2007年12月17日(月)
目録について以前、目録は底本では最後に綴ぢられてゐるが、目録末尾に「第一 どちりいな」とあること、どちりいなの章にはこれがないこと、同内容ローマ字本では目録が序の後ろについてゐること を理由として錯簡があるとした。この結論は變はつてゐないが、攷究を加ふべきぶぶんを見つけたので、備忘程度に書き殘しておかう。
まづ、目録の入力の不備なのであるが、以下の部分が拔けてゐた。第十二とヴィニェットの間に記さるるべき文言である:
以上
左にくるすの下にあるべきことばはらちんの口と心得べし
現存本では最終丁である目録の、最後から2行目にこの文言はあるが、最終行は以前の翻刻にあるやうに、「第一どちりいな」であつて、†はない(ダガーは十字架でないといふのは入力の都合であるので措く)。すなはち、本來は左にいろいろと續いてゐたはずなのであつて、ゆゑにかく置かれたのであるとするのが自然に違ひない。しかし、目録に目を轉ずると、次のやうなことに氣づく:
第八九 御母さんたゑけれじやの御おきての事
これはいかなることなるべしと本文を檢ずれば、第七の次が第九なのである。すなはち、ナンバリングの誤りである。これは目録が先にあつたとすれば不可解なことで、エラトラでもないが、索引をあとから作るやうに目録をあとから作つたと考へるのが、これも、自然ではないかと考へるのである。されば、ヴァティカン圖書館に現存される本を綴ぢるときに後刷なれど先にくべき本丁の順序をあやまつたか、綴ぢおはつたところにあらたに綴ぢたかのいづれかであらう(そして、この場合、あやまりに氣づいてつくりなほしてあらたに綴ぢたこともありうるかとも考へるのである)。原本を見る機會はおそらくないが、原本の綴ぢ方の調査によらずば、かうなつた原因は明らかになるまいと思ふのである。
さて、今囘は、第六をおさめる。「新出」顛倒活字を見いだしたやうであるので報告すると、「まてりあと云事は一るひなれども」といふ語句が途中にあるが、この「一」は顛倒してゐるごとく見える。
中途よりスペースが増えるが、認定がいまだ一貫しないので、これまでより多いとするものではないことを注意せられたい。また、印字されず讀めない箇所は岩波文庫本により推定を補つた。
○第六のけれどならびにひいですのあるちいごの事
弟 右にはやよく物を頼み奉る樣を教へ給へば今は又たしかにしんじ奉る道をしめし給へ
師 けれどゝそれにこもるひいですのあるちいごをしる事也今是を教ゆべしけれどゝは†眞に信じ奉る萬事叶ひ大地を作玉ふでうすはあてれを○又其御ひとり子我等が御主ぜずきりしとを○是即すひりつさんとの御きどくを以てやどされ給ひてびるぜんまりあより生れ玉ふ○ほんしよひらとが下にをひてかしやくをうけこらへく」(二十五オ)るすにかけられ死にたまひて御くはんにおさめられ玉ふ○大地のそこへくだりたまひ三日目によみがへり玉ふ○天に上りたまひ萬事に叶玉ふでうすはあてれの御右にそなはり玉ふ○それより生死の人をたゝしたまはん爲にあまくだり玉ふべし○すひりつさんとかとうりかにて御座ますさんたゑけれじやを眞に信じ奉る○さんとす皆つうようし玉ふ事を○科の御ゆるしを○にくたいよみがへるべき事を○をはりなき君を眞に信じ奉るあめん
弟 たゝ今のけれどゝは何事ぞ
師 ひいですの肝心の條々を信じ奉るとの」(二十五ウ)らはすもん也
弟 けれどは誰人の作玉ふぞや
師 御主ぜずきりしとのあほうすとろ達すひつさんちの御みちびきを以て一所にあつまり給ひて御主ぜずきりしとの御口よりぢきに聞奉られたるむねをつらね玉ふ者也
