ここに書かれなかつたことどもを思ひめぐらすに、あとから――1年後かも10年後かも50年後かもしれないが――讀んで恥づかしくないだらうものを撰んでゐるやうなのである。愚かさを認めたくないのだらうと云はれればそれまで。却下されたテーマは「文字研究と文字オタク」エトセトラエトセトラ……。書きすすめて咬みあはないものも捨てられる。ではなにが殘る?
金井美惠子が、あらためて(何回目なのかは知らず)小説の時代遅れさ加減
を指摘してゐるのだが、才能のなさを措いて(詩も小説も)何作か書いてしまひ、しかもするどくもない感性にとつてここちよいひびきをのみ目ざしてゐた私には、時代おくれでないものを書くことはまつたく叶はないのだし、特に詩においては、讀んだ分、思ひうかんだ詩句すべてについて祖先がまぢまぢと思はれて堪らなくなる。
「促し」といふ連用形名詞は次第にうしなはれつつある氣がする。管見による憶測では、1940年代生れがネイティヴになりうる下限ではなからうか。池澤夏樹、解説。『やがて麗しい五月が訪れ: 原條あき子全詩集』(「この親たちからはいかなる促しもなかった」220)。川平ひとし、緒言。『中世和歌論』。笠間書院編『学問のリレーのために。: 川平ひとし『中世和歌テキスト論: 定家へのまなざし』刊行記念パンフレット』(「中世和歌研究史の側からの促しにも起因している。」24)。池澤は1945年生、川平は1947年生。
23:55
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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