氣分轉換、といふか、本業を忘れないためにキリシタン版關係と言語學關係のお勉強もしておく。
借りたもの。
イ・ヨンスク『「国語」という思想 近代日本の言語認識』岩波書店、1996.12。博士(社会学)らしいです。へえ。博論を公刊したものなのかしらん?
丸山圭三郎『ソシュールを読む』岩波セミナーブックス2、岩波書店、1983.6。けれど、弟子たるバイイ・セシュエらがソシュールの理論の先進性ゆゑに理解できなかつたのであれば、40年後にさひはひにも出たことで、それまでのソシュールの影響を再點檢しえるとともに、40年部分的にしか理解できてゐなかつたものがより完全に理解できるやうになつたとも考へられはしまいか。しないか。
ノーム・チョムスキー『生成文法の企て』福井直樹・辻子美保子譯、岩波書店、2003.11。あ、これ、チョムスキーは題名ぢやなくて著者なのか(遲)。母語化理論が氣になるので借りる。
フロリアン・クルマス『言語と国家 言語計画ならびに言語政策の研究』山下公子譯、岩波書店、1987.2。む、これは、けふ見た例の山下論文(山下仁「敬語研究におけるイデオロギー批判」野呂香代子・山下仁編『「正しさ」への問い 批判的社会言語学の試み』三元社、2001.3。過日の日記をも參照あれ。やうやく見たのである。蛇足なので手短にいへば、先行研究として擧げないのは研究者倫理に悖るが、山下の研究自體は揚足取り風にしかし眞實にせまるもので瀧浦とスタイルがちがひ、山下に基づいて批判を展開するのは難しいことだつたらう)で明治維新期日本語の「均質性」を高く評價した變な本と書かれた本ではないか! ……日本語以外のところを讀まう(なんだかこれはアンダーソン『想像の共同体』の日本の部分は碌でもないといふ評を思ひださせるものであるなあ)。それにしても岩波ばかりで、めづらしい。
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——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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