昨年は大變お世話になりました。本年もよろしくお願ひいたします。これから寐て、起きたら引越してから一度も行つたことがない土地の神樣だと思はれる二宮神社にいかうかとおもつてゐますが、行けるのか。
00:00
昨日、二宮神社に參りしのち叔母一家きてけふ東京見物す。付合ひとて豐洲がららぽーとへ行けり。人混みごみして休むも苦勞なり。衣料品店多かれども流行ものは面倒にてなんとなく入れず。衣裳を氣にせざるにあらざるなり、買物を好かぬのなり。若き交際中男女多し、休む場所のない憂晴しに一般的交際形態について考察を及ばしぬ(ジェンダー論にかぶれしゆゑ)。一杯の紅茶を飮むも得ずは設計の難といふべし。テイクアウトの店少なきは好ましからぬことなり。歸途に銀座は山野樂噐を訪ひぬ。シューマンが『小さな子供と大きな子供のための12の連彈曲集』(Op. 85) の演奏の録音を求むもなければドビュッシーが『前奏曲集』『映像』を彈けるミケランジェリの録音を求めり。『ピアノのために』の教本を探さんとすも暇なければ止む。歸りて演奏を聽くに、かうなる音樂のありしや、とぞ驚く。
23:55
今日はなんだかおやつを一杯たべました……。無聊なときは、つい、さうしてしまひます。一日で自分の部屋にゐない時間は、2, 3時間くらゐだつたでせう。金曜日に學校に行くまで鍵盤類からは遠ざかる、といふことは、2週間ひいてゐないわけで、恐ろしくて仕方がありません。
レポートのためにウィキペディア日本語版の項目の最新版のデータを入手。1.6GB。ウィキペディア日本語版での漢字表記の調査が目的。ひとまづ大雜把に計量して、……どうしよう。
23:55
史料の破壞といふのはなにをもたらすだらうか。破壞といふのはさうされる側からの見方で、人に壞されようが灼熱の火にやられようがかはらない。缺落した史料には複製品がとつてかはる。すなはち類似するものからの連想的複製であり、身近なものとしては、複寫史料による圖書館の充足がそれである。連想的複製は極めて廣い範圍にもちゐられ、複製もとの特性(或は個性)を吟味しきらずになされることもしばしばである。卑近なたとへをもちゐてみると、ある人を知つてその親を想像するのにそのある人とさしてかはらぬ人をおもひ浮かべるのが、似たやうなことだらう。
しかし記録についてはどうだらうか。グーテンベルクにせよ、キリシタン版の工房にせよ、築地活版にせよ、それらに遺された記録はその史料の量に比して慰みにもならぬほどである(そしてグーテンベルクはそのためにその出版物が確定されかねてゐる)。一般的に、記録はオリジナルだけでしか存在しないことが少なくない。もちろん、ほかの史料からの連想は有效であるが、史料として殘り得ないものを書いた記録は、破壞されればそれはもうとりかへしがつかないといふことであつて、たとへば人の記憶、行動がさうである。
破壞の憂き目にあつてもう知ることが出來ないキリシタン版の營爲へちかづくことに、國字本大字本の斜形活字の分析はどれほど有效だらうか。小字本においても大字本においても平假名活字は複數種の使用がありなんらかの原則を崩すわけではない。しかし、この特異な存在――ミスだとしても、檢査を通り拔けたミスである――をいかやうに解釋すべきか。意圖的に檢査を通したとしかおもはれないこの誤りは、山口説を活字の鑄造失敗ではなく母型の鑄造失敗へ導いたものだらう。しかし、普遍的にはもちゐられてゐないといふことが、なんのためにといふことを想像させるのを妨げる。
23:55
KIRISHITAN BUNKO 吉利支丹文庫 A MANUAL OF BOOKS AND DOCUMENTS ON THE EARLY CHRISTIAN MISSION IN JAPAN WITH SPECIAL REFERENCE TO THE PRINCIPAL LIBRARIES IN JAPAN AND MORE PARTICULARLY TO THE COLLECTION AT SOPHIA UNIVERSITY, TŌKYŌ WITH AN APPENDIX OF ANCIENT MAPS OF THE FAR EAST, ESPECIALLY JAPAN BY{note: Y = SC} JOHANNES LAURES, S. J. THIRD, REVISED AND ENLARGED, EDITION 上智大学 SOPHIA UNIVERSITY TŌKYŌ 1957.
