書道博物館に行つてまゐりました。ある方面で物好きな(?)方々で、特別展を見ようといふのに御誘ひを受けたのでしたが、一番近い人でも一周り離れてゐるので、あと、豫定してゐた年齡とだいぶ違つてゐたやうで「おぢさんかと思つた」などとは云はれましたが、私は青春まつしぐらの花盛りです、たぶん、といふのを話の枕に始めますと、甲骨文に始まつて唐代までの書と刻での漢字を見てまゐつたのでありまして、以前某メイルマガジンで甲骨文は直線的だなどとあつたのにむすつとしたことなどどうでもいいやと思つただとか、「不」の萼の部分の取扱ひの變遷を見て樂しんだだとか、はて、私は何をみてゐたのでせうか……。
古事記、といふか岩波の買手はどう考へても2、3人は數ふまいといふ店で、買ふことは迷つてはをりませんでしたが、當座の資金繰りから、「今」買ふべきかどうかは迷つてゐた、といふのをその場では云へなかつたといふのを書道博物館後の御座敷でしばしば話の種にされしかも壓倒されてゐたといふ證據にして話の第二幕の枕に致しませう。諸事情で酒は飮まないし、そのうへ、今の話の始めにしたやうに、會話にも入れないので、どうしても食べるはうに偏つてしまふのですが、奈何せん酒宴、ああいふのは話の合間につつくのであんなに少ないのでせうか、なかなか辛いものがあつたのは否めないことでした。話の内容は……取敢ず去年の女子美の圖録で、ナール・ゴナを良く見ます、といふところで。しかし、自分たちの會話を變だよ變だよといひながら益々「變」になつていくのは奧の深さか。正直何のことを話してゐるのかわからなかつたことも屡々。特に一軒目。
まあ、次囘は何時になるやらですが、けふは滅多にない機會を得られてたいへんうれしうございました。22:00ごろなのに例の古本屋は開いてゐて、金も足りたので『古事記』(倉野憲司校註、岩波書店〈文庫黄1-1〉、1963)は買つてしまひました。混元に振り假名を振るやうな持主から私のところにきたやうです。そんなので250圓も取るのかと思ひますが、今は氣にしないことにしておきます。一緒に『プー横丁にたった家』(A.A.ミルン、石井桃子譯、岩波書店〈岩波少年文庫009〉、1958、2000)も買ひました。クラシック・プーといはれてゐるとかなんとか。
23:22
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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