最近聯載が復活したやつの單行本、1-3卷。シリアスと笑ひのバランスが重い。
要するに、戰爭に對する罪なるものは、成田空港を爆破した過激派と同じであるといふことであらう。
20:49
行つてきました。おもしろかつた(幼稚な感想)。『本と活字の歴史事典』『活字文明開化 - 本木昌三が築いた近代』を購入、歸り際大雨に降られて一時間凸版印刷に閉ぢ込められる(違)。
配布資料を二つもらつたので欲しい人はご聯絡ください。ただ、私は金錢を負擔することを望みません。
21:07
酒井賢一『陋巷にあり』8,9卷。ワゴンセールなので\100づつ。微妙な買ひ物であるのは認めざるをえない。
Expressionの4.0のβがMicrosoftから出てゐる。開發終つたと思つてゐたものだが。
23:27
・重い。
・マウスのホイールでの擴大が、カーソルの或位置に影響される
・ツールパレットがウインドウ左邊に收納できなくなつて、ステータスバーの左端にある擴縮のオプションバーが使ひづらいし、色んなものが一邊に竝べない
・Bスプライン標準はどうにかならんのか
・再現條件はわからないが、さつきフリーハンドのペンで書いた線はどうやつてもパスしかでなかつた
・ポイントの屬性(制約・非制約・スムーズ・對稱など)など、ツールの設定の場所が變はつてゐる、あまり感心しない
・筆壓謎。うまく動いてない感じもする
・レイヤーの種類が増えてゐる。また、レイヤーやオブジェクトにエフェクトをかけられるやうになつてゐる
・ボックスにテキストを配置してみたが、……ハイフネーションをうまくやつてゐるつもりなのだらうか、單語の途中で改行される。Expression3のときもかうだつたのだらうか? ボックスが狹いのが原因なんだらうか。謎
・Opentype featureは使へない。MSの配下に入つた意味がない!(待て
・pixel layerの、塗りつぶし(Paint Bucket)が謎。
一先づこれだけ。
・グリッドのサイズが變更できない
15:51
平凡社、2005。題字は寫研秀英明朝であるやうだが、本文は日活のである。しかも、よく見てみるとアウトラインがかくかくしてゐるのが本文サイズであるのにわかる。氣味が惡い。なんなのだらうか。
18:31
最近記憶力が低下してゐる氣がする。竝みの記憶力になつたら勉強しないといけないではないか!(おい
……といふのはさて措き、歌など聽いて一發で覺えられなくなつたのは悲しき事實で。悲しい。
22:06
たとへば、「ココアを作らんとして粉を熱湯にばつちり溶かしたのに牛乳の在庫がなくつて水で割つて不味くて捨てた」などと云ふことを書きづらいやうに自分で思ふやうになつてしまつてゐるのは、はなはだ拙い自己檢閲であらうか。
16:48
なりかけてはや數年。直りはしないが進行もせず。
『今僕が仕合せである對價』なる文を思ひついたが、對價、ねえ。
文化祭向學級制作で企畫者がデス・マーチ。その圍みから當人に負擔が掛かつてゐるのでと協力を請はれたが、企畫者がゐなければどうにもならない(圍みにすらその頭のなかのイメージを共有できないのかと云はれてゐた)ので、哀れであるとは思ふが、しかたのないことだとしか云ひやうがない。
22:21
蚊、といへば、池澤夏樹『この世界のぜんぶ』(中央公論新社、2001)に掲載された「契約」が面白い。蚊に血を提供する條件として、
- 音をたてずに来ること
- かゆみの残らない採血法を開発すること
- マラリア原虫など余計な奴をつれてこないこと
(引用は文庫版(中央公論新社、2004、pp.52-53)より)
を申しいれるのだが、蚊は素つ氣ないのだ。
昨日一晩で三箇所は刺された。好いてくれるのはいいけれど、上の契約を結んでくれないことには、こちらは歡迎できないな。
21:41
もし、9pt大くらゐで、「あい」と竝べて、「あ」を本明朝で、「い」をイワタでやつたら、なんだか「あ」もイワタの文字であるやうなないやうな氣がする錯覺が起こる氣が致します。
17:51
スガ(糸圭)秀實、渡部直己『それでも作家になりたい人のためのブックガイド』(太田出版、1993)。「それでも」といふのがなんとも憎たらしい。
ところで、スガさんて聚珍録の出版紀念會の司會者でいらしたやうな。
21:44
今行つてゐる豫備校の現代文の擔當講師がどうにも好けない。今のところの觀察では、どうしようもなくひねた人間であるらしい。
けふなどは、このやうな話を聞いた。概念の成立を巡つて説明をしてゐるのだが(所詮受驗向けなので細かい問題は氣にしないやうに)、固有物の例として「尾が短い、白い、太い、ニャーと鳴く生物」と、「尾が長い、白と茶の斑、細い、ニャーと鳴く生物」の二通りをあげ、それらを捨象し、「ニャーと鳴く生物」といふ抽象を取出して、それに假に「猫」と名づける、とまではまあいいとして。
