてゐたといふ。さうすると、言語的なといはうか、地元民的な校閲とか受けてたりするのかなー。
23:55
基督教。faithと正直爺さん。
中世文學史。Pupils are not requiring teachers the text, but the answer! まあ、「生徒」がテキストを深く讀みこむには、饒舌すぎるとも? 再來年能・狂言を講ずるつもりとのこと。私ゐなささう。をしむとて惜しまれぬべきこの世かは身を捨ててこそ身をもたすけめ。
サークルのことで所感がないわけではないが、あひかはらず言葉をえらぶのが下手で遲いので忘却にまかせる。かういふとき、〈傳統〉ははばをきかす。
03:08
音韻。ほんぼんぽん。
80s。ビルマ・ミャンマー。自己過信といふこと。
三馬の註釋作成。みや鳥(てう)つて、どんな鳥? 角力で名の通つた釜洲の惟幣つてどちらさま? この變な漢字はどこに由來するの? などなど、はかどりません。NDLに行かないと論文もみらんないし……。
23:55
きのふ。發聲練習。基本母音のトレーニング。まへよつつを云はされて、うへから2か3番めか、どちらかで舌がうしろだと注意される。まへでは舌は下の齒のそばに。
司馬遷。丹のはなし。
紫式部。のみとあいなしとおほかり。-げのはなしで、きみたちはうまげとかよさげとか云ふのだらうかといはれて、よさげは云ふが、うまげは云はないなあと思ふ。うまそげとかかはいそげとかならいふかなあ? 私だけ?
一度歸るも、途中で返却未了の本を思ひだし戻つてみれば、金曜日=15日とあやまつて考へてゐたので(後者が期限)、延滯になつてしまつた。そのまま閉館までラテン語活用表の作成(いまさら?)。
けふ。川上弘美が王樣のブランチに出てゐるといつてたたき起こされる。湯あみに時間をかけすぎ、いそいで出かける。
日本語學會の公開シンポジウムにやじうまをしにいく。いや靜聽してをりましたけれども。レポートは狩野さんや當山先生がおやりになるであらう。愚考はmixiで書いたので繰りかへさない。
かへりはやすくあげるために澁谷まはり。井の頭線に初めて乘つた。
メインに使つてゐるメールサーバが不安定で、きのふけふとメールが屆いてゐなかつたのだが、いま復歸して屆いてみれば、あれこれ動いてゐたことがあつたらしい。浦島だなあ。
買物。
酒見賢一『陋巷に在り』卷5「妨の巻」、新潮文庫、新潮社、1999.7。
23:55
池澤夏樹の作品に、一種の「召命」にためらふひとびとといふ作品の系列があるやうに思ふ。そのひとつが初期の「帰ってきた男」(『文學界』1990.4)であり、このまへの『星に降る雪/修道院』(角川、2008)もそれに列ならう。
それで、けふ、「帰ってきた男」が收録された『マリコ/マリキータ』を讀みかへしたのだが、そのなかで、「アップリンク」(『文學界』1988.3)に興味が引かれた。最初に讀んだときは、大地の神にまれびとが目ぐはつて云々といふはなしだと思つてゐたのだが、「召命」作品と對照してどうなんだらう。『マシアス・ギリの失脚』(新潮社、1993)は?
23:55
Caesar。おやすみをいただいて漢字がいろいろ出てくる會にお邪魔させていただく。長いつきあひをいただきたいものです。
種彦。途中參加。人がおほかつたです。
馬琴。わかりにくいところでもないのでなごやかに。
三馬が使つてゐる妙な漢字の調査。いやあ、筆はこびのあとつて重要な情報ですねえ。脚の奇妙なくづしを(奇妙にはちがひないのだが。あまり類例はなささうである)、[月布]な異體字か?と誤判定するところでした。いやはやいやはや。こればかりやつてゐるのはただの逃避ではあるのだが。
23:55
三馬。あと2週間はいまの擔當者にやらせるさうです。まあ柳亭も曲亭もそんな雰圍氣で、慶政のときとはおほちがひなのだが。がんばれとしか云へない。
書體>字體>字形はヒエラルキーではない。いままでこのモデルがなされなかつたのは書體が字形に與へる影響がとても巨大だつたからであらう。また、書體は書記行爲のありかたに左右されるが、字體はかならずしもさうではない。これはモデルの缺陷ではなくて、このモデルは、この3者の力の強さを表してゐるのではないかと思ふ。
23:55
christianoiは、體調が總合的に優れなかつたので缺席。
中世。西行。武家の血。武き者のすぢと云ふ者、女子までうたてゆゆしきものなりけり
。Res inpotens dicere.
くづし字勉強會といふやうなところにお邪魔してみる。なにかの縁で近世初頭のÆsop's fableの諸本概況をべらべらと話す。なんでこんなことを諳んじたのかと考へるに、イエズス會版がほんたうにその後の印刷史になにも附けくはへてはゐないのか、ひととほり研究史を見ようと思つてあれこれ讀んだのを覺えてゐたらしかつた。けふはテクスト決定のみ。
サークル。なんの因果がいま? おとうさんみたいとか云はれる。
かひもの。
窪薗晴夫『アクセントの法則』岩波科學ライブラリー118、岩波書店、2006.4。
23:55
音韻。文獻における方言(史)資料。初代文理學部國語學教授の偉業について。その2時間後にそのお世話になるとは。
80s。ネオリベネオリベ。共産主義國家といふ達成されるべきものを失つたサヨクによる嘲笑で腦内的に瓦解?
