あとひとつき。
23:55
ただ單に金のつかひかたを間違つて現金がまつたく身動きが取れぬほどに減つてしまつただけですが。こまつた/まをしわけありません。入金があるまでしばらく定期で行けるところにしか行けません。あうあうあう。
23:55
けふいちにちは、昨日書いたとほりに家にゐたわけで、昨日のことを書くと、ウィキマニア報告會といふのにいつて三次會までうつかり出たら新宿から津田沼はどうにかなつたがその先が徒歩しかなかつた。タクシーは乘ると高いので歩いた。しかし、日付を越えて電車に乘つてゐたのは初體驗であつた(終電に間に合ふより間に合はないのを先に經驗するのはどうかと思ふ)。
23:55
キリシタン版には、民間業者版ともいふべき後藤版と京都版の存在が確認されてをり、これらはいづれも販賣に供されたらしい[1]。川瀬一馬は「……原田アントニヨに據つて京都の地で「こんてむつす・むんぢ」の國字本が活字印行せられてゐるが、之は既に京洛に於いて假名交り活字印本が充分なる發達を遂げた後の事であるから、技術的なる方面其の他に就いても特別な影響を及さなかつた」[2]とみなせると述べたが、もし長崎學林版の『サルバトール・ムンヂ』が1500部以上刷られたといふ報告のやうな規模で京都版が刷られてゐたとしたら[3]――ただし、誰でも持つてゐるべき『サルバトール・ムンヂ』のやうな書目は、安價に信徒や布教の場にばらまかれてゐたと想像もできるので確かとしない[4]――、いづれにせよ、どのやうに販賣されたのだらうか。
[1] 新井トシ「巡察使ヴァリニャーノ師ときりしたん版の出版」天理圖書館編『キリシタン版の研究』天理大學出版部〈參考資料集〉、1973.3、p. 26。富永牧太「きりしたん版の印刷術」前掲書、p. 78。
[2] 川瀬一馬『古活字版之研究』増補版、上卷、日本古書籍商協會、1967、p. 150。
[3] 新井トシ、前掲書、p. 29。
[4] リュシアン・フェーヴル・アンリ=ジャン・マルタン『書物の出現』上、關根素子他譯、筑摩書房、1985.9、p. 108。
01:03
新井トシ「きりしたん版國字本の印行について」(1)-(6)、天理圖書館『ビブリア』9-14號、天理大學出版部、1957.10-59.6。
新井トシ「きりしたん版の出版とその周邊」(1)-(6)『ビブリア』23-4, 29, 30-1, 34, 39號、1962.10-63.3, 1964.10, 1965.3-6, 1966.10, 1968.7。
および、『ビブリア』100號別卷執筆者索引より新井トシ執筆一覽。
總額200*(24+40)/21+10=619.52(圓)。
きりしたん版國字本の印行について:
1、9號、1957.10、pp. 24-30。4葉。
2、10號、1958.3、pp. 14-21。4葉。
3、11號、1958.7、pp. 34-41。4葉。
4、12號、1958.10、pp. 35-40。4葉。
5、13號、1959.3、pp. 50-56。4葉。
6、14號、1959.6、pp. 39-44。4葉。計24葉。
きりしたん版の出版とその周邊:
1、23號、1962.10、pp. 45-59。8葉。
2、24號、1963.3、pp. 34-41。4葉。
3、29號、1964.10、pp. 46-53。4葉。
4、30號、1965.3、pp. 45-51。4葉。
5、31號、1965.6、pp. 62-70。5葉。
6、34號、1066.10、pp. 41-48。5葉。
7、39號、1968.7、pp. 41-58。10葉。計40葉。
19:39
けふは研修をキャンセルされたので圖書館に行つてから師の御宅を訪ねやうかとおもつてゐたのだが、さう決めたのが遲すぎたので師を訪問するのは斷念した。といふわけで睡眠不足を解消するために午前中はずつと寐て、午後から學校の圖書館に出向いた。
富永牧太のビブリアなどにおける論攷が單著となつてゐる一方で、新井トシは翻譯を單著として發表したのみで、ほかのものは雜誌掲載だけである。雜誌は借り出すことができないので、ひとまづ必要なものをコピーした、それがさきほどの日記のコピー目録である。山口や大内田、森上の最近の論攷は、量も多くコピーを斷念した……掲載ページの採録を忘れてゐた (Oops)。一度は返却した富永の『きりしたん版文字攷』(富永牧太先生論文集刊行会、1978.4)と、新たに『キリシタン』(H・チーリスク監修、太田淑子編、東京堂出版〈日本史小百科〉、1999.9)を借りる。だが、大塚の解説にはあまり感心できないやうに思ふ。
22:08
中毒など問診で濟まして檢査しないといふのはほんたうに形だけなのだな。まあ精しくみても私の結果は變らないのではあるが。
23:55
制服の效用について少し考へた。
23:55
といふのは手荷物檢査への御同意を御願ひしてをりますではないのか。
23:55
藤原宏編『新しい国語表記 音訓及び送り仮名の付け方』帝国地方行政学会、1973.8。
責任編集長尾雅人『バラモン教典 原始仏典』中央公論社〈世界の名著〉1、1969.5。
書くことが貧弱なのに危機を認める。
23:55
L. フェーヴル、H. -J. マルタン『書物の出現』上下、關根他譯、筑摩書店、1985.9-10。
なんとも心躍る論攷である。いま日本、或は東洋の書物史においてこのやうな歴史書は可能か?
