どういふ脆弱性かわかりませんが、變なコメントが來てコメント一覽機能が一時不能になつてをりました。迷惑を蒙つたかたにお詫びまをしあげます。
吉田健一『シェイクスピア』(新潮社〈文庫〉、1961)讀了。武部良明『角川小辞典29 日本語の表記』(角川書店、1979)貸借。
『シェイクスピア』は、文庫書下しなのか、初出の記載が見當たらない。活字は岩田を基調にあれこれ淆ぢつてゐて、「た」「に」「の」「れ」などが違つて、「ら」は、母型が惡いのか、似てはゐるが別のかなとなつてゐる。印刷は錦明印刷。福田恆存の解説が這入つてゐて、こちらは正字正假名で、吉田も正字派であつたのだから、なんとも奇妙な構圖である。「概」と「即」の、「正字」の旁の違ひなどに目がいく。
18:47
『〈新潮日本文学アルバム〉宮沢賢治』新潮社、1984。浅井清、佐藤勝、篠弘他『【新研究資料】現代日本文学』第7卷、明治書院、2000。
昨日の『日本語の表記』、金田一學派は御用學派なのだらうかといつた書振り。個人的に好けない。
23:46
石川巖撰「〈書物往来叢書〉明治初期戯作年表」(從吾所好社、1927(日本文学研究資料刊行会『〈日本文学研究資料叢書〉日本近代文学の書誌-明示治編』有精堂出版、1982、pp.1-80所収))入力中、p.11に、康熈綴なる語が出てくるのだが、この熈が曲者で、「ノのやうな部分」が、「にすい」なんである。……とおもつたら、JIS X 0213の包攝の連番199にあるやうだ。どうやつて入力しよう……。
22:17
以前、spamに自分の苗字があつて驚いたなどと書いた記憶もあるのだが、それよりも奇怪なことをさつき聞かされた。
學校の先輩で、割合近いことは知つてゐるけれども具體的にどこに住んでゐるのかは知らないひとのうちに、今日の晝間、私を名乘る人間が行つたといふのである。これは奇なることで、私は今日は一歩も家を踏み出してをらぬのだし(家人も證言してゐる)、まいて、住所も知らぬひとの家に、どうやつて行かうといふのだ。ひとつだけ考へられるのは、その先輩の御母堂が應對に出たらしいのだが、私のゐる學校と苗字だけ名乘つたらしくて、或は別人で、その先輩がその條件に當てはまる人として私以外に思ひ起こせなくてかやうなことになつたといふことである。といふかかういふことにしておきたい。
22:33
歸り際に古本屋で本を拾ひ(高木彬光『覆面紳士』偕成社、1958・ツワイク『悲劇の王妃』少女世界文学全集13、大原富枝譯、偕成社、1963。)、書店に寄つて、府川さんの本を探す。なぜかウェブデザインの棚にあるのを、檢索システムで發見。根氣が無くなつただけともいふ。「基礎知識」、年報に載せられたのよりも講演の雰圍氣が出てゐてをもしろい。またいくらか詳しい(特に畫像方面)。「覆刻」は、殆ど資料のままであつたが、訂正がされてゐる。あとは「珊瑚集」、「長野新報」。「長野新報」は、母の郷里に行けば見られるだけに、興味深い。府川充男全集だとか著作集だとかが出るまでの便利な書物となるだらう。
少し前に新調した眼鏡が、前のよりも亂視の矯正が強まつて、パースペクティヴに影響があるのを、腦で補正するといふ負擔の少なからぬことをしてゐるのだが、最近の睡眠不足が祟つたやうで、その補正が利かなくなるのがたまにあり、さうなると下に何にも無くなるやうな不安に陷るのだが、けふ、家に歸ると家人がゐなくて、三十分ほど玄關でぼおつとしてゐたときに、不圖その感覺に襲はれて、眼鏡をはずしてみたら、すつかり收まり、體に重みの戻つた感じは、なんともいへぬ有難さがあつた。
23:27
手帳屆く。箱が矢鱈大きくて、半分しか中身がないのに、何だかぼられた氣分。
