宮崎一定『科挙-中国の試験地獄』(中央公論社、1963)、小松茂美『かな-その成立と変遷』(岩波書店、1968)。古事記があるのになぜか藉りる。『科挙』は池田先生によつて分析されてゐるやうに[1]、科擧制度を眺められる好著である。興に乘つてぐいぐいと讀んでしまつた。對して『かな』の著は、どこかで參考文獻に掲げられてゐて讀むべきと思うて藉りたのだが、王仁らのころに至つて漢字文化が「圖形」ではなく「文字」として入つてきたとの認識に、「漢倭奴國王」印を外交なくしてどうやつて得られるのかといふ「常識的觀點」の缺落を見て、だからかなを女性ばかり用ゐたなどといふ記述が世に横行しても平然としてゐられるのかーと感心し、どうやつて讀んで行かうか考へてゐる最中。
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——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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