今行つてゐる豫備校の現代文の擔當講師がどうにも好けない。今のところの觀察では、どうしようもなくひねた人間であるらしい。
けふなどは、このやうな話を聞いた。概念の成立を巡つて説明をしてゐるのだが(所詮受驗向けなので細かい問題は氣にしないやうに)、固有物の例として「尾が短い、白い、太い、ニャーと鳴く生物」と、「尾が長い、白と茶の斑、細い、ニャーと鳴く生物」の二通りをあげ、それらを捨象し、「ニャーと鳴く生物」といふ抽象を取出して、それに假に「猫」と名づける、とまではまあいいとして。
そして、「前者の猫は隣のおばさんの飼つてゐる猫」で、「後者は俺の飼つて、といふか、同居人ですね」といふ。「ところで」、と云ひ、「『(忘れた)』といふアニメを知つてゐますか? そこで猫(なんとか)といふのに、田舍一の柔道猛者が(中略)で、その師匠の必殺技が『キャット三囘轉(曖昧)』なんですね。で、俺の猫の定義はその『キャット三囘轉(假)』ができるやつのことなんですよ」、とのたまふ。「で、自分ちの猫に醉つて説教したりするんですが、ある時、お前、猫なら『キャット三囘轉(假)』ができるよな? と聞いたところ頷いた(話者談)ので、放り投げたんですよ。さうしたら、家の中で狹いので流石に三囘轉は無理でも、二囘轉はする。ほほう。」、で、「ぢやあ、隣の家のはどうか(隣の家のは歩いてゐて腹を引き摺るほどなんですよ)。人の家のですから、勝手に投げるわけにはいかない。で、チャンスを狙つてゐたら、あるとき、おばさんが勝手に遠くに出かけて、これはいい機會と(略)投げて見た。すると、なんどやつてもできない。できないといふか、つぶれる。だから、こいつは本當は(俺定義では)猫ではないんですよ。だけど、そんなのやつてゐたら面倒くさいぢやないですか。だから、便宜上、これも猫つて呼んでるんです」ときた。
かういふのは本當に馬鹿だと思ふ(襃め言葉)。なので、無碍に嫌ふこともできないが、好くこともできない。
23:16
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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