休み明けの氣だるさといふのをかみしめながら黄金週間後半はあんまり休まないはうがいいかなとおもつたけふこのごろですが現職場は特に休日出勤を要するやうでもないやうです。
『一冊の本』第12卷第5號、朝日新聞社、2007.5。
大塚享『写真植字の15章』印刷学界出版部、1981.9、1985.9(増補版)。
がとどく。後者はY! Auctionで買つたもので、なんだか資料保護みたいだ。神田ではとてもその値では買へまい、といふやうな値段でものが出てゐることがある。しかし問題は資金である。用地代と購入費の。あとY! AuctionはFirefoxだとどうも重い。『一册の本』は金井美惠子以外で讀んでゐた連載が悉く終つてしまひさみしい。
23:55
聯休なので郵便局のATMでふりこめないやうだ。小錢がおほかつたのでいれたかつたのだけれど、貯金箱にいれることにした。
購入せしもの:
山田孝雄校訂『平家物語』上下、岩波書店〈岩波文庫〉、1929.3-6。やまだたかおと打つてから變換したなんてそんな訣はありません。ないつてば。
中村元譯『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』岩波書店〈岩波文庫〉、1980.6。amazon.co.jpで1980/1が初版のやうなのはあやまりだらう。
『吉田健一著作集』第6卷、集英社、1979.3。
佐竹昭広・大曾根章介・久保田敦・中野三敏編『新日本古典文学大系』第40卷、小泉弘・山田昌全・小島孝之・木下資一校註「宝物集・閑居友・比良山古人霊託」、岩波書店、1993.11。
23:55
不携帶となる時期になりつつあります。胸ポケットから鞄に移すだけで無視するのがとてもかんたんになるので……。
昨日屆いてゐたけれど書いてゐなかつた:
日葡協會監修、海老澤有道『切支丹典籍叢考』拓文堂、1943.5。
23:52
Illustratorがほしい。Stempel Garamondもほしい。游築見出し明朝體もほしい。イワタ宋朝體もほしい。それよりなにより液晶畫面(19in以上)がほしい。Intelなmac miniと無線ルータ(有線分岐も可能なやつ)があるといい。
京都大學國語學國文學研究室編『慶長五年耶蘇會板和漢朗詠集 本文・釋文・解題』京都大學國文學會、1964.12。
を借りる。撮影と原本の印字の惡さが相乘效果をなしてゐる氣がする。
23:55
木曜に買つて忘れさられてゐたために置き忘れられもしなかつた本があつて、
『朝日新聞の用語の手びき』朝日新聞社、1981.10。
なのだが、そのなかに大藏省印刷局の栞がはさんであり、その裏が1987年のカレンダーだつた。發行自體は1986年で、9月から11月だが、月曜はじまりといふのに氣がつく。朝日といへば、今日の朝刊1面の廣告に變體假名をつかつた變な團體の廣告があつたがあれは朝日の書體なのだらうか。
23:55
われわれの文字生活において絶えずさらされてゐるものに書體の蠱惑がある。
かう書くと、そんなことが一般的にあるのだらうかと疑問にすることがあるかもしれぬ。しかし、ゴナと新ゴとの違ひになんの蠱惑もないとしても、文字の「線」に潛むさそふ力は書體にあるとせねばならぬ。それは文字は書體をまとふがためである。
デザイナーが、或は編輯者がうつかりもらす書體についての感想はこの蠱惑にやられてしまつたものとみてよい。さらに研究者が書體の機能を安易に斷じてしまふのもこの蠱惑に目をつぶされてしまつたからにほかならぬ。かのごとくわれわれは書體を衣裳のやうに思ひちがひ、恥知ずの駄文を日夜かきいそしむ。
だから、かやうな毒は最後まであぢはひつくさう。致死量に滿足しないことにしよう。あらあらと死ぬやうなことは仕方がないからである。
23:55
一囘行くとその後は無料といふのはかなり思ひきつたことではないかなと考へてみた。招待券を送ると來る客が多いのだらうか。
休みがあると晝頃まで寐て夜更しをしてしまふのであまり休みたくはないもののそんなに無理をできる體力もなければなにかを犧牲にして破綻させないのが手一杯なのだらう。
23:55
最近店員が「ご利用ください」と連呼するのも解せないなあとおもひつつ、「聲かけをする」だとか「おのれの讀み」だとか、かういふのはどういふ現象なのだらうと云々。
23:55
指示詞において、その意義を確立してゐるのは「こ」だけであらう。その「ほか」のふたつのは、はつきりしない。「そ」は、その場に突然話題を持ちこむものとして最も汎用性が高いことに示されるやうに、何らかの抽象的なものをになふ語が「あ」と「こ」の對立のなかに、「あ」の領域を侵すかたちではいつてきたやうな印象をうける。
『和漢朗詠集』キリシタン本の表紙裏打ちの片假名本斷簡の寫眞のコロタイプから寫しながら、いくつかのシが○に食ひこんでゐる印象をうける。現物にあたれば冰解する疑問なのか?
