なんにも書いてゐなかつたことに氣づく。なにがあつたらう、授業の發表で必要なことをかんがへてゐたのだつけ。
さて、いままで續けてきた日記を續けるといふのは、まあ、この春コンピュータネットワークに接續できないところに一日ゐたからそれを仕方がないとして數へないとして、これにて記録が途絶えたわけになるが、いつから續けてゐるかは面倒なので調べない。ただ2年は續けてをらう。
けふしたことだが、古本屋ですが秀實・渡部直己『新・それでも作家になりたい人のためのブックガイド』(太田出版、2004.10)をみつけ、序でに『〈新潮日本古典集成〉芭蕉文集』(新潮社、1978.3)を買つてみた。お金に餘裕があればそのとなりの『和漢朗詠集』も買つたが。
22:08
鳥海さんが一般市民にやさしく書體を手解きする會のはずが鳥海さんを質問責めにする會に(違)。まあ、書體設計を生業とするのは一人だけだから、具體的なデザインの話はあんまりなかつた。「秀英のかなはどれも苦手なんです、でも大正あたりに登場した六號は一寸複雜で……」などと云ふのもをかしいやうにおもはれていはなかつた。
23:56
面倒くさがつて、正字を入れる手段をデスクトップにしか入れてゐないので、日記を書くのはどうしてもデスクトップになるのだが、作業はほとんどiBookに移してしまつたので、デスクトップを起動するのが億劫だ。しかし、メイルなどの都合でかうせざるを得ない。
23:57
日記記入支援の CGI を Mac OS X の Apache に移植できたので、今度からこちらで書くのが多くなつて、日記書忘れなども減ることだらう。
さて、昨日本を買ひながら書忘てゐたのだが、偶々生協の共立出版フェアーがあつたので、
安岡孝一・安岡素子『文字符号の歴史 欧米と日本編』共立出版、2006.2。
とベスト・セラーの
大迫閑歩書・伊藤洋監修『えんぴつで奥の細道』ポプラ社、2006.1。
を買つてしまつた。だつて字が巧くなりたいのだもの……。
23:28
社會ダーウィニストといふトンデモがゐるが、河野六郎『文字論』(三省堂、1994.9)を讀みながら、アルファベットを効率のいい文字
で、将来、世界の文字はアルファベットに統一されるであろう
などと書いてあるのを見ると、社會ダーウィニストならぬ文字ダーウィニストならざらんやなどと考へてしまつた駄目人間。
いや、本書には漢字であるとかアラビア文字を、ローマン・アルファベットに對して前近代的などと書いてゐるのでさうも思ふのだが(一寸うまく引ける場所がみあたらない)。
23:56
ここに書くといふのと、濫費癖には相關があるのだらうか、しかし、記録はやめては價値が下がる。
白川静『中国古代の文化』講談社〈学術文庫〉、1979.10。
『デジタル用語辞典』2002-2003年版、日経BP社、2000.3、2003.3(三版)。
平田喜信校註『〈影印校注古典叢書22〉和泉式部日記』新典社、1986.6。
ベネディクト・アンダーソン、白石さや・白石隆譯『〈ネットワークの社会科学シリーズ〉増補想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行』NTT出版、1997.5。
しかし、デイリーヤマザキにおける「〈良味100選〉そーすカツ」の再販売は芽出度い。
19:50
レーモン・クーノー『文体練習』(朝比奈弘治譯、朝日出版、1996.10)を讀む。ヌーヴォー・ロマン入門にもなりうる本だが、樂しいやうなわけわからんやうな。
23:11
23:06
なぞないが買ふ。
宮本正興・松田素二編『新書アフリカ史』講談社〈現代新書〉、1997.1。
大田黒元雄『新編歌劇大觀』アポロ出版社、1947.9。
柳瀬尚紀『辞書はジョイスフル』新潮社〈文庫〉、1994.7。
北原白秋譯『まざあ・ぐうす』角川書店〈文庫〉、1977.5。
山本隆太郎『改訂版写真製版ダイジェスト』印刷学会出版部、1963.12、1981.6(三版)。
芥川龍之介『侏儒の言葉』岩波書店〈文庫〉、1932.8。
『文字とのめぐりあい』日本語の歴史2、平凡社、1963.12。
永野賢・高橋太郎・渡辺友左『横組の字形に関する研究』国立国語研究所報告24、国立国語研究所、1964.3。
侏儒の言葉は、新しい版を持つてゐるが古いのが値段もなくて置いてあつたのを買つたので、新しいはうはいらない。新書アフリカ史は、初めてかふ新裝釘の講談社現代新書だが、角ばるごつい裝釘のなかに待つのがごつくない文字がごつくなく組まれた紙葉で、この落差が體に似てゐるのではないかとか意味のないことをかんがへてみる。
23:55
貧窮してゐるわけではないのでかう云ふのは買ふ。青山剛昌『名探偵コナン』54卷、小学館、2006.7。昨日出た本なのに發行年月を確認し直すと云ふのは、呆けてゐるのか癖なのか。
17:49
這入つたサークルの部屋に一臺電子ピアノがあつて週に3度くらゐ彈いて感覺を取り戻すやうに努力してゐるのだが、なかなか戻るものではない。ベートーヴェンのトルコ行進曲くらゐ一度も間違へずに彈きたい。
