複寫の複寫が出囘るやうな時代、實物と向き合ふのも一苦勞、イヤハヤ古今の若者は根氣が無くつてこまるねえ、などと誰に面つて打つのかわからない先手はおしまひにして、『聚珍録』に掲載された圖版を見ながら思つたこと。
・圖2-4、「廣」が「黄」でない(何、といふか誤字か「印廣軍」)。間の「日」か「月」か。「月」つぽい。「旅」が誤字(たぶん)。鍋蓋はいらんだらう。「九」が獨特。或は「九」ではないのか(「關る九百事件」「其他九新政」「其伍中に九事軍制」)。「解」の「牛」が「牛」でない(ヰに似てる)。
・一卷p.588、「第一畫を撥ねた筆記體に近いバランスの『心』」、圖2-64-3に出てゐる限りでは「第三畫」。「奧書では「屆」(届)」といふのは、「「届」(屆)」ではなからうか、「由」ではなくて「田」に見えるけれども。
・圖2-130「一體漢字は形本位の字であつて、筆者には必ず其の字面中最も注意せられて居る部分がある。一字中のどの部分もすべてが一樣に注意せられて居るとは云はれない。偏に注意が行き届いて居れば、旁(ツクリ)の方がおろそかになつて居る類の傾向がある。字の誤りは多くこれから起る」(後藤朝太郎『〔教育上より見たる〕明治の漢字』寶文館、1912)。これも「届」の「由」が「田」。153ページだけ拔けてゐてすこし不思議。
このくらゐに。
23:27
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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