Diary/ + PCC + — HIMAJIN NI AI WO. Love Idle

2007年10月25日(木)

どちりいなきりしたん翻刻草稿(5)

今囘は第四を收める。清濁の認定であるが、清濁で字の形が大きく異なるものと濁點つきの字が先にあつてそれから濁點を削つて清音の用に供した活字が知られてゐる。この製法については詳しく知られてゐないが、この場合清音の活字を使つてゐながら、或は濁音の活字を使つてゐながら、本翻刻では逆にしてしまふといふことが考へられる。試みに二十二オ11行目の「か」について述べる。ここで用ゐられてゐる「か」は字母は「加」で、ほとんど同形の「が」がある(同じページの3行目にもある)。また「求めん」に續く以上、「が」が續くのが自然であるのを、なぜ清音と認定したかといへば、寄引き(活字の印字面の枠の中での印字部分のある位置)が「が」とは異なつてゐたからである。この寄引きといふのは微妙で、前々囘に述べた山口論文で指摘されてゐる傾斜活字を生みだす原因となつた嚴密でない母型製造であるが、これは寄引きが母型製造のたびにかはるといふことにも繋がつてゐたやうである。それが證據に、「し」にはいくつか寄引きが異なる同形の活字が存在する。今囘も「が」の寄引きの違ひではないかといふことも十分に考へられるのだが、あまり右に寄つてゐて濁點が入る位置がないやうに判斷されたので、いまのところは、「か」ではないかとしておく。草稿とて再讀・校正を一切してゐないため取り違へは多々あるべしと考へてゐる。

第四あべまりあの事

でうすに對し奉りてのみおらしよを申べきや
其儀にあらず我等が御とりあはせ手にて御座ます諸のへあと中にも惡人の爲になかだちとなり玉ふ御母びるぜんさんたまりあにもおらしよを申也
びるぜんさんたまりあに申上奉るさだまりたるおらしよありや
あべまりあと云おらしよ也たゝいま教ゆ」(十九ウ)べしがらさみち/\玉ふまりあに御れいをなし奉る御主は御身と共に御座ますによにんの中にをひてべねぢいたにてわたらせ玉ふ又御たひなひの御實にて御座ますぜすゝはべねぢいとにて御座ますでうすの御母さんたまりあ今も我等がさいごにも我等惡人の爲に頼みたまへあめん
此おらしよは誰の作り玉ふぞや
さんがびりゑるあんじよ貴きびるぜんまりあに御つげをなし玉ふ時の御ことばとさんたいざべるびるぜんまりあにごんじやうせられたることばに又さんたゑけれじやよのことばをそへ玉ふを」(二十オ)以てあみたて玉ふおらしよ也
御母びるぜんは誰人にて御座ますぞや
でうすの御母の爲にえらび出され給ひ天にをひて諸のあんじよの上にそなへられ給ひ諸善みち/\玉ふこうきうにて御座ます也是によて御子ぜずきりしとの御まへにをひて諸のへあとよりもずくれて御ないせうに叶玉ふ也それによて我等が申上ることはりをおほせ叶へらるゝが故にをの/\きりしたん深くしんかうし奉る也
何によてか御母さんたまりあへ對し奉り百五十友か又は六十三友かのおらしよを申上奉るぞ」(二十ウ)
六十三友のおらしよは御母びるぜんの御年の數に對し奉りて申上る也又百五十友のおらしよは十五のみすてりよとて五ヶ條は御よろこび五ヶ條は御かなしひ今五ヶ條はくらうりやの御ことはりに對して申上奉る也此十五ヶ條のだいもくははんぎにひらきたる一しにあり
あるたるにそなわり玉ふによにんの御すがたは誰にて御座ますぞ
天に御座ます御母びるぜんまりあをおもひ出し奉る爲の御ゑいなればうやまひ奉るべき者也
此びるぜんさんたまりあの御ゑい其しなおほきごとく其御體もあまた御座」(二十一オ)ますや
其儀にあらずたゝ天に御座ます御ひとりのみ也
然らば人々なんぎに及時或は御あはれみの御母或は御かうりよくのなされて或はかなしむ者の御よろこばせてなとゝ樣々によび奉る事は何事ぞや
別のしさいなしたゝ御母の御とりなしでうすの御まへにてよく叶ひ給へば御おはれみの御母にて御座ます上よりしゆゝの御忍を與へ玉ふによてかくのごとくに唱へ奉る也
あべまりあのおらしよをば誰にむかひて申上奉るぞ」(二十一ウ)
貴きたうみなびるぜんまりあにゑかう仕る也
何事をこひ奉るぞもし我等が科の御赦しをこひ奉るか
其儀にあらず
がらさかくらうりあをか
其儀にもあらず
然らば此等の儀をば誰にこひ奉るぞ
御主でうすにこひ奉る也
御母には何事をこひ奉るぞ
此等の事を求めんかために御子にて御座ます御主ぜずきりしとの御まへにて御とりあはせを頼み奉る也」(二十二オ)

12:53

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