文字を文字で語るむづかしさ。ひらがなのかたちの淵源は、たとへば築島裕『仮名』(『日本語の世界』卷5)にあるやうな説明がおほいけれども、それぞれの文字がいはゆる漢字文化圈にひろくあつたかたちにしたしいのか、ひらがなとしてのかたちなのか、たとへば先日言及した高木維氏の論では近世から明治初期にかけてただの「る」に4種があつたわけだが、すみわけがどのやうにあつてどのやうにうまれてきたのか、といふことどもが、そのやうな説明ではおほいかくされてみえないのだと觀念するのになかなかいたらない。「る」のかたちをまたあげつらへば、「留」ではなくて「畄」がもとだといはれることがあるのだが、これが噴飯ものなのかさうでないのか、私は氣になつてゐるのだ。およそ字といふ字は、その書體に左右されるところが大きいものだが、「畄」といふ字が萬葉がなで通行されてゐるとしても、その字を「日本人が崩した」可能性に加へて、「留の草書を楷書化したものが畄であり、るは畄と兄弟のあひだがらだ」といふ可能性もある。しかし、このやうなうたがひを探るみちを私はさいきん歩いてゐないので、先にいけばわかるかもわからない――だから、かうくどくどしくも書くのだが。
マクドナルドでプレミアム・ロースト・コーヒーなる評判のものを飮む。どう評判でどういふ種類のものかもよくしらないのだが、出されたものはアメリカンで飮み應へは皆無なので、おそらく香りが評價されたのだらう。
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——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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