Monumenta Nipponica Monograph 5 No. 5 {Border} Kirishitan Bunko Third Edition
Cumpermissu Superiorum {Border} Printed in Japan by the SALESIAN TRAPE SCHOOL, Tōkyō All rights reserved. Price 3,600 yen Abroad: 12 U. S. dollors
後學のため、といふより、古い手帳に殘したメモの整理。
23:55
昨日始業で1限からあつたので行つてみたら誰もゐなくて、でも、あのひとが十分くらゐ遲れるのは珍しくもなくて、それで休講の連絡もせずに抛棄かなどときめつけてよかつたのだらうか。……まあ、いいよね。
01:53
レポートの提出日までもうすぐあと10日になつてしまふので、年貢の納め時であるとMediawikiのインストールにかかる。入れたもの。Entropy_phpといふののPHP5 for Apache 1.3x。MySQLの5.0 Std。Xcode 2.2.1。expat 2.0.0。xml2sql 0.5。Mediawiki 1.8.9。Xcodeをいままでいれてゐなかつたのは迂闊であつた。なぜ./configureもできないのかといふ疑問が冰塊。しかし元XMLが1.3GBあるのでいちいち時間がかかる。
池澤夏樹『真昼のプリニウス』讀了。去年の11月に買つて、冒頭を少しだけよんでゐたのを、今日最初から最後まで讀み通した。約250ページ。火山學者の女性が地球と自分と世界を見つめるはなしだらうか。密に構成されてゐて一氣に讀了した。中間部の淺間山噴火の體驗記、およびその筆者と主人公の對話が壓卷。
22:20
高橋裕史『イエズス会の世界戦略』講談社〈講談社選書メチエ〉、2006.10。科研費による研究成果の一部。報告書を探してもいいかもしれぬ。
網野善彦『古文書返却の旅 戦後史学史の一齣』中央公論新社〈中公新書〉、1999.10。
『THE BEST OF .DETECTIVE CONAN 名探偵コナン テーマ曲集』J-DISC、2000.11。
吉田虎・木下康彦・渡辺修司・鈴木孝編『世界史のための文献案内新版』山川出版社、1996.7。
單語を記憶する、といふのを苦手とするのだが、どうにかならないだらうか。
小中の漢字教育はどうだつたらう。書取りをやらせる先生はゐなかつたとおもふのだが、同級に聞いてみるべきか。
朝日文字が朝日にとつて隱したい過去となる件。
眠い。
A號棟から轉居する教員が多くて舊教養部が廣々とする件。文學部のひとは3階に移住したんですね。リラックスルームより學部棟を廣くしてくれ。
A號棟の洋式トイレがネオレストである件。和式があるかは確認できず。しかしなぜ決つて和式があるのか。
「ジプシーの踊り」がいつまでもひけない件。これだけやつてゐるわけではないけれどもてんで上達せん。
福島邦道『天草版平家物語叢録』を要望したのはいつだつたらうか? もしかしてしてゐないとか。
國文學研究室資料室藏書目録を發見する件。いまの日文資料室か。さうだとするとだいぶなくなつてゐる氣がする。參考にあるので借りられず。
イエズス開始の書簡集をいつかみなければならないだらうとおもつて收藏してゐないかみたが、なかつた。がーん。
家に歸つたらみな食べ終へてゐて机のうへに用意された食事がしかし一人分には多くてどきどきした件。
23:05
體育會系が喜ぶやうな、安くて量が多いお店に夕飯を食べに行きました。殘すところであつた……。ベルトをきつめにしめたのも敗因。いや完食したんですけど。
しかし先ほど極細ポッキーとハーベスト一包裝を食べたのはどういふ風のふきまはし?