弟 何の爲につらね玉ふぞ
師 ひいですにうけ奉るべき條々を我等に教玉はん爲也
弟 ひいですとは何事ぞ
師 でうす我等につげしらせ玉ふほどの事をさんた ゑけれじやのしめし玉ふ ごとくけんごに信し奉るやうにでうすきり」(二十六オ)したんのあにまに與へくださるゝなつうらをこへたる御恩のひかり也
弟 でうすつげ玉ふとは何事ぞや
師 さんたゑけれじやより信じ奉れとあらはし玉ふほどのことはり中にもけれどにこもるひいですのあるちいご即それ也
弟 けれどにこもるひいですのあるちいごは何ヶ條ぞ
師 是をつらね玉ふあほうすとろ十二人なるごとく其數も十二ヶ條也又是をつふさにわけて十四のあるちいごすとかぞゆる事もあり七つは†ぢひにだあでの御所に あたり又七つはぜずきりしとの人にて御座ます御所にあたり玉ふ也 然りといへども」(二十六ウ)こゝにはけれどを教ゆるが故に十二ヶ條につもりてあらはすべし第一には天地を御作りなされたる萬事叶玉ふでうすはあてれを信し奉る事 第二其御ひとりご我等が御主ぜずきりしとを信じ奉る事 第三†すひりつさんとの御きどくを以てやどされ給ひびるぜんまりやより生れ玉ふ事第四ほんしよひらとが下にをひてかしやくをうけこらへ玉ひくるすにかけられ死し給ひて御くはんにおさめられ玉ふこと 第五大地のそこに下り給ひ三日目によみがへり玉ふ事第六天に上り給ひ萬事叶玉ふでうすはあてれの御右に そなはり玉ふ事 第七生死の人を たゝしきはめ給」(二十七オ)はん爲に天より下り玉ふべき事 第八すひりつさんとゝかとうりかなるさんたゑけれじやを信じ奉る事 第九さんとす達つうようし玉ふ事 第十科の御赦を信じ奉る事 第十一にくたいのよみがへるべき事 第十二をはりなき一命を信じ奉る事是也
弟 さいしよのあるちいご萬事叶ひ給ひ天地を作玉ふでうすはあてれを信じ奉るとは何たる心ぞ
師 眞のでうすは御一體の外御座まさず是即はあてれひいりよすひりつさんとにて御座ます事ををの/\きりしたんわきまへ信じ奉らで叶はざる事也三のへる」(二十七ウ)さうなにて御座ますといへ共たゝ御一體のでうす也此あるちいごには三の内 第一のへるさうなにて御座ますでうすはあてれの御事をさたし奉る也
弟 でうす三のへるさうなにて御座ましながら御一體なりといへることはりは分別しがたし
師 其はちりんだあでのみすてりよとて我等がひいですのだいもくの内にてはごくいさいじやうのたかきことはり也其故はでうすはむりやうくはうだいに御座まし我等がちゑはわづかにかぎりある事なれば分別にはを□(入力者云よ歟)ばずたとひ分□(入力者云別歟)にを□(入力者云よ歟)ばずと云ともでうすにて御座ます御主」(二十八オ)ぜずきりしとぢきにしめし玉ふ上は眞に信じ奉らずして 叶はざる儀也
弟 此儀を よく 分別するためにたとへはなきや
師 たとへ有我等があにまはたゝ一體にてありながら†めもうりあゑんてんじめんとおんたあで三つのほとんしや有ごとくでうす御一體にて御座ましながらはあてれひいりよすひりつさんと三のへるさうなにて御座ます也
弟 あひのこることば天地の御作りなされてにて御座ますとは何たる事ぞ
師 其ことばの心はでうす萬事叶ひ玉ふによて天地まんざうをなき所より作り出し」(二十八ウ)たまひ御身のくらうりあと我等が徳の爲にそだておさめ玉ふと申心也
弟 御主でうすなき所より萬事をあらせ玉ふと有事を分別せず其故は御作の物は皆御身の御ちゑ御分別より出し玉ふと見ゆる也然るときんばなき所より作り玉ふとはいかん
