或る言葉が同じその言葉でありながら煙草を買ふのにも就職試験に合格するのにも挺(てこ)の原理を説明するのにも用ゐられるといふことがここでは大事なのでベルグソンが書くものに特殊な言葉が殆ど出て来ないことが我々の注意を惹く。又それはドイツのものを除いてヨオロツパの哲学の凡てに認められることである。
とある語で私の管理する日記の一つ(いくつあるんだか)に檢索エンジンから來訪した人があつてどの邊りに見出されたものかと逆探知していくなかに吉田健一の作品が日本ペンクラブで公開されるのを知つて讀進めてゐる最中である。頭の囘轉の遲い私ではあるが懇々と吉田が一つの事しか説かないのでいい加減に私も吉田の云はんとすることのわかりかけてきてうれしくなりかけてゐる途中である。正確に用ゐられた言葉はそれを読むものを楽ませる。
22:29
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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