福澤諭吉「増刊啓蒙手習之文」(『福澤全集』第二卷、時事新報社、1898、近代デジタルライブラリー藏)より。
拔けがあつたので「和蘭の如きはその教最も盛にして學生の數と人口とを比較して一と八との如し。」と「其四十二分の一は九十四万人なり。此生徒を養ふが爲、○(遂?)に大なる學校を起し」を追加。○は遂の異體だと思はれるが未詳。なほ、『秀英体研究』(片塩二朗、大日本印刷、2004)では、和蘭は荷蘭、益は益々(々は二の字點)、處は所、「源ともなるべし」→「源ともなる可し」で、漢字カナ混じりの句讀點なしの文章。舊版序
社友小幡氏繙譯の學校軌範に云へることあり。國人をして悉皆政談家と爲し學者と爲さんとて強て期するには非ざれども、廣く教育の道を開き人の心術をして益善に進ましめ、以て政體をして益堅く、國勢をして益盛ならしめんとするなり云々と。是に由て之を觀れば學校の教は高上にして乏しからんより、寧ろ低くして普ねからんを貴とす。西洋各國の内、魯西亞は民の教育未だ普からざる國にて、學生の數を全國に比較すれば一人と七十七人との如し。和蘭の如きはその教最も盛にして學生の數と人口とを比較して一と八との如し。今我日本も漸く教育の法を設け、魯、蘭の間に居らんとするには二國の割合を平均して大凡人口四十二人に付一人の學生なかる可らざるの理なり。假に日本の人口を四千万と積り其四十二分の一は九十四万人なり。此生徒を養ふが爲、○(遂?)に大なる學校を起し其結構を盛にし其教道を美にし、九十四万の書生に高上の教授を蒙らしめんとするには其費用少しとせず。假令ひ衣食の費は父兄より給するも學校の教師及び俗吏の給料、塾堂の營繕、書籍器械の代金等を合して之を生徒の數に平均すれば、一名の爲めに費やす處衣食を除き一歳百兩に下らず。百兩に九十四萬を乘ずれば九千四百萬兩なり。之を全國文學の費とす。斯の如きは則ち國力のよく及ぶ所乎。余輩竊にこれを恐る。故に今漸を以て進むの策に基き教育の道を極めて低き所より始め、所謂手習師匠なる者をして端緒を開かしめなば、大に世間の費冗を省き教を普くするの源ともなるべし。然るに從來手習師匠の教は實學の切要なるに眼を着せず、唯冠婚葬祭、探花觀月の文、和歌唐詩等の外ならずして方今文開の世に在ては或は迂遠の譏を免れず。由て私に社中と謀り、いろは四十七文字より國盡を始とし、傍ら西洋諸書を意譯して通俗の文章を作り上梓して習字の手本に供せり。願くば五六歳の童兒其字を習ふの傍らに文の義を解し、諸學入門の道を易くすることあらば此冊子も亦手習師匠の一助にして世教萬分の一に益あらん乎、社中の幸甚のみ。
明治四年辛未三月
福澤諭吉誌
21:29
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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