をかしいと思つたらまづケーブル、といふのはいちばん誤りやすいからであつたのだ。
23:54
永代供養に行くことになつたので、しばらく著ることはないとおもつてゐたスーツをまた著ることになつて、法事用に黒い靴下を買ひもとめる。といふわけで5/5-7はゐないです。PHS經由で日記は書きます。
23:25
機械が自動で接續しないから專用のソフトウェアが要求されるしいきなりやつてきて遣ふやうな場面できはめて不便。ODNの自前の回線ではDCHPだとかいふのを設定しただけだつたしマンション内LANに到つてはつなぐだけである。
23:52
數列の和のΣによる記法の展開の仕方を忘れて、統計學のテキストが一部讀めないままに統計學のレポート課題とアラビア語アルファベットの羅列(どれも同じに見えるとか蚯蚓が這つてゐるやうだとか落書だとかいはれる)とギリシア語アルファベットの學習をする。
永久に弔つてくれるサービスはないらしく、數十年間の供養を依頼したらしい。法要の後の宴會で本家當主が伯耆國河邑郡の豪族(毛利勢力下)の三男坊(安藝國住人)が徳川に放逐されて現在の地にきたらしいといふ。それで兩方とも××國守と過去帳にあるのだらうか(伯耆のはうは覺えてゐるが子供を覺えてゐないので隱す)。
23:02
辯當のない生活、といふのも今後増えていくだらうし學食だけでは藝がないので街に出てみる。が、古本を買ひにいつたやうになつた。
『世界文藝辭典』西洋篇、東京堂、1950.3、1952.3 (ed.)。
『中央公論』第63年第10號、中央公論社、1948.10。
『中央公論』第63年第12號、中央公論社、1948.12。
竹内時男『現代實用物理要説』中央學校教科書、1939.11、1941.9 (3rd ed.)。
つげ義春『無能の人』日本文芸社、1992。
ナボコフ『ロリータ』大久保康雄譯、新潮社〈文庫〉、1980.4。
ディドロ・ダランベール編『百科全書 序論および代表項目』桑原武夫譯編、岩波書店〈文庫〉、1971.6。
森茉莉『貧乏サヴァラン』早川暢子編、筑摩書房〈文庫〉、1998.1。
川上弘美『いとしい』幻冬社〈文庫〉、2000.8。
23:56
のだめカンタービレを買ひにいつて『4番サード』(青山剛昌、小学館、1993.4)、『〈新潮日本古典集成〉歎異抄 三帖和讃』(伊藤博之校註、新潮社、1981.10)、『〈辞書〉の発明 中国言語学史入門』(大島正二、三省堂、1997.12)、『グーテンベルクの銀河系 活字人間の形成』(M. マクルーハン、森常治譯、みすず書房、1986.2)も一緒に買つてしまふ(目當てのものは1, 2, 5, 12卷をそろへた(二ノ宮知子『のだめカンタービレ』講談社、2002-2005))。
白川靜を買ひにいつて(本をである)『〈現代文學大系16〉齊藤茂吉・島木赤彦・若山牧水・釋迢空集』(筑摩書房、1966.7)、『砂の女』(安部公房、新潮社、1962.6)、『アイヌ敍事詩ユーカラ』(金田一京助採集竝ニ譯、岩波書店〈文庫〉、1936.11)、『イリアス』上(ホメロス、松平千秋譯、岩波書店〈文庫〉、1992.9)、『文字の歴史』(A. C. ムーアハウス、ねずまさし譯、岩波書店〈新書〉、1956.3)を買つてしまつた(目當てのものはなかつた)。
23:57
月に1萬本を買ふのに遣ひつづけ、晝食を外で取りつづけるためには、なんらかの定期的收入を得なければならないが、はて。
23:32
iBookがあるのでCD-Rを燒くことが出來る。某歌のCDであれば10分で一枚できる。たぶんDVDのなんかもRAMかな、つかへる。これはいま足許で稼動してゐるデスクトップ型PCに對して大きな advance である。
23:56
川田久長『活版印刷史』印刷学会出版部、1981.10。
「さうてい」なる言葉の、漢字のあてかたをめぐる莫迦々々しい議論をながめてみる。川瀬一馬が、「裝訂」といふ表記を「選んで」遣つてゐたやうな記述が『日本書誌學を學ぶ人のために』なる本(面倒なので書誌は缺く)にあり、古本用語集にも見られるが、彼の『日本書誌學之研究』『續日本書誌學之研究』を見ただけで、全く遣分けに意を介してゐなかつたことが判然とする。「續」など、釘と幀が、別の文章ではあるが、どちらとも遣はれて索引に掲載されるほどである。嗚呼。あんまり莫迦らしいものだが、新村出などがでてきて喧々囂々にいたり、その後も餘韻を引繼いでゐるのはなんとなしに氣になる。とりあへず長澤規矩也によつてか日本書誌學會といふところは統一されてゐたらしいがいまあるの? ひまつぶしとしてはよかつたかもしれないが、有意義ではなかつた氣がする。