23:02
パブリックコメント募集を見て、配付資料などを全部見たが、企業が儲かるだけではないか、といふお決りの感想しか持ち得ない。『思想としての〈共和国〉』(レジス・ドゥブレ他、みすず書房、2006.7)についての池澤夏樹の書評であつた、「デモクラシー」そのものが、といふ感じがする。
知的財産戦略本部 コンテンツ専門調査会企画ワーキンググループにおける意見募集
15:03
コメント荒しがきたので、眺めてゐたら、お笑ひ種で、こんなのがあつた。
裝ひにきた荒しのIPはpc166.fusione.co.jp (202.234.131.166)である。つまり、企業のネットワークのどこかで穴があるか、この企業内でだれかが莫迦をしてゐるかのどちらかである。まあ、普通は前者。2006/09/18 08:32:46 (JST) の投稿。
00:13
新川和江が蜂を燒き殺したのを佛の伊藤こと伊藤桂一にかこつけて懺悔し、菊池誠が贋科學について斬り(だけれど、魔法を莫迦にしたり見かけは科学のようだが実は科学ではない「ニセ科学」
と書くのはよろしくない、氣がする。科學がとはれてゐないからである。また、贋科學批判行爲で一番「弱い」のもここだらう)、櫻井準也が近現代考古學について書いてゐる(今和次郎らの考現学
だとか、近現代遺跡
といふのがどういふものだらうとおもふ。近現代遺跡については、東京築地の外国人居留地(明石町遺跡)
が擧げられてゐる。發掘するのか、と感心した)。
23:31
で、もう寐れさうなくらゐに眠い。
21:56
木曜夜から月曜まで休みらしき休みがなかつたのが、けふの寒さとともにきたらしく、晝頃はぐたりぐたり。クレジットカードの支拂日なのにも關らずおかげでけふまで拂へなかつた(違)。
アン・M・リンドバーグ『海からの贈物』(吉田健一譯、新潮社)讀了。吉田健一の美しい譯文におぼれて、人科にホモ・サピエンス・サピエンスしかゐないことに思ひやる。
23:55
・新玉川線は路線が變つたといふ感じもまつたくしないのでをもしろくない。澁谷から二子玉川驛へ入るときの交差には少しわくわくしたものの、それがさらなる線路の豫兆といふのではなかつた。東武から田園都市線へと續いて、中央林間から久喜まで行くと何驛あるのだらう。
・東急田園都市線溝の口驛の番線表示板の書體の選擇がJRのものと同じであるのどころか、色合、文字の大きさも近似してゐて(或は同一で)、一瞬JRのものと勘違ひをした。
・人と組織を錯誤してはならないとわかつてはゐつつも、組織を通じてのひととの接觸はこの錯誤へひとを誘ふ。心搖れるなんとやら。
・そしてまた組織がひとに代表される瞬間を忘れてもならない。
・M・エリアーデ『シャーマニズム』(堀一郎譯、筑摩書房〈ちくま學藝文庫〉)をすこし讀む。……讀み切れるかな。
・『一册の本』第11卷第10號(朝日新聞社、2006.10)屆く。いつもどほりの連載をのみ讀む。
23:55
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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