Diary/ + PCC + — HIMAJIN NI AI WO. Love Idle

2008年4月1日(火)

4月

さるひとくるひと。古在學長以下數名。學生受け持ちがある人が二人も減るわ。

をはるものはじまるもの。聞藏よさらば(1度しか使つてないが)、讀賣よこんにちは。CiNiiのサイトライセンスも更新必須。定期は更新。

新規。千葉市中央圖書館に初めて行く。なんだこの人文書の揃ひぶりは。『異體字研究資料集成』全期とか。某大學の資料の集りかたがをかしすぎるだけなのだらうか……。ある法經の先生が「え、これもないの。さすが理系の大學」と云つてゐたのを思ひだす。

かりもの。
釘貫亨『近世仮名遣い論の研究: 五十音図と古代日本語音声の発見』名古屋大学出版会、2007.10。
北原保雄監修『朝倉日本語講座』第2巻、林史典編「文字・書記」、朝倉書店、2005.4。
古田東朔・築島裕『国語学史』東京大学出版会、1972.11。
築島裕『歴史的仮名遣い: その成立と特徴』中公新書810、中央公論社、1986.7。以下市立圖書館。ざつと眺めたが對象を愛ですぎでは?
印刷学会出版部編『印刷雑誌とその時代: 実況・印刷の近現代史』印刷学会出版部、2007.12。
板倉雅宣『教科書にみる印刷術の歴史』印刷朝陽会、2005.9。

20:57

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2008年4月2日(水)

如月壬申

CiNiiのサイトIDの繼續申請がとほる。『國語學』および『日本語の研究』誌論文PDFはこれがないと有料になるので(あと『史學雜誌』もさうですね)。

シノドスをながめる。「とりあへず、場を」か。しかし、採算とれるのかな。唯物論研究會は精算取れなくてカンパを募つてゐるみたいだけど。

假名遣小考。契沖がこころざしてゐたものが、現在われわれが假名遣の意味としてつかふあの屈折した用義と異なるのならば、歴史的假名遣は内實を一度改めてゐることになる。釘貫『近世假名遣い』を見るとわれわれの用義にごく近いとみなしていいやうに思ふし、迫野「假名遣いの發生と展開」を見るとだいぶ異なる氣がする。異なるといつても、それは定家假名遣と同じではなく、その語がその語たるためには書き分けられなくてはならないのである。この點うつかりすると音韻論になづんだ現代のわれわれからすると同じやうに響くが、生きてゐるところはだいぶん違ふ。

23:55

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2008年4月3日(木)

如月癸酉

けふは一日在宅。αシノドスお試し號を讀破したあと、フジテレビで「日本人ならば知っておかないと恥ずかしい常識」なるクイズ番組をやつてゐてこの落差は、とおもふ。αシノドスじたいはすらすらと讀めてしまつて、もちろん精讀ではないのであるが、晦澁なスタイルでないのもあらうが、電波はきがゐないのもあらう。「僕たちはやればできる子」ばかりだから、かもしれないし。

異體がな使分けはプラクティカルであり本質的で、假名遣はいろはの保守にすぎず、本質的でない。ほんたう?

23:14

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2008年4月4日(金)

如月甲戌

舊暦とはいへ、干支記法では何日かよくわからない罠。けふは2月28日とのこと。太陽暦ではないので最後の日ではない。月も干支で書いたらいよよ意味不明の極みですね。

おとどけもの
青山剛昌『名探偵コナン』卷61、小学館、2008.4。敵か味方かわからない新キャラ登場。
アンホルト, ロバート・R・H『理系のための口頭発表術: 聴衆を魅了する20の原則』鈴木炎、リー, イイイン・サンディ、ブルーバックス、講談社、2008.1。『理系のための作文技術』のプレゼン術がさらにわかりやすく!アメリカンに!といふ感じの書籍。
橋本二三男『原典を求めて: 古典文学のための書誌』1974。笠間書院、2008.3。『更級日記』御物本錯簡が見たかつたので。
山田俊雄・築島裕・白藤禮幸ほか編『新潮現代国語辞典』1985。新潮社、2000.2。小型國語辭典がどんどんたまつていくのはどういふ趣味でせう?

