(引用者註 ヴァリニャーノが)日本人の学習用の教材として日本国内で書物を出版する必要性を説いている.また使節に同行したメスキータ神父に,カナ文字の活字鋳造を依頼している.おそらく,こうした彼の意図を踏まえ,使節はローマからの帰路,活版印刷機を入手した.
日本に渡つてのちにきりしたん版を印行する事になる印刷機は、ゴアで、使節團の原マルチノが教皇を前にした演説を印行して行つた。それが "ORATIO HABITA À FARA D. MARTINO/ Iaponio, suo & sociorũ nomine, cùm ab Europa redirẽt/ ad Patrẽ Alexãdrũ Valignanũ Visitatorẽ Societatis/ IESV, Goæ in D. Pauli Collegio, pridie Non./ Iunij, Anno Domini/ 1587/ CVMFACVLTATE Inquisitorũ &, Superiorum/ GOAE/ Excudebat Constãtinus Dourat' Iaponius in ædibus/ Societatis IESV./ 1588" である(である、といふか、取敢ず表紙の圖にある内容を全部寫しただけといふか?)。印刷人 Constãtinus Dourat' は日本人であるさうな。英國人 Arnest Satow がきりしたん版の調査を行ひ、『奉教人の死』が、それに始まる南蠻ブームにかけて遊びをしたといふことなど、なかなかをもしろい。
13:33
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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