ウィキペディアなる百科事典編纂サイトにかかずらつてゐると、さうでもしてゐないとお目にかかることのなささうなものにめぐり合ふ。
ノートといふものがあつて、執筆・編輯者のメモなどに使はれたり項目で議論・喧嘩にならないやうに一種の緩衝であつたりするのだが(係る度合が増すほど後者での使用が増えるのは仕方がない)、その執筆・編輯者の所謂「生の」意見が、交はされてをもしろいのがある。たとへば、社會・歴史關係のものをみると、〈唯物史觀からの超克〉だとか右翼がどうの左翼がどうのだとか、人に "What do you support?" などと問ふことなど日常ではないのだらうからここでもなければ見ることはなかつたらう。
また、中途半端な智識できて、〈あ、これ間違ひだ〉などと思ひ書き直していく人も少なくない。項目に書かれる分には直すだけだが、ノートに來るとすこし滑稽な〈説得劇〉とでもいふものが始まる。しかし説得してゐる側がやがてぼろが剥がれてしまふこともあるので、何よりそこが〈ウィキペディア〉の品質を上げかねてゐる原因なのかもしれない。
フォントの、或は書體の著作權について思ひめぐらせてゐて、われわれがコピーしがいのある文字であるところの戰前書體に著作權を設定しうるのは、舊著作權法時代以前なら保護の對象にならず、以降でも、團體の場合發表後、或は個人の場合死後30年の保護であるといふのは留意していい。また、書體は藝術品であると同時に、或はそれ以上に工業生産品であるので、著作といふよりも意匠といふはうがすんなりくる。さうするとどうなるか。意匠に關する權利である、意匠權は特許權同樣(著作權も本質的にはさうであるはずだが日本の運用では違ふのだが)獨占權で、申請し認可から15年の保護を受ける。しかし、15 年しか獨占を出來ないといふのは、それしか賣り物がない書體メーカにとり重荷になるのは問題がある。そこで株組合のやうなものを考へる。つぶれれば、Go public. 電子書體ではやりにくい/不可能なのが。
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——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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