師 此ふしんをひらく爲に一の心得肝要也それと云はでうすの御分別の内には御作の物は一もなしといへどもそれ/\のしよさうこもり玉ふ也其しよさうを本語に†いであと云也此いであは作の物にあらずたゝでうすと同體也 然るにでうすはまんさうを作り玉ふ時御身の御分別に持玉ふいてあ」(二十九オ)に發して作り玉ふ也 それによて御作の物は御ないせうより出したまふことにはあらず たゝなき所より作り玉ふ也 其故は作りたまはん爲に道くも下地もたねもなくしてたゝあれとおぼしめす計を以て作り玉ふ也 たとへばだいくはいゑをたてんとする時まづ其さしずを我が分別の内に持それに應してそのいゑを作る也されは外につくるいゑは分別の内のさしづにはあらず其ごとくでうす御分別の内に持玉ふ御作の物のいであに應して作り玉ふと云へども御作の物は其いであにはあらずたゝ萬事叶ひ玉ふ御わんりきを以てなき所より作り玉ふ也」(二十九ウ)弟 それはなき所より作り玉ふといふべきにはあらずかへつて御身のそんたいより作玉ふとこそ見えたれ御分別の内に持玉ふさしずより作り給へば也
師 右のことはりを分別有に をひては今のふしんはあきらかにひらくべし其故は右のたとへに申せしごとく だいくは いゑのさしずに應じていゑを作ると云へども外に出來るいゑはだいくの體にはあらず又其だいくもざいもくなくしてあれとおもふ計をもていゑを作る事かなふにをひては眞に其いゑはなき所より作たると云べし其ごとくでうすは作の物を御身のさしずに應じて作玉ふと云へど」(三十オ)も其御作の物はそんたいにはあらず又でうすは†いんひにとゝ申奉りて萬事叶玉ふそんたいにて御座ませば 萬物を作りたまはん爲に下地たね道くなどもいらすして作り玉ふが故に なき所より作り玉ふと云也又御作の物はかぎりある物也故に でうすのそんたいとは天地うんでいのしやへつといひてもなをあまり有
弟 右にははやでうすと御作の物のしやべつをうけたまはりぬ今は作の物いづれもたがひに一體か別體かと云事をあらはしたまへ
師 作の物はいづれも別體也其故はでうすより作り玉ふ時それ/\に應じたるかつかくの」(三十ウ)なつうらを與へ給へば也其證據は作の物にあらはるゝかつかくのせいとく也然にいしはむまうしにあらす他も是にじゆんずしきさうある物は四大よりわがうのものなるによて まてりあと云事は一るひなれども正體はかつかく也其故は作のものはまてりあ計を以て作られずほるまを以て作らるゝ者也それによてまてりあは一るひなりとてもほるまかはる時は正體もまつたくかはる也たとへはおなじ木にてむまもうしも作ると云へどもほるまかはるが故にむまはうしにあらず此等の事をくはしく分別したきとおもふにをひてはかてきずもにのせたる事をよまるべし」(三十一オ)
弟 第二のあるちいご 其御ひとり子我等が御主ぜずきりしとを信じ奉ると申す心はいかん
師 御主ぜずきりしとでうすにて御座ます御所はでうすはあてれと同き御正體御ちゑ 御せひりき一つとしてかはり玉ふ事なき實の御ひとり子にて御座ますと申心也
弟 でうす何とやうに御子を生じ玉ふぞもしいんやうけうくはいの道をもてか
師 でうす御子を生じ玉ふと聞奉る時は人間のわさのやうにいやしくおもふべからずすひりつある御體とてしきさうをはなれ玉ふしやう/\の御體にて御座ませば也」(三十一ウ)でうす御子を生じ玉ふ事はなつらの上なるすひりつあるでうすのくはうだいむへんのゑんてんじめんとを以て生じ玉ふ也 此儀は人間のうすきちへにはをよふ所にあらず