23:51
けふはいつも同じだとつまらないといふのでコートでなくてジャンパーを著てみました。寒かつたです。
研究法。荷物が重さうだなとおもつたら、國歌大觀と私家集集成と日本文學大系を一卷づつ持つてきてゐるのであつた。「文學を研究すると力がつくよー。」といふのは微妙に違ふとおもふ。資料室は來年度開くとの由。新築のにほひは本によくない氣もする。すこしひとが少なめ。風邪をもらつたのか、まだ休みなのか。ゼミ。發表者がさぼり・發表日勘違ひでコーヒーを飮みながら高木さんととりとめもなく談話。すこし研究に必要な教養、或は素養についてかんがへてみる。ドラゴンボールもワンピースもよまなかつた私としてはこの世代としてのマンガの素養は0といつてよいのには相違ない。ねぼすけ君があした來ればいはう。「先生が心を鬼にしていつておきたいことがあるんだつて……」。以下の本をいただく。
高橋レオ『Adobe InDesign CSマスターブック for Macintosh & Windows』毎日コミュニケーションズ、2004.6。
Adobe『Adobe InDesign CSユーザガイド』2003。
川村正樹『bash Manual & Reference』秀和システム、1999.2。
一番下はシェルスクリプトをかかなければ縁がなささうだなあとおもふのであつた。12時。一時間ほどひとの演奏を聽きそのあとピアノを彈いて(練習量がたりないんだらうなあとおもひながら一時間で切上げる)、新刊書店へ行き、これはいいと圖書館にいつて購入希望をださうとしてかり出されてゐるだけだと知る。教科書を借りていくな……。15時。ご飯を食べて歸らうとおもつて安いカレーを食べたものの(新厚生食堂はなにか苦手だ)、なぜかご飯をたべたのだからまた圖書館に行けばいいのだとかんがへなほし新村出の『典籍散語』を要約してみはじめる。そして日本古典全集に携はつたことを知つたので見に行くとぐちやぐちやであるので整理。いろいろ缺けてゐることをのみ知る。ふと後ろを見るとキリシタン版和漢朗詠集の複製があるので見たのでメモ。そのあと叢書をいろいろみてまはつてゐたら書庫閉鎖の時間になり、歸る。19時。PHSを家に忘れてでかけたのだつたが、14時と16時に圖書館のおそらく相互利用係から連絡があつたやうである。水曜日に申請した松戸の「南蠻資料の發見」についての件だらうので明日見に行く。
23:55
昨日述べし「南蠻資料の發見」は、受け取りてみればただのOPACへの誤入力にしてその実は松田毅一が『南蛮史料の発見』(中央公論社〈中公新書〉、1964.9、1971.11(7版))なりし。しかれども著者の名も登録されぬとは不審なり。鄭炫赫「キリシタン文献の平仮名の用字法――国字本『どちりなきりしたん』を中心に――」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』第44輯第3分冊、早稲田大学大学院文学研究科、1999.2)を見たり。いろいろとをもしろきことども書かるるも統計値の用ゐかたに不審ありとおぼゆ。
23:56
丸井津田沼店の閉店セールを見に行く。S, M, Lがほとんどでデザイン云々以前なのが哀しい。大きいサイズつてそんなに需要がないだらうか?
古文版ウィキペディアの計畫を知る。しかし古文として破格なうへにIncubatorのルールも守らない、どうしようもないひとしか今のところゐないやうである。
昨日青山剛昌『名探偵コナン』第56卷(小學館、2007.2)を買つたのを記しわすれてゐた。卷末の廣告を見ると、『まじっく怪斗』第4卷の廣告がある。第3卷奧付には1993年の初版とあるので、14年ぶりの新卷、不定期連載開始が1987年11月増刊號とあるので足かけ19年といふかなり悠長な作品である。
23:55
タイトルは何となく。不規則複數なので自信なし。ギリシア語だとγραφω οι λογοι τυνχανο.か。古典語は奧が深い。笑ひとばすほかない惡文を和文だとおもひこむのも勝手だが以下略。
日活の万葉假名を使つてあるのがめづらしいといふので、
佐藤泰正他編集『現代の日本文学 二葉亭から大江まで』明治書院、1988.1。
をかふ。
23:55
比較文化は、それぞれの關係をあきらかにしたうへで、それぞれ自體の考究にむかふやり方だとおもふのだがどうなんだらうか。さういふ視點で發言したが、すこし思ひめぐらしてみれば、そのアイテムの地域的・文化圈的分布とそれをめぐる説話はやはり當初の目的にはないのだから首尾一貫したものではないだらうとおもつた。2番目の問ひに對する囘答は、視點をすこし改めればいいやうにおもはれ、どんな起源があり、それがどのやうに「融合」したのかを明らかにすることができれば得られるだらう。
1400に電話をかけて留守電になる會社とはどういふ業態なのだらうか。そしてなぜ1730ごろにかけてくるのか。
コリャードの日本文典の和譯がおいてあつたので手にとつたら背が崩れて手にべたべたつく……。例の古文版の書き方の手引きにロドリゲスの文典が役に立つかどうか檢討。小文典は過去の助動詞のかき分けの説明に乏しく、またラテン語文典を一往わかつてゐる必要がありむつかしいかもしれない。大文典は和譯なし檢討できず。
最近翻譯をやると他人の翻譯を譯し直すことばかりしてゐる氣がするよ?