そして、「前者の猫は隣のおばさんの飼つてゐる猫」で、「後者は俺の飼つて、といふか、同居人ですね」といふ。「ところで」、と云ひ、「『(忘れた)』といふアニメを知つてゐますか? そこで猫(なんとか)といふのに、田舍一の柔道猛者が(中略)で、その師匠の必殺技が『キャット三囘轉(曖昧)』なんですね。で、俺の猫の定義はその『キャット三囘轉(假)』ができるやつのことなんですよ」、とのたまふ。「で、自分ちの猫に醉つて説教したりするんですが、ある時、お前、猫なら『キャット三囘轉(假)』ができるよな? と聞いたところ頷いた(話者談)ので、放り投げたんですよ。さうしたら、家の中で狹いので流石に三囘轉は無理でも、二囘轉はする。ほほう。」、で、「ぢやあ、隣の家のはどうか(隣の家のは歩いてゐて腹を引き摺るほどなんですよ)。人の家のですから、勝手に投げるわけにはいかない。で、チャンスを狙つてゐたら、あるとき、おばさんが勝手に遠くに出かけて、これはいい機會と(略)投げて見た。すると、なんどやつてもできない。できないといふか、つぶれる。だから、こいつは本當は(俺定義では)猫ではないんですよ。だけど、そんなのやつてゐたら面倒くさいぢやないですか。だから、便宜上、これも猫つて呼んでるんです」ときた。
かういふのは本當に馬鹿だと思ふ(襃め言葉)。なので、無碍に嫌ふこともできないが、好くこともできない。
23:16
福澤諭吉「増刊啓蒙手習之文」(『福澤全集』第二卷、時事新報社、1898、近代デジタルライブラリー藏)より。
拔けがあつたので「和蘭の如きはその教最も盛にして學生の數と人口とを比較して一と八との如し。」と「其四十二分の一は九十四万人なり。此生徒を養ふが爲、○(遂?)に大なる學校を起し」を追加。○は遂の異體だと思はれるが未詳。なほ、『秀英体研究』(片塩二朗、大日本印刷、2004)では、和蘭は荷蘭、益は益々(々は二の字點)、處は所、「源ともなるべし」→「源ともなる可し」で、漢字カナ混じりの句讀點なしの文章。舊版序
社友小幡氏繙譯の學校軌範に云へることあり。國人をして悉皆政談家と爲し學者と爲さんとて強て期するには非ざれども、廣く教育の道を開き人の心術をして益善に進ましめ、以て政體をして益堅く、國勢をして益盛ならしめんとするなり云々と。是に由て之を觀れば學校の教は高上にして乏しからんより、寧ろ低くして普ねからんを貴とす。西洋各國の内、魯西亞は民の教育未だ普からざる國にて、學生の數を全國に比較すれば一人と七十七人との如し。和蘭の如きはその教最も盛にして學生の數と人口とを比較して一と八との如し。今我日本も漸く教育の法を設け、魯、蘭の間に居らんとするには二國の割合を平均して大凡人口四十二人に付一人の學生なかる可らざるの理なり。假に日本の人口を四千万と積り其四十二分の一は九十四万人なり。此生徒を養ふが爲、○(遂?)に大なる學校を起し其結構を盛にし其教道を美にし、九十四万の書生に高上の教授を蒙らしめんとするには其費用少しとせず。假令ひ衣食の費は父兄より給するも學校の教師及び俗吏の給料、塾堂の營繕、書籍器械の代金等を合して之を生徒の數に平均すれば、一名の爲めに費やす處衣食を除き一歳百兩に下らず。百兩に九十四萬を乘ずれば九千四百萬兩なり。之を全國文學の費とす。斯の如きは則ち國力のよく及ぶ所乎。余輩竊にこれを恐る。故に今漸を以て進むの策に基き教育の道を極めて低き所より始め、所謂手習師匠なる者をして端緒を開かしめなば、大に世間の費冗を省き教を普くするの源ともなるべし。然るに從來手習師匠の教は實學の切要なるに眼を着せず、唯冠婚葬祭、探花觀月の文、和歌唐詩等の外ならずして方今文開の世に在ては或は迂遠の譏を免れず。由て私に社中と謀り、いろは四十七文字より國盡を始とし、傍ら西洋諸書を意譯して通俗の文章を作り上梓して習字の手本に供せり。願くば五六歳の童兒其字を習ふの傍らに文の義を解し、諸學入門の道を易くすることあらば此冊子も亦手習師匠の一助にして世教萬分の一に益あらん乎、社中の幸甚のみ。
明治四年辛未三月
福澤諭吉誌
21:29
B5一枚のコラムを乞はれて、書きあぐねたので、自己流の書體の見分け方で一枚を埋めるといふ卑怯なまねをしてみた。すると、マニアックですね、といはれる。これくらゐどうの、と思ふのだが、むべなるかな。書の裝ひをば思ひわづらへるこそ多かれど、肝腎の字に心配りすのかくも減らば、さもあらむ。いかなる史觀も好まざれど、かばかりは退歩と呼ばざるをえんや。
21:09
夢の中では、突飛なことをずいぶんやつてゐるはずなのだが、起きてみれば、非常に薄く濃く霧がまるで二つの世界を遮斷するかのやうに、夢の中から隔離されてしまふ。この霧が晴れる瞬間を、慄きもし胸高鳴りもして待つ。
23:54
小宮山さんが、大日本スクリーン製造のウェブサイトでお書きになつてゐた連載を了へられた。最終囘は、書體製作の實踐を標し、全部で三百ページに亙る大著となつてゐる。
ありがたくいただいて、棚の上に「祀る」ことなどのないやう、氣をつけねば。
22:52
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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