古い革袋としての歴史的假名遣といふものがたり。岩波版『契沖全集』卷10付録月報に龜井孝が書くやうに、すくなくとも契沖における歴史的假名遣の本義は、《語の“本義”(=語源)》のその探求にほかならない
。そして、その第一歩としていろは歌から五十音圖への轉換があつたとみてよいのではないか。しかし、宣長が「皇國に五十音の他に音なし」と(どこかでorz)述べて音義派を呼び出すこととなり、それを封殺するのにまぎれてヤ行エ段の假名も上代特殊假名遣も歴史的假名遣から消されてしまつた。これは、歴史的假名遣がみづからの限界をつくりだしてしまつた、つまり古い革袋と「なりさがつた」いふことを意味するだらうか?
かりもの
築島裕・林勉・池田利夫ほか編『契沖全集』巻10「語学」、岩波書店、1973.10。
23:55
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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