三馬。あんまりいい見本にはなれなかつたなあ、と反省ひとしきり。まあ、移動してはじめてで要求されるものがなんなのかいまいちわからなかつたのもあるけど。
圖書館の新藏書を眺める。4F大型のところに活字關係の本が4册竝んでゐて奇妙(アイディア『活字集成』、『アステ』影印本、精興社『報告書』、そして通常判型本印刷の棚には『視軸』と『廻廊』があるのだ)。科學コミュニケーターの先人といへるのか(理科基礎といふ高校のときの教科で、このひとの文章を讀み、宗教觀にえらく反撥した記憶があるが、どう反撥してそれをどう教師に表現したのかいまいち記憶にない、あまり理解されなかつたことだけ覺えてゐる)、板倉聖宣氏が變體假名を學ぶ本を出したやうでへえと思つた。歴史的な觀點からして最後の部分で建てられた問題といふのそれじたいに問題なしとしないことがあるのはともかく、おもしろくは思つた。『歴史學大事典』最終卷「コミュニケーション」でいろいろ見たことのある名前があるなあと思ふ。とりあへず、あの先生に生成文法を書かせるのは厭がられると思ふのだ。なんだかんだコミュニケーションの學に參入しようとしてゐるのだといへるのだらうか。そのわりにはコミュニケーションといふことを假名に譯せないが。
23:55
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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