弟 たとへをもて 此儀を せう/\あらはし玉ふ事叶はずや
師 及ばず ながら一つのたとへを云べしかゝみにむかふ時は我がかげのそれにうかふがごとく御主でうすはあてれ御身のなつれざ諸善萬徳共に御身のゑんてんじめんとにむかひ玉ふ時かゝみにかげのうつるがごとくに御身と萬事共にひとしきすゝたんしある御かたをうつし出し玉ふなり」(三十二オ)是即でうす ひいりよとかうし奉る也故にでうすはあてれと同じき すゝたんしやにて御座ます也
弟 第三のあるちいごすひりつさんとよりやどされ 給ひてびるぜんまりあより生玉ふと申心は何たる事ぞ
師 でうすはあてれの眞の御子にて御座ますでうすひいりよ貴きびるぜんまりあの御たいなひに をひて我等がにくたいにかはらざる眞の色身と眞のあにまをうけあはせ給ひて眞の人となり玉ふと云へ共でうすにて御座ます御所はかはり玉ふ事なくいつも同じきでうすにて御座ます也此びるぜんさんたまりあより生玉ふを名」(三十二ウ)付てぜずきりしとゝ申奉る也又此御出世は人のしはざをもての事にあらず たゝすひりつさんとの御きどくをもて 計ひ玉ふ事なればすひりつさんとよりやどされ玉ふと申奉る也同しく御母びるぜんも人間の所作を以て御くはいにん なされざるが故に御たんじやうの後とても本のごとくのびるぜんにて御座ます也
弟 第四のあるちいごほんしよひらとが下にをひてかしやくをうけこらへ くるすにかけられ死し給ひ御くはんにおさめられ玉ふとは何たる事ぞ
師 御主ぜずきりしとでうすにて 御座ます御所は かしやくをうけこらへ たまふ」(三十三オ)事も叶ひ給はずといへども人にて御座ます御所はほんしよひらとがしゆごなる時代に御じゆうの上より一さい人間の科をゝくり給はん爲に くるすにかけられ死し玉ふと申心也
弟 人にて御座ます所は何と樣に死し玉ふぞ
師 †ぢびにだあでの御所は 御あにま にも御色體にもはなれ給はず人となり玉ふ御所のあにまは 御色身にはなれ 死したまひ御くはんにおさめられ玉ふと申儀也
弟 でうすひいりよ人になり玉ひ人間の科に對せられてくるすに死し玉ふ事は何の故ぞや此科を赦玉ふべき別の道なかりしや
師 樣々あるへし然と云へ共此くるすの道はあ」(三十三ウ)またのだうりによて第一さうおうの道とえらびとり玉ふ也
弟 其だうりの内せう/\をしめし給へ
師 まづ我等に對せられての御大切の深き事をわきまえさせ給はん爲也其ゆゑはでうす人となり給ひ死し給ふを以て 赦玉ふほどの御いきどをりなれば也三には此御恩の深き所をあんじ其御れいを なし奉るべき爲なり其故は でうすかほどの く□う〔1600年國字本には御くるしみ〕 をこらへ給はずしてたゝかりそめに赦玉ふにをひては人々さほど御恩をも見知り奉る」(三十四オ)まじきが故也 四にはでうすのじゆすちいしやのたゝしくまします事又其 科に さうたうのくはたい深かるべし知らしめ給はんが爲也 其故は御主ぜずきりしと眞のでうすの御子にてましませばもうとうほど御科も御身にましまさずしてたゝ我等が科を御身上にうけかゝり給ひてしゆ/\さま/\のかしやくのしなをつくして御身にうけ玉ふによて也五には天狗は善惡のちゑの木の實をもて我等がせんぞをたばかりすまし又ひとりの科を以て一さい人間を我がしんだいになしたるごとく 今御一人くるすの木にかゝり玉ふをもててんまはりをうしない其」(三十四ウ)上又でうすひいりよ†うまなゝつらを御身に まとひ玉ふを以て一さいしゆじやうを彼狗兄の手よりむばひとり給ひじゆうげだつの身となしたまはん爲には御身かくなり玉ふ事もつともちうおうの道也彼と是とのだうりによてでうすの御子我等に對し給ひ人間のなつうらをうけ給ひ死し給はんとの御なひせうにて御座ませし也