かひもの
国語学会編『国語学辞典』1955。東京堂出版、26版、1957.1。初版からの誤字訂正が各版にあるらしいので。

いただきもの
築島裕『歴史的仮名遣い: その成立と特徴』中公新書810、中央公論社、1986.7。

23:55

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2008年4月5日(土)

訓訓、国国、国と国

SJL(どこ)で展望をながめてゐたら雜誌名をかう略していらした方をみかけたので。『解釈と』てふのもあつたな。「国と国」ではSJL一般語檢索で用例は2論文しかないけど、まあめづらしいものをみた感じ。

13:17

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如月乙亥

古い革袋としての歴史的假名遣といふものがたり。岩波版『契沖全集』卷10付録月報に龜井孝が書くやうに、すくなくとも契沖における歴史的假名遣の本義は、《語の“本義”(=語源)》のその探求にほかならない。そして、その第一歩としていろは歌から五十音圖への轉換があつたとみてよいのではないか。しかし、宣長が「皇國に五十音の他に音なし」と(どこかでorz)述べて音義派を呼び出すこととなり、それを封殺するのにまぎれてヤ行エ段の假名も上代特殊假名遣も歴史的假名遣から消されてしまつた。これは、歴史的假名遣がみづからの限界をつくりだしてしまつた、つまり古い革袋と「なりさがつた」いふことを意味するだらうか?

かりもの
築島裕・林勉・池田利夫ほか編『契沖全集』巻10「語学」、岩波書店、1973.10。

23:55

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2008年4月6日(日)

彌生丙子

一日在宅
なんとなく北大院の院生論集のウェブの目次を眺めてゐたら、かういふのを見つける:
高木維「ひらがな史の研究: 「る」の字形にみえる印刷・手書きの対照」『北海道大学大学院文学研究科研究論集』6 (2006): 223-38
『近世活字版目録』(多治比郁夫・中野三敏編、日本書誌学大系50、青裳堂、1974)を見て氣にしてゐたことではあつたが、實際にとり組んだひとがゐたとは! このひとには次の發表もある:
高木維「近世・近代における「し」の勢力拡大現象」『日本語の研究』3.2 (2007): 97
これは近代活字における「し」の字形を論じて矢田勉「鈴屋の文字意識とその実践」『鈴屋学会報』15 (1998): 27-39をもとにひもといたもののやうである。なんにでも先んずる人はゐるものだなあと感心する。要確認だ。

23:50

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2008年4月7日(月)

彌生丁丑

一日在宅。

ある方にすすめられて
中津文彦『塙保己一推理帖: 観音参りの女』カッパ・ノベルス、光文社、2002.8。
を読む。小説についてとくにいふところはないが、すすめられた理由についてしばし思ひめぐらす。

23:55

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2008年4月8日(火)

彌生戊寅

一日在宅。

ひさびさに原條の詩集を開く。「気まぐれな恋人に1〜4」をはじめて讀んだもののやうに讀む。

22:23

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2008年4月9日(水)

彌生己卯

朝から外出。大學に行きサークル勸誘の進みぐあひを見て、高校の離任式に行き、サークルに戻つて歡迎コンパ。

いらつしやらなくなる先生にいただいた本を見て、なにとなくなまなかならぬ感をいだいてゐた理由を知る。

コンパ。途方もなくネガティヴな氣分になつて、二次會でしばしひとりで酒を飮む妙なことに。まあ、よい新入生が入らんことを。

23:55

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2008年4月10日(木)

彌生庚辰

一日在宅。宿醉との噂。

學科のガイダンス日程をけふと勘違ひして行かなかつたことを思ひだす。成績表……。

23:55

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2008年4月12日(土)

彌生壬午

一日在宅。酒の量は難しい。私の頭はだいぶ鈍いみたいであるので。

昨日買ふ。
角川書店編『今はじめる人のための俳句歳時記』角川文庫13181、角川学芸出版、2003.12。2007.12。歳時記がひとつ手許にあるとよいかなと思つたので。

