これで84圓也。
中村元譯『尼僧の告白 テーリーガーター』岩波書店《文庫》、1982.4。
中村元譯『仏弟子の告白 テーラガーター』岩波書店《文庫》、1982.3。
名畑應順校註『親鸞和讃集』岩波書店《文庫》、1976.4。
親鸞『教行信証』金子大栄校訂、岩波書店《文庫》、1957.10。
弟子業を本格化させるために資料の状況を知るためにもといふので書誌目録の檢討を始める。
23:59
と、漸く小宮山博史による三谷幸吉の鯨尺説の批判が理解できたわたくしは不意にさう思つた。
ところで、同論文(小宮山博史「明朝体、日本への伝播と改刻」印刷紙研究会編『本と活字の歴史事典』柏書房、2000.6、pp. 233-384)に平野活版製造所の最初期の総合見本帳と考えられる明治十二年刊のBOOK OF SPECIMENS, Motogi & Hirano Type Foundry
とあるが、三谷幸吉の本木傳(三谷幸吉『本木昌造平野富二詳傳』本木昌造平野富二詳傳頒布刊行會、1933.4)には明治十三年頃の見本帳の口繪には、(中略)表紙には/MOTOGI&HIRANO(平野家所藏)
とあり、どちらかが先入觀を持つて書いてゐるのでなければ、本木はもとぎかもときかわからないといふよりも頓著されることがなかつた、とみるはうが妥當なのかもしれない。
23:55
文字と繪文字のちがひを、單語か文章/概念かといふ違ひととらへてゐたのだが、『楔形文字入門』(杉勇、講談社《学術文庫》、2006.1)に純粋の絵文字というのは、たとえば二人が武器をもって戦っている場面をえがいて「戦い」の概念をあらわすことはできるが、「戦い」「戦った」「戦うであろう」などの概念のニュアンスをつたえることはできない
といふのを読んで、このやうな明確化が文字により可能になつたことに感銘を受けた。文字への第一歩とは、すなはち、ニュアンスをできるだけ文字でつたへられるやうに――文字だけでコミュニケーションできるやうに――細かく記すことにほかならなかつたのだ。
02:27
いらなくなつた本を賣りにいつたら、二十册くらゐあつて、二店囘つて値段が半分について220圓ほどにしかならなかつた。賣る本をまちがへたのだらうが、100圓以下で賣つてゐるのを見たことがない店にいつたので、賣値の1/20くらゐで買はれるのか、といふのは、當初の低めだと信じてゐた望みもしたまはつてすこし堪えたが、もう何を賣つたのかわからない(防御機構でも動いて忘れたことにしたのだらうか)のだし、自分のものでもないので次囘からは氣をつける。
20:55
ジャンクメール關係の環境設定を變更した後は一度リセットしないとうまく動作しないやうである。不便な。
03:26
けふはあちこちで花火大會があつたやうで街行く人が、ほぼ女性だが、浴衣をきてゐるのがみられた。なぜかとおもへば花火のためであるやうだ。
23:55
無線LANをいれるまでのかはりにモバイル用のLANケーブルをつかつてゐたら急につながらなくなつた。面倒なことである。つなぎなほせばよいのだらうけれど、どこだかわかるんだらうか(無知)。
21:49
けふ、かへりけるに、タモリとなむひとのテレビにいでて、てるてる坊主なる民謠のしりなる句をおしはかりけるに、ひろゆきのひのかげむらの物語をおもひやりたり。てんてる坊主のいできて、てんてるの首をからでやとなむうらみたるやからの物語なりけるとおぼゆ。
