2006年5月13日(土)
昨日、書き忘れたのだが、活版印刷史のなかに古川恆が解説として書く、本木の号数活字の元になったのは上海美華書館の活字系列にある といふのは、「まつたくあらたに號數制を設けたのではなく、上海美華書館のベースがあつて、それから生み出したのだ」といふ意味だらうか。解しかねる。
23:58
まことに解しかねる。 (ふかは さん) 06 5/14 8:45
単純に、ボディのサイズを合わせなければ組版にならないので、合わせた。ということでしょう。そもそも、当時はボディのサイズは名前で指定するだけなので、いわゆる「号数」というのは、その言い替えと考えられます。4-line-Small-Picaが初号、2-line-Small-Picaが二号、Small-Picaが五号、Ruby/Agateが7号と割り振ったということですね。「号数制」というのは、後代の「ポイント制」と混同を招く言い方です。当時の英米のボディのサイズは単なる慣習的な名前でしかなく、「号数」は名称の言い替えなわけですが(後に発展させた部分もあるでしょうが、後付けっぽい)、「ポイントシステム」は標準的な尺度単位あるいは既存のボディサイズを基準として、それを比例的に分割して得られる可変的・準連続的・数値的な体系ですから。慣習的・恣意的な名称で大きさを指差すことの曖昧さ、ローカルでしかない有効性と、標準的・数的な体系で大きさそのものを正確に指定することの一般性・普遍性と、その違いが近代化であったということでしょうか。どちらにせよ、ボディサイズを合わせないと、活字を流用することはできません。 (les jeune さん) 06 5/15 8:52
……、さうではなくて、古川の文章の意味が解しかねる、といふことです。號數鯨尺由來説しか活版印刷史にはありませんし、古川も解説を書いた時點で「云換へ」であると「知らない」はずですので。 (kzhr さん) 06 5/15 12:44
了解しました。ところで、おそらく古川氏も関係されたと思われる『新聞印刷・活版編』(昭和40年、第三版、日本新聞協会)も鯨尺のことしか書いていません(p. 54)。 (les jeune さん) 06 5/15 13:11
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——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め (中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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