たとへば、けふの日付を昨日の日記の題にしてゐるとか。きりがいいので干支題はやめませう……。水曜日も部會および歸り道でへんなことをしてゐました。人間變つていくものではありますが、こんな本人がふと氣づくていどの變化しかないのも地味一方ですね。
初日4日め。2限は休講といふ可能性をすつかり忘却し、いろいろと敗北。一昨日のゼミで云つてくれてもよささうな……。激動の80年代と青春と世界史。
永山勇「國語假名遣説の發生と展開とに就いて: 假名遣觀を中心としたる」『國語と國文學』20 (1943): 347-71
を讀んでいまさらながら感動する。ところで、これが掲載された『國語と國文學』昭和18年4月號は、特輯「國語音韻の史的研究」でその半分ほどが假名遣のはなし(記録を取り忘れ、このころの『國語と國文學』の目次はウェブで探せる範圍にないやうなので、うろ覺えではあるが)。假名遣がほとんどトピックにならなくなつていかほどだらう。
火曜日に買つて忘れてゐたもの。
Seeley, Christopher. A History of Writing in Japan. 1991. [Honolulu]: U of Hawai'i P, 2000.
じつにしつかりした本であることだなあと思ふ。邦譯してもいけるんぢや?
23:55
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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