更級日記に、隅田川を渉つて相模國(!)へ行く場面がある。
野山、蘆荻のなかを分くるよりほかのことなくて、武藏と相模との中にゐてあすだ河といふ。在五中將の「いざこと問はむ」とよみけるわたりなり。中將の集にはすみだ河とあり。舟にて渡りぬれば、相模の國になりぬ。
解説にあるとほり、特に上京の旅日記は、地理の前後のしている所がはなはだ多
いので、岩波文庫本で9ページにある太井川の段と、竹芝寺の段の間にないのも、しかたがないのかもしれない。しかし、註に、隅田河を「すだ川」と書いたものがあるので、「あすだ河」も隅田河のことであろう
とだけあるのは、隅田川は下總と武藏の國境であるといふ一般讀者の智識には迷惑でしかない。多摩川が出てきてゐないから、それかもしれないと推測するのだが、業平が歌詠みにけりと辻褄が合はないやうにも思はれる。謎。
歸り際、古本屋で太宰治『お伽草子』(新潮社〈文庫〉、1972)を拾ふ。表紙は秀英3號か。
21:47
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
DiaryMaker1.02b
Script written by れん©
Mail me for annul@karpan.net
annulをkzhrに@の後ろにmail.をつけてください。
著作權で保護されてゐる著作物は著作權者の許可なく、私的な範圍を超えた複製をしてはなりません。
Copyright some right reserved.
この日記のKzhrの作品については、
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(by-sa 日本)
の下でライセンスされています。