昨日読む。
高木維「ひらがな史の研究: 「る」の字形にみえる印刷・手書きの対照」『北海道大学大学院文学研究科研究論集』6 (2006): 223-38
なぜ書體といふ觀點を落とすのかとくに説明がないが、私には不要ともおもはれない。特に「書寫資料」については書體の整合をとつてゐないので論がみだれてしまつたともいへまいか?
シーリー, クリス「三組の仮名イ・ヰ、エ・ヱ、ヲ・オに対する契沖の観念について」『語文』36 (1979): 1-9
契沖の歴史的假名遣説で取つた博論の一部翻譯らしい(宮地裕「編集後記」『語文』36 (1979)。Seeley, Christopher. “The Waji Shōran-shō of Keichū and Its Position in Historical Kana Usage Studies.” Diss. U of London, 1975.)。あるいは公刊されてゐるのだらうか? 契沖においては假名=音と考へてゐたためにヤ行イ段、ヤ行エ段、ワ行ウ段の假名の不在と、ワ行イ・エ・オ段の假名の存在とを整合的に示し得なかつたが、それは活用などによつて示された五十音圖の哲理を覆すものではなかつた、といふはなしだらうか。

20:57

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2008年4月13日(日)

彌生癸未

一日在宅。時間割をだいたい決める。P・D・ジェイムズ『不自然な死体』青木久恵譯、ハヤカワ・ミステリ文庫HM129-4、早川書房、1989.8を讀み終へる。け落としたところはきちんと讀んでゐない。

23:55

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2008年4月14日(月)

彌生甲申

初日。資料を大量にもらふ。辭書買はねば……。たぶん、LewisのSchoolsかAbridged。草雙紙の字が小さいといふと、近代活字の8ptのはうがつらいだらうといはれる。稿本もほとんどおなじくらゐの字わりで、それはそれで感心する。

倒れるのをおそれて樂しく飮めなかつた。

23:55

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2008年4月15日(火)

彌生乙酉

初日2日目。でかけるはずの時間に起きて驚く。室町東國語をやめて江戸東國語として撰ばれたのは『潮來婦志』。いはれたとほりに早大圖書館の電子畫像を印刷したのだけれど(利用規約に反してゐません)、混雜の演習室で大量に刷つたのはすこし申しわけなかつた。

まだ今年は新入生にまちがはれてゐない。

23:55

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2008年4月16日(水)

彌生丁亥

初日3日目。キリスト教概論の教員をみてああ牧師ぽいと思つたのは私だけであらうか。某氏が莫迦と思つたうちにこのひとが入つてゐるのだらうかなどと餘計なことを考へる。文學史は、まあ「はやめに終りますけれど、よそはまだ授業ですからおしづかに」(大意)といはれたときは、まあ。

23:55

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2008年4月17日(木)

動いたあとに間違ひにきづく

たとへば、けふの日付を昨日の日記の題にしてゐるとか。きりがいいので干支題はやめませう……。水曜日も部會および歸り道でへんなことをしてゐました。人間變つていくものではありますが、こんな本人がふと氣づくていどの變化しかないのも地味一方ですね。

初日4日め。2限は休講といふ可能性をすつかり忘却し、いろいろと敗北。一昨日のゼミで云つてくれてもよささうな……。激動の80年代と青春と世界史。

永山勇「國語假名遣説の發生と展開とに就いて: 假名遣觀を中心としたる」『國語と國文學』20 (1943): 347-71
を讀んでいまさらながら感動する。ところで、これが掲載された『國語と國文學』昭和18年4月號は、特輯「國語音韻の史的研究」でその半分ほどが假名遣のはなし(記録を取り忘れ、このころの『國語と國文學』の目次はウェブで探せる範圍にないやうなので、うろ覺えではあるが)。假名遣がほとんどトピックにならなくなつていかほどだらう。

火曜日に買つて忘れてゐたもの。
Seeley, Christopher. A History of Writing in Japan. 1991. [Honolulu]: U of Hawai'i P, 2000.
じつにしつかりした本であることだなあと思ふ。邦譯してもいけるんぢや?