置忘れの囘收(ありがたうございました)とけふ購入せし本の要點。順番は概ね購入順だが、けふはなんだか覺えてゐない。
佐藤定義『日本文法小辞典』明治書院、1970.3。
ユーゴー『死刑囚最後の日』豐島與志雄譯、岩波書店〈岩波文庫〉、1950.1。
飯坂義治・武捨久男『実用印刷技術』産業図書、1957.12、1968.10(第10刷増補版)。
山田準・安本健吉註解『評釋千字文』岩波書店〈岩波文庫〉、1937.12。
アーレニウス『史的に見たる科學的宇宙觀の變遷』寺田寅彦譯、岩波書店〈岩波文庫〉、1944.8。ぼろぼろ過ぎで却つて貴重のやうにおもはれる。活字も大きい。
尾上八郎校訂『古今和歌集 嘉祿本』岩波書店〈岩波文庫〉、1927.11。同じものの8刷が手許にある。迂闊。
山室静『ギリシャ神話 付北欧神話』1962.7、1981.3(再版)。
山田孝雄校訂『和漢朗詠集』岩波書店〈岩波文庫〉、1930.9。
森茉莉『記憶の繪』筑摩書房、1968.11。
『クリスチャン・ギリシャ語聖書新世界訳』New York: Watchtower Bible and Tract Society of New York。
山岸特平『書誌学序説』岩波書店〈岩波全書〉、1977.12。
反町茂雄『日本の古典籍 その面白さその尊さ』八木書店、1984.4。
『岩波現代用字辞典』岩波書店、1981.6。
平凡社地図出版『常用日本地図帳』平凡社、1985.11、1988.6(第2版第7刷)。
23:55
あなたがたに謝罪ももとめなければ、あなたがたの名前を書きつらねもしません。願はくば、あなたの名前がすゑ長く侮辱野郎として記憶されますやうに。
23:23
きりしたん版研究史の勉強をいい加減におはらしたいので論文を再讀する。突貫工事的だつた半年まへより問題が具體的にみえるやうになつた氣がする。しかし、つけられてゐない明りを探すのはあひかはらずできなささうで、しかしそんなことは學部生ごときがやらうとすることなど大抵さうなのであつて按ずるに足りない。足りないがひとりの闇路は氣がとほくなるものであることだ。
23:55
行かないとみられない書籍の提要。ただし研究室所藏を除く。閉架圖書館の司書のごとき專門職ならともかく手を煩はせてしまふといふ間隔が強すぎて好けない(しかし研究室(?)所藏もかなりの量があるのでどちりなもたとへば書いてしまへば増える。増えるがどこにあるかもしらない研究室にある)。雜誌・論文集のうちの一論文はきりがないしOPACにはないので書かない。さういへば善本叢書が和書之部しかないことに氣がつきました。漢籍之部と洋書之部もあるのに。といふか洋書は概ねキリシタン關係でいらないとおもはれたのかもしれない。しかしそれにしては漢籍をいれないのは。
総論:
Collected works of Ernest Mason Satow、本館閲覧室2階、210.04/COL
上智大学吉利支丹文庫、文学-日本文化共通、190
きりしたん版集、本館1階書庫、081/TE37
きりしたん版の研究、本館1階書庫、022.3/KI54
きりしたん版文字攷、本館1階書庫、022.3/TO55
南蠻文集、本館1階書庫、210.18/N16
海表叢書、本館コレクション室小池文庫、081/0106-12
吉利支丹文學集、本館1階書庫、918/N77
吉利支丹文学集、本館閲覧室2階、080/TO82
典籍散語、本館1階書庫、020.4/TEN
典籍叢談、本館1階書庫、020.4/TEN
南蠻記、本館コレクション室小池文庫、210.04/0087
南蠻廣記、本館コレクション室小池文庫、914.6/0088-9, 本館1階書庫、914.6/SH64
南蠻更紗、本館1階書庫、914.6/SH64
南蛮更紗、本館閲覧室2階、080/TO82
新村出全集、本館閲覧室2階、081.8/SH64
姉崎正治著作集、本館閲覧室2階、160.8/A49
日歐通交史、本館1階書庫、210.48/KO16
幸田成友著作集、本館1階書庫、081.8/KO16
亀井孝論文集、本館閲覧室4階、810.8/KA34
キリシタン資料と国語研究、本館閲覧室4階、810.25/F84
えすぱにや・ぽるつがる記及び初期日本吉利支丹宗門に關する雜稾、本館1階書庫、915.6/KI46