23:53
一週間ぶりくらゐに、電子ピアノだけれど、鍵盤を叩いた。指が泣けるほど動かない。
歸りに圖書館に行き閉館間際の10分程度で、
鈴木敏夫『プレ・グーテンベルク時代 製紙・印刷・出版の黎明期』朝日新聞社、1976.2。
リュシュアン・フェーヴル、アンリ=ジャン・マルタン『書物の出現』関根素子・長谷川輝夫・宮下志朗他譯、筑摩書房、〈上〉1985.9、〈下〉1985.10。
を借り(技術史のつもりで借りた下はむしろ出版から社會を見た本であつた。上も引用の出典には熱心だが參考文獻はないので Further Reading の踏み臺にはしかねる)、ブックオフに寄つて、
クラウス・リーゼンフーバー『西洋古代・中世哲学史』平凡社〈ライブラリー〉、2000.8。
ポンパン・レプナグ『タイ文字入門』TLS出版社、2002.3。
を買ふ。
23:55
といふほどの腕もないのが格好つかないが、とまれ、けふも圖書館とピアノ。
圖書館に行き切支丹版に絞つて資料を見るものの、豐島正之の論攷が掲載されてゐる『國語と國文學』がそもそも所藏されてゐなかつたなど不滿もおほかつた。とまれ、借りたもの:
T・F・カーター著、L・C・グッドリチ改訂『中国の印刷術 その発明と西伝』藪内清・石橋正子譯、平凡社《東洋文庫》、1977.9-10。
西野嘉章編『歴史の文字 記載・活字・活版』東京大学総合研究博物館、1996.9。
天理図書館『《参考資料第八》 富永先生古稀記念きりしたん版の研究』天理大学出版部、1973.3。
富永牧太『きりしたん版文字攷』富永牧太先生論文集刊行会、1977.4。
部分をコピーしたもの:
中根勝『日本印刷技術史』八木書店、1999.12。
明日から16までPCにはさはれません。盂蘭盆に祖先の墓のあるはうへまゐります。そんなとほくにゐる私に要があるひとはPHSに聯絡ください。
23:55
本はあるけれど始終讀むには頭が酷使されて辛い、といふか一行納得するにも時間がかかる、リーゼンフーバーの本ばかり讀むので五日間で讀み終らない気もする(カーターを讀め、といふはなしも)。
20:00
2003年2月の日記にコメント荒しが大量にあらはれたせゐで最新コメントがをかしくなつてしまつた。さしあたりURI表示機能をとめる。
12:28
例のごとく宿泊先に服を忘れる。もともと荷物を送つてもらふことになつてゐたので氣にしない。
歸りに津田沼で久しく會つてゐなかつた友人をむかへる。元氣にやつてゐるやうで樂しく談笑する。
23:06
多くのことを(具體的に何年、といふのでなく)遠い昔に推定してしまふ惡癖があつて、それは、過去の自分も含めた他人が、昨日のやうに近くてとても遠い距離を持つてゐるからなのか、それとも他人と距離を置いてゐたいのかと思ふ。從弟はひとなつこくて會ふと私に抱きついてきさへするが、その肌の暖かさを濕つてゐて生暖かく感じてしまふ。
19:58
無爲であつても考へごとはしてゐるものの、かといつてそれが深まるかといふとさういふこともなささうで、それは、一日の23/24は自分の部屋に籠つてゐるからだらう。もう一寸少ないか?
