樺島忠夫、岩波書店〈新書黄75〉、1979。
……外国語に近い形でカタカナ書きの語が多くなっている。
- ラジオ テレビ シャープペンシル ボールペン ガス……
あんまりだ。
さておき、カタカナを能率化の一環と捉へるのには異論がないのだけれども、楷・行であつた萬葉假名を崩して、草だの女手だのが生まれたといふと、不思議なことがおきたやうに思へる。あと、書體が使用される場について、意識をめぐらした文章をかなの歴史について述べたもので見ないのだが、少なくともこの前見た『かな』、今手許にある『日本の文字』ではさういふことは配慮されてゐないのだけど、最近の研究では配慮されてゐるのだらうか。
また、本書でひらがな字形の複雜さと使用率の關係を見てゐたのだが、現代假名遣の文獻をもとに調査してゐるので、宛てにならないやうに思はれる。
18:19
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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