弟 第五のあるちいご大地のそこへ下り給ひ三日目によみかへり玉ふと云へる事は何たる御事お
師 御主ぜずきりしとくるすにて死し給へば御あにまは 大地のそこへ下り玉ふ也 むか」(三十五オ)しの善人達御主の御上天までは天上せらるゝ事叶はざるが故に大地のそこにをひて其御出世をまち奉られし人々をめし上給はんが爲に其所より下り給ひ彼善人達のあにまを其よりめし出し玉ふ者なり
弟 御主 ぜずきりしとの 御あにまの下り玉ふ大地のそこと云は何たる所ぞ
師 大地のそこに 四樣の所あり 第一のそこはゐんへるのといひ天狗を はじめとしてもるたる科にて 死したる ざいにん等の ゐる所也二にはすこし其上にふるかたうりよとてからさを はなれずして死る人の あにま現世にて はたさゝる科をくりのつ」(三十五ウ)くのひをしてそれよりくらうりあにゐたるべき爲に其間こめをかるゝ所有り三にはふるかとうりよの上に 童のりんぼとてばうちいうもをうけずしていまだもるたる科を をつる 分別もなき 内に 死る童のゐたる所也四には此りんぼの上にあふらんのせよと云所有此所にこらいの善人達 御出世をまちゐ奉られたる所に御主ぜうきりしと下り給ひ彼さんとす達のあにまを此所よりめし上玉ふ也
弟 三日目によみがへり玉ふとは何事ぞ
師 せすた へりあに御にうめつの時貴き御あにま 御色體を はなれ給ひ つぎのどみんごに御あにま御くはんにおさめられ」(三十六オ)たまひし御しがひによみがへり給ひ今天上に御座ますごとくなる くらうりあと共に見え玉ふと 云る事も此あるちいごにあらはるゝ也
弟 第六のあるちいご 天に上り給ひ萬事に叶ひ玉ふでうすはあてれの御右にぢうし玉ふと云事は何たる事ぞ
師 御主ぜずきりしと よみがへり 給ひて後人にて御座ます御體と共に天に上り給へば御主でうす 諸のべあと達のくらうりあを一にしたるよりもなを くはうだいなるくらうりあを與へ玉ふと申儀也
弟 何とて御右にぢうし玉ふとは申ぞでうすにも御右左と云事有や」(三十六ウ)
師 でうすはあてれ御しき□う□な□り〔1600年版にしきそうそなはりとある〕給はねば御左 右と 申事はなけれ共御主ぜずきりしと 人にて 御座ます御所に諸のあんしよ 諸のべあとのくらうりあにまさりたる くらうりあを與へ玉ふによて右をかうじやうともちうるだうりにまかせかくのごとく申奉る也
弟 第七のあるちいご 生死の人をたゝしきはめ給はん爲に あま下り玉ふべしと云ことは何たるしさいぞ
師 御主ぜずきりしと世界のおはりなるじゆいぞの日一さいの人間の所作を御きうめいなされて それ/\に 應じて ふたいの 御へんほうを與へ給はん爲にでうす にて」(三十七オ)御座ます御所は 云にをよばず人にて御座ます御所もならびなき 御いくはう をあらはし給ひて。あまくだり玉ふべしと申儀也
弟 第八のあるちいごすひりつさんと又さんたゑけれじやかとうりかを信じ奉るとは何事ぞ