けふは夕方の雷が大きかつた。
23:59
人より多くウィキペディアのことは見てゐるつもりである。見てゐるばかりではなく、編輯にも携はつてゐて、もう數年になる。
お節介なので、といふよりも編輯の基盤がコミュニティといふきはめて他人とのかかはりあひかたを規定するやうなものにあるので、自分が書きもしないものにも目を通し、レポート盜作をここ數年の教員が一目で探知できるごとく轉載を見拔き、少し興味があるものに目を通してわかりいいやうに書き直せば文意がかはると戻される。ネットを通じてではあるがいろいろな手段をとつて結ばれるひととのつながりを得てウィキペディアの項目は日々増え日々本文は編まれる。ときには陰慘な對立もあるがおよそ樂天的にひとびとは書いてゐるから腹をたてても致し方がないことがおほい。
ウィキペディアはフリー百科事典を標榜し、およそ世の中にある説を、世の中の評價にそつて書くのに徹する、といふ「中立的な觀點」とGFDLを教條として、それを達成するために檢證可能性やOriginal Researchの排除などのアカデミック志向だとかどこかで嗤われた(アンチ・エリーティズムを以前はいはれたやうに記憶するが時代もかはつたものだ)ものもお膳立てに用意してはゐるが(中立的な觀點の肝はウィキペディアはすでにいはれてゐるものをまとめただけであるからその内容には責任を負へないといふ點にあるとおもふ)、それが重要になつてくるやうないはゆるメイン・カルチャーの項目よりもTV番組やラジオ番組、バス路線に賣れないバンドとそのCD(やレコード?)の項目のはうが多いし有名である。
私はコミュニティの中でそのやうな項目に反對する立場にあるのだが、いらないといふと育つ可能性があるとかあれはよくてこれはだめなのかとかいふよくわからない理屈をいはれてごり押しされて現在に至るのだが、とうぜんさういふ人たちともつきあはねばならないので、その熱意についていろいろおもひめぐらしたりもして、結局、同時代の記録を殘したいのだ、といふのに落ち著く。一生懸命のこしても時間がその扱ひかたをおしへてくれるまで研究はできないのだからもう少し考へたはうがよいとおもふが、情報ウェアの革新は情報量を伸ばすのに大いに貢獻するらしいのでしかたもあるまいか。
ウィキペディアといふ百科事典の編纂を通じて自分の知識を檢討し直すことができた。著作權について學んだ。書きたがるといふことについて思ひめぐらすことになつた。荒しの對處に強くなつた。そして、何よりも、ウィキペディア日本語版のコミュニティに「出會つた」。高校三年間のあひだ、ずつとこのサイトそしてコミュニティの成長をみてきたことに歡びを感じてゐる。人と出會ふ、といふことが、ときに苦しみをあたへるとしても、もつとも歡びをもたらすのではなからうか?
23:39
久々に外出し、圖書館のなかを右往左往して『日本印刷技術史』の前囘註を拔かしてコピーしてゐたのでコピーを足し、「新発見のキリシタン版」の原論文をコピーし、ビブリアが全卷そろつてゐるのを眺め、國語學でどのやうにキリシタン版を扱つてゐるのかといふのの概論を借り(福島邦道『キリシタン資料と国語研究』笠間書院《笠間叢書》、1973.12)、文學については時間がなくて確かめえず、サークルの部屋で電子ピアノを彈いて歸つた。
例によつてブックオフで買つたもの:
昭和文学会編『大學文藝讀本』笠間書院、1994.3。大衆だとおもつてゐた。森鴎外『興津……』が大衆か、をもしろいなあと思つて買つたのに。
ボッカチオ『デカメロン物語』野上素一譯編、社會思想社《現代教養文庫》、1969.7。
23:55
MovableType(といふBlogツール)ならばXREAで對處してくれるのだが如何せん獨自ツール(といつてよい)ゆゑに弱い。POPFileのやうにベイズ理論を援用して統計からジャンクかどうか推定するやうにすべきか。しかしそんなのを採用するのははたして效率的なのだらうか。初期はともかくある程度たてばほぼ確實にけ落とせる。改行を入れてくるやつは受け付けないといふのもありか。これで2004年の日記にジャンクを投げ續けるのには對應可能。祕密のフィールドはすぐに破られさうだし、capthaは作るのが面倒な以上に一行コメントには不相應。IPは、逆引きをして出るドメインを見る限りでも世界中のあちこち――eeつて、どこ?――からきてゐる。ジャンク・コメントの規模と50MBといふ規定容量とからどのやうな對策を見いだすべきだらうか。