23:59
昨日、書き忘れたのだが、活版印刷史のなかに古川恆が解説として書く、本木の号数活字の元になったのは上海美華書館の活字系列にある
といふのは、「まつたくあらたに號數制を設けたのではなく、上海美華書館のベースがあつて、それから生み出したのだ」といふ意味だらうか。解しかねる。
23:58
小學校の時分にアンサンブルを習つてゐたのは、エレクトーンを遣りながらピアノが空くのを待つてゐたのだと知る。エレクトーン・サークルを見にいつたが、スコアがまるきり見慣れないものであつた。だいいち、學内の資格もピアノグレードだつたし、それも8級どまりであつた。このサークルに入るかどうかは別として、なんらかのかたちで彈きつづけなければどうしようもないやうに思はれる。ピアノ・サークルも一往見に行つて、ひとまづスコアを見ただけで彈けるやうになるのを目標に……(低)。
21:23
東京外語大になぜか同姓同名の言語學者がゐて、某地方大學に常勤の教授職を持つ言語學者(兼アイヌ語千歳方言研究者兼アイヌ文學研究者兼アイヌ語復興運動關係者)に、「恣意性」が「無契性」の譯違ひといふやうな説明を享けた氣がするのだが、これはどうやら氣のせゐなのだが、では「恣意性」はほかにどういふ云ひ方があるのだらう。メモには「恣意性(無契性)」と書いてしまつたのだが。
23:21
ビルに這入つたら呆気なくポーキーがでてきて、クラウス戦(違)に突入し、“END?”に突入した感じ。終つたの、これで?
冨倉徳次郎編『〈日本古典鑑賞講座〉徒然草・方丈記』角川書店、1960.6。
千野栄一・野元菊雄・辻哲夫他『〈岩波講座 日本語3〉国語国字問題』岩波書店、1977.1。
築島裕『〈日本語の世界5〉仮名』中央公論社、1981.4。
松本竜之助『詳註大鏡』大阪、近代文藝社、1930.6。
23:12
IMEなんてどれも同じだなあ、操作方法のいろが少し違ふだけなんだなあとつくづく感じる買物。
23:55
とりあへず全部の字をディジタル化した。最後の字は「バ」であつた。
ひらがなをあれこれ手直しして、試用に供するか。
23:06
北海道でアイヌ人と公稱してゐるひとは2萬人を超すらしい。授業で、どれくらゐだとおもふ、と聞くので、公稱だからなあ、とおもつて1000-5000などと答へたが、意外にも。膽振と日高はやはり多い。「蝦夷」の時代に現在のアイヌにつながるひとびとがどのやうな状況にあつたのか判然としないから、彼らを「アイヌだ」といふことは一定の留保を伴ふのはしかるべきだらう。だが、「後世、かれらはほぼぜんぶ、アイヌと呼ばれる民族になつたであらう」といふのであればためらふこともなかるまい。
23:58
たのまれごとをはじめる。
22:06
財布にお金がほとんどないのもまづからうといつて5000圓を引出したその日に2000圓古本に費やしてしまふのは困つたものかもしれぬ。
森茉莉『マリアの空想旅行』小倉千加子編、筑摩書房〈文庫〉、2006.5。567圓。
藤井隆『日本古典書誌学総説』和泉書院、1991.4。1050圓。
池澤夏樹『マリコ/マリキータ』文藝春秋、1990.7。105圓。
酒見賢一『童貞』講談社、1995.1。105圓。
中田祝夫編『「常用」新版 新選古語辞典 ワイド版』小學館、1963.4、1981.1(ワイド版)。105圓。
青山善充・菅野和夫編輯代表『ポケット六法 平成16年度版』有斐閣、2003.10。105圓。
井上宗雄・中村幸弘編『福武古語辞典』福武書店、1988.9。105圓。
ブックオフ西千葉店の105圓の辭書は全部買つてきてしまつた。
21:57
その日になにがあつたのか、といへば、人とゐて樂しく時を過ごした、とだけ日記には書いて、どうすごしたかといふのはどうにも整理がつかなくてかかないでおはる。暗記ではなにも見ないで語る、といふことはできなくて整理が缺かせないが、私がなにかを書くときも基本的に頭から發話するのにまかせてゐるから、この整理がたつまでに會話をしてそれを何度となく反芻するのを經なければならない。といふわけで、およそ日記らしくもない雜文の山がきづかれることになるのだが。
さて、けふの買物。
『宮本百合子全集』第15卷、河出書房、1953.1。
