しかし契沖の廣告は何度見ても格好が惡い。コンピュータで作るからわるいんだらうな。
あーとでれくしよんなるものを原研哉がやつてゐて、彼の『デザインのデザイン』(岩波書店、2003)の取分けな部分を或理由で讀まされて可なり恥づかしい思ひをしたのだつたが、この雜誌でもセンスは遺憾なく發揮されてをり、昔戸田ツトムが使つてゐたらしいが彼はもう筑紫に轉向したのでフォントワークスのロダン(だつけ?)がここまでふんだんに見られるのはこれを措いてあるまいと確信する紙面が、その文章に書いてあつた、日本文化の「簡素で空っぽをよしとする発想」とは縁遠いのもしかたがないのだ。
さて、定番の面々の文章のほかには、p.2からの長島有の對談なんかをもしろさうであるし、それくらゐか。全部讀む氣になつたことのない變な雜誌だ(橋本治とか、寺島靖國とか)。
18:58
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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