この日記について、さいきんいろいろと質問を受けることが多いので、すこし説明をしてみたいと思います(いわゆる現代表記で)。
さいきんの、とりわけ、平日の内容については、受けた講義・ゼミのメモが内容のほとんどを占めています。受けた・出た・発表した感想だけではなく、じぶんに引きつけてその講義・ゼミにありながら感じたこと、たとえばじぶんじしんの勉強に益すること、思いついたこと、講義やゼミの設計(教えることを避けられなさそうな進路を考えているので)などをあまり詳細でなく――ここのあたり、隠しすぎに近いのですが、まあ、隠すようなことを書くわけではないけれど、本人に云わずに書いているのでもあり、まあ、研究ノートがマル秘のようなもので――書いています。題名はそれぞれ、その講義・ゼミを象徴する語を選んでいます。それ以外のできごとについては、メモのうしろに簡単に記してあります。まあ、だいたい買ったものを書くくらいなのですが。
というわけで、私的な日記を堂々とウェブで付けているようなもので社会性にだいぶ欠けるきらいがあります。
ついで、表記なのですが、高校生で始めたときは、もちろん能動的に始めたのですが、いまではほとんど惰性でしているこの表記、とうぜん現代日本語口語体で書いているので、表記のレヴェルの問題として、歴史的仮名遣ひ・正漢字を用いていると私は主張するのですが、とうぜん異論がおありかと思いますが、私としては、止めるつもりはさらさらないのです。私がにくからず思い講究したく思っている、日本語およびそれを書くこと、それを極めていく手段として現代仮名づかい・常用漢字はもっとも劣悪な素材であると確信していますし、どうせふみ台にするのであれば、うるわしく問題に富むほうを選びたいというのがその理由ならぬ理由です。
変換はどうしているのとたまに聞かれるのですが、現代仮名づかいで入力し、歴史的仮名遣ひに書きかえ、そうして得られたものを略字→正字フィルタに掛けています。フィルタが使えない環境についても、仮名遣いだけは改めています。反応速度が大事なチャットのたぐいはそのようなてまひまを掛けませんが……。
これがわが行く道なのであろうか、うむむ。
23:55
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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