ジェイムズ・ヘリオット『Dr. ヘリオットのおかしな体験』池澤夏樹譯、集英社〈文庫〉、1981.5。
ブルフィンチ『中世騎士物語』野上彌生子譯、岩波書店〈文庫〉、1942.2。
増谷文雄『歎異抄』筑摩書房、1964.2。
「Dr. ヘリオット」は池澤が「二匹の豚児の応対に明け暮れている」と書いてゐて興味深いところ(いま連載中のMLでも二人の子を學校に通はせてゐるとある)。一番下の歎異抄は註文して屆いた古本だが、明日あたりは白川靜の『漢字』(岩波書店)が來る豫定。
23:56
けふは語學が2科目であつたが、初日の半分を切る人數しかゐなかつた。2科目とも同じな友人がゐるのだが、どちらともこなかつた。さういふ時期か。
23:55
教授會があつたらしいあとお邪魔して3時間は談笑してゐた氣がする。落ち目の文學部といふのを感じた。鈴木廣光さん主導の研究書をおくつてもらふやう頼んでくださることに。指導教員はだれかねえといふ話題に。
白川靜『漢字』(岩波書店〈新書〉、1970.4)が屆いた。
23:47
ためしに御腹を引いて歩いてみたら足がはやくまはりすぎて困る。どれだけ猫背だつたのだか。
活字研究會に行く。パンチ父型の技術が、機械の名稱がわからないので内容があんまりわからないが、パンチでやるのが、ベントンより安い理由くらゐはわかつた。その後の會食については思ふことありて書かぬ。
23:41
25日に米原萬里が亡くなつてゐたらしい。56歳で、卵巣癌であつたさうである。このまへからをもしろいな、とおもつて彼女のものをよみはじめたところであつたので非常に驚いてゐる。池澤夏樹の事務所のやうなことをしてゐる(あるいはさうなのかもしれないが)impala といふウェブサイトで、2004年のものだつたが、彼女の書評が5/19に出てゐたから、なほさら突然のことのやうに驚かれる。
さて、追悼と書いてしまつたけれど、いままで書いてきた書評でだいたい彼女とのことは濟んでゐる。けれども、このまへなんとなく開いた小説トリッパーで、金井美惠子が『文章教室』で書いてゐた小説家が亡くなつたところで、その小説化の書評を書きもしたトリッパーの小説の主人公が、葬式などに行くのではなくて彼の作品を讀んで追悼するのだ、と書くのを思ひだし、それに倣つていま『不實な美女か貞淑な醜女(ブス)か』(新潮社〈文庫〉)を讀んでゐるのだが、このゆたかな筆がもう動かされることはないのかとおもふと哀しくおもはれる。
『一冊の本』(第11卷第6號、朝日新聞社、2006.6)來る。
22:39
なんなんだらうね? 無理はできるうちにするものですよ(違)。
さて、けふ食事を取らうと街に出てブックオフに寄つたら10%引きといふのであれこれ買ふ。早稻田でもあれこれ。食事? ブックオフに寄つたので食べたのはだいぶ後に(ぅ)。
金田一春彦監修『全訳用例古語辞典コンパクト版』學習研究社、1996.12。
市古貞次校註『新訂方丈記』岩波書店〈文庫〉、1989.5。
井上明『座右版DTPの智慧袋』毎日コミュニケーションズ、2002.5。
酒見賢一『ピュタゴラスの旅』講談社、1991.1。
武田泰淳『ひかりごけ・海肌の匂い』新潮社〈文庫〉、1964.1。
ポオ、佐佐木直次郎譯『モルグ街の殺人事件』新潮社〈文庫〉、1951.8。
北原白秋『白秋詩抄』岩波書店〈文庫〉、1932.5。
大津有一校註『伊勢物語』岩波書店〈文庫〉、1964.12。
有島武郎『有島武郎作品集』第一卷、創元社、大阪、1951.7。
ブックオフのものは明らかに出版年がちがふと感心する。
23:53
『遠野物語研究』第9號(遠野物語研究所、2006.3)が研究室の前に置いてあつて「持つてけ泥棒(意譯)」とあつたので、目次にあつた「〈卷頭對談〉金屬民俗學と遠野」(内藤正敏他)に惹かれて讀んでみれば、金屬をめぐつて遠野の世界がさらに廣がる、遠野からはるかにネットワークが幻視される、スリルに滿ちた、といふのはかういふのをいふのだらう。自分の見る世界が變り、それを傳へることで相手の世界をも變へてしまふやうな、研究が出來たらいいなどと思ふがまあ冴えない研究にそんなことは起るまいから、高望みはべつのところでします。
23:38
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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