可處分所得をより集めてみると手帳の代金と書道博物館代を併せてもいちわうは餘りが出るが、はて(白川靜カレンダー2006を買はねばいけないのだが(とかいふ))。
23:33
字書の中で、同訓異字のところは宛てもなく見ることも少なくないのだが、けふ、字通にもそれがあるのを知つた。をもしろい。
20:13
思ひのほか寒くて、不斷どほりの服裝で出れば、體調を崩してなかなかつらかつた。體は冷やすものではない。囘復はせど、難儀には變らず。來週からはコートだ、誰が何といはうと。
明日は恐れ入谷の鬼子母神を通つて書道博物館へ。鬼子母神へは行きませんが。
23:24
書道博物館に行つてまゐりました。ある方面で物好きな(?)方々で、特別展を見ようといふのに御誘ひを受けたのでしたが、一番近い人でも一周り離れてゐるので、あと、豫定してゐた年齡とだいぶ違つてゐたやうで「おぢさんかと思つた」などとは云はれましたが、私は青春まつしぐらの花盛りです、たぶん、といふのを話の枕に始めますと、甲骨文に始まつて唐代までの書と刻での漢字を見てまゐつたのでありまして、以前某メイルマガジンで甲骨文は直線的だなどとあつたのにむすつとしたことなどどうでもいいやと思つただとか、「不」の萼の部分の取扱ひの變遷を見て樂しんだだとか、はて、私は何をみてゐたのでせうか……。
古事記、といふか岩波の買手はどう考へても2、3人は數ふまいといふ店で、買ふことは迷つてはをりませんでしたが、當座の資金繰りから、「今」買ふべきかどうかは迷つてゐた、といふのをその場では云へなかつたといふのを書道博物館後の御座敷でしばしば話の種にされしかも壓倒されてゐたといふ證據にして話の第二幕の枕に致しませう。諸事情で酒は飮まないし、そのうへ、今の話の始めにしたやうに、會話にも入れないので、どうしても食べるはうに偏つてしまふのですが、奈何せん酒宴、ああいふのは話の合間につつくのであんなに少ないのでせうか、なかなか辛いものがあつたのは否めないことでした。話の内容は……取敢ず去年の女子美の圖録で、ナール・ゴナを良く見ます、といふところで。しかし、自分たちの會話を變だよ變だよといひながら益々「變」になつていくのは奧の深さか。正直何のことを話してゐるのかわからなかつたことも屡々。特に一軒目。
まあ、次囘は何時になるやらですが、けふは滅多にない機會を得られてたいへんうれしうございました。22:00ごろなのに例の古本屋は開いてゐて、金も足りたので『古事記』(倉野憲司校註、岩波書店〈文庫黄1-1〉、1963)は買つてしまひました。混元に振り假名を振るやうな持主から私のところにきたやうです。そんなので250圓も取るのかと思ひますが、今は氣にしないことにしておきます。一緒に『プー横丁にたった家』(A.A.ミルン、石井桃子譯、岩波書店〈岩波少年文庫009〉、1958、2000)も買ひました。クラシック・プーといはれてゐるとかなんとか。
23:22
築地六號(後期)假名覆刻版、細身版。tar+gzip壓縮。今日現在の成果です。なんとなく公開する氣になつたので。再配布などに關するライセンスは(擬似)PDなのでありませんが、未完成品ですので、再配布の用はない氣も。
收録字數から云へばtk_6medium.ttfがダントツですが、第三次と第四次のデータが混ざつてゐるのでアレです。
13:34
國立歴史民俗博物館編『歴博大學院セミナー新しい史料學を求めて』(同館、1997)讀了。いくつか掲載されてゐる圖版の解讀はさぼつたわけであるけれども、大變面白く一日で讀んでしまつた。 ISBNはないし、歴博のウェブサイトの刊行物の一覽のなかにも見えないが、歴博に行けば賣つてゐることだらう。交通は惡いが。