借りた本。
吉田健一『作者の肖像』読売新聞社〈選書〉、1970.2。
ドナルド・キーン『日本の文学』吉田健一譯、筑摩書房〈教養選〉、1972.1。
篠田一士『吉田健一論』筑摩書房、1981.7。
23:55
いま、普段の作業がほとんど iBook に移行してゐて、MS-IME を相當飼ひ慣らして AtoK の利益が文語モードで正假名遣でそのまま入力できるといふのしかないが、IMAP でないしログ保存の都合でデスクトップと iBook をわけてメイルを受信してゐるのだが、當然 iBook のメイル・アドレスは滅多にくるものではなく重要度が低いので、デスクトップも定期的に受信する必要があるのだが無線ハブがないために一口しかない LAN のジャックはすでに iBook が占據してゐて、遣つてゐるソフトウェアのために少しはずすといふのもなかなかためらはれて、2日に1囘しか見ないくらゐに減つてしまつてゐるのだが、おかげで問合せに氣づかないと云ふ愚をやらかしてもをり、いま一番現實的な對策は iBook でも受信して、サーバから消さなければいいのだから、またそれは Mail のスパム檢出のトレーニングにもなるのだし、さうして急な用に對應することなのだが、根本的な對策としては無線ハブをあがなふことなのだらう。
23:45
20円くらゐの本であれば買つても良いかなと思ひ古本屋に行けば、新潮社の全書誌(小田切進編纂『新潮社八十年図書総目録』新潮社、1976.10。)があつて、いくらかと聞いたらそのまま購入することになつたのは何かの陰謀か。序でにと学会編『トンデモ本の逆襲』(洋泉社、1996.4)も買ふ。
18:47
文字の機能の歴史を見るのに文法や音聲にもちゐるほど經濟のことは持ち込めなくてそれはアルファベットが經濟のための發明でなくて他言語に用ゐられてゐた文字を轉用する過程で生じたことから明らかである。かなでアルファベットを試みればさしあたり「くあ」は「か」、「つえ」は「て」とするやうなのが思ひ浮かんでアルファベットの發明といふのは要するにかういふことなのに過ぎない。略字は表現の經濟のために生み出されるがしかし常に新たに生み出される字形には理解されないといふ不經濟がはらんでゐて、それでわかる字と使ひ分けるなら略字か通用字を覺えてゐる手間がかかりもして經濟に適ふとは言ひ切れない。いつか引いた傘の略字を題に取つて略字についての考察をした書物に傘字を傘字と見分けるのに必要な部分があれば人がなくてもいいといふのは人の暗示がされてゐるやうなスペースを缺いては傘字とわかつてゐるのに奇妙な別字に見える。しかし機を[木キ]とするやうなのはすぐに機を想起させて知らなくともわかるといへる。略字がある一方で構成要素を増やすこともあつてそれは表現の經濟に則つた行爲とはいひがたい。しかし一字が多義であるのも讀む經濟に反して、それで形聲が用ゐられた。ローマン・アルファベットも數多くの經濟に反することが含まれてゐて文字は讀めるが語が讀めないのが問題になると氣付かれにくくした。またラテン語がたつた26文字ですんだために結局それですまない語は26文字に新たな文字を付け加へるといふよりすでにある文字をさらに細分することで擴張するしかなくて(ゲール語などに例外もある)それでローマン・アルファベットの變種がアルファベットを用ゐるほとんどの言語でうまれた(日本語とて例外ではないが補助記號がはやらないのでほとんど意識されない)。そしてそれはわかりやすさを犧牲にしかけてゐる點で經濟的とは言ひ難いと認められるだらう。
それで、文字にとつて經濟的とはなにか、といふのを考へると、書きやすさ(=その場の便利)だけではないのは明らかで、音聲以上に分別のしやすさが經濟を左右してゐるのではなからうかと思はれる。つまり、少なくとも共時では解釋可能な文字があらはれるのであつてそれが經濟的かどうかはまづ共時的にわかりやすいかどうか檢討する必要があつてだから經濟を持ち込むのは容易でない(書いてほとんど編輯してゐないので支離滅裂もよいところ)。
23:55
なにかできることがあるとしたらそれはいきてゐることだらう。
23:55
ではアイヌ問題だつて負けてゐないと虚勢を張つてゐました。といふか、おそらく、こちらのはうが古いでせう、なんてまつたく意味のないことですが、ほぼ身に縁のない琉球よりずつと自分に關はる問題としてあります。
23:49
εις την βιβλον (Vol. 11, No. 7, Asahi Shinbun, Tokyo, 2006.7) γραφει η Μιεκο Καναι ισον.
23:55
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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