師 此あるちいごに二の事をしめし玉ふ也 一にはすひりつさんとはでうすはあてれひいりよにかはり給はざる御正體御ちゑ御せいりき御善徳共によひとしきかくべつのへるさうなにて御座ます儀を信じ奉れとの事二にはかとうりかにて御座ますさんたゑけれじやの御事此ゑけれじやとは」(三十七ウ)ぜずきりしとを信じ奉りともに御教へをさうでんしあらはし奉る 諸のきりしたんのくんじゆをなづくる名也此一味世界の諸國に別れゐたると云へどもたゝ一つの體也其 †めんぼろすはきりしたん一人づゝにてかしらは†らうまの貴き はあはにて御座ます也又此ゑけれじやをかたうりかと申心はすへて をの/\きりしたんをふくむと云心也 此ゑけれじやは御主ぜずきりしと宣ふごとくすひりつさんとそなはり給ひておさめ 玉ふが故にさんたとも名付奉る也すひりつさんとまよひ玉ふ事御座まさぬごとく此ゑけれじやもまよひ玉ふ事叶ひたま」(三十八オ)はざる也
弟 第九のあるちいごさんとす達つうようし玉ふとは何たる事ぞ
師 をの/\ きりしたん 此ゑけれじやのめんほろ なれば たがひに ひいですさからめんとすの功力のつうようありと云心也又天に座御〔ママ〕ますさんとす達も ふるか とうりよの人數も此ゑけれじやのめんほろすなりし人なれば 是にもつうよう有と申奉る心也 其故は御主ぜずきりしとならびに べあと達其御とりあはせのおらしよと其御功力を我等にほどこし給ひ又我等がおらしよもとふらひの功力等をもふるかとうりよのあにまにたむけ奉る故也」(三十八ウ)
弟 第十のあるちいご科の 御ゆるしとは何たる事ぞ
師 ばうちいすもへにてんしや 其外のさからめんとすを以てがらさを與へ給ひ 科をゆるし玉ふによて實の科の御ゆるしと云事はさんた ゑけれじやにのみありと申儀也
弟 第十一のあるちいごにくたいのよみがへるべき事とは何事ぞ
師 世界のをはりじゆいぞの日一さい人間のあにまいんへるのにをちゐたるもはらひぞに御座ますべあと達ものこらず本の色身によみがへり我善によて蒙たるあにまのくらふりあを現世にて 合力となりたる色」(三十九オ)身も共にうけ又ゐんへるのにをちたるあにまのくるしみをも 科の 合力と なりたる色體も共にならゆべしと云儀也
弟 第十二の あるちいご をはりなき 一命とは何たる事ぞ
師 あまねくよみがへりたるしゆいぞぜらるの後は人間 二度死る事 あるまじきと 云事也 たゝし善惡二のもやうは かはるべし其故はぜんちよとあしき きりしたんとはをはりなくゐんへるのゝくるしみをうけてながらへがらさにてはてたる よき きりしたんは天にをひてたのしひをきはめてふたいの命を作り給ひし事も御主」(三十九ウ)ぜずきりしとの 御出世なされ 死し給ひよみかへり玉ふと云へる事をも見奉らず其外けれどに こもるよのあるちいごをも見奉る事なければ何と樣に信じ奉るべきや
師 是等の事は見たる事なしと云へ共でうすよりつげ玉ふによて信ぜずして 叶はぬ事也 それによて眼を以て物を見るよりも此ひいですの あるちいごすはなをたしかなる事也
弟 でうすよりつげ玉ふと 云事は誰人のつたへぞや
師 すひつさんとより道びかれ玉ふ さんた ゑけれじやよりかくのごとく教へ玉ふ也又」(四十オ)此さんたゑけれじやすひりつさんとよりおさめられ 玉ふ事なれば まよひ玉ふことすこしも叶はざる者也
21:08
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——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め (中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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