昨日の歸りに乘つた日比谷線で、東武の電車に乘つたのだが、「非常時の際は」とかいふやつで、乘降口の脇に掲げてあるのの文字が、えらいゆがんでゐて、二度現れる文字がまつたく同じなので書き文字ではないのだらうが、見出しと本文とで書體が微妙に違ふらしいといふのには仰け反る。
游明朝に苦手意識がある。字面から享ける印象がどうにも「苦手」なのだが、なぜだらうと思つてゐるうちに、府川さんの『聚珍録』の假名の卷を見てゐて游明朝が大日本の戰後書體に取材したとあつて、なるほど、これは大日本のが苦手だからか、と納得が行つた。凸版ほど苦手でもないのだけれど。
書體のライセンスは變なものがだいぶんあると思ふ。中村書體室のライセンスが公開されてあつたので見たが、用途を指定しない旨をわざわざ書いてどうするのだらう。縛るほうが(つまり現在の多くの電子書體は)をかしい。岩田も縛つてゐるらしい(らしい、といふのは私が買つたパッケージには契約書がなくて(!)見てをらぬのだけど)が、勝手なことだ。なんの權利を守りたいのかさつぱりわからないのだけれども。讓渡も出來ないといふのも變なの、と思ふ。書體にしろプログラムにしろ、著作權といふもので保護をするのには向かないのではなからうか。
未だに戰後五十年だとか云ひさうになる時間間隔のなさは問題がある。取敢ず(何)サザエさん(テレビ版、といふかこれしか知らない)は嫌ひ。
18:44
岩田の人にメイルを出してはや一週間餘り。個人が商用サイトのロゴを作るとかいふ謎事例に加へて、契約書が這入つてなかつたんだけどいいのかな、といふ謎事例其の二が組み合さつて、返事を出しかねてゐるのだらうか。
18:04
宮崎一定『科挙-中国の試験地獄』(中央公論社、1963)、小松茂美『かな-その成立と変遷』(岩波書店、1968)。古事記があるのになぜか藉りる。『科挙』は池田先生によつて分析されてゐるやうに[1]、科擧制度を眺められる好著である。興に乘つてぐいぐいと讀んでしまつた。對して『かな』の著は、どこかで參考文獻に掲げられてゐて讀むべきと思うて藉りたのだが、王仁らのころに至つて漢字文化が「圖形」ではなく「文字」として入つてきたとの認識に、「漢倭奴國王」印を外交なくしてどうやつて得られるのかといふ「常識的觀點」の缺落を見て、だからかなを女性ばかり用ゐたなどといふ記述が世に横行しても平然としてゐられるのかーと感心し、どうやつて讀んで行かうか考へてゐる最中。
21:58
いまや店自體無くなりかけてゐる、以前のダイエー津田沼店の3階の玩具賣場に、スーパーファミコンを初めて買つたx年前、一緒に買つた3本のソフトウェアのうちにMOTHER2があつたのがなにかの縁で、2年前だかに賣り出されたMOTHER1+2も豫約さへしてあがなひ、その豫約特典をすべてどこかになくし、さうしてゐるうちにMOTHER3が先日(いつだつけ)發表され、來春發賣との素氣無い乍ら喜ばしきことが判明した。動作機種はGAMEBOY ADVANCE以降とのことで、MOTHER1+2と同じ。
21:29
「かな」を讀んでゐないのにまた新たな本。ロバート・アーリック『トンデモ科学の見破りかた–もしかしたら本当かもしれない9つの奇説』(垂水雄二・阪本芳久譯、草思社、2004)。ジャケットはモリサワ書體が見られるが中身は本蘭、たまに見かける組合せである。引用文獻も遺してあつて感心するが、雜誌論文で、雜誌名はイタリックなのだが論文名は立體。何を見てるんだか。
23:48
すべての喫煙者が肺癌になるわけではなく、また肺癌に冒された人間がすべて喫煙者とは限らないにもかかわらず、大部分の人は喫煙が肺癌を引き起こすことにかなりの確信をもっている。言い換えれば、その条件(喫煙)が病気を引き起こす上で必要でも十分でもなくてさえ、喫煙と肺癌の因果関係はかなりの程度まで確立されているのだ。
