2005年12月20日(火)
大日本スクリーンの『タイポグラフィの世界』で最後まで出澁つてゐた連載が始まつた。タイポグラフィとは何ぞやなどといふのはいつまで經つても曖昧である、とか、明朝體を中國人は嫌ふといふのはそんなでもないのではないか とかはあるものの、それはさておき。
長い文章の一番最後、奥付に相当しようかといふ部分に。
※本稿の図版収録に際して、以下の方々の著作権者にご連絡がとれませんでした。
お心当たりの方は、恐れ入りますが、sent-info(略)screen.co.jpまでご連絡くださいますようお願い申し上げます。
稲葉小千/和田斐太/矢島周一/藤原太一/清水音羽/本松呉波浪
これもか!(謎)
18:19
あ、ワシの名前が...ないない (S さん) 05 12/20 20:49
あなたは戰前の人間ですか(笑 (kzhr さん) 05 12/20 20:53
えと...ちがったっけ (S さん) 05 12/20 22:30
舊制大學だつたの? (kzhr さん) 05 12/20 22:39
小宮山さんは書家志望だつたのですね。 (kzhr さん) 05 12/20 22:58
it d(4ay_h it4 w@ (ふかは さん) 05 12/21 0:05
『聚珍録』で殆ど最初に取上げたネタの図版が多かったですね。図版の量は『聚珍録』のほうが上。まあ銭取ってますから。でも,あの手の資料には殆ど紙幅を取りませんでしたが。 (ふかは さん) 05 12/21 0:08
「あの手の資料」ではなく「あの手の資料についての解説」でした。 (ふかは さん) 05 12/21 0:09
まあそれはしかたがないでせう。『聚珍録』なみでやつてゐたらそれこそきのふけふで出たかどうか。 (kzhr さん) 05 12/21 18:06
正しくは 本松呉浪 ですね。 (ふかは さん) 05 12/24 10:41
誤變換でした。ご教示ありがたうございます。 (kzhr さん) 05 12/24 11:56
河端某君が『聚珍録』にすら目を通さずに「タイポグラフィ研究」に言及しているということはさしあたり分かる。 (ふかは さん) 06 2/12 21:19
河端ではなく川畑でした。 (ふかは さん) 06 2/12 21:20
小宮山先生は讀んでなくてああ應へていらつしやるのか仕方がないなあと思ひつつ受け流していらつしやるのか。小宮山先生のレタリング論はそれにしても獨特ですね。 (kzhr さん) 06 2/13 12:07
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——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め (中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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