吉利支丹文學抄、本館1階書庫、198.2/MU55
キリシタン南蛮文学入門、本館1階新着図書コーナー、910.24/KIR
キリシタンの文学、本館閲覧室2階、198.221/KIR
国語学研究事典、本館参考、810.33/KOK
日本キリスト教歴史大事典、本館参考、190.3/N77
近世初期日本関係南蛮史料の研究、本館閲覧室2階、210.5/KIN
通辞ロドリゲス : 南蛮の冒険者と大航海時代の日本・中国、本館閲覧室2階、198.2/C777
日本史 : キリシタン伝来のころ、本館閲覧室2階、080/TO82
日本吉利支丹史鈔、本館1階書庫、198.2/KI46
キリシタンが見た真宗、本館1階新着図書コーナー、188.7/KIR
キリシタン書 ; 排耶書、本館閲覧室2階、121.08/N77
ばうちずもの授けやう
ばうちずもの授けやう ; おらしよの飜訳 : 本文及び総索引、本館参考、810.24/B28
平家の物語
平家物語 : ハビヤン抄 キリシタン版、本館閲覧室4階、913.45/H51
天草版平家物語、本館1階新着図書コーナー、913.43/HEI
平家物語 : 天草版、本館閲覧室4階、913.45/H51
天草版平家物語対照本文及び総索引、本館閲覧室4階、913.45/A42
「天草本ヘイケモノガタリ」検案、本館閲覧室4階大型、913.45/H51
天草版平家物語総索引、本館閲覧室4階、913.45/A42
えそぽの物語
文祿舊譯天草本伊曾保物語、本館コレクション室小池文庫、991.7/3740
天草版イソポ物語、本館1階新着図書コーナー、991.7/ISO
Esopono fabvlas、本館2階書庫、991/A299
邦訳二種伊曽保物語の原典的研究、本館閲覧室4階、991/E59
假名草子集、本館閲覧室4階、918/N77
説話の森 : 中世の天狗からイソップまで、本館閲覧室4階小型、913.47/KOM
金句集
金句集四種集成、本館閲覧室4階、810.24/KIN
天草版金句集の研究、本館1階書庫、159/Y86
羅葡日辞書
羅葡日対訳辞書、本館参考、892.03/R17
落葉集
慶長三年耶蘇會板落葉集、本館参考書庫、813.1/R12
耶蘇会板落葉集総索引 : 字訓索引・字音索引、本館参考、813.1/Y61
落葉集二種、本館1階書庫、081/TE37
おらしよの飜訳
ばうちずもの授けやう ; おらしよの飜訳 : 本文及び総索引、本館参考、810.24/B28
倭漢朗詠集
倭漢朗詠集 : 慶長五年耶蘇會板、本館1階書庫、919.3/F68
日葡辞書
日葡辞書 : パリ本、本館1階書庫、869.3/NIP
日葡辞書、本館参考、869.03/D83
日葡辞書 : 邦訳、本館参考、869/N76
日葡辞書索引 : 邦訳、本館参考、869/N76
日葡辞書の研究、本館閲覧室4階、869/I43
日本文典
日本文典、本館1階書庫、815/NIH
日本大文典、本館閲覧室4階、815/R696
スピリツアル修行の研究
スピリツアル修行の研究 : 影印・翻字篇、本館1階書庫、198.2/H48
こんてむつすむん地
こんてむつすむん地総索引、本館参考、810.24/KO73
日本小文典
日本語小文典、本館閲覧室4階小型、81/R696
日本小文典、本館参考、815/NIH
コリャード
日本語文典、本館1階書庫、815/C697
コリャード自筆西日辞書、文学-日本文化共通、860
さんげろく私注、文学-日本文化共通、190
23:55
お茶濁し。最後の行はよけいといふか電波?といふか。
Q. The present constitution of Japan―Should we keep it or change it?
I think there are three ways to reach concensus. One is we should keep everything even if it will have caused something bad. Another is we should reconstruct everything and build a country as we like.