23:55

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2008年4月18日(金)

唯一性と無題との兼合ひ

日附を日記の題とする最大の利點は、無題とおなじになることである。やはり日記としては題がないはうが日記らしい。しかし、ウェブ日記としては、題名がユニークであるのが望ましい。グレゴリオ暦を書くと現システムの都合、あまりみためがよくない。はてさて。

初日5日め。なかまからみるといちばん氣樂なのだけど、金曜に2-4連續だとねむけがひどい。

かひもの。
池澤夏樹『星に降る雪/修道院』角川書店、2008.3。「/」がはいるのは2作目だなあ、ただ「マリコ/マリキータ」とちがつてこちらはいはゆるダブルA面的なものだが。
苅部直・片岡龍編『日本思想史ハンドブック』新書館、2008.3。なんで買つたのだらう。ほしかつたのはハンドブックだつたのだらうか。
ロンブ・カトー『わたしの外国語学習法』米原万里譯、1981。ちくま学芸文庫、筑摩書房、2000.3。

23:13

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2008年4月19日(土)

こさめふるなかありく

文字を文字で語るむづかしさ。ひらがなのかたちの淵源は、たとへば築島裕『仮名』(『日本語の世界』卷5)にあるやうな説明がおほいけれども、それぞれの文字がいはゆる漢字文化圈にひろくあつたかたちにしたしいのか、ひらがなとしてのかたちなのか、たとへば先日言及した高木維氏の論では近世から明治初期にかけてただの「る」に4種があつたわけだが、すみわけがどのやうにあつてどのやうにうまれてきたのか、といふことどもが、そのやうな説明ではおほいかくされてみえないのだと觀念するのになかなかいたらない。「る」のかたちをまたあげつらへば、「留」ではなくて「畄」がもとだといはれることがあるのだが、これが噴飯ものなのかさうでないのか、私は氣になつてゐるのだ。およそ字といふ字は、その書體に左右されるところが大きいものだが、「畄」といふ字が萬葉がなで通行されてゐるとしても、その字を「日本人が崩した」可能性に加へて、「留の草書を楷書化したものが畄であり、るは畄と兄弟のあひだがらだ」といふ可能性もある。しかし、このやうなうたがひを探るみちを私はさいきん歩いてゐないので、先にいけばわかるかもわからない――だから、かうくどくどしくも書くのだが。

マクドナルドでプレミアム・ロースト・コーヒーなる評判のものを飮む。どう評判でどういふ種類のものかもよくしらないのだが、出されたものはアメリカンで飮み應へは皆無なので、おそらく香りが評價されたのだらう。

23:55

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2008年4月20日(日)

「意外と綺麗」

あるTBS系ドラマの某大學の綜合校舍B號棟で撮影した場面で、「意外と綺麗だね」といはれる。しかし、工學部の廊下で鮪を引きずつてゐたとはなあ。

このまへ、パソコンの整理をしてゐたら、高校の部活で書いたふるい原稿をいくつかみつけた。まあなんとも落ちつきのない書き物であつたか。何囘推敲しても描寫がゆたかになるわけでもなく、いま書かないのもこれがいやだつたからのやうな氣がする。

21:41

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2008年4月21日(月)

カエサル、種彦、馬琴(1)

カエサル。下調べを怠つて粗筋だけ讀んで行つたのでわかつたやうなわからないやうな。とりあへず、すらすら讀んだ學生を「よくわかつたね」と教員がほめてゐるのはぴんと來なかつたのはたしか。歸りに カエサル『ガリア戦記』国原吉之助譯、講談社学術文庫、講談社、1994.5。 を買ふ。2007年で29刷らしい。

種彦。けふは種彦ではなく一九の草雙紙刊行暴露話をかんたんに讀む。字がちいさい。

馬琴。字が大きい。

池澤夏樹の『星に降る雪/修道院』(角川書店、2008)を讀んだ。超人間的なものからの到來をひた待つ、といふところでは、小説であれば「スティル・ライフ」の主人公、『マリコ/マリキータ』(文藝春秋、1990)の諸編、『花を運ぶ妹』(文藝春秋、2000)の主人公たちと重なるところがあるのではなからうか。 何を問うても答えない海を厭きはてて/わたしは世界一長い河を見に行った

23:55

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2008年4月22日(火)

三馬(1)