HIVウイルスはエイズの原因ではない、といふ奇説を發表した生物學者の説を分析する章なのだが、なんとなく氣になつたので引用してみた。この、多くの人といふのが、どういふ母集團であるかによつて、一番最後の文章の、「確立」の意味合ひが大きく變るのだが。
ポストモダニストたちが科学を恣意的な信仰と方法の集合に過ぎないと考えているのとはまったく対照的に、大部分の科学者は科学がより正確な物理的な世界という概念に向かって進んでいくことができると信じている。
00:21
「ほくと」(朗文堂、2005)は秀英8pt系譜だと宗旨替へします。といふか『秀英體研究』で大正15年の秀英六號のディジタル化をやつておいてなんとも思はなかつたのでせうか、書體の出自が不明とかいふのは。
18:31
「おいしければなんでもいい」ではなくて「あなたが作つたものならなんでもいい」といふ風にほとんど思考できてゐないことを(略)。なんでこんなにさばさばとでも云つたやうなのになつたのだか。
01:15
オイルヒーター(AEG製)。3年目。去年は12月12日からの利用なので、だいぶん早い。
17:28
と決意したものの(そして序でにその後にすべきことも決意したのだけれど)、では片付けたものをどうするのかといふ重大な問題は解決が出來ない(捨てられないもののはうが多い)。んー。
20:15
があると聞いたのだが、萬葉假名とひらがなを殊更分かつ必要性を感じない私の直感を寧ろ裏付けるやうに思はれる。といふわけで(違)、小松さんの本は來年讀むことにしました。「奈良は假名は楷行でしかしなかつた」といふのは、單に史料がないだけなのをないと極め付けてゐるのか確實な裏づけがあるのか、などといふのはないやうに思はれるので。
19:46
をかせむ。中國史、例へば清朝成立だとかを、丸々西歐史に充てた吾が師。
古事記をぽつぽつ讀む。人間だの國つ神だのはどこから出てきたのだらう。ギリシア神話だと、ゼウスがやつてきてはらませてしまふ、そんなやうなことはあれほど露骨でないだけなのかもしれないが、それも見られない。
21:17
或る言葉が同じその言葉でありながら煙草を買ふのにも就職試験に合格するのにも挺(てこ)の原理を説明するのにも用ゐられるといふことがここでは大事なのでベルグソンが書くものに特殊な言葉が殆ど出て来ないことが我々の注意を惹く。又それはドイツのものを除いてヨオロツパの哲学の凡てに認められることである。
とある語で私の管理する日記の一つ(いくつあるんだか)に檢索エンジンから來訪した人があつてどの邊りに見出されたものかと逆探知していくなかに吉田健一の作品が日本ペンクラブで公開されるのを知つて讀進めてゐる最中である。頭の囘轉の遲い私ではあるが懇々と吉田が一つの事しか説かないのでいい加減に私も吉田の云はんとすることのわかりかけてきてうれしくなりかけてゐる途中である。正確に用ゐられた言葉はそれを読むものを楽ませる。
22:29
。でか過ぎるやうに感じるので、無理に縮めてみる。
23:07
古事記、とくに初期天皇は系譜を作らないと訣がわからなくなる。
たとへば、忠哀帝の妃、息長帶比賣は、古事記をたどれば、開化帝へとたどり着くのだが、開化帝、すなはち若倭根子日子大毘毘命が、丸邇臣の祖、日子國意祁都命の妹意祁都比賣命との間に設けた子が日子坐王。それが、次に日子坐王、……またその母の弟袁祁都比賣命を娶して、生める子、山代の大筒木眞若王。……次に伊理泥王。……次に山代の大筒木眞若王、同母弟伊理泥王の女、丹波の阿治佐波毘賣を娶して、生める子、迦邇米雷王。……高材比賣を娶……息長宿禰。……高額比賣を娶……息長帶比賣命