Both ways are too extreme and impractical. Human rights secured in the law were a landmark of the history of these rights, but, nowadays, these are not enough. For example, rovisions for a social rights do not always secure "cultured living" (art. 25). Such a luck should revise. How about provisions for politics and religion? I think pretty good.
We should think the law in this way with thinking yesterday, today and tomorrow.
Yes, I know objection is only left way to contribute to today's culture. But it tend to be miss oneself. Investigation of detail leads us to the whole world.
23:55
『スバル』第1年第4號(昴發行所、1909.4)をながめてゐたら、木下杢太郎「三月の雜誌の内より」(p.97-) といふのがあつて、○吾人は批評といふことは餘程學問見識のある人がするので無ければ詰らぬと思つて居る。唯吾曹のすることは六號活字物として文壇の雰圍氣の構成に多少役立つに過ぎぬ。乃至雜誌の方からいへば、唯其裝飾に役立つのである。
といふ文をみつける。本文活字の大きさについてスバルのなかで差別があつたことは紙面を一見せば了せられるものであるが、出版界の趨勢としてそのやうな差別についてあきらかにしえればをもしろからう。
23:55
H・チースリク「キリシタン印刷所に関する一考察」(『キリシタン研究会会報』第27年第4號、1988.3、p. 107-17)において新井トシの研究を全く無視して大型活字本を木活字
などとしていられるのだが、これはゆゑあつてのことなのだらうか。手許にあるのは複寫で、末尾にあるだらう參考文獻を缺いてをり、そのゆゑんを確かめえぬのであるが、ゆゑなしとすればこれほど杜撰なひとがキリシタン研究で重要な位置をしめてゐるといふこととなるので、本來なれば、チースリク師の種々の論文を參照して確定すべきであらうが、チースリク師の論文は少なくなく、すぐにあらためることができない。そこで、ご存じのかたがいられるのであればご教示ねがひたい次第。
23:55
いはゆる國内資料と海外資料との價値の優劣は、表題のことをどう考へるかで異なつてくるものだらう。日本語母語話者は英語の發音をききとるのが困難だといふが、促音的發音については日本語母語話者にきかせるのがいちばん詳しいだらう。海外資料はわがことばに缺かせないその微妙な差を聞きわける耳を通してゐるといふことが國内資料においてわがことばでなほざりにされてゐることをもあきらかにするといふことをも生むのである。
23:55
牀につくまでが遠足です、といふやうにあらためるべきではないかとおもふけふこのごろ、とても眠い。
amazon.co.jpで買つたもの;
大家重夫『タイプフェイスの法的保護と著作権』成文堂〈久留米大学法政叢書〉、2000.8。誤脱多し。加戸著作權課長の部下であつたさうな。
23:55
でした。おめでたう自分。
書店でNHKブックスだつたか(まあ『二重言語国家・日本』もあるやうなあやしい叢書なのだが)、『人間は宗教に勝てるか』とかいふ題の書がおいてあつた。まあそれはいいとして、副題が「一神教文明の終焉」だとかある。結局多神教といへども秩序にあはないものは排除されるのだ。なんぞ神の數を問題とせんや、だ。
もらつたもの:
Hans Wehr. J. M. Cowan, editor. A Dictionary of Modern Written Arabic. Fourth ed. Urbana: Spoken Language Services, [1994].
あがなひしもの:
中村元監修、石田瑞麿他『新・佛教辞典』誠信書房、1962.6。
河上徹太郎・山本健吉・吉田健一・江藤淳『現代日本文學大系』第66卷、「河上徹太郎・山本健吉・吉田健一・江藤淳集」、筑摩書房、1972.8。
東野治之『木簡が語る日本の古代』岩波書店〈岩波新書〉、1983.5。
西千葉の本屋事情は悲慘だ。
23:55
ふたたび文獻に就きはじめるととまらなくなる。そのうちサトウのキリシタン版關係論文の原文を入力してみようかと思つた。
松本彦次郎『物語日本史』第8卷「豐臣時代」、雄山閣、1938.2。意外と引用をしつかりとしてゐる。
アポロドートス『ギリシア神話』高津春繁譯、岩波書店〈岩波文庫〉、1952.4。
23:55
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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