三馬。範圍割當てなど。わりあてをざつと讀む。みつけた校異が底本の差なのか活字本のあやまりなのか判斷しかねる。誤りの可能性のはうが高いはずだが……。

結論がわかりきつてゐるといはれてしまふ分野がある。しかしそんな斜に構へてはせいぜいアンチ的な發想をぶつけることしかできないのではなからうか。せめて2次元的に。

新共同譯を買はねばならないが。昔、氣の迷ひで教會學校に通つてゐたときにもらつた聖書があれば買はずとも濟んだのだが、通ふのをやめたあと捨てられてしまつてゐた。

受講登録削除はきちんと。單位を落としたふたつとも出席しそこねたもの、といふのが嘆かはしい。

麒麟の「世界のキッチンから」の「カラメル・オ・レ」を飮む。キャラメル・ドリンクてふのがあつたら、かういふ味なんであらうといふところ(無理矢理大學以外の話題を捻出する)。

23:55

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2008年4月23日(水)

χριστιανοι, Litterae Mediaevis (1)

Introductio Secundus ad Religionem Christiana. Locus hodiernus historicus latus Hebraei ad Iesus.

中世文學史。俊成から開始。「うき世にはいまは嵐の山風にこれやなれゆくはじめなるらむ」(新古今795)。

23:55

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2008年4月24日(木)

音韻、80s(1)

音韻。まこと傳統的に正統なもので若輩に書くことなし。

80s。80年代的「自由」はなぜ世界を席卷しえたか?

23:55

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2008年4月25日(金)

發聲練習、司馬遷、紫式部(1)

これを書いてゐるのは27日なのですが、26日は書くことがないし、けふもなささうなので、早々に寐てしまつて書いてゐなかつた25日のぶんを。

發聲練習。吸著音。[ʘɑ]と[ʘhɑ]を區別する言語とか謎。

司馬遷。背景説明。

式部。そもそも文字列をどう讀んでいくかといふテクニカルな話題。教師が日國より古い用例を見つけたくらゐで喜んでよいのだらうか。

23:55

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2008年4月28日(月)

カエサル、種彦、馬琴(2)

カエサル。quiとか接續法の按排とかわからず。獨立奪格は惱めばわかりさうなものがおほさう、かな。

種彦。かういふのを讀んでると、昔は立川文庫で總ルビで云々といふのもさうかと納得してしまひさうな字の小ささである。大文字版なんて必要ないんだ?

馬琴。すぐれた註釋、あるいは問題のありかをたどらうとする註釋。でも授業ならみんなわかんないだらうから説明して、といふのも多いやうな(日本語學のゼミで瞬間動詞とだけレジュメに書いたらばそれはなにか説明するやうにといはれた;すつかり忘れてゐた)。

帝國文庫と國民文庫が區別できてゐないことに氣づく。『アジア遊学』特輯「絵を読む文字を読む: 日本文学とその媒体」109 (2008)をいただく。

23:55

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2008年4月29日(火)

昭和の日

建國記念日のはうがまだ祝日たる意味もあらうかといふところ、とまれ、みどりの日が昭和の日のために5/4になつたために5/3-5のどれでも1日が日曜であれば5/6が振替休日になるやうになつたといふことを今日知りました。つまり4/29の曜日は2週連續でやすみになる可能性が5/7といふことですか。なかなか。

時代の波がだいぶ通りすぎたので、blogの導入を檢討しはじめました。こつそり試運轉中。ついでに管理してゐるウェブサイトの整理などもはじめたりして。

23:55

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2008年4月30日(水)

If it were a living language...

言語上達には、やはり、量をかせぐしかないだらうと愚考。讀み書きにしろ喋るにしろ。たとへば、ラテン語の文法書による教授を中途半端に投げてしまつたのだけれど、しかし、テクストを(ひたすら?)讀みながら文法を獲得していくはうが私は性に合ふし、見えることはおほい。さて、ラテン語がひとびとのことばとして續いてゐたとして、いまどんな文法書があらたに編まれるだらうか?

To be a good speaker of the language, he must study hard, whether to write or to speak. For me, I did not complete learning Latin by the grammer books; however I still have been learning Latin by reading original texts with the grammer books. And this style fits to me and tells a lot about the language.

...how grammer books will be compiled.

23:10

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