このたび確認された和歌木簡。ニューズを眺めるかぎり、あああつたか、といふ類の資料になりさうである。その存在が知られるだけでなにかが搖るがされることが減り、徐々にその位置を明かしてじわじわと體系を動かしていくといふことは學界が進歩してゐるあかしなのだらう。この資料がどれくらゐ學問上の問題を提起するのか、興味が引かれる。しかし、闖入してくることがないのも、さみしいもの。キリシタン版の顯れざる一書でも發掘されないかなー。
かひもの。
加藤隆『一神教の誕生: ユダヤ教からキリスト教へ』講談社現代新書1609、講談社、2002.5。
23:55
發聲練習。tと鼻音、有聲無聲。鼻音の無聲の想像はむつかしいが、こゑを出すのはいたつて簡單である。
司馬遷。北海道のひとらしい。史記はやはりよくできた史話である。
紫式部。昨日も紹介した木簡、文體指標など。
あしたあさつては南總にあそびに。
23:37
Caesar。形骸のなかみ。
全略。
千葉大は保守的なひとがおほいなあとつくづく思ひました。それとも、いはゆる國文がさうなのか(いはゆる國語の人間(と認知されてゐるのかこころもとないけれども)としては、國文といふ自稱は、文といふのは文武の文であつて、いまのいはゆる文學ではないのだ、と云ふやうこわだかにしたいのだが、所詮がふしぎ以上のものに踏みこみにくいところ)。
23:55
三馬。てつづき。
かひもの。
笹原宏之『訓読みのはなし: 漢字文化圏の中の日本語』光文社新書352、光文社、2008.5。
三中信宏『系統樹思考の世界: すべてはツリーとともに』講談社現代新書1849、講談社、2006.7。
23:46
Introductum ad Christianiatem itinere scenea cognitie pervagatur.
くづし字。だれも讀んだことがないものを信頼性のなぞな明治のダイジェストで讀む。
中世。今樣ぐるひのお天子さま。
けふは誕生日でした。
23:56
音韻。中央語の研究に資するための方言研究とか陳腐なかんがへなど思ひだしてみる。
80s。東歐が一貫して擔ひつづけてきた弱者のたちばについて。
三馬を讀んでゐて、「おれは潮來にいこまの助。女郎は早惚れうらに戀衣」とあり、なんのことだらうかとgoogleに聞いたら安達ヶ原の鬼女傳説にかかはるもののやうで、能の「安達原(黒塚)」にも見られるといふ。さうして謠曲大觀本で見ると、いこまの助(生駒助)など出てこない。それで、日本説話大系で福島は安達ヶ原の説話を確認すると、生駒助が出てくる。これは異なりと思つていろいろと見てゐると、京傳に安達原の合卷があるのを知つて、典據を見ると(三馬はこの合卷の1年前に問題のものを書いたので、これを見た可能性はない)近松半二の『奧州安達ヶ原』だといふ。そこからこの淨瑠璃臺本を見つけるのに手間だつたが、まあいちわうふるい活字本で見て、古典文學事典にいちわう當つてみれば、近松が題に敷いたいづれにも生駒助が出てこない。はて、近松の創作なんだらうか。註釋には關はらないのでふかいりしないが……。
23:55
發聲練習。摩擦音など。
司馬遷。行つたら休講……。
紫式部。ポライトネス理論がお茶の間にまで弘まることはあるんだらうかなどと考へる。少なくとも、聞き手本位といふのは重要なのではないかと思ふわけで……。思はないですかさうですか。
學校南門そばの定食屋がぢあげで閉るといふので、たべをさめに。ところが、カレーを頼んでカツカレーが出てきてしまひ、そのままわたしは食べてしまつたのでひどい客だなと(拂ふ氣は合つたのだけど)。まあ、建てかへられたあとのマンションの一角でまたやるらしいが、いまの小洒落たみせはなくなつてしまふのだし。
三馬を讀む。民話のやうなはなしがふたつ插入されるが、どちらも類話が見あたらない。あるいは三馬の創作なのか?
23:55
國會圖書館に行きたいなあと思ひつつ、なかなか機會を得られずにゐたのを、mozilla.party.jpに行くことにしてゐたけふ、行けばよいではないかと氣づいたので、行く。國會丼など食べる。たべかたがわからない。國會圖書館を出て、日比谷に行けばよかつたのではと頭を掠めるが、あきらめて蒲田に行く。
パーティーのイベントは、HTTP MutualとかOOoの擴張機能――ルビ自動振りがこれでできるやうになるのか聞きそびれた――が氣になつた。爆速《ばくそう》ブラウザFirefox 3まもなく! 宴會はひとが多すぎておなじテーブルに坐つたひととで挨拶するのが精一杯だつた。歸つてきて宴會參加者の名簿を見ると、「このひともゐたのかー」といふひとが何人かゐたが、まあ、後の祭り。
23:55
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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