アブギダといふ項目がさいきん某百科事典にできたが、どうなんだらう。文字の專門家は論議のなかにゐないやうにおもへる。私は書記 (writing) といふ概念に懷疑的だが、文字の勉強はむつかしいのでさぼり氣味。
明日は全休講であるもののいつもどほりに起きて金澤文庫に行く豫定。結局だれも誘へず。
23:55
起きたのはいつもどほりだつたけれどもご飯を食べて二度寢して結局出たのは11時ごろだつたらうか。京急の快特に乘つたものの京急蒲田で止つたり川崎-横濱でJRの車輛をぬかなかつたりで興ざめ(勝手な期待)。
稱名寺を通らず直接文庫の建物に入る。安い定食を出す賣店があつたのでよしとする。ずいぶん規模の小さい展示であつたが、まあそのための施設ではなし、中世の學問が近世につながらなかつたことがわかつてよい。その分研究のしがいがあることだらう。
しかし結局買つた目録は
『十五代執権金沢貞顕の手紙』神奈川県立金沢文庫、2004.6。
のみ。金澤文庫の成立や和紙について參考になる一冊。
23:22
夜更しが過ぎて、ばたんと寐こんだりいかんと起きたりしながらぐだぐだとしてゐたら朝でした。出かけるぎりぎりで完成といふかむりやり終らせたといふか……。構想倒れー。紅茶二杯でなんとかのりきる……アラビア語で意識が何囘か飛びかけましたが。もう寐る。
21:24
目覺めも惡くなかつたものの、何度か意識がすひこまれていくやうに……。
月曜日にあるひとからいはれたのですが、ピアノを打鍵する趣味とキーボードの打鍵速度といふのは因果があるんでせうか?
23:45
三上 (2002) において、徳川幕府の禁教後、迫害された宣教師たちは、この[1]印刷機を携えてルソン島へ逃れ、最終的にこの印刷機はマニラで2臺目の印刷機となったという。
と書かれ、Vincente Hernandez[2]の資料が引かれてゐる。しかし、どこにもそんなことはかいてゐないのであつた。けふNDLに請求してゐた原著複寫にはThe printing press of the Augustinians is the second printing press to operate in the islands. "The Augustinians imported a printing press from Japan [when the Spanish missionaries were expelled in 1614] that operated in . . . Mania (1621). It was later on sold to the Jesuits [1623]" (Retena 1908, 91; CL 52).
とあつて、これはこれで興味深いのであるが、ラウレス師の概説[3]をみるかぎり弱い説のひとつにとどまるやうであり、ここでは三上氏のキリシタン版についての記述はすこぶる怪しいと指摘するのにとどめる。
註
[1] 「同時代の日本からも、巡察使ヴァリニャーノの手配によって、いわゆる少年使節團が訪歐して活字印刷機と歐文活字セットを持ち歸った」(ibid.)といふのが「これ」である。しかし、通説では「これ」はマカオに行つた。ロドリゲスの国字本の活字がもちゐられてゐる日本小文典は1620年刊であるのであかされよう。
[2] 誤植であらう。引かれてゐるのは39ページ。
[3] ラウレス師の「キリシタン文庫」はウェブで日本語譯が附されて概説部分が公開されてゐる。Laures Rare Book Database參照。
參考文獻
三上喜貴 (2002) 『文字コードの歴史』アジア編、東京:共立出版。
Hernández, Vicente S. (1996): History of books and libraries in the Philippines, 1521-1900: a study of the sources and chronology of events pertaining to Philippine library history from the sixteenth to the end of the nineteenth. Manila: National Commission for Culture and the Arts.