となるのだが、メモを取りながら讀んでゐて、意祁都比賣と袁祁都比賣を混同して、その母の弟
とあるのになんで同じ名前なのかなあと不思議がつてしまつた。なんともはや。
女系天皇。125代、ずつと男系といふひとがゐたのだが、繼體は男系か怪しいらしいのはさておいても、125代といふからには、天孫降臨も考慮に入れねばならぬわけで、さうすると、アマテラスの長男、正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命が、いつの間にか高木神の娘と結婚して出來た子の末裔が神武になつたのであるからこの神の血を大切にしなさい、といふことなのかしら
23:54
築竹では提供ファイルがダウンロードされるたびにその日付を記録するやうにしてある([1])のだが、安定したダウンロード數はあるものの遣はれてゐるのを見たことがない。築竹へリンクするサイトもリンク輯に一つ登録したほかは、2,3のサイトがリンクをしてくださつてゐるほかはないやうである。一體誰がダウンロードしてどのやうに遣つて(或はファイルを消して)ゐるのだらうか?
最後に更新したのはほとんど一年も前になつて、いろいろほかの事に手を出してゐるうちに見えてきたぼろとでもいふべきところを、最初から(全く最初からが好きだなあ?)やり直したいのだが、やつてゐない。
14:38
。小宮山さんが「私には彫れない」と云つた字。
16:27
しかし契沖の廣告は何度見ても格好が惡い。コンピュータで作るからわるいんだらうな。
あーとでれくしよんなるものを原研哉がやつてゐて、彼の『デザインのデザイン』(岩波書店、2003)の取分けな部分を或理由で讀まされて可なり恥づかしい思ひをしたのだつたが、この雜誌でもセンスは遺憾なく發揮されてをり、昔戸田ツトムが使つてゐたらしいが彼はもう筑紫に轉向したのでフォントワークスのロダン(だつけ?)がここまでふんだんに見られるのはこれを措いてあるまいと確信する紙面が、その文章に書いてあつた、日本文化の「簡素で空っぽをよしとする発想」とは縁遠いのもしかたがないのだ。
さて、定番の面々の文章のほかには、p.2からの長島有の對談なんかをもしろさうであるし、それくらゐか。全部讀む氣になつたことのない變な雜誌だ(橋本治とか、寺島靖國とか)。
18:58
更級日記に、隅田川を渉つて相模國(!)へ行く場面がある。
野山、蘆荻のなかを分くるよりほかのことなくて、武藏と相模との中にゐてあすだ河といふ。在五中將の「いざこと問はむ」とよみけるわたりなり。中將の集にはすみだ河とあり。舟にて渡りぬれば、相模の國になりぬ。
解説にあるとほり、特に上京の旅日記は、地理の前後のしている所がはなはだ多
いので、岩波文庫本で9ページにある太井川の段と、竹芝寺の段の間にないのも、しかたがないのかもしれない。しかし、註に、隅田河を「すだ川」と書いたものがあるので、「あすだ河」も隅田河のことであろう
とだけあるのは、隅田川は下總と武藏の國境であるといふ一般讀者の智識には迷惑でしかない。多摩川が出てきてゐないから、それかもしれないと推測するのだが、業平が歌詠みにけりと辻褄が合はないやうにも思はれる。謎。
歸り際、古本屋で太宰治『お伽草子』(新潮社〈文庫〉、1972)を拾ふ。表紙は秀英3號か。
21:47
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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