23:55
さすがに100萬にも達すれば違ひはしようものの25萬項目といふこれから變化が見えにくくなる一方のウィキペディアについて、けふもネタ切れをいいことに書いてみるのだが、いづれフリーになることを考へてゐない諸物と比して、ウィキペディアはより遠い未來まで殘る可能性があるといふのは、それだけで恐ろしい。間違つてゐるかもといふ恐怖は永劫間違ひでありつづけるかもしれないといふやうな恐怖――誰も私のミスを直さないかも知れない――とつながつて修正にかきたて、ひいては依存にしてしまふのではなからうか。といふことを書きたかつたのだつたか、私は。
23:43
川上弘美『ゆっくりさよならをとなえる』新潮社、2001.11。
磯淵猛『金の芽 インド紅茶紀行』集英社《文庫》、2002.3。
中村元『インドの古代社會』弘文堂《アテネ文庫》、1955.9。
白川静『中国の神話』中央公論社、1975.9。
白川静『初期万葉論』中央公論社、1979.4。
金井美恵子『文章教室』福武書店、1985.1。
白川のは、2册とも定價は980圓なのだが、1000圓で賣つてゐるのを買つた。さうしたら磯淵と中村の代金(100圓づつ)はいらぬといはれた。川上のも金井のも文庫版を既に持つてゐるのだがともに100圓なので買つた。
23:55
所用で千葉に行き、ヨドバシカメラで一番近い古書店を探して行つたのが稻生書房であつた。店頭に積み上げられたハードカバー群は數段に及び、觸る氣がしなかつた。中も中で本が所狹しと置いてあり、これをいちいちみる氣がしなかつた。2階には千葉關係の資料がまとまつて置いてあつた。啄木全集とかが安かつた。目録はありますか、と聞いたらないといふ。どこになにがあるか把握してゐるのだらうか。
買つたもの:
脇村義太郎『東西書肆街考』岩波書店《新書》、1979.6。
『妙法蓮華經觀世音菩薩普門品第二十五八鳳』標準形折本(28.7cm×9.7cm)、7葉(1-6葉: 3折、7: 1折)。整版。最終葉に「東叡山藏版」とあり、本文最終に「征夷大將軍左大臣源家光公吉祥如意/日本武州江戸東叡山/山門三院執行探題前毘沙門堂大僧正天海願主/正保四年丁亥暦六月十日/經舘分職林氏幸宿花𧮾居士/使剖劂氏而鏝之梓」とあり。
飯島春敬編『古典かな字鑑』書芸文化院、1960.7。『王羲之集 孔侍中帖 喪亂帖 蘭亭敍 十七帖 樂毅論』平凡社《書道十人選》、1946.9。はじめの孔侍中帖はコロタイプか。殘りはオフセットなるべし。同じ解説が二度綴ぢられてゐるが、その書體が寫研の石井明朝體であるのに注意が及ぶ。
西田龍雄『生きている象形文字 モソ族の文化』中央公論社《新書》、1966.9。最近三晃印刷が中央公論社御用達なのに氣づく。
その隣の隣の新書店にて
黒田龍之助『はじめての言語学』講談社《現代新書》、2004.1。
をかひ求める。古い装釘で、これを逃したらないかもしれないとおもつて買つてしまつた。
23:55
銀行に行つて口座を開き(まだUFJと東京三菱は統合しきつてゐないんですね)千圓を預け、住民票のうつしを取り、そのかへりに何をおもつたか4400圓+税もつかふ。出費がこれからかさむといふのを全くかんがへてゐなかつた、と、買終つたあとにうつすらとおもひ、家に歸つて檢討して冷や汗をかく。莫迦。
さて、なにに散財したかといへば、
ガブリエル・マンデル・ハーン『【図説】アラビア文字事典』矢島文夫監修、緑慎也譯、創元社、2004.9。2800圓也。
大森望・豊崎由美『文学賞メッタ斬り! リターンズ』PARCO出版、2006.8。
『文學賞……』はもういいのでブックオフに賣拂ふか……(ならなぜ買ふ)。
23:55
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
DiaryMaker1.02b
Script written by れん©
Mail me for annul@karpan.net
annulをkzhrに@の後ろにmail.をつけてください。
著作權で保護されてゐる著作物は著作權者の許可なく、私的な範圍を超えた複製をしてはなりません。
Copyright some right reserved.
この日記のKzhrの作品については、
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(by-sa 日本)
の下でライセンスされています。