17:50
今月は食費になによりも使つたかもしれない。5000円も本には使つてゐないはずである。
Hysteric Blue『なぜ』ソニー・レコード、1999.7。
井上陽水奥田民生『ありがとう』フォー・ライフ、1997.2。
Hysteric Blue『春』ソニー・レコード、1999.1。
諸井三郎『音樂辭典』弘文堂〈アテネ文庫〉、1951.5。
酒見賢一『陋巷に在り』新潮社〈新潮文庫〉、1996.4。
前田英樹・今石元久・沼本克明他『日本語学』和泉書院、1992.5。
服部四郎『音聲學』岩波書店〈岩波全書〉、1951.3。803ページにAn Out!ine of Englishなる誤植あり。
玉木愛石書『草行眞三體千字文』松榮館。刊年なく、「大正乙卯年(1915年)殘春/愛石環享書」とある。末尾に「鎮西改 井上活三郎刻」とあるも、オフセットであらう。海賊版か。和本の裝釘。
『日本語の歴史』1-7、別卷、平凡社、1963.9-1965.8、1966.6。1卷が2版(まあ、2刷と意味はかはるまい)であるのを除いてすべて初版初刷。しかも、別卷の付録まで保存して、450圓なり。4卷のジャケットを缺くが瑕瑾ではない。
22:11
昨日忘れていつた本を屆けてゐただいたのでメモしておく。
全音楽譜出版社出版部編『全訳ハノンピアノ教本』全音楽譜出版社、1995。刊年とか著者の明示もないのだな。
Klatt, E. and Golze, G. Langenscheidt's German-English English-German Dictionary. New York: Pockect Books, February, 1953.
沖森卓也編『資料日本語史』桜楓社、1991.2。
伊藤整・手塚富雄・河盛好蔵他編『新潮世界文学小辞典』新潮社、1966.5。
けふは活字研究會でいろいろ見聞きする。若輩者はただつつましくするのみ。
コメント機能修復。どういふわけか、改造前にCGIが戻つてゐました。なぜだ。
23:55
本を讀んだり、英文を和譯しようとしてにらめつこしたり(そして1文もできてゐない)、本を讀んだり、ミルクで紅茶を淹れてみようとして失敗したり、朝日活字關係の連載がはじまつたので切拔きをしたりした。『日本語學』(和泉書院、1992)がをもしろい。
22:52
月報には編集部のいひ訣が掲載されてゐて、その書の成立をしる一端がある。寄せられる文におもはぬことが書いてあつたりする。だから、捨てないのがいいのだとおもつてゐるのだが、捨てる人がすくなくない。『日本語の歴史』1卷月報に龜井孝の編輯を擔當してのコメントが載せられたり、6卷月報に書評の紹介があつたりと、同時代資料としてもかかせないのではないかとおもふが、このまへ一括で買つたのには一切缺く。渥美でかつておけばあつたのだから、口をしいことをしたかな、ともおもふが、渥美のにも別卷の附録はなかつたわけで……完備した状態で殘されるのは、讀まれるものだからこそ稀なのであるが、どうにかならないか。
さういへば、『日本語の歴史』2卷の平凡社ライブラリ版がどこにもないので解説がだれだらうと氣になつてゐるのだがわからない。
22:26
ひさびさに日付がかはるまへに寐る。けふは反動でまだ起きてゐる。
テスト終り……。ギリシア語自體は1-4まである、2年間の初中級向け講義なのだけど、池田さんは1, 2だけらしい。試驗がなんといふかやはりなあといふできだつたので、ときには眞面目に復習。
しようとおもつたけどapekteine解讀に時間をかけすぎたので寐る。借りた本と屆いた本の記録をば。
〔天草版エソポの物語は〕口語体のローマ字で表記される。序文によれば、日本語の稽古と道の教化が目的とされるが、ローマ字による言語支配も意図されていたと思われるとか。
屆きしもの。
23:55
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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