けふ發心集のテキストが家になかつたので(情けなや)、ウェブにないかなと思つたらなかつたのであつた。不便なり。そこでえいやと思つて、私ののちのちの便宜のためにも、どちりいなきりしたんを翻刻するのである(『どちりいなきりしたん(バチカン本)』小島幸枝・亀井孝解説、勉誠社文庫55、勉誠社、1979を底本とする)。手許にないといふ理由により、土井忠生の翻刻は參照しえてゐない。
今囘は序を翻刻するのであるが、讀み進みていくうちに考へがかはるものであるし、コピーペーストが可能なテキストをつくりたいものであるので、凡例はいま定めないことにする。現行の漢字假名にあらためてゐること、再構造化してゐることくらゐは述べておく。また、“」”はページ終りのしるしで、序を第1丁とする現在地點を()に書く。
†どちりいなの序
御主ぜずきりしと御在世の間御弟子達に教へをき玉ふ事の内にとり別教へ玉ふ事は汝等に教へけるごとく一切人間に後生を扶かる道の眞のおきてをひろめよとの御事也是即がく者達の宣ふごとく三の事にきはまる也一には信じ奉るへき事○二にはたのもしくぞんじ奉るへき事○三には身持を以てつとむへき事是也信じ奉るへき事とは†ひいですの善にあたる事也是人間の分別に及はぬ事也是等の事をわきまへずんば後生の道にまよふ事おほかるへし○たのもしくおもふ事とは†ゑすへらんさの善にあたる事也是即きりしたんにでうすより與へ玉ふへしと」(1オ)の御やくそくの事也是等の儀を知らずんばなんぎにあふへき時頼む所なしとおもひて心をうしなふ事もあるへし是又あにまの大なるさはり也○身持を以てつとむへき事とは†かりたあての善にあたる事也是等の事をこゝろえさればでうすの御おきてをそむく事度度あるへしそれによて此三の善にあたる事きりしたんの爲に專なる事也故にがくしやと名を得られたる善人達は是等の儀につゐてあまたの經をかきをき玉ふ者也其内に肝要なる所をゑらびとつてはんにちりばめまよひをてらすかゝみとなすへし然は後生の爲に專なる事をきりしたんにをしへん爲に†こんばにあのつかさより此のちいさき經にそなへ玉ふ」(1ウ)者也名付て†どちりいなきりしたんといふ是即きりしたんの教へといふ心也上下ばんみんにたやすく此むねを知しめんが爲にことばはぞくのみみにちかく儀は天命のそこをきはむる者也○是によてことはりをすみやかにわきまへんが爲に師弟子のもんだうとなしてつらぬる者也されば此†どちりいなは一切のきりしたんの爲にあんしんけつちやうの一道なれば誰しも是をしりわきまへん事專要也 然にをひてはまよひのやみをのがれ眞のひかりにもとつくへし」(2オ)
23:55
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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